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2023年12月07日(木曜日) | ||||||||||||||||||
2023年12月07日分精神科受診時音声 | ||||||||||||||||||
このページは2023年12月08日に執筆開始されました。
院長に携帯電話で緊急連絡の内容に、集団ストーカー工作の指示が書かれており、今回はそれが温度工作だったと考えられる。 希にしかないはずの診察中緊急連絡が、これだけは絶対にやめるわけにいかないという風に毎回必ず入るのは、そのためだろう。 私の発言のうちのどれかがコードに触れたせいでガスライティングのスイッチが入ったようだ、と私は考えていますが、福山仁風荘病院が福山こころの病院に改名され建物も新しい立派な建物に建て替えられる少し前の、福山仁風荘病院時代の最終盤に診察で私は大林正和医師に、私が笠岡の被派遣労働で従事していたような工場での現業労働は私の面目を躍如とさせる要素が無いので不本意だった、という意味の事を言うと、大林正和理事長は、そういう仕事はあまり優秀でない人がやる仕事ですよね、という風に言った。 そう言ってくれるなら話は早い、と言うべき所だったが、私はそれまでさんざん自分の考えに反発・反論されたせいで困って来ていたので、拍子抜けして返す言葉が無かった。 綱引きで急に引く力を抜かれて転んでしまった様な感じだった。 思えば、病院の改名・建て替えは、その直後だった。 2023年12月07日にも私は、仕事の名誉について言ってしまった御世辞を撤回している。 これが集団ストーカーのコードに触れた可能性もある。 コードに触れたのはおカネを批判する発言だったかもしれないが。 集団ストーカーのコードに触れた可能性が有る私の発言。 ・ 男女平等を肯定する発言。 ・ 長老談合勢力の力の悪用が許されれば、年上の男が足下にも及ばない程度にまで私の知識や能力が発達するのを阻止する事が出来てしまう。 私(宇田雄一)絡みで年齢と栄達の関係を相当気にしている者が居る事は前々から気付いている。 福山こころの病院(旧福山仁風荘病院)のデイケアに患者として参加している時にセワケという名前の年上の女性職員から「年上の人の方が年下の人よりも優秀である事は分かってるよね」という意味の事を言われた事が有る。 これは、その場で私が年上の人に対して何か間違った事を言ったりしたりして、その間違いを正すためにセワケが私に言った、という様な言葉ではない。 私が黙って1人で座っている所にセワケが歩いて来て、唐突に言った言葉だ。 「こんな時に急に、なんで、また、そんな話をするのか?」といった文脈でだった。 私と年上の平均的な人との比較を言っているなら「今まで、あなたは私の何を見ていたんだ、よく言えるねえ、そんな事が」と思ったが、個別の話をしているのではなく平均的な人と平均的な人の比較を言ってるものとして「分かっている」と答えておいた。 それも、私がデイケアに行かなく成った理由の1つです。 論理的に言って、百年に1人の天才というものは、百才という年齢によってでは超える事は出来ない、ですよね。 まあ、これは気が付きにくい理屈かもしれないけど、当然なので、常識だと思うんだけどなあ。 私の経験実感では、そんな事が出来てしまったらコイツは自分の方が偉いと思うんじゃないだろうか、と周囲の人に思われる様な事を私がした時に、私の行ないや発言の優秀さがそのレベルに達したと思う人も居るだろうなあと私が感じた時に、「自分を年上の人よりも優れていると思うか?」といったような質問を受けるパターンが有る。 つまり、私は自分を偉いとも何とも言ってないのに、私の行ないや発言の出来の良さを見た人が、自分達が私にどう思われているか心配に成って、「お前よりオレの方が偉い事は分かってるだろうな」と言って来るのだ。 笠岡での被派遣労働を解雇される時も、露骨にそうだった。 私は、自分もそう言いたいところを我慢して行ないで示しているのに、相手はそういう風にはしない、して負けたら言って来る、という事なんです。 しかし、負けたという事は、負けた方が劣っているって事です。 自分の方が偉いのに、その自分に偉くないお前が勝つのは失礼だ、という主張は矛盾なんですよ。 そういう矛盾した態度に私は長年迷惑して怒っていて、デイケアでもそういう態度をされた、という事なんです。 次の例に行きます。 2016年の私の心調が極悪だった時に山本幹夫が、息子の家庭教師を私に依頼する、という名目で来て、私の自宅の西棟1階のウダオサムの仕事室のソファーに座って対談した。 「ちぇっ、おしかったのう」という発言が有った対談です。29日@2023年04月@日記 その対談で私が「自分はこの年齢までにこれが出来る様にしたいと思っていた事が出来た時には、いつも年齢はもっと先まで行ってしまっていて、業績や成績が年齢に追いつけない事ばかりだ」と私が言うと山本幹夫は次の様に言った。 「ちょっと待てよ、その発言で宇田が言っている業績や成績というものは、宇田がそれを達成した年齢には、他の人は誰でも既に達成している、という事は分かっているんだろうなあ?分かっているんなら、それならええ」 セワケの発言に非常に似ている事が分かるでしょう。 直訳的には、自分の発達は平均的な年齢相応よりも先を行っている、という内容は私の発言には全く含まれていない。 直訳的には私は、自分の希望と現実の食い違いを述べているだけだ。 そういう場合にすら、言葉に成らなかった私の気持ちの中に、自分の発達は平均的な年齢相応よりも先を行っている、という内容がまさか含まれているんじゃないだろうなあ、まさかお前そんな風に思ってるんじゃないだろうなあ「ちょっと待てよ」、というのは、その事をよほど気にしている証拠です。 その席で山本幹夫は、壁に貼られた私の宇田方程式を見て「これは、もう発表したんか?」と質問し、私が「もう発表した」と答えると、指を鳴らすジェスチャーをしながら「ちぇっ、おしかったのう」と言ったのだから、宇田方程式の案出に匹敵するような業績を他の人は死ぬまで達成できないものだという事を知って分かっていた事に成る。 私が宇田方程式を案出したのは、2006年頃だから、私が39才ぐらいだった時です。 誰でも39才頃までには、宇田方程式の案出に匹敵する様な業績を打ち立てているものだ、なんて事は有り得ないし、有り得ないと山本幹夫も知っていた分かっていた証拠です。 「・・・宇田がそれを達成した年齢には、他の人は誰でも既に達成している、という事は分かっているんだろうなあ?」も無いもんだ。 次に例に行きます。 私が学生だった頃、1990年頃、交通誘導のアルバイトで知り合った5才ぐらい年上の司法試験浪人のSさんから、食事中に「目上の人を尊敬する事は好ましいけれど義務ではない」という見解を聞いた。 司法試験の受験勉強で得られた知識を披露しているのかな、と思ったが、同時に、どうしてそんな当たり前な事を言うのだろうか、とも思った。 それ以来、私が目上の人を自分より上だとは思っていない事について、私に見えないところで論争が生じているみたいだ、これまで自分に降りかかって来た不審な嫌意的な態度の発生源は、それだろう、Sさんがそんな発言をしたのも、そういう背景が有ったからだろう、という風に解釈している。 次の例に行きます。 私が学生だった頃、同じぐらいの年齢で多分同じ大学に通っていた男性から、「自分の優秀性が年齢を超越していると思うか?」と質問されて、「思わない」と答えた事が有る。 優秀性が本当に年齢相応なら「思う」のではないだろうか、と思いながら、そう答えた。 やはり、私の事が気に成って仕方が無い年上の人が居るみたいだ。 2000年~2014年の間のいつかに、店で音楽の多分CDを物色していたら年上の男が近寄って来て「モーツアルトかぁ、まだ早いなあ」と言われた、どう思うか?おかしくないか?という質問を山本幹夫からされた事がある。 この事は、年齢と到達度の関係についてのその当時の山本幹夫の考えが、「年齢不相応に進んでいる者は誰も居ないんだよう、その点は分かってるだろうなあ」「それならええ」という態度に反発する物であった証拠だ。 モーツァルトは若くして死んだのだから、モーツァルトの音楽は若い人向きだと私は思っている。 その事が引っ掛かったせいもあって私は、山本幹夫の「おかしくないか?」という質問に、答えなかった。 そのせいで山本幹夫が「年齢不相応に進んでいる者は誰も居ないんだよう、その点は分かってるだろうなあ」「それならええ」という態度に呑まれてしまったのではないか、と私は心配している。 私は、モーツァルトの音楽は若い人には理解できないのか、という問題にとらわれてしまったために答えなかったが、山本幹夫が経験したそのエピソードの本質は、モーツァルトの音楽がどうかといった事ではなく、音楽も人生も社会も何も全般的に若い人よりもちっともよく分かっているわけではない知ったかぶりが見識や能力で尊敬される事が出来ないから年齢で尊敬されようとして来る、という問題です。 モーツァルトの音楽を若い人に向かないという風に逆さまな事を言った点が、知ったかぶりの証拠です。 遅くなってごめん、これが私のコメントです、山本幹夫さん。 水戸黄門の主題歌に「あとから来たのに追い越され泣くのが嫌ならさあ歩け」という部分が有る。 いつ頃からか、この部分が差し替えられたようだった。 「なんにもしないで生きるより、・・・」とか「・・・そんなに悪くはないもんだ」という風に、じゃなかったっけ? 真面目に生きれば追い越されずに済む、と期待する事が出来なく成ってしまった人が余りに多く成ってしまったからではないだろうか。 私が夢を叶えたせいでそう成った、のではないだろうか。 年齢や社会的地位が宇田より上だから自分は宇田より立派な人間なんだ、という風に宇田も思いなさい、そう思わないのは義務違反である、と押し付けて来る態度に反対する私の意見は、改めてキチンと説明を書こうとずっと前から思いながら、まだ書いてない。 下書き程度で良いなら、日本物理学会2013年春季大会@学会発表@活動報告@学問に、私の考え方が書かれている。 2023年12月21日の受診では、1990年代(20才台)の私は、例えばクロダン・ド・セルミジ作曲モテット「我らは幸いを受けたるゆえ」のスティーヴン・ライス指揮ブラバント・アンサンブルによる演奏が自分の心境に非常にピッタリだった、その事から私は20才台にして既に老境に達していたと考えられる、という話をしようと思っていた。 この曲をエアチェックで録音したのは2012年07月31日ですが、最近これを再生して聴いてみて20才台の頃の私は、こういう感じの曲が自分の気持ちにピッタリだったなあ、という風に思い出した。 生活年齢と精神年齢の比か差で知能指数が定義される事を私がテレビで見て初めて知ったのは、最近の事です。 私が多分小学生だった頃に、年の功という物を大筋においては非常に低く評価する私の洞察をおおむね受け入れた上で、例外として提示されたのが西澤潤一と横溝正史だった、という記憶がおぼろげながら残っている。 当時の私は、分からない部分は分からないまま、これら2人の人物は老人だけれど若い人よりも優れた能力を持っており、それを活かして若い人よりも優れた仕事をしている、という風に認めた。 そんな事が有った様な気がする。 私が大学を卒業する頃に、もうこれ以上は駄目だ、という態度に遭遇したのは、その頃には私は西澤潤一さんを凌駕しそうだったからだろう。 西澤潤一さんが非実学的だとしてけなしていた高尚な分野を私が選んだ、非実学的だという西澤潤一さんの批判が負け惜しみだと思われるぐらいに堅実で立派な業績をその分野で上げる事を私が目指し始めていたからだろう。 当時は、そういう視点や、その事が小学生時代の年の功論争の暫定落着を崩壊させる、という視点には全く思い至らなかった。 学生時代に交通誘導のアルバイトで知り合った人から西澤潤一さんが書いた「10年先を読む」という本を勧められたのも、おそらく背景には小学生時代の年の功論争が有ったからだろう。 因みに、その本は2015年頃自分で買ってウダオサムの前で朗読した。 この他の可能性として、大林正和理事長は私の話をこれ以上聞き続けるわけには行かなく成った事が、ガスライティングを開始する動機だったかもしれない。 2023年12月21日の診察で大林正和理事長は、医療を受ける為に来ているのではないのだったら診察しない、という意味の事を言ったので、そうではないか。 2023年12月07日精神科診察音声(4)の再生開始から12分04秒が経過した辺りまでの話でだったと思うが、私が誰かと対話している時に私の前に突然現れて私に向かって「お前、いま何つった(何て言った)?」と質問する全く面識の無いゴッツ系青年男性(対話相手とは別の人)が近年では存在する事を私は言った。 大林正和理事長は、謎の大人の話が私が子供だった頃の経験談だけなら聞いても構わないが、近年の話は聞くわけに行かない、という可能性が考えられる。 私の前に突然現れて私に向かって「お前、いま何つった?」と質問するゴッツ系青年男性が大林正和理事長に直接会ってガスライティングを依頼している可能性もある。 「医療を受ける為に来ているのではないのだったら診察しない」という台詞も、その男から吹き込まれたんじゃないのか。 「お前、いま何つった?」の男の話に限らず、大林正和理事長をコップにたとえると、コップが私の話で一杯に成ってしまった、という事もあるだろう。 ここまでの私の話を全部聞いた人は、もはや、妄想だの精神病だのとは苦し紛れにすら言えなく成っただろうから。 だから、2023年12月21日の「公開をやめろ」という大林正和理事長の発言の真意には「私の話をみんなに聞かれては困る」という内容が含まれていたのではないか。 大林の声ではなく宇田の声を聞かれては困る、という意味です。 私に何かしろとかするなという要求は、もし正当なら言葉で私に伝えれば済むはずである。 それをガスライティングで忖度させようとするという事は、正当ではないと要求者自身が自覚している証拠である。 集団ストーカーがくだらない仕事をくだらないと言えないようにする目的は職業選択の自由を無くす(被害者から奪う)事だ、と私は見ている。 職業を自由に選択したければくだらない仕事をくだらないと言わずしてそうしろ、という無理難題を集団ストーカーは勝手に押し付けて来る、という意味です。 くだらない仕事をくだらないと言ってはいけない、というルールを置けば、幾らでも言い掛かりを付ける事が出来る。 極端な話、幾らくだらない仕事をくだらないと言わずして職業を自由に選択しても、その選択が選択しなかった職業をバカにしているのだ、と言われれば、そうとも言えるからだ。 実際私は、新聞専売所勤務でも半導体工場被派遣労働でも、その仕事をバカにする発言を全くしていない期間中に、「他人の仕事をバカにしやがって」という言葉が耳に入ったり、「この仕事の何が気に入らないんだ?」と質問されたりし、挙句の果てには解雇されるなどした。 仕事をサボったからではない。 むしろ、私の働きぶりが良かったからそう言われたようだった。 室温を暑過ぎる値まで上げられても「暑過ぎる」とは言えないようにする、というのは、くだらない仕事をくだらないと言えないようにするのと同様に、言いたい事を言えないようにする加害だから、コードに引っ掛かったのは、仕事がくだらないかどうかに限定されない「常にホントの事を言うようにしなくてはいけない、という事を肝に銘じている」という私の発言(2023年12月07日精神科診察音声(3)再生開始から03分34秒経過した頃まで)である可能性も有る。 室温を暑過ぎる値まで上げられても「お前わざと室温を上げ過ぎただろうが」はおろか「暑過ぎる」とも言えないようにする、という加害は、集団ストーカーの初心者(見習い)に手口の理解と実践能力を獲得させる為に集団ストーカーの上級者が与える練習課題であったり、また被害者(今回は私)を調教する意味を持っていたりするだろう。 それは、「私は常に正直に物を言うんだ」という人を見たら直ぐに、出来るもんならやってみろ式に発動される、こういった文脈での把握を目指す必要が有る。 最近やっと話題に上った統一教会の手口も、被害者が自分から契約したんだ、という言い分を含みましたよね。 根が同じだからでしょう。 1993年か1994年、私が千葉県に住んでいた時、私への集団ストーカー工作の急増が有ったが、その原因は私が自室内で独り言形式で口述した事だろうと私は考えている。 その口述の中に、私はこれからはもう間違った事は一切言わない事にする、正しさこそが身の守りとして最も有効である、私はこれからは正しさによって立つ、といった発言が含まれていた。 また、2022年08月@日記に書かれている様な事(岩田温が田原総一朗を無理に激しく責め立てた事)が起こる少し前に田原総一朗は朝まで生テレビで「私は正しい事を言う為なら死んでも良いと思っている」みたいな事を言った。 そういう事を言うと直ぐに集団ストーカーが来て、大きな間違いを正している顔で大きく間違った加害をして来るんじゃなかったっけ、ああやっぱりな、それが来たようだな、と2022年07月30日放送分の朝まで生テレビを見た時の私は思った。
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最終編集2024年02月18日 | ||||||||||||||||||
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