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2023年12月22日(金曜日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2023年12月21日分精神科受診時音声(最終回) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
このページは執筆中・未完成です。 その後のウダオサムの口ぶりから判断して、福山こころの病院大林正和理事長が法的な手段に訴えそうであるようなので、近いうちに証拠動画を閲覧できなく成る可能性が有ります。 ネット陰謀論者の決まり文句に成って言いたくなかったが、YouTube動画や宇田英才教室サイトの内容を、不特定多数の人々で手分けして保存してほしい。 なお、そんな事をすると、保存した人が命などを狙われる危険が有ります。 だから、無理はしないで欲しい。 命などを狙われる、というのは、多分あなたが想像するのとは全然違った方法によってなので、見てはいけないと言われた心霊ビデオを見る選択みたいな得体の知れない劇危険に処するつもりで安全を保存より優先させて下さい。 命を狙われるんだったら空手を習おうとか、常に拳銃を携帯しようとか、そういう方法では対処できない手口で殺しに掛かって来ます。 空手や拳銃で撃退できる手口も敵は使うけれど、空手が強かったり拳銃を持っている人には最初から使いません。 空手や拳銃では対処できない方法、じゃあマシンガンで撃って来るのか?というと、そういう路線とは全然違う方法です。 そんな方法は全く思い当たらない人が多いかもしれないけど、ある意味、そういう人でも既に知っている方法です。 その事を分かってもらうには「洒落(しゃれ)に成らない」という表現を引き合いに出すのが有効だと思う。 いたずらされた事に気付いた被害者が「おい、お前、一体何をしたのか」と言いながら被害を確認し、被害内容を見ながら「洒落に成らないよ」と発語するパターンです。 これは、いたずら被害の域を超えた深刻な被害である、したがって、いたずらでは済まないぞ、という意味ですよね。 そういういたずらの延長上に有る様な犯罪は、空手や拳銃では防げない。 防げるし、そうする事は正当なのだが、そうやって防ぐ事を、基本的には「いけない」という評価のふっかけと「してない」というウソの2つで敵は出来なくして来る。 「いけない」と「してない」の2つで敵は押して来るのである。 「いけない」というのは「してはいけない」の事です。 今回の大林正和理事長の「録音してはいけない」「公開してはいけない」という主張の正体は本質的にはこれです。 また、長年に渡ってサラミスライス的に社会を蝕み続けている言葉狩りの本質も、これです。 録音も公開もしなくても、もっと控えめな方法でも、それで自分達の攻撃が防がれてしまうと分かった途端に、それを敵は「いけない」と言って来ます。 これは、こちらが幾ら譲歩してどんなに控えめな方法を使っても、そうです。 だから、この「いけない」という主張をどこかで退ける事が絶対に必要に成って来る、というのが本当のところ粗筋なんです。 敵の手口への対処の基本として私が説いている「つきあわない」という方針は、全く譲歩せず「いけない」という主張を最初から退ける、という意味です。 これを分かり易い言葉で言ったものが「先に手を出した方が悪い」という判断基準です。 この判断基準における「手を出す」は、暴力を振るうとか手を接触させるという意味ではなく、被害者が損をするように狙ってする一切の選択の事です。 「手を出す」という言葉を暴力に限定する解釈は、この判断基準を使えなくする為に犯人が流布したデマです。 また、被害者が気付かなかった場合には、空手や拳銃では防げない。 これをヒントにすれば、空手や拳銃では防げない方法で幾らでも大きな損害を与える事が出来そうだ、という事に、あなたも気付くのではないでしょうか。 つまり、そりゃそうだけど、やってはいけない程度があまりに高すぎるから、それは誰もやらないとか、共謀に必要な人数があまりに多過ぎるから実際には起こらない、という前提で考えているような事を、されるという事なんです。 ちなみに「洒落に成らないよ」と並んで発語されると丁度よい言葉が「お前、あたまがおかしいのか?」という言葉で、ここにも、健病反転が起きているのではないかと疑う根拠が有る。 「いけない」に属する言葉として集団ストーカーが使用する言葉の例は「ひどい」「ずるい」「こわい」です。 自分達の不正が証明された時、相手が自分の身の潔白を証明した時に、集団ストーカーは「こわい」と言います。 これはどういう事かと言うと、自分達の不正が証明され、相手が自分の身の潔白を証明したという事は、自分達がいけない、相手はいけないのではない事が判明した、という事です。 その様な状況においてすら、判明させた点で相手がいけない、という風に逆さまな事を言って来る、という事です。 今回大林正和理事長が言った「非常識」という言葉やウダオサムが言った「犯罪性が有る」という言葉も、「いけない」に属します。 学生時代に清水匡太も私を「非常識」という言葉でけなしていました。 同じ発信源から影響を受けていたからでしょう。 過去の診察で大林正和理事長が「協調性」という言葉で私を批判しようとした事も有った。 これも払い除けるのに手間が掛かりそうなので、今でも悩みの種の1つに成っている。 「協調性が無い」「非常識だ」という批判や「犯罪性が有る」という批判への本格的な反論は、「敵の手口を暴露」セクションに後日書きたい。 簡単に言うならば、もっと大事な事が脅かされているのを棚に上げて何を言うんだ、という反論が重要です。 泥棒が入るから鍵を掛けてるのに、それを「協調性が無い」と言われたら、そうとも言えるけど、泥棒に入られる事は協調性よりももっと大事な問題です。 録音は非常識ではないと思うけど、非常識だとしても、ウソをつかれる事の方がもっと大事な問題です。 車両を撮影ナンバー読みして結果を公開する事も、犯罪性が有るなんて事は無いと思うけど、犯罪性が有るとしても、それによって防がれる犯罪の方がもっと大きな問題ですよね。 犯罪性が有るだけの行為よりも犯罪の方が大きな問題である事は、「犯罪性」という言葉と「犯罪」という言葉自体に表れています。 自由を制限する正当な理由は、制限しなければ他人の自由が不公平に減る事だけである、というのが私の正義観でもあるし、現代法的な正義観の正統な解釈だと思うが、したがって、協調性という言葉を使おうが、常識という言葉を使おうが、犯罪性という言葉を使おうが、不愉快とか不快という言葉を使おうが、これを否定する主張はどれも、間違った事を正しそうに聞こえる言い方に言い換える不正であり、「物は言いようだ」という言葉で批判されるべき物である。 もうひとつは、確実性についても言える事なので確実性の場合について説明すると、大林正和理事長が私を診察している時にほとんど毎回緊急連絡が入る、一般法則としては診察中に緊急連絡が入る事は珍しい、したがって私の診察中に入る緊急連絡は集団ストーカー工作の結果である、という推論を、不確実だと批判するのであれば、確実性について同程度に厳しい基準を例えば統合失調症だと診断する時にも使う必要が有る、そうすれば統合失調症だと診断する事は出来なく成る、それなのにあなたは統合失調症だと診断して来た、これは事実認定の基準についてあなたがウソをついている事を意味する。 不確実だ、非常識だ、犯罪性が有る、という基準を相手に適用するなら自分にも適用しなければ不正です。 だから、基準を吊り上げれば幾らでも逃げれる、という集団ストーカーが陥り易い計算は実は成り立ちません。 診察で私が言ったように、常識から外れる状況への対処を非常識という言葉で批判するのは間違っている、というのもあります。 ウソをつかれるので録音する場合、録音が非常識であっても、その責任はウソをついた人に有るのは当然の事です。 ついでの話だけど、集団ストーカーは自分達の犯罪を防ぐ手段や自分達の犯罪を被害者が防いだ事に、「ひどい」「ずるい」「こわい」という評価を理由を添えずふっかける事によって不当に「いけない」というレッテルを貼ろうとするが、被害者の優れた行ないには、「ひどい」「ずるい」「こわい」だけでなく、「危ない」や「失礼だ」という評価をふっかけるのもパターンです。 06日@2013年12月@日記で報告されていケーサツ官の「(録音されるのは)不快だ」という発言も、「いけない」に属します。 「不快」「失礼」は「非常識」の同類項だと言える。 「不快」というレッテルは2000年を過ぎてから始まった新傾向だと私は認識している。 もっと後退したところに「寒い」「冷たい」「せちがらい」がある。参考:08日@2023年11月@日記 あれもいけない、これもいけない、と言われたら、自分の正当性、相手の不当性を言葉で説明する事に成る。 これは、とても難しい事で、集団ストーカーは「どうせ出来やしない」という風に高をくくっている様な事です。 あれもいけない、これもいけない、といってハードルを上げに上げられた挙句の果てが言葉での説明なのだから、そのハードルを越えるのが難しいのは当然の事です。 やっとの思いで奇跡的にそのハードルを越えた時に敵が持ち出して来る「いけない」が、「理屈がどうの」とか「話が長い」という「いけない」です。 2024年01月龍角散のテレビ・コマーシャルで「理屈じゃねえんだよ」というキャッチ・フレーズを頻繁に聞く様に成りました。 「理屈じゃない」の他に、「理屈っぽい内容が聞く人の負担に成っている」とか「理屈で誤魔化している」などが有ります。 私も大林正和医師から診察で「宇田さんは理屈が・・・」という風に言われ、「そう言うとまるで私が理屈で誤魔化しているみたいじゃないですか」と抗弁した事が有るし、デイケアでセワケから「理屈っぽい内容が聞く人の負担に成っている」と言われた事が納得できない。 --- なぜ録音や写真撮影をするのか、それは、録音や写真撮影なしでは私の証言を信じてもらえない事が多かったからです。 大林正和理事長も私の前で過去の発言を何度も「覚えていない」と言った。 だから録音するのです。 なぜ録音結果や写真を公開するのか、それは、直ぐに公開しないと証拠を隠滅されるからです。 これらの理由は、全てではありません。 他にも理由は有ります。 他の理由は、このページの下方に追記したいと思います。 証拠隠滅については、30日@2023年11月@日記を見て下さい。
私は医者じゃないので分からないのですが、ここまでの発言の中で大林正和理事長は精神科医として致命的な間違いを犯している、という可能性も有ります。 今後自分の知識が増えた時に自分の耳で聞き直してそれを見つける事が出来る為にも、記録は残しておく必要が有るのです。 大林正和理事長は私に、医療を受ける為に来ているのでないならば診察しない、とう意味の事を言った。 しかし、精神病患者には病識(自分は病気だという自覚)が無い、と精神医学では言われていると聞く。 医療を受ける為に来ているのではない精神病患者を診察している、これで良いんだ、と大林正和理事長が認識している(ふりをしている)診察は多いのではないだろうか。 また私は、自分の話を聞いてもらう事が心の癒しに成っていたし、私の心の状態は、そういう癒しを必要とする様な苦しい状態なのだが。 精神病にかかっているか否かと言えば、私は自分を精神病にかかっていると思っている。 しかし、それは、統合失調症の様な不名誉な病気ではなく、前人未到病のような物だと私は感じている。 前人未到の域に達すれば常時爽快なのではないか、と思われるかも知れないが、意外な事に、そうではない。 その事は、例えば湯川秀樹が前人未到の領域を進む時に感じる気持ちを「寂寞」という言葉で表現している(んじゃなかったっけ)事にも表れている。 それが私の場合は、誰かに助けを求めたいぐらい、人生の喪失感ぐらいひどいんですよ。 直ぐに公開しないと証拠を隠滅される事以外に、直ぐに公開しないと知的所有権を盗まれる、という事情も有ります。 22日@2023年11月@日記で報告されている2009年09月09日精神科診察音声の説明欄に書かれている様に、私の話し方の特徴を真似されて、それを私とは無関係である事にされてしまう、という事情も、その亜種です。 だから、今回の大林正和理事長の言い分というのは、大木隆生さんから頼まれての事なのではないか、と思う。 真似するだけなら良いんだけど、人格を盗まれるというのは、ちょっと法律を作った方が良いんじゃないの。 そう言われても分かりにくいかもしれないので補足説明すると、私の様子よりも真似した人の様子の方が広く知られたならば、逆に私の方が真似したんだと言われる危険があり、実際過去にそう言われた事が何度も有ったと思うが、それではいけませんよね、という話です。 2003年から2014年まで私は1週間に1回ロード自転車でサイクリングをしていたのですが、2010年頃だろうか、ウダオサムが行く自動車修理店、カー・コンビニ・クラブ・バクという名前だったと思うが、帰路でその辺りの土手を走行中に、反対向きに走っている自転車の数台組を見た。 多分5台組だった。 その数台組は、私とすれ違う前に、土手から南に(カー・コンビニ・クラブ・バクの方へ)下りて行った。 その自転車に乗っていた人が全員お面を被っているみたいに同じ顔で、私の顔のコピーなんじゃないか、と思った事が有る。 オリエンタル・ラジオという芸能人ペアのうちの中田という人の様子をYouTubeで見た時にも、私のキャラクターを真似てるようだと感じた。 真似られるだけならむしろ光栄な事だと感じるが、オリジナルが誰なのかについてウソはつかないでほしいものです。 公開については、公開しないと隠滅されるだけでなく、証拠は公開されている間だけ存在するかのような態度が見られる。 01日@2022年05月@日記に書かれているように、突き出し棒の証拠写真を宇田英才教室サイトのトップページに掲載している間は私への集団ストーカー工作が無く成るが掲載をやめると直ぐにケーサツが襲って来た事や、06日@2023年04月@日記での騒音報告が始まるとそこで報告されている音だけ淀電子から発せられなくなるが報告が中断されると直ぐに同じ音源からの騒音が再開される、といった具合です。 例えば以下の車両情報を宇田英才教室 > 武道 > 理論 > 空手以外 > 敵の手口を暴露 > 証拠・資料 > 通過車両のページに掲載開始すると、この車両は来なく成り、ページ内での掲載位置が繰り下がって見られ難く成ると直ぐに、まだそのページに掲載され続けているにもかかわらず、また来る様に成った。 ↑福山581き3077、撮影2023年06月05日18時26分。 突き出し棒の写真だって、宇田英才教室のトップページに掲示するのをやめても、私の写メール投稿ブログ「即達」のどこかには掲示され続けていた。 だから、公開し続ける事は必要です。 2019年12月@日記で報告されている件に登場する岡山洋二も大林正和理事長と同様に病院の世襲院長なんだよね。 日本物理学会2011年秋季大会@学会発表@活動報告@学問の24pRF-1,2についての部分で、五十嵐靖則さんとの対話の内容を克明に文字起こしして公開したばかりの頃、会話内容を録音してその結果を活用する行為がトラブルを生んでいる、という話題がテレビで論じられていた事がある。 やはり一言一句正確に文字起こしして文書化する、という行為についてだったと思う。 報道番組だったと思う。 言うまでもなく、上記リンク先ページへの反応だ、と私は見ている。 私がアイデアを盗まれていると主張すると京アニ事件を起こされたり、というパターンの一例です。 当ページの件についてはガーシー裁判をぶつけて来ている様です。
録音は備忘メモである、という考え方ですね。 なぜ録音するのか、なぜ写真撮影するのかについて、この考え方は私にも有る。 自分の記憶力の不足を悔しいと感じた事が私も過去に多い。 発言内容の一言一句のレベルに問題の核心が秘められているのにそれを思い出せないせいで、記憶されているニュアンスを文字で再現できない、というのは、今でも悩みの種です。 また、モンタージュ写真の事を思い出せば分かる様に、覚えていても伝える事が出来ない、という問題も存在します。 さらに、伝える事は出来ないけれど重要ではない、というのでもない。 犯罪においては犯人が何を狙っているかが中心問題なので、顔や顔表情というのは、極めて重要な証拠です。 21日@2023年11月@日記で報告されている2023 1121 1351の顔表情の異常性を言葉で表現する事は、ほとんど不可能です。 備忘メモに含まれる考え方に成るかもしれないが、私は次の様にも考えている。 大林正和理事長は、前回の診察で私がした話を今回の診察ではもう覚えていない、という態度を取る事が多かった。 つまり、大林正和理事長は、自分の発言を「覚えてない」と言うだけでなく、宇田の発言も「覚えてない」と繰り返し言って来た、という事です。 それで私は、この話はもうこの人に伝え(託し)ておいた分だけ社会に記録された、という考え方が成り立たない、と気付いた。 その気持ちを私は「ザルに水を注いでいる様だ」という言葉で過去に既に大林正和理事長に伝えている。 それで、自分がした話を後で自分でまとめて自分で公開する必要が有る、と思う様に成った。 自分でまとめると言っても、そんな事をする時間も無いし、まとめるために時間を取って思い出そうとしても思い出せない、他人に話してる時が最も記憶の再生がスムーズである面も有る、だから、他人にした話をそのまま公開するのが最も効率的だ、と考えるように成った。 この事は、私が長い間、大林正和理事長を集団ストーカーの張本人だ、とは思ってなかった、限界は有るが善意の第3者だと信じていた証拠でも有ります。 2008年頃だったろうか、デイケア内で過ごしている時に、職員が資料を大量に廃棄していた事があった。 シュレッドを伴っていたかも。 丁度その時期に、それまで1回も見た事が無い中年か高年の身長が低くないヤセ体型の女性職員をデイケアで見る事が多く成った。 私は共産主義国の政治局員というのがどんな人か知らないが、その女性職員の人相を私は、共産主義国の政治局員みたいだ、と思った。 それまで見た事が有る人の大多数とは異質な感じだった。 当時わたしは単独通院往路途中福山駅南口近くを歩行中に、その女性職員とすれ違った事が1回ある。 彼女も徒歩だった。 おそらく、私をめがけて来ていた、と思われる。 また、私の母ウダマチコが長期的に自宅敷地内のプレハブの内容物を破棄している。 証拠隠滅だと思う。 2023年終盤か2024年序盤にウダマチコが私の前で私の出身中学校を「神辺中学校」だと言った。 私の出身中学校は神辺中学校ではなく神辺東中学校だ、と言い返した。 我が家の東に住宅がたくさん新築されるまでは、神辺東中学校は私の自宅から見えていたほどだから、間違えるわけが無い。 過去の事実を偽って述べる、という事例は、この他にも多い。 ザルに水を注ぐ様な思いをさせる、というのは、集団ストーカーの手口の抽象的なレベルでの方針のひとつだろう、と私は見ている。 例えばインターネット上のSNSが、その実例です。 優れた人が精魂込めてコンテンツ執筆を長期継続すれば、質的にも量的にも顕著な価値が作り出される事に成ります。 そういう事を、どうぞここで思う存分にやって下さいね、と言っておきながら、執筆者がそろそろ時間も体力も随分とつぎ込んだな、と思われるタイミングでSNSサービスを終了する、サービス開始時からそのつもりで居るだけでなく、時間と体力を無駄使いさせる目的で、そういう事をする。 大きな穴を掘って「ここに出して下さい」と誘い、後で埋めるつもりなんですよ。 だから、みなさん、著作はFacebookの様なタイプのSNSで表現せずに、自分のウェブサイトで表現した方が良いですよ。 ブレイク・ダンスの大会も、私は、そういう疑いで見ています。 現在の演技内容が後の時代に見向きもされなく成る様に狙ってルールが設定されていませんか。 2023年04月からの録音の当初の目的は備忘メモだった事を思い出しました。 その事は29日@2023年04月@日記に掲載されている2023年04月27日精神科診察音声(1)の再生開始から2分が経過した頃から私によって宣言されています。
だから録音は必要なんです。。 大林正和理事長は「知らなかった事にしろ」と弁護士などの法律家から入れ知恵されたのだろう。 法律家が社会にとって有害な働きをしている事も分かりますよね。 これは、司法制度改革が集団ストーカー工作だった、という事を意味するでしょう。 2023年04月27日に録音を開始すると、大林正和理事長は口数が極端に少なく成った。 後ろめたい事が有るからだろう。 バベル社発行「大金言」803ページ12月29日分に「何人も、時々刻々、その意中を語っている。たとえ口には黙っていても、その動作において、その顔色において、その所有物において、その嗜好において、絶えず意中を発表して、少しもおおう所がない」と書かれている。 この事が分かっている人は、後ろめたい所が有れば、何が何の証拠に成るか分からないので動作も顔色も所有物も嗜好もつつしむだろう。 いわんや言葉をや、である。 大林正和理事長の口数が少ないのと対照的に私は饒舌です。 録音されているというのは、私の発言に対しても大林正和理事長の発言に対しても言える事なのだから、これを見るだけでも、どちらが悪いかは良く分かる。 録音に対する大林正和理事長の態度が最初は容認だったのに、録音で証拠を取られると拒否に変わったのも、「ほうら変わったぞ」の一例です。 録音されても尻尾を出さない自信があったから容認していたが、尻尾を出してしまったとたんに拒否に変わった。 相手をなめてかかる態度や結果を見てルールを変える態度といった、人間の不徳の典型が見られる。 また、次の事も有ります。 私は診察音声を最初は宇田英才教室サイトでMP3ファイルで公開していました。 ところが、31日@2023年10月@日記で報告されているように宇田英才教室サイトのサーバーwooder.pro.tok2.comが正常に機能しなく成りました。 おそらく、診察音声の公開を止める為に何者かが介入した結果だろうと思われます。 宇田英才教室サイトのサーバーをwooder.workに変更してYouTubeで診察音声を動画形式で公開し始めたのは、その後です。 wooder.pro.tok2.comを停止させる事はコソコソ出来たが、YouTubeでの動画公開をやめさせる事は現在はまだ自分達だけでは出来ない、という事情が犯人達には有るのだろう。 しかし、それも、逮捕系ユーチューバーの事件やガーシー事件をぶち上げる事によって、法律を改正させ、これから出来る様にして行こうと犯人達は既に動いている様です。 これも、「いけない」を推進する手口の実例です。 過去に、私の発言を大林正和理事長が復唱する時に私の言葉そのままではなく文言を少し変えて復唱するのを聞いて不安を感じ、カルテに何と書いているのか?と質問した事がある。 大林正和理事長は見せてくれなかった。 私はカルテに事実と異なる事を書かれたり、私の発言の中の不都合な部分を故意に記録しないようにしたり、という犯罪を心配している。 カルテしか残っていなければ、最も信頼できる資料はカルテだから、カルテに書かれている事が史実として後世に伝えられる事に成る。 それではいけない、というのも、私が録音し録音結果を公開する理由です。 過去に私の母ウダ・マチコが、不可能だから詐欺だとまで言われたテープ起こしの能力検定に合格するまで訓練を積んだのも、おそらく、日本物理学会大会での私の発表の録音をテープ起こしで捻じ曲げるためだったろう、と私は疑っている。 私が行なった正確な文字起こしの結果は、学会発表@活動報告@学問で見る事が出来ます。 録音結果の生データとウダ・マチコのテープ起こし結果を何故か持っている人が居たら、比較してみると、ウダ・マチコがどこをどういう風に捻じ曲げているか、それは誰をかばっているか、分かる事でしょう。 録音結果や写真を公開する、という方法は、集団ストーカーの様な大量殺到型の犯罪に処するには必要です。 たとえば、1件1件裁判に訴えたのでは、百件のアタックをされたら潰されてしまいます。 01日@2022年05月@日記に書かれている様に、証拠は公開されている間だけ存在する、というトンデモなく間違った態度で犯人は来ますので、取り下げるわけにも行かないんです。 大林正和理事長は「黙認」という言葉を使っています。 これは08日@2023年12月@日記で私が「黙認」という言葉を使っている事への不当な報復の代行だと思われます。 この事は、公開するなという言い分が知的所有権ルートからも来ている事を示唆する。 私が大林正和理事長に向かって「動画も宇田英才教室サイトで見て下さいよ。どうしてYouTubeで見るんですか?」と発言している事からも分かる様に、大林正和理事長は宇田英才教室サイトを見た事が無い事にしたままずっと通したいようだ。 何故そうなのかを考える事によって、色々な事を推測できるだろう。 「黙認」という言葉の仕返しも、誰かから頼まれた事かもしれないが、自分でも08日@2023年12月@日記を見たのではないか。 過去に私が大林正和理事長による診察中に、岩田温という人について話そうとして「岩田温」と発語するや否や、大林正和理事長は言い返すような調子で「岩田温は慶応大学の教授です」と私に言った事が有った。 岩田温なんて、私は2022年07月30日に朝まで生テレビで見るまで知らなかった、そんなに有名な人ではないと思う。 それを大林正和理事長は事前に知っていた、のを私は不審に思っている。 私が提起した話題を知らない(ふりをする)事が多いのと比較して、そう思った。 それまでの経験で私が提起した話題を言われる前から知っている事が多かった人なら、そうは思わなかった所だ。 また、言い返すような調子で言った事もおかしい。 私が「岩田温」と言った時点で、岩田温がどうしたとはまだ全く言っていないのに反発して言い返して来たのは、私のホームページに岩田温が何と書かれているのかを事前に知っていたからに違いない。 「岩田温は慶応大学の教授です」というのは本当の事で何も間違っていないだろうけど、それがどうかしたのか、と言われるべきような事ではないですか。 「それがどうかしたのか」どころか「だから問題なんですよ」と言われるべきような事です。 私がその時直感したのは、次の様な事だ。 大林正和理事長は、私が2022年08月@日記で証拠を詳細に引用しながら岩田温を酷評しているのを知って、それに反発しているようだ。 誰かから通報されたのかもしれないが、自分でも2022年08月@日記を読んだのだろう。 この事は、大林正和理事長が、宇田英才教室サイトの内容をかなり良く知っているのに知らないふりをしているらしい事や、たとえそうしなければその間違いの被害者が救われなくても誰かの間違いの指摘は証明の域に達するぐらい明晰で読者が分かり過ぎる物であってはいけない、という私や常識とは正反対の正義感や、社会的に地位の高い人の間違いの指摘ほど公益性が有り奨励されるべき事である、という私や常識の正義感とは正反対の正義感を、持っているらしい事を意味するだろう。 私の言論をマークしている勢力が居て、大林正和理事長はその勢力の影響下にあるか、その勢力に加入している、私の言論の本丸である宇田英才教室サイトは、常時監視され更新箇所はリアルタイムで把握され、マークされている、犯人にとって最もやっかいな存在であり、犯人は細心の注意を払ってこれに対処している。 その細心の注意の中には、大林正和理事長は宇田の前では宇田英才教室には言及しないように努める、という方針が含まれている。 その勢力は大林正和理事長には、宇田英才教室サイトを自分で読む事はするな、と伝えている可能性も有る。 (~までに買うつもりの量) - (~までに売るつもりの量) の全員分の合計を考えればおカネは全体としては詐欺である事が分かるという話をした時には、この話を大林正和理事長に聞かれては困ると考えている人に大林正和理事長が事前に会っているようだ、と感じた。 2023年12月30日16時頃、ここまでの文章を書いた後でリンクをチェックする為に2022年08月@日記を開いてビックリした、文字化けしていて読めない。 私が文字コード設定を直し忘れたせいかもしれないが、怪しい。 未アップ月でも08月でもない月のトップページを確認してみたら、文字化けは全く見られなかった。 岩田温をかばう目的で私のウェブページを改ざんする犯罪が行なわれた事は、ほぼ間違いないだろう。 よほど不都合なんじゃないの、私の記事が。 ついでの話だが、2022年07月30日の少し前に田原総一朗が朝まで生テレビで「私は正義の為なら死んでも構わないと思っている」という発言をするのを聞いた。 岩田温が出演して田原総一朗に辛く当たった事は、それへの反応だと思われる。 この話は2023年12月21日より前に診察で大林正和理事長にした。 正義をびた一文負けるつもりは無い、という発言を聞くと、集団ストーカーの勢力は自分達への挑戦状だ、という受け取り方をして、直ぐにものすごい剣幕で責め立てる人が来るんですよ。 別の回に田原総一朗から「帰れ」と言われて岩田温が「そっちから出演を頼んでおいて帰れとは何だ」と発言するシーンが有った。 おそらく、田原総一朗を攻撃する目的で岩田温に出演を依頼した人がテレビ朝日社内に居るのだろう。 若い頃ソ連に行って帰った後で「ソ連は言論の自由が無いから駄目だ」なんて言ったらクビに成るから言えなかった、という田原総一朗の発言を、日本に帰っても言論の自由が無い証拠だと私に指摘された事で、テレビ朝日社内のクビにする勢力が田原総一朗を降板させにかかっているのではないか。 日本物理学会2019年秋季大会@学会発表@活動報告@学問に、座長が私の自撮りを禁止した事が書かれている。 この事は、2023年12月21日に大林正和理事長が私に「録音するな」と言ったのは一体何だったのかを的確に理解する為の有力な判断材料に成る。 日本物理学会でも、直前の2019年春季大会に私は重要な発表をしている。 たぶんまだ、この宇田英才教室サイトの閲覧開始ページに、その発表内容の動画が埋め込まれているだろう。 控え目に言っておそらく、大林正和理事長も、大林の声を録音されては困る、という事だけでなく、宇田自身の声を録音されては困る、と考えていたのだろう。 つまり、私(宇田雄一)が自分自身についての事実を証拠立てるのを耐え難く不都合だと大林正和理事長や学会大会の座長は考えている、という事だ。 これは、私(宇田雄一)について後でウソをつくつもりだからに違いない。 そして、これは、大林正和理事長や学会大会の座長だけの都合によるのではなく、ほとんど広く世界の都合を背景に背負っての事だろう、と私は見ている。 お前がお前である事はみんなにとって不都合だからお前はお前ではないんだ、という主張は、例え世界の都合から発せられた物であっても、当然に甚だしく不当であるのは言うまでもない。 だから、プライヴァシーがどうの常識がどうの、という言い訳をするんだよ。 録音と公開が必要な理由が分かる例として、次の様な場合も有ります。 例えば、数学の証明問題の解答について意見が対立し、当事者は自分とAさんの2人だけで、その場には他に誰も居合わせなくて、自分が「(XならばY)だからといって(YならばX)とは限らない」と指摘した事に対して、それを認めるとAさんの解答は間違いである事を認めた事に成るので、Aさんが「(XならばY)ならば必ず(YならばX)だ」と言い張ったら、どうするか。 この様な場合、つまり、誰もが認めざるを得ないと言われている論理法則のような事をどう思うかを相手が正直に言わない場合、幾ら言葉を尽くしても、「お前の方が間違ってるんだ」「オレの方が正しいんだ」という事を相手に認めさせる事は無理です。 これは、自分の方が正しいのに「お前の方が間違ってる」と言われっぱなしにされる、という事です。 「(XならばY)だからといって(YならばX)とは限らない」という理屈ぐらいなら、もっと噛み砕いて説明する事も出来ますが、中にはそうする事が出来ない物も有ります。 そういう場合の対処法として私は、「あなたの意見は・・・で良いですね」「私の意見は~です」と確認した上で「これを紙に書いて公の場に貼り出し、未来永劫みんなに見てもらう事にしよう」「自分の意見に自信が有るんだったら、それを嫌だと全く思わないはずだよね」という容赦の無い方法を発明しました。 相手のした事は、そういう容赦の無い報いを受けて当然の事だからです。 しらばくれられるとお前は手も足も出ないだろうが、という態度を相手は取ったのだから。 学生時代(1980年台)に私は、「食物繊維」という言葉の読み方について、自分が住んでいたのと同じ下宿に住んでいた清水匡太と、意見が対立しました。 私は「しょくもつせんい」と読まなければ「植物繊維」と誤解されるじゃないか、と主張しましたが、清水匡太は「しょくぶつせんい」と読むんだと言って譲らなかった。 その直後ぐらいにテレビ・コマーシャルの出演者が「しょくぶつせんい」と読むのを聞きました。 ひょっとすると論争が生じる直前に、このテレビ・コマーシャルを見て私が「あれ?おかしいぞ」と言った事がキッカケで、論争が生じたのだったかもしれない。 ファイヴ・ミニという名前の健康飲料のテレビ・コマーシャルじゃなかったかなあ。 物事の名称や定義というものは必ずしも最も合理的に行なわれるわけではない、という実情を私がわきまえていたおかげで、私はそれ以上食い下がりませんでした。 例えば、化学の用語だったと思うけど、「質量作用の法則」という専門用語は「大量作用の法則」と訳されるべき英語の誤訳だ、と聞いた(直せとは言ってなかった)のが印象に残っています。 高校の化学の授業でサンノウという名前の博士号を持った先生から聞いたのだったと思う。 物理学会では五十嵐という先生が「熱」という言葉の使い方の慣習に異を唱えています(直せと言っていた)。 名称は直さない方が良い場合が多いものだ、と私は五十嵐先生に意見しておいた。 テレビ・コマーシャルと言えば電通でしょう。 2010年より後に、私の父ウダ・オサムが、親類関係か何かで大阪まで行って帰って来た事が有った。 帰宅直後(帰宅日ではなかったかもしれないけど)に、ウダ・オサムが自分の電子辞書を広げて「食物繊維」の読み方を調べ、「しょくもつせんい」である事を私に告げました。 この件を私が不審事として記憶している、という事は、私から調べてみてくれと言われもしないのにウダ・オサムは自分から「食物繊維」の話題を持ち出したのだったろう。 その時わたしはウダ・オサムに「ははあ、大阪に居る間にその電子辞書の内容を書き変えたな」と言いました。 ウダ・オサムは全く反論しなかった。 無反応だったかもしれない。 ここまでを総合すると、次の様な事が言える。 ・ 当事者が2人だけの場合だけでなく、広範囲に渡っての口裏合わせが存在している場合にも、同様である。 ・ 電通あるいは電通のような会社一般は、一体何なんだ? 宇田の様な人間を暗殺するのか、お前らは? 学生時代に清水匡太が私に、就職先として広告代理店は人気が有るんだ、と言った事から、そういう業種に私が見向きもしない事に恨みでも有るのか、とも思う。 テレビコマーシャル@敵の手口を暴露 ・・・ 後でアドレスが変わるかもしれない ・ 宇田を騙し封じ込める為についたウソをいつまでもつき続けるわけには行かない。 何十年後ぐらい、宇田が忘れた頃を見計らって元(正直)に戻す。 同様の例には、シックハウス症候群、小学生の校内プロレスごっこ、中学校体育の組体操が挙げられる。 ・ もし私が清水匡太との口喧嘩が高じて暴力事件を起こしたら「些細な事で口論に成り・・・」という集団ストーカーの定型句(最近ではあまり聞かなく成ったが当時はこれが決まり文句だった)をマスコミは使っただろうけど、当時のテレビ・コーシャルから数十年後の遠隔地のウダ・オサムまでが執拗にこだわっている事は、騙す側の人々が「些細な事ではない」と認めているに等しい。 「些細な事で口論に成り・・・」という決まり文句を伴って報じられていた暴力事件の「些細な事」部分は、真相においては全然些細でなく凶悪な犯罪であり、おそらく傷害罪などに問われた人が真相においては被害者であったろう。 「些細な事で口論に成り・・・」という決まり文句の部分が、近年では「妄想」に差し替えられてるんだよ。 「些細な事で口論に成り・・・」ではいつまで経っても捕れないアルゴリズムで宇田は動いている、と悟ったからだろう。 このページで問題にしている証拠は隠滅されると取り返しが付かない。 なぜなら、集団ストーカーが同じ様な尻尾を出す事はもう二度と期待できないからです。 もともと、滅多に証拠なんて取れなかった上に、今回の件を教訓に今後はなおいっそうの引き締めを集団ストーカーがするでしょうから。 滅多に無いだけなら粘り強く気長に待ってれば証拠を取れるでしょう。 けれど、その事は集団ストーカーも良く知っているので、そういうアプローチを出来ないように、そんな事をしていれば異常者に仕立て上げらて精神病院にぶち込んだりケーサツに逮捕させたり、とやって来るわけです。 19日@2023年09月@日記で報告されている男も、友人から知らされて自分の写真がインターネットに出ている事を知った、と言った。 大林正和理事長も、友人から知らされて自分の診察音声がインターネットに出ている事を知った、と言った。 19日@2023年09月@日記で報告されている男も、録音されていない状態での発言を最後に置こうとしていた。 大林正和理事長も、私の診察の後に、ウダオサムとの対話を要求し、その対話は録音されなかった。 これらは、背後に共通の指導役が居るからだろう。 最終発言が録音されていなければ、例えば最後に「なんちゃって」と言ったんだというウソがウソでない可能性を考量する必要が出て来る。 「ここまでの事はドッキリ・カメラだったんです」と名乗り出るパターンは、これです。 そういう可能性が裁判でどう評価されるかを実例に基づいて知っている法律家が背後で指導していただろう。 そういう事を常習的に行なっている法律家(法匪)からは、弁護士資格などの資格を永久剥奪する必要が有る。 性犯罪者にGPSタグを付けろと言うんだったら、そういう法匪にもGPSタグを付けろとは何故言わないのか。 ここに、性犯罪者、性犯罪者と連呼しているのが集団ストーカー勢力である証拠が出てるんだよ。 だから、性犯罪に対する取締りの強化促進も犯罪目的で行なわれている、という目で見る必要が有る。 宇田英才教室 > 武道 > 理論 > 空手以外 > 敵の手口を暴露 > 証拠・資料のページから29日@2015年11月@日記にリンクを張ったのが、2023年12月21日の数日前だったろう。 29日@2015年11月@日記に書かれている千葉県ナガレヤマ市のタケノ・テツオさんに加害した犯人から連絡が入った可能性も有る。 それが「友人から知らされて自分の診察音声がインターネットに出ている事を知った」の正体かもしれない。 03日@2023年10月@日記で報告している歯科の「ウチのやり方が嫌なら他所へ行け」という言い分と大林正和理事長の「信頼関係が成り立たないなら診察は出来ない」という言い分も、ほぼ同一です。 マニュアルなのでしょう。 歯科治療は絶対に受ける必要が有るので、診療しないという言い分を私は絶対に認めませんでしたが、大林正和理事長の診察を受ける必要は絶対ではないので、診察しないという言い分に今回私は反論しなかった。 この他にウダオサムが通院の自動車での送迎の車内で、私に何か加害し、私がそれに文句を言うと「それなら送迎しない」と言い出した事があるし。 ウダマチコが木の上に登って、そこから屋外空手練習中の私に向かって「嫌なら他所へ住め」と言った事も有った。 これらの詭弁論法を後で一括して論駁しておく必要が有る。 「信頼関係が成り立たないなら診察は出来ない」という大林正和理事長の言い分は、そういう言い方をすると一見正しそうに見えるが、物は言いようであって、言い換えれば「私があなたに行なう不正行為を黙認しなければ診察しませんよ」という事に他ならない。 こういう変な言い換えは集団ストーカーの常套手段です。 大林正和理事長は私の発言を復唱する時に私が気に入らない形に言い換える、というのも広い意味ではこれです。 大林正和理事長は、笑った直後に「笑ってない」とウソをついたし、温度計の指示値を偽って私に伝えた事を私に暴露されると「信頼関係が成り立たないなら診察は出来ない」と言い出したわけだから、そうである。 大林正和理事長は何年か前に診察で「宇田さんは社会的入院だ」と発言した、と私は記憶している。 2023年12月21日の診察で大林正和理事長は、私からそう言われて首をかしげたのだから、私が録音を必要と感じるのも当然の事である。 私の記憶と大林正和理事長の首をかしげる態度が食い違ったのだから、それは「信頼関係が成り立たない」と言えばそうも言える。 しかし、信頼関係が成り立たなく成ったのは誰のせいなのか。 私の記憶が間違っているのに私が、大林正和理事長は忘れたフリをしている、と誤認したのなら、それは私のせいである。 しかし、大林正和理事長が本当に忘れたフリをしているのなら、それは大林理事長のせいである。 どちらも「信頼関係が成り立たなくなった」ではある。 大林正和理事長のせいである場合には、「信頼関係が成り立たなくなった」事は大林正和理事長が診察をやめる正当な理由には成らない。 したがって、信頼関係が成り立たないなら診察しなくてもよい、という法則は正義を表す法則としては成り立たない。 自分のせいで信頼関係が成り立たなくなった場合は、信頼関係が成り立たなくなった事を理由に相手の権利を減らすのは間違いであり、自分が信頼回復に努めるのが筋である。 信頼回復のために自分の権利を譲歩する、具体的には「どうぞ録音でも何でもして下さい」と言う事などが考えられる。 大林正和理事長の発言内容が、これとは正反対に成っている事は、宇田の記憶と食い違った部分は宇田の記憶の方が正しい、これからもウソをつくつもりだ、という事の良い証拠だ。 大林正和理事長が笑った直後に「笑ってない」とウソをついた証拠が、12日@2023年10月@日記に掲載されている2023年10月05日精神科診察音声(1)の再生開始から4分17秒が経過した頃から9秒間ぐらいの部分に存在します。 したがって、信頼関係が成り立たなくなったのは大林正和理事長のせいです。 このような不条理は、特殊例外ではなく、パターンとして私の身にこれまで降りかかってきました。 自分から嫌われるような事をした上で、私を嫌うなら他の人を選択しろ、という態度、「他の人を選択しろ」「そう言われるのはあなたのせいだ」と言う為に自分から嫌われる様な事をする、という責任転嫁のパターンです。 大林正和理事長は、精神病院は秘匿性が高い事が、録音と公開を禁止する理由だ、と言った。 しかし、精神病院の秘匿性が高い事は不当である、という事を立証するために、録音と公開が必要なのだから、それは理由に成らない。 「精神病院は秘匿性が高い」というルールでそれを否定するのは、下位のルールを原理(最上位のルール)であるかの様に主張する詭弁です。 この詭弁の説明を私は、敵の手口を暴露@空手以外@理論@武道内に書く予定です。 大林正和理事長は「精神病院は危険だ、というのがあなたの言いたい事か?」と言ったが、危険どころでは無い、私が言いたいのは、精神病院は犯罪目的で設置されている犯罪施設だ、という事です。 秘匿性が高い事が犯罪の温床に成ってるんだよ。 診察で「冤病」という言葉も私の口から辛うじて出たが。 これにしても不十分です。 「冤病」では不十分です、「故意の冤病」と言う必要が有った。 ここまでのように見て行くと、なぜ録音するのか、録音の目的・狙いの多くは、私に教えられなくても大林正和理事長自身が最初から知っているはずの事ばかりです。 だから、「なぜ録音するのか」と私に質問した事も犯罪の証拠です。 このたび録音するなという注文が私に入ったのだから、今後は、私の記憶に基づく証言は録音証拠なしで証拠として採用されねばならないよな。 「あなたが録音公開する目的は精神病院の何だったかを世の中に広く知らせるためですか?」という大林正和理事長の質問に私が「そういう言い方では正確ではない」と答えると大林正和理事長は「では正確にはどうですか?」と追加質問した。 この追加質問直後に私の返答を紙に筆記で書きとめようとする大林正和理事長の構えが、天満屋で時々ある即売個展で画家で友人の友滝人史さんが私の宇田方程式の数式を初めて見た直後の様子にニュアンスが非常によく似ていた。 友滝人史さんは、低いテーブルを挟んで私と向かい合って座り、眉毛の傾きを瞬間的に増大させては直ぐに元に戻す、という事を繰り返しながら、手に持ったペンか鉛筆を片手でくるくる回していた。 友滝人史さんのそんな姿を見るのは、その時が初めてでした。 これらだけでは伝わらないかもしれないが、他の多くの出来事も参考にして私は、次の様に感じている。 私以外の全ての人が腕と肩をつないで横一列に並んで壁を作って名誉な事実とそれに伴う利権から私を締め出している。 その様子が、まるで善人が悪人の侵略を食い止めているかのようなニュアンスに成っている。 その時の友滝人史さんの様子の中で、私の宇田方程式を見た瞬間の様子について過去に私は大林正和先生に話した事が有ります。 すると直ぐにプレバトというテレビ番組でそれまで毎回行なわれていた絵の先生が生徒の作品を評価する時に第一印象を正確に測定する為にパッと目を大きく見開いて驚いたような表情を作る動作が見られなくなるという変化が有りました。 私が見た友滝人史さんの様子はこれのことでしょ?という話にされてしまっているようだ、と思いました。 私が見た友滝人史さんの様子は、第一印象を正確に測定する為の動作とは違うと思います。 それは、その後の眉毛を上げ下げしながら鉛筆をクルクル回す態度や、その後の文字での対話で、絵の事ではなくむしろ私の専門の物理学の話題なのに自分の知らない事をひとつでも私に言われてしまったら一大事だ、といった態度が見られたからです。 第一印象を正確に測定する為の動作だったかもしれないけど、その後そういう事も有ったのです。 その時の友滝人史さんの雰囲気と今回の大林正和理事長の雰囲気が一致していました。 08日@2023年12月@日記の内容の影響も有るかもしれない。 同様の表情は、過去に他の他人にも見られた事が複数回あるので、それを私はパターンとして認識している。 私が紙に書いた何かを山本幹夫が見た時に、そういう表情をした事が有る。 自分が処理しなければいけない爆弾を見ているような表情だった、という風に大林正和理事長に話した事がある。 高校の同級生から言われた「宇田君は部屋で爆弾を作ってるんでしょ?」という不可解な言葉の意味が、山本幹夫の表情を見た時に私には分かった気がした。 知的所有権の事を爆弾という隠語で表現していたようだ、というのが私の見当です。 また、学生時代の晩期に、先生に提出する為に積まれていた学生が書いたレポートの束の中から1つのレポートを見付け出し、「誰だ、これを書いたのは」と叫び「報告しに行かなければ」と言って直ぐに去った学生が居たが、その学生の叫び声のニュアンスも、同じ表情だった。 その学生は誰が書いたレポートを見たのかを私は確認しなかったが、その学生は私が書いたレポートを見て驚いたに違いない。 この話も大林正和理事長にした事が有るはずだ。 知人と談話するなどしている私の様子を少し離れた所から盗み見る様に見ていた人に私が気付いて目をやると、その人は、包丁を研いでいる山姥を見てしまったかのような恐れおののいた顔でのけ反りながら立ち去った、という事もパターンとして有る。 誰かに報告に行く様に見えた。 「お前いま何つった?」と発言するゴッツ系男が来る様に成る前段階がそれだった。 日本物理学会大会の発表会場にも、そういう感じの人が来た事が複数回ある。 似た感じの人が我が家の通りに立って携帯電話を耳に当てたまま北からこちらを見ているのを見た事も複数回ある。 私の何かが何らかの大きな勢力にとって決定的に不都合である事が、そういう形で私の目に見えた事は確かである。 大林正和理事長の様子は、友滝人史さんの様子に似ていただけでなく、市進学院という塾の非常勤講師を1993年か1994年に解雇された時の解雇した人の様子にも似ていた。 2000年頃に岡山県笠岡市でワコー電器への被派遣労働を解雇された時には、山田というワコー電器の主任と山本という派遣会社の支所長が私と面談したが、その時の山田と山本の様子は若干違っていた。 しかし、ナカという名前のワコー電器の次長が背後に控えており、この人の様子は大林正和理事長の様子や友滝人史さんの様子に似ていたらしい気配を感じた。 (心理テストを受けに湯ヶ岡病院に行った時にもナカという名前の年上男性(多分院長)に面会したが、その男は不審に私に対して不機嫌だった) ナカ次長が自分が出て行こうとするのを山田が制していた。 強硬な態度を使わなくても自分が表向きは柔和な態度を貫きながら上手く丸め込んで見せます、というのが間違いなくその時の山田の考えであった、はずだ。 実際、山田は、例えば「宇田君(さん)は本を書くのが好きな様だから本を書く事を職業にしてはどうですか?」と私に言ったが、この事は、山田が私を上手く丸め込んで言い返せなくしようとした証拠です。 大林正和理事長、友滝人史さん、私に解雇を言い渡した市進学院の人事担当者、ワコー電器のナカ次長、これらの人の態度が似ていたのは、普通なら「同じ様な状況での事だったからだ」と考えられるだろう。 しかし、友滝人史さんのケースは状況が全然違います。 私が感じたのは、直接わたしに接したのは異なる色々な人々だったけれど、背後に存在する単一の人格を代表しているかのようだ、という事です。 将棋で負けそうに成った時に「待った」は御法度だけど、この「待った」の代わりに怒って誤魔化す事が有れば、それは「待った」よりももっと間違った態度です。 背後に存在する単一の人格の態度は、それだと私は毎回感じます。 私が王手を掛けると、なんてずうずうしい、お前よくまあそんな事が言えるなあ、非常識だ、という風に怒ったふりをして、自分がどうしようもなくカッコ悪く成ったそのカッコ悪さを全部私に転嫁して来るのです。 今回の大林正和理事長の紙に筆記で書きとめようとする構えは、証拠を取る気満々そのものであり、その事が私に録音するなと要求した態度の欺瞞を浮き彫りにしている。 証拠を取る事を、相手を信用しない態度だから失礼だ、と言うなら、筆記で証拠を残す事も同じであるはずだ。 録音ではウソをつけないが筆記では幾らでもウソをつけるのだから、証拠を取る失礼さは、録音よりも筆記の方が大きいはずである。 国会でも裁判でも筆記はよいが録音はいけない、という規則が有るようだが、これでは、本当の事が明らかにされてはいけない、何が本当かではなく誰の方が信用されるかで勝負しなければいけない、信用される程度の順番を証拠で覆してはいけない、と言っているようなものである。 今回の大林正和理事長の筆記構えにも、そういうニュアンスが強く出ていた。 精神科医の手書きメモは証拠として認められる程度が高いんだぞ、というニュアンスだ。 過去に大林正和理事長は私を診察している時に、私の話の内容が特別な箇所にさしかかると、カルテ以外の紙に筆記していた。 その時に同じ構えだった。 不審に思った私がたずねると、その紙を後でカルテに貼り付けるんだ、と大林正和理事長は答えた。 そんな事して良いんですか? 2023年12月21日の診察では、大林正和理事長は私の発言を途中で遮って会話を終了させた。 2024年01月20日16時45分頃に聞き返して確認した。 2016年の異変についての私の話を途中で止めて会話を終了させている事が分かった。 大林正和理事長のものごしは記憶の印象よりもずっとやわらかかった。 まあ、しかし、これは、19日@2023年09月@日記で報告されている福山501た4014の男の「私は宇田のブログで犯人と呼ばれてるんですよ」という意味の発言の「幾ら何でもそれは無いでしょう」「あんまりじゃないですか」というニュアンスにも見られる様な本当っぽさの演出、まことしやかなしらばくれ方であり、その分陰湿である事を分かって欲しい。 ウダマチコにも、そういう物言いが見られ、それが日増しに筋金入りに成って行く。 どんなに悪い事をしてもそういういわゆるイケシャアシャアとした態度で逆に追求する側の人を萎縮させる事が出来る、というのは、やはり法規に深刻な欠陥があるからだろう。 日本よりもアメリカの方が、このような法匪病が何十年分か先まで進行している事だろう。 ちょっと話が横道にそれたが、大林正和理事長が私の話を途中で止めた事には、重要な意味が有る。 どの話からすればよいか迷うが、まず、主治医が高田医師から大林正和医師に変わった時の話をしよう。 私が初めて大林正和医師の診察を受けた時、大林正和医師は私に「言いたい事は何ですか?手短かに」という意味の事を言った。 ひょっとすると一言一句「言いたい事は何ですか?手短かに」の通りだったかもしれない。 その口調が、最近テレビで見掛ける未来会議の広告中の「あなたの強みは我が社でどう活かせますか?」という台詞の口調にそっくりだった。 2024年01月10日15時48分頃にビデオ再生音を録音して得た音声ファイル その広告中に、就職活動中の主人公女性が涙を流しているシーンが有る事は、その口調の問題点を言わずして言ってるのではないか。 最初の数回は何を言ってるのか私は聞き取れなかった。
大林正和理事長も、私に診察の順番が回って来た事を知らせる為に館内放送で「宇田さん」という声を流す時に、故意に聞き取れない様に不明瞭な発音をする事が過去に何回も有った。 実は私は、その時点で既にガスライティングを断定していた。 それをホームページに書かなかったのは、録音が伴わなかったからです。 後日、ウダオサムが聞き間違えた、という事も有ったので、ますます確実にそうだったわけです。 また話が横道にそれたが、重要な意味というのは、集団ストーカーは言語による表現の困難さや限界、伝達率の低さを頼りにしています。 大林正和医師も、最初は私に「言いたい事が有れば何でも言って下さい」という態度でした。 これは「どうせ言えやしないんだから」と高をくくっていた、という事です。 その思想は、大林正和医師が私に「到底解明できないスケールと複雑さを持った問題に対して単純な問題を解決する手法を適用する愚を犯している」という意味の事を「宇田さんは病的幾何学主義に陥っている」という言葉で私に言った事にも表れている。 今にして思えば、集団ストーカーが自分達は人数のスケールが大きくて複雑な手口を使うので防犯側がそれを解明する事は出来ない、と言いたいが言えないからそんな言い方をしたのだろう。 ところが私は、その普通なら言えやしない様な事を言葉でどんどん表現して行った。 すると、大林正和医師は、まず私の診察時間を15分に制限した。 次に、1週間に1回だった診察を2週間に1回に減らした。 この事で私が思うのは、前回わたしがした話を基本的には大林正和医師は全部忘れている(ふりをする)のだが、診察が1週間に1回ではその言い訳が立たないので診察を2週間に1回に減らした、ようだという事だ。 大林正和さんを私が初めて見た時は、大林正和さんは福山仁風荘館内の目立たない所を努めて顔表情を殺して歩いていた。 普通ならそれは、私に知られてはいけない内面を私に知られないようにする行動、何か後ろめたい事が有る人の行動です。 その事が私の印象に残っています。 また、デイケアでも私は同室している患者達から普通ならはね返せない様な変な事を色々と言われて、それを丁寧に反駁して行ったら、最後には「話が長いからいけない」という言われ方をし始めた。 これも、私がデイケアに行かなく成った理由のひとつです。 話は飛びますが、ツイッターやフェイスブックが始まる前に私はMSNコミュニティというSNSで活発に意見交換をしていました。 ツイッターやフェイスブックが始まった頃にMSNコミュニティはサービス終了と成りました。 ツイッターを見てみると、ツイッターには字数制限がある。 これまでの発言を整理して保存するのも難しいと感じた。 ツイッターへの投稿をメールで受信すると、メール・メッセージのファイルサイズが異常に大きかった。 ファイル・サイズを大きくして証拠の保存を妨害する手口は、スマホのカメラでも経験しています。 それで私が思う事は、MSNコミュニティなどでの私の執筆傾向を分析して、同じ事を出来ない様にして来たんだなあ、と思うんですよ。 2016年の異変についても、言えと言われて上手に説明できるものじゃないんだよ普通は、それを私がこのままでは全部言ってしまう、という段に成ると、大林正和理事長は、その話を止めた、って事なんです。 山本幹夫が2千何年頃だったか「みなまで言うな」と言い始めた。 これも同様です。 相手が上手く言い返せない事に賭けておきながら、意外にも上手く言い返せると分かると、その発言を止める。 言い返せなかったら言い返せなかったという事実を全部カウントするくせに、言い返せると分かったらそれを減額しにかかって来る、そういう不正です。 これは将棋の「待った」の亜種です。 人の話は最後まで聞け、というのは有るが、みなまで言うな、というのは、そのさかさまです。 そんなさかさまな事まで、「みなまで言うな」という言い方をすれば、まるで正しい事を言ってるかの様に聞こえる。 集団ストーカーにはこういう手口が多いんですよ。 2022年01月@日記に下賎の手口として、他の例が説明されています。 当然のさかさま、つまり当然間違っている事を大前提の様に言われると、言葉に詰まってしまって反論できなく成る、という人間の弱点を悪用する不正です。 この事を私は「受け身が取れないぐらいに間違った事を言う」と言います。 「みなまで言うな」も、もっと違った局面では妥当な場合もあるだろうけど。 山本幹夫も元からそうだったわけではないんだけど、背後に存在する何者かが、山本幹夫を通しての私との将棋で負けが込んで、もうこれ以上は負けるわけには行かない、という状況に追い込まれたせいで、だんだんそういう風に成って行ったようだ。 「みなまで言うな」と言われたら、「じゃあ続きはあなたの口から言って下さい、一応確認する必要があるので」と言い返せば良いだろう。 2016年の異変については、もうひとつ重要な点が有る。 それは、2023年12月21日の診察で、大林正和理事長が異変の時期として2016年以外の年を言いかけて、それを遮る形で私が2016年だと言った事だ。 大林正和理事長は、2011年と言いかけてないか? 私も後で聴き返して確認したい。 これはどういう意味かというと、大林正和理事長は2010年に試験的に開始した断薬の効果が断薬開始から2年以内に顕著な異変として出た事にしようと狙ったに違いない、という事だ。31日@2023年12月@日記 顕著な異変が出たのが2016年では、それが出来ない。 私がもう忘れているだろうと見込んで仕掛けたが、私が2016年だと覚えていたので断念し、それならもうお前に用は無い、とばかりに追い払ったという事だ。 この観点から言うと、大林正和理事長が不都合だから公開されては困る録音というのは、意外な事に、2023年の診察分ではなく、2009年終盤から2013年序盤ぐらいまでの診察分だろう。 この事にも気付かれたくないだろうな、大林正和理事長は。 今回突然大林正和理事長が「もうあなたを診察しない」と言い出したのは何への反応か、その候補は以下です。 ・ 2023年12月21日の診察は、2023年12月14日に予約されていた診察に私が出席できなくなったから設けられた診察でした。このような私の御無沙汰の時には、私の代わりに集団ストーカー犯人が面会している疑いが有る。この事は、行き付けの散髪屋でも感じるし、行き付けの歯科でも感じるし、ウダマチコやウダオサムにも感じる。予約が変更されれば、その分だけ集団ストーカー犯人との面会に使える時間が出来てしまう。そこを集団ストーカー犯人は狙っているだろう。私の過去の別の経験でも、対面で何かの合意に達したのに、次に会った時(24時間ぐらいしか経ってないのに)には相手の態度が激変している、という事がパターンとして何度も有った。友達との「一緒にどこかに遊びに行こう」みたいな種類の合意です。間を空けると私の悪口などを吹き込むヤツが割って入る様だ、と感じた。友達関係がまだ十分に出来上がっていない出会って間も無い友達との、その後もっと親しく成るか否かの分かれ目に成る様な合意だったろう。中学校入学直後だったか「あんた誰?」と言いながら、私の知り合いにもそう言うように指図している不審人物を見た事も有る。 ・ 前回の室温ガスライティングの証拠を私が公開した。 ・ 今回診察2023年12月21日は初めて出発時施錠で鍵にベビーパウダーを掛けて写真撮影した。前回診察日2023年12月07日までは私は出発時の施錠では、これをしなかった。これまで通院外出中に毎回不法侵入が有ったのではないか。 ・ 2023年12月20日13時23分に送信したブログメール投稿などに、最近私は、判決で妄想を認定した裁判官に弾劾投票をする様に呼びかける文を書いている。これは最近始めた事です。 ・ 新聞のコラム欄に強迫性障害の治療を勧める記事が書かれているのを引用して、「一理あると思うけど、薬物治療は絶対に受けるな、というのが私からのアドヴァイスです」というコメントをブログ投稿した。大林正和理事長の「治療を受ける気が無いなら」という言葉は、これへの反応ではないか。
2023年12月21日の診察で大林正和理事長が「精神病院は危険・・・」という発言をしたのは、この記事を大林正和が知っているからだろう。 ・ このページの下方にも掲載されている通院道中で目撃した車両のナンバー一覧を、私が当サイトに掲載し始めたのは最近です。掲載されたナンバーの車両の持ち主などが大林正和理事長に働きかけた可能性も有る。07日@2023年12月@日記掲載分なんかは、結構刺激的なんじゃないだろうか。 ・ 敵の手口を暴露@空手以外@理論@武道から29日@2015年11月@日記へリンクを張った。
2023年12月28日に自宅母屋1階居間内でウダオサムと私が対話した、その内容は以下です。
これで、23年間続いた私と精神病院との関係は、不可逆的に切れる事に成るだろう。 精神病だというレッテルを撤回させない限り障害者年金をもらえる様に診断書を書いてもらう必要が有る、という形で弱みを作られ、関係を断てないように仕組まれた、という形でではあるが、この関係が23年間も続いた事が、おそらく日本という国のいわゆる「失われた30年」の主因の1つだろうと私は思っている。 テレビを見れば医療ドラマばかり、国の財政も医療が圧迫し、職業としても医者という職業ばかりが異常にもてはやされ、裁判は被告の主張を妄想、妄想と連呼する、この様な歪んだ世相は、精神病院と私の関係が23年間も続いたせいではないか、そう成る様に狙って医療業界が私を絡め取っていたのではないか、と私は思っている。 このたび私と精神病院の関係が終了した事によって世相がどう改善して行くか、見ものである。 この事も、訴訟を起こされるのを避けるべきだ、とウダオサムから言われた時に答えるべきであった事のひとつです。 私ひとりの問題ではないのです。 福山こころの病院の名前がまだ福山仁風荘病院だった頃、西暦2000年の事だったと思うが、ウダオサムに勧められ連れられて福山仁風荘病院に初めて行って、そこで高田という精神科医の診察を受けた時、高田から精神病には治療の義務がある事を聞かされ私が「そんな事なら、こんな所に来なきゃよかった」と言うと、高田は私に「来なくても、こちらから行きます」と言った。 つまり、この病院で診察を受ける様に成ったのは、私から頼んでの事では無かったのだ。 また、何年か経って事情が少し飲み込めて来た頃の私が入院についてウダオサムに文句を言うと、ウダオサムは私に、強制入院ではなくお前も納得して入院した、という風に言い返したが、私を騙して本当に精神病だと信じ込ませたのだから、それは、統一教会の霊感商法と同じである。 薬物治療の名目で苦しみを与えて支配する所はオウム真理教と同じである。 統一教会、オウム真理教、精神科医事業界は、おそらく背後に共通の害の湧き出し口が有るだろう。 |
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最終編集2024年12月16日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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