2023年10月05日精神科診察音声(1) |
12分29秒 |
再生開始から1分45秒が経過した頃、話し相手である大林正和理事長の携帯電話にマナーモードで院内連絡が入っている。
再生開始から2分37秒頃から、診察中に緊急連絡が入る事は珍しいか、という問題について。
大林正和理事長は、すごく珍しいわけではない、と言おうとしているが良心の呵責のせいかどもっている。
今回の録音の他の部分や前回までの録音で大林正和理事長がこの様にどもっている部分は無いはずだ。
25日@2023年09月@日記で報告している会話では、大林正和理事長は「珍しい」と断言している。
録音されてない過去の診察でも私が質問すれば毎回大林正和理事長は「珍しい」と断言した。
前回の診察の1個目の録音の再生開始から26分26秒が経過した頃に電話のベルが鳴り始め、再生開始から27分17秒が経過した頃に大林正和理事長は「珍しいね」と発言している。
他の回の診察で大林正和理事長が「希にしかない」と発言した事も有るように私は記憶している。
珍しいという事実と私の診察では毎回の様に緊急連絡が来る事とを考え合わせれば、私の診察中に来る緊急連絡は私への集団ストーカー工作である事が立証されてしまう。
だから、珍しいという事を認め渋ったわけだ。
この様に、立証が完成されそうに成ると前言を撤回する、という態度は、例えば、断薬して一定期間が経過しても再発しなければもとから精神病ではなかったんだ、という主張についても見られる。
私は絶対に「ほうら、変わったぞ」と発言したように記憶しているが、何故か録音では「はい、変わりましたね」に成っている。
「はい、変わりましたね」だったかもしれない、と思うようになったが、ここは一応疑惑の箇所だ。
29日@2023年05月@日記で紹介した2023年05月25日精神科診察音声(4)の再生開始から8分39秒が経過した辺りに、私が幼い頃に「お父さん、覚えてるわけがないですよ」と発言した、という報告が含まれているが、この部分を後で聞き返した時にも記憶と違った。
「お父さん、覚えてるわけがないですよ」の部分だけを低いトーンのおどろおどろしい声で言ったと私は記憶しているが、録音ではその部分が明朗な声に成っている。
「ほうら、変わったぞ」も前後より低いトーンの声で言ったように記憶している。
日本物理学会2011年秋季大会@学会発表@活動報告@学問に書き起こされている私の発言にも、やはり記憶と録音内容の不審な食い違いが有った。
「この対話で私は次の2点も述べた様に記憶している(述べている時の光景が目に浮かぶ)が、何故か記録には残っていない」と書かれている部分の事です。
03日@2023年10月@日記で私が報告している会話でも、「口腔内の唾液を吸えば歯への被せをやり替えなくてはいけなくなるとしても、口腔内の唾液を吸わなければ患者が動いて大怪我をする場合には、やりかえる方を選ばなければいけない」という私が記憶している私の発言が録音に入っていない疑いが有る。
再生開始から4分07秒が経過した頃から、私の診察中には緊急連絡が毎回に近いぐらい来る事を大林正和理事長は「そうだね。確かにね」と肯定した。
関係者以外を参加させない状態での密室での話し合いの場に電話がかかって来る、というのは、大阪空港に発着する飛行機が発する騒音の訴訟について解説するテレビ番組でも見た。
当事者がものすごく怒っていた。
私の受診中にかかって来る電話をかけるように指示した犯人と同じ犯人が指示した手口だから、と私は見ている。
再生開始から4分17秒が経過した頃、大林正和理事長の「ふふふん」という笑い声。
私に「なぜ笑うんだ」と言われると大林正和理事長は「笑ってない」とウソをついた。
再生開始から4分26秒が経過した頃の話です。
犯人の肩を持つが故に被害を軽くあしらうこの様な態度が、強姦された女性が事後相談で相談先から大変な苦痛を味わわされるという話で聞いた態度の本質であると思われる。
笑ったという事は笑ってごまかしたという事だ、という私の指摘に対しても、大林正和理事長は「違う」という意味の否認をした。
再生開始から4分48秒が経過した頃の事です。
「いやそうですよ」という言葉で私がこの否認内容に反対すると直ぐ、大林正和理事長の顔表情が苦しそうな表情に成った。
それを見て私は追撃をやめた。
この問題は、1人をとっちめれば終わる、といった問題ではないからだ。
この顔表情は、精神科医療の過去の過ちについてのスイスの博物館の展示内容を知った時に私は「あれは過失ではなく悪意の明白な証拠だとハッキリ分かった」と以前私が言うのを聞いた時の大林正和理事長の顔表情と同じで、これら2件以外では見た事が無い深刻な顔表情だった。
首を絞められて死ぬ直前の人みたいな顔だった。
この人に限定しなくても、他の人の顔表情でも、映画やドラマ以外では見た事が無い気がする。
この様な経験(そんな顔表情を見て驚くという経験など)をした時ふと私の脳裏をよぎるのが健病反転という犯罪である。
健病反転は多分私の造語であって、私以前には使われてない言葉だと思うが、つまり、健康な人が病気だと言われ、病気の人が健康だと言われる、ウソの口裏合わせです。
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再生開始から5分24秒が経過した頃から、車両のナンバープレートに柄を入れる法律か条例かは集団ストーカー工作への公権力の露骨な加担の実例でありもってのほかだ、という話をしている。
私がナンバーを読む事への集団ストーカーの反応に違いない。
空飛ぶクルマも、ナンバーを読まれない目的で急いでいるのだろう。
頭を冷やせば、空飛ぶクルマなんて、いくらなんでもちょっとそりゃないんじゃないの、と思う。
柄を入れたければ柄を入れるスペースなんてナンバープレート以外にいくらでも有る事が、柄入りナンバープレートはナンバー読み妨害である証拠だ。
再生開始から9分42秒が経過した頃から、私の現住所の地域が地上から抹殺されようとしているのではないか、という話。 |
2023年10月05日精神科診察音声(2) |
14分28秒 |
気象という分野が馬鹿にされるのでどうの、という話を前回した。
その続きです。
大学の卒業直前ぐらいの時期に、同じ年に卒業する予定のある男子学生から、素粒子論なんてのは道楽だ、と言われた。
私はその後も素粒子論をやって行こうと思っていた。
その男子学生は卒業後気象の分野に進む予定だった。
その男子学生は子供時代のプーチン大統領の写真としてテレビで見たルックスに似ていた。
この事は、プーチン大統領のしぐさにタチギという大工のしぐさと同じ感じのものが含まれていたことと合わせて、プーチン大統領には人格的な欠陥があるのではないかと、私に疑わせている。
2000年を過ぎてからデイケアで私が窓辺に立って屋外をボーっと眺めていると、背後からデイケア参加者若年男性が歩み寄って来て私に、いまもっとも人気が有るのは気象の分野で気象予報士は花形なんだ、という意味の事を言った。
前回わたしがした話を前提にしなければ、気象がどうかしたんか、と怒鳴りたくなるようなしつこさで私に気象が絡んで来る、という事です。
鈴木貞吉さんの「バランス」発言の真の意味。
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再生開始から10分27秒が経過した頃から私が気象という分野の事を「幾ら蔑んでも蔑み足りる事は無いぐらいに蔑んでいる様な分野、当時の(私の)価値観では」と発言している。
この部分は失言だ、と後悔しています。
では事実と異なる事を言ってしまったのかというと、異なるわけでもない。
いま正確な表現を工夫してみました。
「あなたの才能や学力は気象相当です」と言われる事は、自尊心の点でも実際はどうなのかを間違えるなという点でも、私には絶対に嫌だ、そんな分野のひとつが気象です。
こんな感じの表現に成ると思います。
私が失言だと判断した発言と比較して、違うでしょう。
私は、自分はやりたくない、と言ってるだけで、他人が気象をやることをどうこう言うつもりは無い。
自分には役不足だ、というなら、必ず他人がやるのを蔑むはずだ、という論理を全否定するのは不正直であり、どうしてもそういう心理は私にも有るけれど、道徳的な理由で蔑むわけではない。
「蔑む」という言葉では、相手が道徳的に悪い事をしていると考える、という意味だと読まれる可能性が有るが、私はそういう意味で「蔑む」と言ったのではない。 |
2023年10月05日精神科診察音声(3) |
10分49秒 |
沖野上町に住んでいた小学生の頃に謎の大人から聞いた話。
世の中が分業のおかげで上手く行ってる事を意識し始めた私が、その事を言うと、謎の大人が、「そう思うか?そう思うなら現実を見せてやる」と私に言った。
そうして謎の大人が私に見せたのは飛行機の墜落事故の具体的な1つの事例だった。
分業で上手く行ってるか否かという問題とは少しズレてるなあ、と当時の私も思ったし、今でも思う。
飛行機の墜落は、ほとんどが、その謎の大人の仲間が墜落するように狙って何かした結果だろう、と当時の私は直感した。
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沖野上町の池田アパート(コーポ朝日)の私の家族が住んでいた区画(最北西にあった)の玄関に小柄な年配男性が来て私の父ウダオサムに「まだ打つ手は残っているからあきらめるな」という意味の事を言うのを私は間近で見聞きした。
おそらくウダオサムはそれまでに私に色々な罠を仕掛けたが全部空振りに終わったのだろう、と当時の私は直ぐに思ったし、今でもそう思う。
私の妹キョウコが生まれたのがそれより後なのか前なのか分からないが、私の父ウダオサムと私の母ウダマチコは、私への集団ストーカー工作の手段としてキョウコを生んだ疑いが強い。
その理由は以下である。
死亡率を考えに入れると子供は3人生むのが正しい、とウダオサムが私に言った事が過去に何度も有る。
つまり、夫婦2人で子供を1人だけ生んだのでは国や世界の人口が半減を繰り返すので、それではいけない、という考えだ。
子供は3人生んで育てるのが本来の社会的責任である、だから自分はそうしたんだ、というのがウダオサムの言い分だった。
しかし、最近テレビで池上彰さんが、高度成長期の日本では、このまま行くと人口が増え過ぎる、なんとかしなくては、という風に言われていたのだ、と説明するのを聞いた。
私が小学生だった頃の事を言ってるんだと思う。
したがって、社会的責任を果たす為にキョウコを生んだというウダオサムの発言はウソである、と考えられる。
社会としては、あまり生んで欲しくない、と考えられていたからだ。
ウソであるという事は、ホントの理由は別にあって、そのホントの理由を隠すためにウソをついた、と考えられる。
何も言わないでいると、私が心の中でどう思う様に成るか心配だから、先手を打ってウソをついた、と考えられる。
あるいは、私の顔を見ていると既に私がホントの事に気付いているように見えたのかもしれない。
以下の写真は2023年11月10日午前07時21分頃テレビ・ニュースの画面を写真撮影した結果です。
キョンという動物のニュース。
キョンという動物名を聞くのはこれが初めてだ。
令和の子供は知らないだろうけど、アイドル歌手の小泉今日子さんの愛称がキョンキョンだった。
私はこれが私の妹キョウコの我が家内での愛称に由来すると当時から思っている。
私の妹キョウコの我が家内での愛称にはキョウタンというのがあったがキョンというのがあったか否かは今は思い出せない。
あったから由来すると当時はハッキリわかっていたのではないか。
また四つ足の構え関連かと思ったが、それもあるだろうけど、キョウコ関連だった。
このニュースがこのタイミングでテレビに出たのは、上記赤色文字の私の発言への反応だろう。
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2023年10月05日精神科診察音声(4) |
3分34秒 |
挨拶。 |