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< 日本物理学会2019年秋季大会 > | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
このページは執筆中・未完成です。 日本物理学会2019年秋季大会での私の発表は、文法物理学についての20pS12-7「ディラック場の宇田方程式に向けて」だけだった。 発表旅行中に撮影された写真はリンク集 > 宇田雄一のウェブサイト > 即達 の2019年09月分のページに掲載されています。 そのページは複数有り、それらはページ下端の<や>をアンカーをテキストとする見えにくいリンクでつながっています。 S12会場は、山形大学小白川キャンパス基盤教育1棟112教室だった。 20pS12-7「ディラック場の宇田方程式に向けて」では、液晶プロジェクターで資料を掲示しながら、次の様に口述した。
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日本物理学会2019年秋季大会20pS12-7(再現動画)@学会発表の実況@動画 この発表の原型はUda Equation of Fermionic Mechanics (2) @ Quantum History Theory @ Products @ Forum @ www.GrammaticalPhysics.acです。 質疑応答時間には、次の様な対話が生じました。
これも動画撮影しておかなければ証拠が取れないし、気付かなかった可能性だって有る。 つまり、自分の講演も動画撮影するな、というのは無茶苦茶だ、という事だ。 今回に限れば、聴講者が実質上皆無だったから、鈴木さんが質問した事で他の聴講者の口がふさがれたという事は無かったが、前回までを総合すれば聴講者が多数の回でも鈴木さんは毎回こんな調子です。 大変悪質な質疑応答妨害が行なわれている、という事が良く分かるでしょう。 その様子を私が前回まで克明に書き起こして晒して来たものだから、今回はそれを出来なくされた。 それが今回の座長による録音禁止命令の正体です。 今回の座長は、吉田さんが私にやっつけられる事を恐れている様だったが、鈴木さんが私にやっつけられる事についてはお構いなし、という風だった。 私の講演の直後、20pS12-8, 20pS12-9, 20pS12-10と3つ連続で吉田猷(よしだはかる)さんが講演しました。 吉田さんは講演の末尾で、相対性理論の延長線上に有る研究を「遊びだ」という言葉で批判しました。 20pS12-10の質疑応答時間に私は質問した。 それに伴う問答の内容は以下。
帰宅後インターネットで調べてみると、クォーク閉じ込めのキチッとした証明に成功した者は未だ居ない、というのは本当らしい。 しかし、大体こんな感じの事です、という説明ならWikipediaに書かれていました。 果たして吉田さんはクォーク閉じ込めのキチッとした証明に成功したのでしょうか。 吉田さんの講演内容を吉田さんから配布されて持っているのですが。 吉田さんの発表は、私が最初に(何年も前に)見たのはローレンツ変換への直接的批判、次は量子電気力学を題材にして相対性理論は間違っている、そして今回はクォーク閉じ込め等にまで題材のレベルを上げて相対性理論の延長線上に有る研究は遊びだ、という流れに成っている。 ローレンツ変換を批判した時に私から具体的な反論を受けたので、それを免れる為に次は量子電気力学を題材にしたけれど量子電気力学も私は知っていた。 そこで今度はもっと高学年で学ぶクォーク閉じ込め等を題材にした発表をした後でやはり相対性理論を批判。 これなら私も尻尾をつかめないだろう、というわけだ。 しかし、今回は「間違っている」から「遊びだ」にトーンダウン。 なら「間違っていると過去に言ったのは間違いでした、すみません」と言う必要が有るだろうが。 それを黙って「遊びだ」に摩り替えて知らん顔、それもまだ性懲りも無く相対性理論に負のレッテルを貼ろうとしている。 発表後に私が吉田さんに「随分と先まで勉強したんですねえ」と声を掛けると吉田さんは「人に教えてもらってるんですよ」と答えた。 こんなとこにもデート・ドクターが。 これが、日本物理学会2014年春季大会の報告記事のohp14sp-13-7の注釈欄で図示されている構図です。 セッションが終わって私が吉田さんと雑談をしていると、座長が機嫌悪そうに示威歩行しているらしいのが見えた。 座席と黒板の間のスペースを右に行ったり左に行ったり。 セッション用具の片付け等の理由が付いていたのだろう。 座長の怒りの対象は私が吉田さんをやっつけてしまう事だったのではないか、と私は思っている。 私の講演の質疑応答時間での吉田さんの質問に対する私の返答への座長の反応にもそういう要素がちらりと見えた。 デート・ドクターもそうだ。 私に大人しくしろ、というのは間違いだ。 何故なら私は、こういう事を子供の頃からずっとやられているからだ。 もう何十年もな。 私は自分の講演を含むセッション以外のセッションも色々と見学したが、その中には18pS12もあった。 18pS12は18pS12-1~12と18pS12-13~15の色彩が全く違っていた。 12までは私は講演内容をほとんど理解できなかったが、13, 14, 15ではある程度理解できた。 13, 14, 15は専門家の縄張りの外に出ているらしく、13, 14, 15では私に発言の余地を与えない様にする工作は無かった。 風がパタリと止んで無風状態に成った感じだ。 18pS12後半の座長だった佐藤松夫さんがセッション前半で18pS12-7か18pS12-8を発表した。 それを聞いて私は休憩時間にこの人に質問した。 その際の問答の内容は以下。
人物Xは、佐藤松夫さんの顔見知りらしく、佐藤さんに盛んに話しかけ、それによって私が佐藤さんに話し掛ける時間をふさごうとしている様だった。 その為、その上私が佐藤さんに話し掛けた事は、佐藤さんの休憩時間を圧迫してしまった。 人物Xは、自分はまだ弦幾何理論の論文や解説を読んでいない、と佐藤さんに言っていた。 佐藤さんの発表は人物Xにとってニュースだった。 18pS12-13「新しい解ける離散量子力学模型と多添字連続 Hahn 直交多項式」の質疑応答時間に私は質問した。 その内容は以下。
座長さんが善い人らしく18pS12-14「階段 / 箱型ポテンシャル散乱の場の量子論的解析」に質問した。 私の挙手と同時だったので、私は座長さんに先手を譲った。 座長さんが講演者にした質問は、パラドクスと言うからには間違いを正せば解消されるはずですが結局パラドクスは解消されたんですか、という内容。 座長さんのその発言が終わると同時に私は挙手せず「それが、どうも場の量子論でやっても同じ結果に成ってしまう、という事らしいんですよ」とコメントし、さらにその直後に挙手し座長さんから指名を受けて次の様に発言した。 「という事で、しかし、そういう現象は現実には存在していないはずだ、どこが間違ってるんだろう、という話に成るわけですが、左がどこまで行っても低い一定の高さ、右がどこまで行っても高い一定の高さ、という固定のポテンシャルが現存し得ないというのが答えだと私は思う」 すると質問者は、ではポテンシャルはゼロでなければいけないという事ですか、と発言。 それに対して私は、いやゼロである必要は無いけれど良くあるボーズ場とフェルミ場の相互作用の形に成っている等の必要が有るのだと思う、と返答した。 後で「良く有る」の部分は「お決まりの」と言った方が良かったな、と後悔した。 こういった事から判断して、研究の潮流に付いて行けている体裁の講演の中にも相当な割合で粗悪品が混入している事が想像できる。 だから言ってる事が私に分かっては困るのだ。 18pS12-14は、得点は低いけれど、内容に論理の飛躍や間違いや曖昧な点が無ければ粗悪品とは言えない。 18pS12-14では、内容に論理の飛躍や間違いや曖昧な点が有りそうな雰囲気は感じたが、内容に論理の飛躍や間違いや曖昧な点が有るか無いか確認するのは聴講だけでは無理だった。 18pS12-14の講演者は今回の講演で紹介したパラドクスを「クラインのパラドクス」と呼んでいた。 18pS12-15「非可換調和振動子のエネルギー順位」の内容は日本物理学会2019年春季大会14pK212-17「可換-非可換変換の Lorentz-like 表現とそれを用いた非可換調和振動子」と内容が重複していた。 ただし、全くのコピーではないし講演者も異なる。 20pS12-5「赤外発散に関連する物理について」の内容は日本物理学会2019年春季大会14pK212-4「QEDにおける赤外発散のない漸近状態についての考察」と内容が重複していた。 講演者は異なるが、内容が実質上全く同じか否かは未確認。 2019年09月18日朝往路タクシーの中で運転手から、医学では山中先生の研究が脚光を浴びていますが物理学でも有為な研究成果が握り潰される事は有るんですか、という風に質問された。 山中先生のIPSは医学において握り潰されていないので、どういう意味だろうか、STAPの事を言いたいのだろうか、と疑問に思ったが、物理学について返答しておいた。 私は、あるんでしょうねえ、と答えた。 あるんだろうなあ、と答えるのがベストだが、とっさに出来る返答としては、そこまでが私の限界だった。 有る、と断言してしまうと、何の証拠が有って、という批判を受ける。 私は当事者だから、私がその被害者なんですよ、と答える事も考えられたが、そこまでは初対面の人にする話ではない。 私に「有る」と言わせるのをタクシー運転手が誰かから依頼された可能性も有る、と思ったので、あるんだろうなあ、という意味の返答に徹した。 私は念の為に何度も、あるんでしょうねえ、と言っておいた。 タクシー運転手は、私の返答に非常に満足し、良い話が聞けました、と言っていた。 もし依頼されていたとしたら、依頼した人から後で役立たず呼ばわりされた事だろう。 車内で私は、物理学の学説の中にはマガイモノが多い、それを表すトンデモという言葉が有る、いったんトンデモというレッテルを貼られると幾ら違うんだと言ってもなかなか分かってもらえない、という説明を補った。 私の講演が含まれるセッション20pS12が午後開催された教室S12で午前のセッション20aS12が終了した際に、聴講者のひとり(私の左後ろ至近距離に立っていた)が去り際に「トンデモも見て行きますか?」という意味の言葉を親しい人に投げ掛けるのが聞こえた。 私は間髪を入れずに振り返ってその人に向かって「トンデモも見て行って下さいよお」と声を掛けた。 その人の退室先の廊下から複数の人が口々に「怖い」と言っているらしかった。 図らずも、タクシーの車内での対話とこの件が、ディラックのブラケットの様に対に成って、脈絡を為している。 証拠という物は、こういう思わぬ形で、いつどこで露見するか分からない物です。 トンデモというレッテルは貼るのは1秒、はがすのは10年。 貼られた者が怒るなら分かるが、はがすと貼った者が怒る。 貼った者のその自意識は一体何なんだ。 だから私は相手が怒っているという事に最も怒っている。 今回は、18pS12を見学して、その終盤の3個の講演の内容から判断して、私の講演は本来18pS12の終盤に配置されるべきである事が分かった。 20pS12の後半はトンデモ隔離セッションであり、ここに私の講演が配置されたのは悪意によるの証拠を目にした。 つまりネット上で私をトンデモだと言いふらしているチンピラは物理学会とは無関係でございます、という白切りにほつれが見え始めた、という事だ。 随分前から私の周囲には暴力団ないし暴力団まがいのおびただしい数の人々が、一時的に来るのみならず、まず工事を口実に騒音を浴びせ付け、その工事で出来た道路に騒音車両を殺到させ、またその工事で出来た住宅に入居しそこを集団ストーカ工作の拠点にする、といった事が際限なく進行しています。 集団ストーカーというものは加害ノルマを達成できなければ「怖い」と発語するものだから、トンデモという声を聞かせる事によって私に生じた欲求不満を、私が「トンデモも見て行って下さいよお」と言い返す事によって解消した上に自分の方が一枚上手であるシーンを作って見せた事で、怖い、という発語が生じたのだろう。 まずは怒らせて私にミスを犯させる事を言い掛かりを付ける事まで含めて狙い、そう成らなくてもせめて私に嫌な思いをさせる必要が犯人にとっては有った。 集団ストーカー犯にとっては、個々の犯行は幾ら軽微・些細であっても1個たりとも決して防がれてはいけないのです。 一方、個々の犯行は幾ら軽微・些細であっても1個たりともしてはいけない、というのが正義ですから、集団ストーカー犯のこの認識が如何に糞の様であるかが分かります。 トンデモ講演者に聞こえる位置で「トンデモも見て行きますか」と言ってしまった事を怖いと感じた、と解釈するのが普通だと思いますが、その解釈は間違いです。 撮影の可否についての回答メールを見れば分かる様に、講演が審査で止められる事は無いので、学会大会での講演内容のクオリティーを学会は保証もコントロールもしません、というのが学会の公式な態度だったはずです。 それでいいじゃないですか。 それなのに、学会大会の中にはトンデモ・セッションというのが有って、そこでの講演内容はトンデモです、という噂が立つと、学会はこれを快しとしなかったのではないか。 トンデモ・セッション、有っても良いじゃないですか。 そこでの講演内容がトンデモだ、本当の事じゃないですか。 これが痛いので、ある年を境に学会は黙ったまま、学会大会にはトンデモ・セッションは存在しない、学会大会での講演内容はどれもそれなりにシッカリしている、と白を切る方針に転換したのではないかと私は疑っている。 私の講演内容はトンデモではない事、が露呈し始めた頃を境にです。 聴講者の「トンデモも見て行きますか?」という発言は、それがウソである証拠なので、聞かれてはいけなかった。 聴講者は学会の白切りに協力していたので、聴講者にとっても、それは聞かれてはいけなかった、うっかり口を滑らせてしまった、だから怖い、という事だった可能性も考えられる。 「トンデモも見て行きますか?」と発言した人は多分、私の講演を聴講しなかった。 Wooder!掲示板に私の文法物理学を褒める書き込みをした人から大会会場で声を掛けられるかとも思ったが、そういう事も無かった。 じゃ、あの書き込みもDCT COMPANY辺りの仕業なのかも。 2019年09月20日朝S棟を解錠してくれた大学職員さんから、おかしいですねえ、ここは文系キャンパスなのになあ、山形大学の理系キャンパスはこことは別ですよ、という話を聞いた。 また、近年では私の講演の聴講者は多く、毎回多くの方々が被ばくなさり、ああ今日も良い事をしたなあ、と思いながら私は講演を終えるのだが、今回は私と吉田さんと鈴木さんと座長さん以外には5人しか見なかった。 この5人は偵察(聴講者の人数などを確認)と弾着観測(私に対する陥れ工作の成否や私の講演の成否と内容を確認)を目的とする工作員だと思われる。 昔に逆戻りした様な感じを受けた。 ここにも学会の悪意を感じる。 www.GrammaticalPhysics.acをxoopsで運営していた時期に、私が記事を追加すると毎回すぐに5人によるアクセスがあった。 妙なのは、その間不特定多数の人のアクセスが封じられているらしかった事だ。 5人によるアクセスは検閲の意味を持っていた様にものすごく感じた。 「文系のキャンパスなのになあ」と言った職員さんは篠笛の練習に私を誘ったが念の為に私は断った。 私の口笛と合奏してそれを動画撮影する許可をもらってYouTubeにアップすれば良かった、と後で思ったが、用心に越した事は無いので、断ったのは正解だったと今では思う。 2009年09月25日に日本物理学会総務理事である永井治男さんから届いた電子メールの内容↓ 念の為にテキストに書き起こしておきます。
ところが、ある時、私の撮影行為は告訴される恐れが有るよ、という忠告をする人に出会った。 それは学会大会の運営者ではなく一般の聴講者ないし登壇者でした。 スクリーンに日本国の重要文化財である様な古文書が映し出される講演についてではなかったか。 それを聞いても私は、その点については大丈夫、既に電子メールで確認してある事だから、と思った。 しかし(撮影不可は古文書だけでしょと思いながら)念の為に撮影を控え帰宅してから通知メールの内容を確認してみると、良く見ると、許可が不要なのは撮影者を撮影する場合だけ、という意味の事が書かれています。 この電子メールを最初に読んだ時に私が読み落とした、のかなあと思った。 基本的にその可能性を主に考えていますが、しかし、文章に不審な点が有るので、ハッキングや不法侵入で電子メールの内容が改ざんされた可能性も少し考えています。 それは「そもそも御自身の講演を動画撮影をする場合、本会としては、写真、動画撮影などは本人のメモの延長と考えております」という部分です。 この文においては、写真撮影をする場合と動画撮影をする場合は動画撮影をする場合の特別な場合だ、という風に成っています。 動画撮影は非常に多数回の写真撮影だと考え得るので、動画撮影を写真撮影の一例だと言う事は出来るかもしれませんが、写真撮影を動画撮影の一例だと考えるのは無理な気がします。 また、「講演を動画撮影をする」という表現も変です。 日本語として自然なのは「講演を動画撮影する」または「講演の動画撮影をする」です。 「個人のメモ以外の目的でとして使用する」もおかしいですね。 正しくは「個人のメモ以外として使用する」または「個人のメモ以外の目的で使用する」ですよね。 改ざん時の編集の痕跡ではないか。 初読時にこれらの引っ掛かりを感じた、という記憶は有りません。 引っ掛かりを感じれば覚えていそうなものです。 もちろん、人間は間違う事が有るし、私の様にこだわりを持って意図的に普通ではない言い回しを使う人も居るでしょう。 しかし可能性としては、元は「そもそも本会としては、写真、動画撮影などは本人のメモの延長と考えております」という文だったのではないか、それが改ざんされたのではないか、そこに外国人の介入が有ったのではないか、という事が言えます。 会話の当事者による録音の法律での扱いは、そうだからです。 また、この電子メールを最初に読んだ時には、自分以外の人が写り込んだ動画をユーチューブにアップロードしたければ写り込んだ人の全てから個別に許可を得なさい、という事も書かれていた様に記憶していますが、上掲の文章には、そういう部分が有りません。 ハッキングや不法侵入によって削除されたのではないか。 「ご自分が講演される」の後に不審な改行が有ります。 削除の痕跡ではないか。 また、複数の不審点は全て撮影範囲を限定する文言に近い位置に有ります。 過去には私の動画に故意に映り込む行為が繰り返されましたが、私はその部分をモザイクにして動画を公開して来ました。 近年では毎回臆面も無く、撮影禁止、録音禁止の貼紙が学会大会会場に貼ってあります。 ここまでを読めば、証拠として一言一句を取っておく事が如何に大切か、がお分かりでしょう。 それをするな、と言うのは、やましい事が有る、という自白に等しいのです。 オレは撮る、お前は撮るな、ホトトギス : ケーサツとその一味。 撮影の可否を私が学会に質問したのは、私が「グラスマン変数の表示」というタイトルの発表をした時に聴講者がハンディカムで私を動画撮影していたのを私が見て疑問に思ったからです。 講演中に撮影されている事に気付いた私は反射的にカメラに向かって軽く会釈したのだった。 私の質問への返答内容を決定した者はその事を知っていたのではないか、と私は思っています。 撮影してはいけない、と返答すると私を撮影した人が私に言い負かされた形に成る。 それを避けるために、公開しなければ撮影するだけなら撮影者以外を撮影してもOKだ、と返答したのではないか。 私を撮影した行為が違反であった事が確認できたと返答を読んだ時に感じた記憶が今無いのも、返答メールが改ざんされたからではないか。 改ざんされていないとしても、それなら今度は、私を撮影した行為は違反だった事に成る。 撮影された時に私はハッキリとそれを攻撃目的だと感じた。 事実、カメラに気を取られて講演をしくじる可能性は十分に有った。 だから私は、撮影されるなら自分も撮影しないと自分が不利に成る、と判断して、また撮影の便利さに気付かされて、自分が撮影開始する為の準備として質問したのだった。 グラスマン変数の表示を私が発表したのは2005年春です。 もし私が撮影されるだけで撮影しなかったなら、撮影はずっとOKのままだった事でしょう。 今回の私の講演においては、私の講演開始時に座長が録音禁止命令と撮影禁止命令を発令しました。 その直前の休憩時間に座長は急いで大会本部に令状を取りに行った様でした。 会場の座長席からの発令は、その令状を読み上げる形で行なわれました。 20pS12前半の開始時ではなく20pS12後半の開始時に読み上げる、というのは異常です。 私への奇襲効果を高める為としか言い様が有りません。 令状を取りに行く時に座長が急いだのは、この手段(令状に基づく発令)の使用は予定されていなかったからでしょう。 その理由は、それには正当性が無い事と、それまでの多重防御犯罪によって私の発表は阻止されるはずだと見込んでいた事、でしょう。 また、もともと正当性が無いので、令状なしで発令したのでは、電子メールで既に許可を得ていますという私の反論に負けてしまう。 最後の手段として令状が前もって準備されていた事は、撮影録音禁止命令発令が座長の単独犯行ではない事を意味します。 私の撮影録音機材が目に入ったので急いで令状を取りに行った可能性も有るが、それでも令状が予め用意されていた事は私の撮影録音機材が目に入ったので急いでの事ではないし、座長が私の発表開始予定時刻まで私に一言も撮影録音禁止の事を言わず私の発表開始予定時刻に成ってから撮影録音禁止命令を発令した事から、不意打ちが目的だと判断できる。 不意打ちでなければ令状を取りに行く前に私に撮影録音禁止だと言うはずだし、令状を読み上げる前にも禁止ですと言うはずだ。 それをせずに時間に成ってから禁止命令を令状の読み上げで開始した事は、令状なしでは力不足である事を座長が前もって知っていた事を意味するし、交渉が十分に前もって開始されれば講演開始予定時刻までに私の言い分が認められる可能性が有るので交渉する時間を与えない、という思惑が座長に有った事を意味する。 令状読み上げというスタイルは近年の私の講演スタイルの鏡像のつもりで行なわれ、それは私の講演スタイルで善くない人がやっつけられ感を感じたので、それに対する報復として行なわれたのではないか、とも思う。 令状に「座長からの個別承認云々」という部分が有ったので、私は座長に承認を求め拒否されたので「自分の講演の撮影録音はOKだと言われてるんですけど」と途中まで言ったが、その私の発言を遮る形で座長が憤怒の「駄目です」「認めません」という否認発言。 座長は明らかに最初から怒っている。 事前に何も無ければ、怒りという物は徐々に高まるはずです。 しかし座長は最初から怒り心頭に発している。 これは不審です。 したがって、座長は事前に私を悪者だとする何か(偽または誤なる言説)を吹き込まれていた、と考えられます。 あるいは、それまでに私に仕掛けられた多数の犯罪を私がことごとく失敗させた事を座長が逆恨みしての事です。 だとすると、それまでに私に仕掛けられた犯罪の結果がこの座長に報告されていた事に成るが、その様な不正なネットワークは文字通り集団ストーカーであり容認できない。 この人に限った事では有りませんが、私に対して怒る事にいつも私は最も腹を立てています、正当な怒りは別ですが。 令状の読み上げという不審異常行動を私は、上に書いた様に解釈していましたが、その後、これは日本物学会2019年春季大会16pG214-13で私が言質を取る形で「物理学70の不思議」という日本物理学会の刊行物を引用して虚偽の反論を未然に封じた事への小学生的な仕返しだった可能性が高い事、に気付きました。 私の録音撮影予定対象は過去におけるのと同様に私の講演だけだったので、この禁止命令は私の講演の証拠を取らせないのが目的です。 今どき、技術が進歩して何でも偽造できる時代に成ったので、あまりこだわる事ではないのだが。 最も警戒する必要が有ったのは、私にゴネさせて座長に退場を命じさせる事が狙われていた可能性です。 私の発表を阻止する最後の手段であるからには犯人の目的は、撮影させない事ではなく、発表させない事であったはずです。 撮影を禁止したのは間違いでしたと後で謝罪する形でも犯人は構わないのです。 理由がどうであれ、私による講演は無かった、という事実を作れれば、その欠損を復元する事はもう出来ないからです。 そして、それも最終目的ではありません。 学会大会期終了後に頒布される講演概要集DVDに記載されている私の講演概要の地位を低下させる事が、ひょっとすると当ページ(報告記事)の地位を低下させる事も、犯人の最終目標だと考えられます。 今回の私の講演が過去の私の講演と違っていたのは、内容が極端に重要でありその初回ではない事と、冒頭で私が自分の名前だけでなく年月日を読み上げた事です。 また、学会大会に参加するための旅行に出発する前に自宅で、私の2つのICレコーダーのうちの片方を紛失している事に気付きました。 入念に探しましたが見付かりません。 見付かったら報告したいと思いますが、もし私のプライベートエリア内に存在しないならば、不法に侵入した何者かが持ち去った事に成ります。 紛失したICレコーダーは、前回の学会大会で、ボイスメモに私が多用した物です。 前々回の学会大会までは、そのICレコーダーを私は自分の講演の録音にしか使いませんでした。 前回の学会大会の報告記事の内容が前々回までの学会大会の報告記事の内容に比べて飛躍的に充実しているのは、そのためです。 しかし私は前回の学会大会で講演や対話のライブ録音を一切していません。 前回の学会大会の私の講演以外についての録音は全て、休憩時間やホテルに帰館後に私が記憶内容を口述する事によって為された物です。 報告記事の内容が一言一句に至るまで鮮明、ではないのは、その為です。 また、ライブ録音しなかったので、見聞きした事や自分の発言を思い出すのは、思い出せない危うさやそれを克服する為の労を伴い、その点を私は非常に損害だと感じます。 つまり私が言いたいのは、自分がライブ録音はしなかったので潔白です、という事よりも、ライブ録音禁止はおかしいじゃないか、という事です。 今回の大会のプログラムを見て、五十嵐靖則さんの所属が大学から自作の研究所らしいのに変更されているのを知った。 2011年秋季大会で私が五十嵐靖則さんとの対話を録音して克明に書き起こして公開した事も影響していると思われる。 五十嵐靖則さんから、公開をやめてもらえないかと、ひとこと言われた事も有る。 対話を録音して一言一句正確に書き起こす行為にテレビがケチを付けていた時期がその後あった。 犯人はテレビの報道番組まで不正競争に動員できるとは恐怖だ。 五十嵐靖則さんとの対話については、あれを喧嘩だとする難癖が懸念されたので、録音は特に必要だった。 20pS12前半開始前に講演予定者が自分のパソコンを接続してプロジェクター機能をチェックしているのが見えた。 見るとスクリーンの画像の輝度が著しく不足しており、私が狙われてると思ったので直ぐに、良く聞こえるようにハッキリと「暗くて見えないんですけど」と私が言ったら、座長が接続者に歩み寄って「それはパソコンのせいじゃないですかねえ」と声を掛けた。 学会が提供している設備(パソコンに接続される)のせいじゃないですよね、という意味だ。 それを受けて直ぐに私は「隣のパソコンなら明るく映るかなあ」と言った。 片方の接続者の隣でチェックしようとしていたもうひとりの接続者が自分のパソコンに切り替えるとスクリーンの画像の輝度は十分だったし、20pS12前半中にもスクリーンの画像の輝度不足は1回も生じなかったので、パソコンのせいという座長の推測が当たっていた体裁に成っていたが、そういう形につくろった可能性も有る。 前回の大会での私の行動に反応して今回の大会では質疑応答時間を他の聴講者が使い切って私に口出しの余地を与えないという工作も組織的に行なわれました。 私は、大抵の発表は内容を十分に理解できないので、誰も質問しなければ挙手する、という風に遠慮するのが基本です。 前回までの大会では、それでも挙手する機会は何度も有りましたが、今回の大会では他の聴講者や座長による質問で質疑応答時間が使い切られる様に配慮されていました。 休憩時間までふさぐ、という念の入れようです。 前回の大会の私による報告記事と私がどのセッションの講演概要をダウンロードしたか等から判断して実行する事が可能な施策です。 私が紙版の講演概要集を現場で見て聴講するセッションを選択したなら対応し切れなかったかもしれません。 それでも質疑応答時間にわずかに発言の空白が生じました。 私が挙手すると座長は指名してくれましたが赤面してしゃがみ込みました。 少しぐらいの空白なら大丈夫だろうと思ったが、まさかこんなわずかに空白を作っただけで入って来られるとは、といった所か。 やっぱりマークされている。 それは17pS11での事で、私の質問内容は以下です。
個別セッションが自分の専門に一致する人の発言を優先させる義務も無いかもしれないけれど、優先させてそれでも時間が余れば挙手する、という態度なら文句の付け様が無いでしょう。 過去もずっとそうだったが過去には思わなかった事が有る。 それは、周囲の人が隠語目的で英語を使用している、という事だ。 今回それに気付いた。 物理学の専門用語には発表言語が日本語でも使って良いだろうと思われる英語がたくさん有る。 だから分かり難いのだが、英単語で言う必要がない事を一々英単語で言う講演者が多い。 過去には私はそれをクセとか習慣ぐらいにしか思わなかった。 しかし今回は、そう言えば発表言語が日本語なのにスクリーンに表示されているのは英語だけなのが毎回多いなあ、という不審点に気付いた。 それからセッション中に眠り込んでしまった私が目を覚ましたのを見て左の壁際に立っていた人(たぶん座長)が目配せをし、それを境に発言内容に占める日本語の割合が急減し英語の割合が急増した、と感じた瞬間も有った。 発表言語が英語の講演で講演者と聴講者や座長の間での英会話が故意に聞き取り難く発音されていると思った事なら過去にも有る。 DeAGOSTINI「栄光の日本海軍パーフェクトファイル」第57号29ページに「仲間うち以外に理解されぬよう、ひねりを加えた難解な隠語も増えてくる」という記述が見られる。 2019年02月@日記から2019年05月@日記に私は「次世代の世界一の天才へ」という記事を書いていますが、例えば先天的にIQが高い人は、これをされるよ。 つんぼさじきに置かれる、知識から遠ざけられるよ。 テレビで取り上げられているIQ=188だったかの青年は、大学に行かせてもらってないじゃん。 あなたは既に十分に頭が良いからもうこれ以上勉強しなくてよい、と言ってミスリードするのも手口。 どんなに頭が良くても勉強しなければ一生でどれだけの事が出来るかが危ぶまれる。 逆に周りの人にとっては、高IQ者にガリ勉されたら、美味しい所を全部持って行かれるので、困るんです。 飛び級もソフトウェアのロボトミー手術だと疑った方がよい。 高IQというのはあくまで。 先天的資質がIQテストで測定し尽くせるのかは疑問。 そんなこんなで今回の大会では前回ほどには見聞を広める事が出来ませんでしたが、それでも、幾つか貴重な話が聞けました。 ・ 超対称性の成功の見込みが最近減って来ている。 ・ ダークマターが存在する事を確認できたと主張する研究結果発信者も居るが、追試でもそうだったという例は未出。 ・ 弦理論の研究に弦幾何理論という新しい潮流が生じている。 これらの他に、17日にはseesaw, 質量行列、レプトクォークというキーワードを耳にする事が出来ました。 ホテルに帰ってからインターネットで検索すると、それなりに説明を見付ける事が出来ましたが、その内容はもう忘れました。 レプトクォークは複合粒子だという事が確認できたので、これに対して私は興味を失いました。 seesawは質量格差問題への解答候補である学説ではなかったか。 ダークマターの存在確認状況はセッション終了後に18aS32-13の講演者に質問して聞き出した。 その人が講演中に「データ入力の多大な手間に耐える手段として入力中は心を虚しくした」と言っていたので私は、ダークマターの存在確認状況を聞き出した後で、「心を虚しくするする必要があった事は、そこから限界が来る事が懸念されるので、データ入力は情報発信者がセルフ・サービスで行なうという方法にしてはどうか」とコメントしておいた。 17aS12前半終了時に、17aS12前半の座長(横倉祐貴さん)に声を掛けて、質問した。 その内容は以下。
係数は物理定数扱いで良い。 例えば流体力学において、普通は各点での圧力と流速のみを考えるが、圧力と流速だけじゃなくて圧力、流速、温度の3つを考えて立式できないか。 圧力と流速と温度これら3つを位置と時刻の関数として求める、といった様なの出来ないかなあ。 既に当たり前の様に有るかもしれない。 数値計算では既に有るはず。(物理現象シミュレータ) ガラスコップが割れる前から割れた後までを通してカバーするような理論はどうせ無理だから、巨視現象全般をカバーする理論は無理だろう。 範囲を限定すると出来ないかなあ、解析的表現が。 カオスが有るから無理なのかもね。 多分19aS11-3「331 模型の有効理論と加速器実験による検証」が、クオークとレプトンは何故3世代あるのか、という問題へのハッキリとした答えの候補を提示した点に、私は好感を持った。 その答えが当たっているのか否かは分からない(おいそれと当たる物ではない)し、3世代という結論を導く仮定の特徴の方が3世代である事よりも自明だと言えるのか、という問題が残るかもしれない。 世代の問題の話を聞きたくて私は17pS11も聴講したのだが、周辺的な問題の議論ばかりで、何故3世代あるのかという問題へのハッキリとした答えは全く聞けなかった、ドンヨリとしたものだった。 19aS11-3の様な大振りパンチを、もっとどんどん出して欲しい。 17pS11には、世代問題への取り組みは、有ってもジャブばかり、だったのだろう。 20pS12前半の開始前に私は近くに座っていた人に、今日はもう最終日だからみなさんホテルのチェックアウト後ですね、と声を掛けた。 すると、その人は、教室の後端にキャリーバッグがたくさん並んでますよ、と応えた。 でも教室の後端にキャリーバッグがたくさん並んでますよ、という意味だとして私の意見に反論したつもりらしかった。 それを承知の上で私は、だから教室の後端にキャリーバッグがたくさん並んでますよ、という意味だとの解釈を前提に笑い声で、ええそうですねえ、と言った。 すると、その人は何も言わずに対話レベルの声の届かない距離まで逃げて座り直した。 集団ストーカー工作として出来る事は何か無いか知恵を絞った為に、この人の発言はワンテンポ遅れていた。 逃げる前にも知恵を絞ったが打つ手が無かった様だ。 小手投げで宇田山の勝ちだ。 集団ストーカー犯にとって、あくまで私は話が通じない意思疎通不能者でなければいけない。 私と話をして会話が成立してしまったら自分が村八分に遭う、そういう事情が背景に有ります。 これは相当な犯罪だと思うんだけどなあ。 見たところ何の欠点も感じられない、素粒子論研究のトップランナーだと言われてもこの人は違うだろうという風には見えない、スポーツをやらせても優良選手に成れそうな、そんな外見上好青年でしたが、性根は腐っている。 私から急いで離れる、という不審挙動は高知で2004年秋季大会30pSC-8を発表する為にSC会場に居た私の直前に座っていた人(たぶん座長)にも見られたし、高校の同窓会で車椅子に座っていた同窓生にも見られた。 高知での学会大会で見た人は私から「超対称性はフェルミオンとボソンの交換に対する対称性か」と質問されて「違います」と答えた後でスパイヤーズという情報源を私に教えてくれた。 私から急速離脱したのは、その直後だった。 これらは基本的に私の世代の小学生が登下校中にうんこを踏んだ級友から逃げ離れ、逃げ遅れてうんこを踏んだ人に触られると触られた生徒もうんこを踏んだ人として扱われるという習慣や、子供の鬼ごっこの挙動に酷似している。 私から暴行されない様に私から離れる、という意味も有ったかもしれないが、それにしても、人聞きの悪い、の行動版であり、納得が行かない。 何だ、その動きは、何をやってるんだ、と腹が立った。 どのセッションかは忘れたが、教室の前端の講壇と聴講席の間のスペースを歩いている人の外見が、その前日夕にコンビニでレジに就いた人物(私への集団ストーカー工作あり)と酷似していた。 小柄で痩せていて炭化した感じ。 同一人物であったか否かは判断できない。 学会会場で見た人は、他の参加者と話をしている様だったので、たぶん物理学を専門とする人。 日本物理学会2019年秋季大会20pS12の座長は山口東理大の岸本功さんだとプログラム冊子には書かれていますが、替え玉の可能性があるので、絶対にこの人だとは限りません。 こういう事も、撮影できなければ、うやむやに出来ますよね。 私が見たのは頭頂部に大きな円形脱毛症が有りヒゲを剃っていない小柄で細身の中高年男性でした。 人相は、シンナーでも吸ったのか、といった感じの顔でした。 マツコデラックスのルックスが大仏を冒涜しているとするなら、差し詰めこの座長のルックスは昭和天皇を冒涜しているルックスだった。 シャツの色がオレンジ色だったか否か思い出せません。 切っても痛くないトカゲの尻尾といった感じに見えました。 どんな目に遭ったらあんな風に成るのか知らないけど、この人からも私に対する怒りの感情が発せられていたので、道具に使われただけの人だから許す、とは私は全く考えません。 私が口を開いて他の会員に物を言う、たったそれだけの事を忌み嫌う人が居る。 新垣恒道という人も、岩手で私が五十嵐さんと対話していた時に、私の発言を阻止しようと慌てて割り込んで来た等の挙動を示した。 その後、別の会場で、この人と歩行しながら対話した時に、この人が素粒子論という分野を煙たがっている事がハッキリ分かる言葉を聞いた。 素粒子論という分野を含めて考えると、年齢と学力は全く相応しない。 その事が気に入らないのだろう、と私は思っている。 最初に会った時(たぶん岩手)には、この人は、自分を応用物理学会から来た者だと言い、入会してから20年間は発表しないのが普通だと言ったり、ポスターセッション会場を私に紹介したりした。 発表するな、するならポスターセッションでしろ、と言われてるみたいで心外だった。 ただしその後わたしは、発表者と話をするならポスターセッションの方が良いな、と思う様に成った。 ポスターセッションも、それなりに良いですよ。 20年間というのも真に受けてはいけない。 20年間講演停止させれば、その間に何とかすればよい、20年あれば出来る、これが犯人の考え方です。 だから、20年間というのは方便であって、犯人が考えているのは「ずっと」です。 私もあと4年以内に日本物理学会入会20周年を迎えますが、入会したばかりの頃に比べてむしろ当たりはキツく成る一方です。 入会してからx年目の時の当たりのキツさが自宅においても学会大会においても 1÷(20 - x) に比例しているかの様です。 やっぱりじゃないか、新米は発表するな、というのは言い訳だったのだ。 この調子で行くと、私の入会20周年時点が音速の壁の様に成っていて、それを突き破ると何かが起こるだろう。 そういう何かを起こす犯罪を許してはいけない。 後で調べてみると、新垣恒道さんは日本物理学会の評議委員か何かだった。 応用物理学会から来たなんてウソをつく必要が何故あったのだろう。 2004年の日本物理学会の名簿に既に新垣恒道さんの名前が登記されている。 私が早稲田大学で物理教育の発表をした時も、この人はセッション開始前に私を偵察し私の様子に反応してコソコソ退室した。 偵察結果を報告して手を打つ為だろう。 この時期には私に直接コンタクトしてどうこうするのは諦めていた感じだ。 座長がプログラム冊子に人名が記載されている人とは別の人物に摩り替わっていたらしかったのは、そのセッションだ。 そのセッションで私が見た座長は1993年に市進学院行徳教室で見た塙(はなわ)という先輩講師に似ていたが、これも偶然ではないだろう。 新垣恒道さんからは年賀状や暑中見舞いが私に来る事が多い。 しかし私はこの人を私に怨みを持っていると判断している。 2019年10月現在では森山という人が関西電力に不正な働きかけをしていた、というニュースが世間の耳目を集めているが、私にはこの森山という人と新垣恒道さんのイメージがダブる。 直接対話した時に新垣さんは私の学問的価値観に対する腹いせに自分が金銭的に裕福だという自慢を憎まれ口とした叩いたし、住所がコーベだ。 コーベと言えば暴力団山口組の本拠地だろう。 森山は福井の人だがコーベの人との交流が有ったそうだ。 また、私が大学生だった時に木造モルタルの下宿の同じフロアに送り込まれて来た清水匡太という集団ストーカー工作員もコーベ出身だった。 森山はコーベではなかったと思うが、人生経験も数十年に達すると、だいたいあの辺から不浄な者が飛んで来てるな、という統計値の異常が感じられる。 2019年秋に発覚した教師対教師陰湿犯罪の舞台もコーベだ。 私の父宇田靖に来るツボタという客も大体この辺りの人で、広域伝令だと考えられる。 この人は私の前で、競争はしてはいけない事だ、と発言した。 これは犯行動機に成る。 神戸と言えば古い時代の日本で治外法権が設定されていた場所だ。 そういう場所は国内汚染の発生源に成るものなのではないか、と私は疑っている。 新垣恒道さんは、私が自分の講演直後に現在時刻を読み上げてその声をICレコーダーに拾わせるのを妨害する目的で話しかけて来た事が何度も有った。 非教育領域セッションの座長が初めて反応したのはエーレンフェストの回(2008年春)だった。 どうせトンデモだから放置するだけでよいと高をくくっていたが、私の発表内容を見てそれでは済まないと悟り、セッション終了と同時に急いで報告に行った様だった。 その様子は、まるでネズミか小間使いの様だった。 素粒子論領域の座長が凶暴だったのは今回が初めて。 前回の報告記事に私が、領域文化という物が有って教育領域に比べて素粒子論領域は形式面がのどかだ、という事を書いたからではないか。 あるいは、前回の発表で領域11の人が私を初めて見知り野放しに出来ないと考え今回の私の発表セッションに凶暴な座長を送り込む様に働きかけたからかもしれない。 物理教育会場では講演内容で私を貶める事が出来ないので学会大会運営制度の乱用を手段とする必要があったが、素粒子論会場では長らくその必要が無かった。 その必要が出て来た事は私の講演内容のレベルがそれを超えた印と見なせる。 内容で私が勝ち出したので、座長を使い始めた。 内容が劣っていれば放置して恥をかかせれば済む。 この手の人は物理学会内にひとりではないだろう。 今回の大会の20pS12の座長もそのひとりではないか。 EMANの物理学というウェブサイトの掲示板(談話室と名付けられていた様な気がする)に、私の事を「こいつが物理学会でどう言われてるか知ってるのか」と書き込んで、ウェブサイト運営者がそれを名誉毀損だと判断して警告および削除した、という事が有った。 その書き込みの口振りからすると、私を憎んでいる人は例外的にではなく相当な人数居て、その理由は私がトンデモだと思われている事ではなく道徳に違反していると思われている事らしかった。 関西電力社長が言う森山の独特の礼儀観というのは、これです。 清水匡太にも同じ特徴が有り、時々わたしにわけのわからない礼儀を説く事があり、それに基づいて私は輩とまで言われた。 今回の座長が発散していた意味不明の怒りも、これだ。 その書き込みをした人は、書き込みをした時には酒に酔っていた、という言い訳をした。 酒に酔ってなければ自分は間違えません、と言いたいわけだ。 ちなみに、そいつの他の書き込みの内容の一例は、何故そうなのかという疑問に基礎理論は答える事が出来るのに対して現象論は答える事が出来ない点で基礎理論は現象論よりも優秀だ、という物。 基礎理論というのは、もっと基礎的な理論によって基礎付ける事が出来ない理論だ。 つまり、何故そうなのかを説明できないのが基礎理論です。 筆者が形だけで内容の伴わないチンピラ学者であるのが良く分かる一文だ。 親の顔が見たい、ならぬ、師の顔が見たいよ。 師が受け売りのオウム学者だと、それが弟子に移るんだよ、伝染病の様にな。 私がニュートン力学における質量の変化する物体について発表した時か、慣性力の概念を生徒に伝えるための具体的な運動と座標系を発表した時に、私に向かって不機嫌な顔をしている高年男性聴講者が間近に居た。 物理教育会場での事だから、たぶんオウム学問レベルの学校の先生だ。 発表するというのは聴講者の知らない事を聴講者に教えるという事だから、その点を、年配でしかも教職である自分に若輩のお前が何か教えるなんて生意気だ、という認識にでも由来する怒りだったのだろう。 その質疑応答時間にも、出入り口付近に若い男が急来して私を呵責の目で見た。 あれは多分学会大会の運営者だ。 誰かが通報したのか、それとも教室出入口付近に待機していたのか。 これも、その質問者を私がやっつけてしまうのを犯罪視しての事だ。 質問者に対して、何だお前のその態度は、と私が怒る筋合いの事だ。 その怒りを堪えて、暴力的でないやり方で相手の非を指摘する、この私の態度に対して何だ、あれは。 砂川重信の理論電磁気学という著書についてコメントする内容の2回目の発表で斉藤嘉夫という座長が食って掛かって来た事も有った。 これら新垣恒道が来るより前の事だ。 パワハラ概念が普及している今では理解され易いと思うが、座長によるアタックという物は被害者の心理的負担が大きい。 その点は警察を使った犯罪と同質だ。 座長に私を攻撃させる犯罪は、初回が斉藤嘉夫、次が新田英雄さんの替え玉、そして今回で3回目に成る。 パワーハラスメント(パワハラ)という言葉ほどには知られていない様だが、アカデミックハラスメント(アカハラ)という言葉も既に有る様だ。 日本物理学会は近年会員数とそれに伴う財政状態の問題で悩んでいるそうだ。 日本物理学会誌2017年04月号223ページに会長である川村光さんが次の様に書いています。
本当に優秀な人と言うのはそんなにたくさん居るものではない。 だから会費収入の観点から言うと、少数精鋭では学会は経済的に成り立たない。 その事を学会は知っている。 だから鈍くて自惚れの強い愚鈍な会員の自惚れの眠りを覚ます行為を死活に関わる不都合と考えているのではないか。 しかし川村光さんは、上記抜粋を含むページに、物理学というものの性格ゆえに物理学会は安泰だろう、という意味の事も書いています。 それは言えてる、と私も思うのですが、集団ストーカーという背景を考慮に入れると、犯人はまず私をカッコ悪くする為の道具として物理学会を使う。 この段階では犯人は物理学会を偉大にしようと作用します。 それとの対比において私をてんで話に成らないちっぽけで場違いなピエロ(ミスタービーンのイメージか)に見せるためです。 それを克服する事は普通なら不可能なのですが、私はそれを並大抵ではない才能と善意によって克服して物理学会を自論の発表の手段として活用し大きなプラスの効果を得るまでに成った。 その事は犯人たちに大恥をかかせ続けています。 こう成ると今度は犯人は社会全体における物理学会の存在感を小さくしようと作用します。 大きくしようとする作用もですが、小さくしようとするこの作用は極度に凶悪なものです。 それに抗うには相応の大きな抗力が必要であり、安泰だと安心は出来ません。 過去にも私の出身大学は同じ事をされたと考えられるし、私に接した色々な人や団体がされて来た事です。 物理学というのは社会にとって必要不可欠な大事な物ですから、世相がどう変わろうと、世界情勢がどう変わろうと、変わらず尊重されるべきものです。 しかし集団ストーカー犯には、幾ら何でもこれ以上は駄目です、という人間として最低限持っていなければいけない節度が有りません。 自分達の思い通りに成らないなら全員が入っている家屋の柱を切り倒す、そういう連中です。 韓国が安全保障での日本との協力をやめたのを見れば、有り得ない事ではないのが分かるでしょう。 地球温暖化の解決阻止なんかもそうです。 20pS12の座長、鈴木さん、吉田さんには、不審な共通点が見られた。 それは、鈴木さんが私の講演の質疑応答時間に私の研究を現象との対応が不明なので遊びではないか言った事、吉田さんが自分の講演中に相対性理論系の研究を遊びという言葉でけなした事、20pS12の座長が20pS12前半に座長の立場から講演者に実際の物理現象との関係を質問していた事だ。 口裏合わせまたは人選工作あるいはそれら両方だ。 遊び、という言葉の説明をしておきます。 これは、職業には出来ない、あるいは、将来的にそこに繋げる為の言葉です。 最初はチョッとしたケチを付ける事から始める、そして最後は全部を取り崩す、そういった一連の動きに手先として組み込まれ、着手部分のチョッとしたケチを付ける事を、吉田さんと鈴木さんがしたと言う事です。 相対性理論は間違っている、という主張に代表されるトンデモは、これをただの愚劣だと思ってる人が多いだろうけれど、その実は相対性理論を正しいと分かっていて、あるいは分からないけれど正しくても構うものかという態度で、間違っているという主張で白を切り通す、凶悪な政治運動です。 その良い証拠が、優秀な理論を間違っていると言って批判した時よりも、そう主張する人をコテンパンに論破した時の方が、犯罪によって襲われる心配をしなければいけないとあなたも思うであろう事です。 遊び、という言葉がそろそろ出始めた事は、私の学問のレベルが学問としては不十分だという評価を払拭するレベルにもう何年も前から達しているからです。 私は自分の学業の収入で自分の一生分の消費の支払いを済ませました、という理屈を承認されなくするのが目的です。 2006年春季大会までは私や鈴木貞吉さんの講演も、18pS12-13から18pS12-15の様な形で非トンデモ・セッションの末尾に組み入れられていた。 ところが2007年春季大会からは私の発表は鈴木貞吉さんらの発表とセットで隔離されるように成った。 日本物理学会の2006年秋季大会では私は全く発表しなかった。 2006年秋には私はハワイでの日米合同学会大会で文法物理学の概略を提唱した。 日本物理学会での私による文法物理学の講演は2005年秋季大会に開始され、2006年春季大会での私の講演内容は「量子論の新文法」だった。 私が日本物理学会大会での講演を開始したのは2003年春であり、素粒子論領域での私の発表は2006年春季大会で4回目だった。 明らかに私の文法物理学を見られるのが不都合で、私の発表が人目に触れ難い位置に移動されトンデモというレッテルを利かせて隔離しているのが分かる。 2007年は年次大会が秋でした。 2003年春以来今まで私はそんな事は他に一度も経験した事が有りません。 そして今回2019年秋季大会では、隔離される前のプログラム構成がまだ続いている事が分かり、隔離が私を狙い撃ちしたものである事が分かりました。 それに加えてトンデモセッション講演者の工作員化という事も行なわれている、と私は考えています。 今回は(も?)、吉田さんは、私の発表開始予定時刻に成ってから座長に話しかけて私の発表開始を遅延させた。 九州で講演した時に帰路、鈴木貞吉さんと一緒に寿司屋に入りました。 そこで鈴木貞吉さんが私の勘定まで払おうとするのを私が断って私が自分の勘定を自分で払うと鈴木貞吉さんは困って私に「それじゃあ意味が無いよ」と言った。 あらま、ウッカリさんねえ、ホントのこと言っちゃって。 これは鈴木さんが私を餌付けする責任を負わされていた証拠です。 その時の私は、鈴木さんは違ってもその事で私を悪く言う人が他に居るものなんですよ、と説明しておいたが、リング上で対戦するボクサーの片方が他方に利益供与するのはまずいでしょう、という理屈も説明しておくべきだったと後で思った。 出店直後に見知らぬ工作員が至近距離をコソコソ逃げていくのが見えた。 もっと何年も前に岡山大学で学会大会が開催された時には、私は購入した弁当を鈴木貞吉さんと一緒に屋外のデッキで昼食として食べたが、その時に鈴木さんは私に自動販売機の缶飲料を贈与しようとした。 その時には幸い私は自分で飲むための飲料を別に持っていたので、鈴木さんから缶飲料を贈与されると同時に、とっさに自分の持っていた自分用の飲料を鈴木さんに贈与し、交換という形に持ち込んで事無きを得た。 私が弁当を購入するのが習慣化すると学会大会開催大学構内での弁当の販売が無くなった。 青森に行った時には、帰路途中で私の感覚では支払い額を推測できないタイプの飲食店に入ろうと鈴木さんに誘われたが、私が反対したので入らなかった。 その時にはそれを私は鈴木さんの世間知らずによる物だぐらいにしか思わなかったが、あれは鈴木さんによる狙いすました仕掛けだったという事が今ではハッキリと分かる。 だから私は、関西電力対森山の話も、関西電力が百パーセント被害者、森山が百パーセント加害者だ、という認識です。 脅して金品を奪うと罪に問われるが金品の受領を強要しても罪に問われない、という事なら、それは法律の欠陥であり、早急な是正が必要です。 そして、この欠陥を犯人は無くてはならないものとして悪用しており、従がって、直接の贈与者は手先に過ぎません。 森山は何故スピード出世できたのか、何故そんなに多額の金品を準備できたのか、それは森山を手先として使う上級犯が存在するからですよ。 鈴木貞吉さんが指示されなくても自分でこの手口を考え出すなんて事が有りますか。 芸能人やスポーツ選手に来ると言われているタニマチも、これですね。 犯人は自分達よりも偉くなりそうなヤツを見付けては利益供与する事によって自分達より偉く成れない様にするわけです。 無償贈与については私は、幾ら受けても見返りは一切なし、どうもありがとうございました、へ?他に何か有るんですか?という態度を取る事が全く平気です。 しかし、そういう態度を非だとする屁理屈に基づく犯罪の被害に遭わない様にする為の用心としては、贈与は受けない、という態度を取らざるを得ません。 2015年春には東京で学会外の旧友に1万円程度の支払いを借りさせられました。 これなんかも私は嫌だったけど相手が危険人物ではなかったので固辞はしませんでした。 自分で無理なく払えるものを他者に支払わせても何の得にも成りません、嫌な思いをするだけです。 子供時代に出世払いで良いよと言われた件については、契約がまだ失効していない事を肝に命じておきたいけれど。 また、学生時代に私がお願いをして友人から千円を借りて、その後で私がその事を忘れてしまい、その友人が思い出す様に私に促したが言い難かったらしく具体的な事を言わないもんだから私がなかなか思い出せなくて辛くも思い出して返済した、という事が有ったが、これなどは全面的に私に非がある。 2003年には岡山洋二からのメールでのコンタクト、2004年には渡邉郁夫からのメールでのコンタクトが有った。 これらについては、2019年12月@日記および2020年01月@日記に書かれています。 私の発表内容のレベルがトンデモのレッテルをはがすに留まらず頂を取る域に達し、また私が自分のホームページに発表予告記事を掲載する様に成ると、まず、先行発表を操作する事によって、私の発表の実際の開始時刻を私が予告した時刻と食い違わせる工作が始まった。 遅延が生じる場合はほとんど被害しない。 しかし、先行発表が取り消されて私の発表時刻が繰り上げられると、予定時刻に来た聴講者は私の講演を視聴しそびれる。 その事が狙われる様に成ったのだ。 そこで私は「先行発表の関係で私の発表時刻がずれる場合が有ります」という文言を予告記事に付け加える様に成った。 すると今度は、発表会場を臨時変更される様に成った。 それは2012年秋季大会の事です。 2012年秋季大会の報告記事に会場の臨時変更の貼紙の写真が掲載されています。 写真撮影禁止と言われ始めたのは、この貼紙の写真撮影を境にです。 それで私は「会場が変更される場合も有る」という文言も予告記事に付け加える様に成りました。 今回は文系のキャンパスで開催、聴講者が偵察および弾着観測工作員のみの完全ボイコット作戦だった事から、見に行くなという脅迫も行き渡っていた様です。 全て私の講演を出来るだけ見られない様にする工作です。 見られたら困るからです。 何年か前まで学会大会会場を引き受けてくれる大学が激減という時期も有りました。 会場引き受け大学による集団ストーカー工作が出来ないのなら引き受けない、誰が引き受けるもんか、という事だと思います。 今回の様に学会大会開催大学構内の治安が著しく悪化したのは、引き受けてくれる大学の数が復調の兆しを見せ始めたのを境にです。 それは丁度わたしの発表内容の顕著さが犯人にとって耐えられないレベルの物ばかりに成った時期でもありますが。 2015年春からは講演概要集が紙版からDVD版に変更され、それに伴って頒布時期が遅化されました。 不正コピーを防ぐ為だ、とか何か理由が付けられていましたが、自分の発表が頓挫すれば自分の講演概要がDVDから削除されるのではないかと、私は恐れています。 そういった事を狙っての遅化だと思っています。 今のところは、そういう恐れは無い、という通知も見た気がしますが、これも録音や撮影と同じでサラミスライス式に将来されるのではないかと懸念すべきです。 紙版の頒布時期は大会初日より前でしたが、DVD版の頒布時期は大会最終日より後です。 学会大会会場に講演概要集全体を携行できないなんて、おかしいでしょう、これ。 大会会場で講演概要集を見ながら、どれを聴講しようかなあ、と選んで聴講するのが当たり前じゃないですか。 その当たり前の行ないを私がするのが不都合だ、という思惑も有ったのだろうと思っているよ。 今回は私の講演は会期の最終日でした。 自分の発表が終わるまでは自分の事で頭が一杯だから、これだと他の発表に口出しする心理的余裕が無くなります。 電子機器のバッテリーを節約する必要も自分の発表が終わるまでは低下しません。 それに加えて、会期初日から私の発表直前までの工作機会の多さを多段妨害犯罪の換算装甲厚として使う事が出来ます。 つまり、私が初日から現地入りするなら発表まで辿り着くのが困難だ、という事です。 私の学説をトンデモだとするデマの風評被害を私がかなり良く払拭し得た近年では、ごく希にですが、学齢期の若者を装った、あなたの文法物理学で人生狂っちゃいそうだなあ、というメッセージが電子メールでだったか、私の掲示板にだったか、届く事が有ります。 これなんかも、私の足元にも及ばないライバルが私に向かって、お前のやってる事は若者に進路選択を誤らせる公害の流布だぞ、というケチをこの期に及んでまだしつこくつけている物です。 直接そう言うわけには行かないから言葉を変えて若者が発した言葉を装って、あんなメッセージを送って来るわけです。 確かに現状では、私の文法物理学をテーマにしたのでは修士号も博士号も与えてもらえないだろうし、博士号取得後の自分の研究テーマとして私の文法物理学を選んでも不遇だと思います。 しかし、それは私の文法物理学が将来性の無い物だからではなく差別されるからです。 学説の的中見込という点では、私の量子歴史理論と同程度でしかない研究テーマにも、その研究を職業として認めます、というお隅付きが与えられている物はたくさん有ります。 例えば、クォーク理論が成功する前には坂田模型という物が流行して盛んに研究された(日本では主流とまで言われたのではなかったか)と聞きます。 坂田模型は空振りに終わりました。 だからそれを研究していた人は人生の大切な一時期を棒に振ったかと思いましたが、軽い解説記事をサラッと読んでみると、坂田模型の研究がクォーク理論にヒントを与えた様だし、坂田模型の研究で培われた学力はクォーク理論に追従するのに十分だったろう事が分かりました。 坂田模型は私が思っていた程にはクォーク理論とかけ離れた物ではなかった様です。 団塊の世代じゃないけど、大勢で同じテーマを研究すれば、その政治勢力としての力によって、そこにおカネが支払われ、それで食べて行けるし、能力不足な人でもその流れに便乗して紛れ住む事が出来、さらに、そのテーマ全体が失敗に終わっても、一緒に沈む人数が多い分だけ辛く有りません。 私の文法物理学には、そういう事情が無い事に加えて、認めまいとする圧力が働いています。 しかし、それは単なるエコヒイキ差別ですから、未来を作る現在の若者が正して行って下さい。 坂田模型を研究する研究者が人数の多さや職位に物を言わせて坂田模型を不当に過度に有望視させた、という事は無かっただろうと思います。 湯川、朝永に続く国産の大成功をもう一度という思い入れは有ったにせよ当事者の正直な感じ方として坂田模型が有望に見えたのだろうと思います。 しかし、それが結局ハズレ・クジだった事からも分かる様に、坂田模型は的中する見込みが私の量子歴史理論と同程度でしかなかったわけです。 当時坂田模型をテーマとすれば修士号や博士号を取得できたが今私の量子歴史理論をテーマとしたのでは修士号や博士号を取得できないのでは、それはエコヒイキ差別以外の何者でも有りません。 そして、そういうエコヒイキ差別を無くす事が未だ出来ていない、というのが物理学界の公正さの現状のレベル(低いという意味で)なのです。 もっとも、数理科学ではない分野はもっと劣っていると聞きますが。 (査読という名目でも)講演を検閲しない、という日本物理学会の大会運営は、その意味では相対的に先進的です。 しかし、個々の法律はその犯罪が存在する証拠である様に、講演を検閲しないという規則が置かれた事は講演を不当に妨害する犯罪が有る証拠であり、その犯人の残党は現在の物理学会の中にも未だ残っていると見るべきでしょう。 量子歴史理論に限れば的中見込は怪しいけれど、文法物理学という大テーマつまり法則ではなく文法を研究するという路線は間違いなく、法則を研究するこれまでの物理学の次に来る物理学です。 その意味でクジが外れる心配は無いと私は思っています。(安全パイを選べと言うつもりはない。リスクは負わないという態度で学者と言えるのか) また、大き過ぎる事は誰にでも言える、の範疇に属する物でもなく、私が言い出さなければ百年後にもまだ言われていないでしょう。, その証拠に、文法から物理が飛び出すなんて、そりゃ見ものだ、という冷やかしや、物理学とは法則を研究する学問だと思うけどなあ、という意見を耳にしました。 私のアイデアを否定する発言ほどには証拠能力が有りませんが、お褒めの言葉も有りますよ。 →28日@2016年03月@日記 そう成ると私の文法物理学に私以外の人名を冠して文法物理学という名称も変更して運用しようとする犯罪が出て来がちなので、心ある若者はそれを阻止して下さい。 相対性理論がアインシュタインの相対性理論であるのと同様に文法物理学は宇田雄一の文法物理学なのです。 これは単に私個人の権利の問題であるだけでなく、何人も何国も史実を歪める事は許されないという社会正義の問題でもあります。 私の文法物理学よりも古い物理学は法則物理学であり、法則物理学内で頂点を極めた理論は将来、良くてクォーツ時計登場後の人にとっての機械式時計のトゥールビヨンのごとくに成ってしまい、悪くするとクォーク理論確立後の人にとっての坂田模型や相対性理論確立後の人にとってのエーテル理論の様に成ってしまう事でしょう。 ただし、物理学をそこまで発展させる必要が有るのか、もう十分じゃないか、という疑問は物理学外から呈せられるでしょうし、私自身これからの時代は学問の活気は物理学よりも心理学(精神科医療に悪用される様なインチキの打ち出の小槌ではなく近年のディープラーニングの研究の延長線上に有る研究)の方に移って行くのではないか、と思っています。 また、私の文法物理学を専攻した場合にも修士課程や博士課程で学ばれるのが定番に成っている事も一応習得しておいた方が良いです。 物理学をこれ以上発展させる必要が有るのか、という問題は、何時までにどこまで、という問題だと思います。 千年経っても万年経ってもずっと今のままで良いわけがありません。 いつの日か人類もUFOを飛ばして他の天体の生物に宇宙人として目撃されるには、物理学を発展させる必要には限りが有りません。 それは必要な事ではないかもしれませんが、人類を滅亡しなくする為には、物理学を現行の物理学とは根本的に異質なレベルにまで進歩させる事が絶対に必要な事は確かでしょう。 しかし、そんなに急ぐ必要は無いではないか、という事なら言えるかもしれません。 ただ、これについても、必要に成ってから研究し始めたのでは遅い、出来る時にやっておかなければ狙って出来る事ではない、理論物理学ならおカネは掛からないのだから発展速度も無制限に追求すべきだ、と言えるでしょう。 私の母宇田眞智子がテープ起こしの資格を取得した事が有った。 これは非常に困難で、その為に、テープ起こし技能を獲得させますと謳った教育業者ないし教材販売業者が告訴されて敗訴した、といういわく付きの種目です。 つまり、そんなの難し過ぎて試験に合格できるわけ無いじゃん、という言い分が裁判で認められた案件なのです。 それに宇田眞知子は辛抱強く取り組み試験に合格して資格を取得したのだったと思う。 いつ見ても宇田眞知子がこればかりやっている時期が有った。 それで、宇田眞知子にもなかなか見所が有るな、見直したよ、と私は思ったのでした。 しかし、これは私の講演の録音内容を犯人に有利、私に不利な方へ歪めて文字に書き起こす事が目的だったと私は疑っている。 実の母親が聞き取ったので正確です、しかも資格も持ってます、という理由付けで証拠の捏造が図られた疑いが有る。 私の講演は常に何者かに録音されていたのだろう。 そして私による録音が禁止されたのは、それがズボシだったという事ではないか。 私が自分で録音し正確な書き起こしをする様に成ったのは、それへの防犯措置としてでもあった。 宇田眞知子はテープ起こしを今はもう全くしていないが、しなく成ったのは丁度私が自分で書き起こす様に成った時を境に、ではないかと思う。 その推測の妥当性を増す事実として、私の父宇田靖(おさむ)には「いいですか」という言葉をめぐって以下の不審時が有った。 宇田靖はテレビに出演中の人が「いいですか」と言うのを「いいですか、いやしくも・・・というからには」とか「いいですか、そもそも・・・なのだから」という風な意味つまり分かってる人が分かってない人に向かって自分の知識の優越を言葉に反映させながら教え諭している、と解釈して私の前で得意げに、それを思い上がりだとけなした。 それを聞いた私は、自分の事を言われたわけではないけれど、そういう方法によって間接的に私の態度をけなす行為という物は他にもあるので、念の為に、私の場合を説明し、だから必ずしも宇田靖の言う通りとは限らない、と言い添えた。 私の場合、話し相手の発言が終わり次第自分が発言開始しようとします。 そこで、あなたの発言はそれで終わりですか?終わりなら私が発言を開始しますよ、という意味で「いいですか」と言って確認します。 相手が作業中で私の話を聞けない状態の時にも、そうです。 作業が終わって話を聞ける状態に成りましたか?という意味で「いいですか」と質問します。 それを宇田靖に説明すると宇田靖は「おかしいなあ」と言って直ぐにその場を立ち去りました。 誰かに連絡しに行ったか、何かを確認しに行った様でした、それも急いで。 因みに、私の「いいですか」という質問は、私の発言開始のタイミングの許可を得る為のものであって、発言自体に聞き手の許可が必要だという考えに基づく物ではありません。 発言者が発言直前に周囲の人に発言してもよいか質問する事によって、発言には許可が必要だ、という有りもしない義務が有るかの様に振舞う事を私の近傍で繰り返し、その様な義務をでっち上げようとする行為も多く見ました。 する自由が有る事を「してもいいですか」と質問する行為についても同様です。 今回の学会旅行では、往路東京駅で新幹線の乗り換えの時に、切符を入れたのに改札が開かず通れない、という集団ストーカー犯罪被害が有った。 これは、私に閉鎖器を無理に押し開けようとさせて「何をするんですか」と言い掛かる事を狙った物です。 私は無理に押さず職員に声を掛けました。 すると、私の声に対する職員の反応は全く見えず、直ぐに改札の閉鎖器が開きました。 職員は介入しなかった、という体裁を作ろうとしている様でした。 2011年秋に湯楽三昧という滞在施設で類似の集団ストーカー工作を受けました。 それは、カバン置き場で私にカバンの置き方の改善の必要性を感じさせ、それが難しい様に事前にカバンを配列しておく、という物でした。 私が自分でカバンの置き方を改善していると職員が「他客のカバンに損害を与えない様にもっと配慮して下さいよ」という注意を私にした。 湯楽三昧も東京駅の近くに在った。 この手口は東京の地場性の物ではないか。 2019年09月16日東京駅改札では、手の届く位置に「こども」と書かれた大きな白いボタンが有りました。 それを押すと閉鎖器が開いたのではないか。 大人の私にこれを押させて、不正を行なった、という難癖を付ける事が狙われていた、とも考えられます。 私の発表についてのご意見ご感想はお問合せに記載されている連絡先にお寄せ下さい。 |
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最終編集2023年12月30日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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