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2023年12月31日(日曜日)
2016年問題の資料

時間が無いので、資料を展示・陳列するのみとし、説明は後日このページへの追記などの形で行なう事にします。

断薬すると精神病が再発する、という法則性が有ると医者が言うので、その法則性を利用すれば、私は元から精神病ではなかったんだ、という事を証明できる、という事に多分2009年に気付いた。
大林正和医師は最初、断薬すれば半年ぐらいで再発する、と言っていたが、私がその証明方法を提案すると、もっと長い場合も有る、と言い出した。
私が「では最長ではどれだけか?」と質問すると、大林正和医師は「長くとも2年」と答えた。
2010年01月01日より服薬完全停止。
その後、2023年末までには、大林正和医師は「完治する場合も有る」という主張まで主張を後退させた。
「ほうら変わったぞ」の一例です。
完全断薬は2015年秋まで続いた。
2015年秋に私は服薬していた時代の事を懐かしく思い、また飲んでみたい、と申し出た。
精神医学的に必要だと判断して申し出たのではなく、嗜好品として欲しいといった程度の理由で申し出たのだった。
それ以前に
ソチオリンピックの時期に、大林正和医師から薬を飲むように頼まれた事が有る。
その時に大林正和医師は、私の事が今民生委員まで上がっている、このまま行くと
措置入院に成る可能性がある、服薬再開はそれを防ぐのに有効である、という風に私に言った。
私は、その頼みを断った。
その事を2015年秋に服薬再開したいと申し出た時に私は大林正和医師に言ったが「覚えていない」などの言葉で否定された。
これも私が録音を必要と考えた理由のひとつです。
2015年夏までの薬のレシートが無くなっている、
不法侵入の結果だろう。
2000年にはジプレキサという薬が不適合であったために苦しんだ。
2016年にはエビリファイという薬が不適合であったために苦しんだ。
どちらも、セロクエルに切り替える事によって改善した。
セロクエル以外は飲めない、と感じている。
今思うと、ジプレキサもエビリファイも医師が悪意を持って処方したようだ。
2016年不調に伴う服薬も2019年12月19日には終了し、2019年12月20日から2023年12月31日まで私は薬を全く飲んでいない。


2016年05月の心調の崩れ
2015年09月04日エビリファイ3ミリ1錠×14日・・・単発試用
2015年11月27日クエチアピン(セロクエル)・・・単発試用
以上については継続しなかった。
セロクエルについては、1回しか服用しなかった。
2015年12月25日~2016年04月21日エビリファイ3ミリ1錠×14日
2016年04月21日に受け取った薬は、全く服用せず、2016年05月12日に返却しようとした。
2015年12月25日~2016年04月21日の期間は、服用し忘れた日も多いが、基本的に継続服用した。
2016年04月21日に受け取った薬に全く手を着けなかったのは、それまでに受け取った薬の中の服用し忘れた分を服用したから。
したがって、最終服用日は2016年04月21日よりも遅い。
心調の崩れに気付き、服用を停止した。
その時期は、おそらく2016年04月下旬。
キチンと服用を継続し始めたのは学会から帰宅した2016年03月下旬だった可能性もある。
不調期間 全体として、2016年04月の何時頃からか、心調が急に悪く成った。
自覚的キッカケは、宇田方程式の厳密解からファインマン経路積分が出なかった事のショックと自信喪失だったが、客観的には、それではなくエビリファイのせいである可能性が大きい。
2016年02月17日~
スカパーでスターデジオの放送を聴いていて、Burning House, Medicine, Sunrise Sunsetに感じ入ったのでメモした。
このうちの、Medicineという曲からは、たとえば青春時代の様な人生の夏みたいな時代の思い出が淡く蘇る感覚を喚起され、その点を評価した。
その時には気付かなかったが、エビリファイの作用でそう感じた可能性がある。
Sunrise Sunsetからは、日が昇り、日が沈む、という事の早送りでの繰り返しで月日が流れて行く様子を感じ、胸の詰まる思いがした。
Sunrise Sunsetに感じたのは、深夜就寝中だった。
Burning Houseは単純に音楽趣味だろう。
70年代J-POPなどを聴いていた期間もある。
その期間には、夜間就寝中にベッドに仰向けに寝て、目をつぶって、福山市沖野上町で暮らしていた頃の家の2階の2段ベッドの下の段に居るつもりに成ってみたり、した。
つらくはなかった。
たぶん2016年04月12日
父に自家用車に乗せてもらって、笠岡ベイファームまで行って昼食→高速道路で東進→北進し、新見の少し南まで行って、そこで折り返して帰宅した。
新文法からファインマン経路積分が出ない事に気付いた後かどうか不明。
2016年04月14日
www.GrammaticalPhysics.ac > Newsに、宇田方程式の厳密解からファインマン経路積分が出なかったのでダルマ公式を格下げした、という記事を書いた。
この少し前に、宇田方程式の厳密解からファインマン経路積分が出ない事、に気付いたと思われる。
その時期は、宇田英才教室>日記>2016年04月13日によれば、2016年03月28日から2016年04月13日までの間のいつかだ。
2016年04月01日~2016年05月02日夜間のみ心調悪
スカパーでClassica Japanを受信していた期間。
夜間就寝中にClassica Japanの放送をBGMにして寝ると、耐えられないぐらいに暗くて悲しい気持ちに成った。
たまりかねて、就寝中のBGMとしてClassica Japanを使うのをやめた。
特に、ショパンのノクターン遺作が、私の一生を悲しく歌って居るかのように感じられ、耐えられなかった。
曲の終わりの部分が、私が死んで居なく成って行く部分を表現している様に感じられ、寂しく悲しくつらく耐えられない気持ちに成った。
クラシック音楽は、深い含蓄を持っているので、自覚的には好きでなくても、心に響く、という事なのか、という風に考えた。
しかし、これもエビリファイのせいだった可能性が大きい。
2016年05月は、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルを視聴。
2016年04月28日頃。
ビデオ>マカロニウエスタン>荒野の1ドル銀貨の序盤の主人公が緑の草原を馬で走るシーンで、緑の萌え感に圧倒され、それ以上見続ける事が出来なくなった。
たぶん2016年05月05日心調非自覚
ゴールデンウィークだから、という事で、父を誘って、ドライブに連れて行ってもらった。
これは、心調が悪いから連れて行ってくれ、というものではなかった。
2016年05月12日心調悪
仁風荘への通院は、ほぼそれまで通りに行なえた。
その際に、仁風荘での受診時に大林院長に、心調の崩れを報告し、服薬を停止した旨を申し出た。
しかし、その時に報告した心調の崩れの内容は、物理学の研究における失敗を原因とした自信喪失であり、その時には、薬が原因だとは認識していなかった。
2016年05月15日
午後9時から50分間、母屋居間でNHKスペシャル「天使か悪魔か・羽生善治・人工知能を探る」を見た。
その後自室に帰室し、YouTubeで人工知能の専門家のレクチャーを見て、自分のベッドで寝た。
これは、心調の崩れが小さい証拠だ。
2016年05月20日心調不明だが非極悪
金融関係業務(引落予定額確認、残高確認、資金移動)を実行している。
これを実行できるぐらいに正常な心調だったと思われる。
2016年05月2?日まで。心調悪
夜、父と一緒にUFOのDVDを見ながら談話して、深夜2時頃就寝し、午後1時頃起床する、というパターンが確立していた。
そういう日が10日ほどあったのではないか。
2016年05月初旬からずっとだったかもしれない。
この期間は、深夜2時頃まで待たないと、心調が落ち着かず、自寝室のベッドの上に行けない気持ちだった。
父に人生相談し、結婚する人生に対して私が深い喪失感を持っている事に対して、結婚しない人生だってある、という風に父から言われ、心調が急に好転し、自寝室に寝に行けた、という日が、最初の方にあった。
その日は、話の話の内容が効いた、と思ったが、その後段々と、薬のせいだ、という考えの占める割合が増えて行った。
2016年05月23日午前4時に録画されたUFO番組の視聴を最後に、UFO番組の録画を父と見る習慣は一旦終わった。
新規録画が発生しなかった事と、心の余裕が無くなった事の、両方が理由だ。
2016年05月24日?
午前6時に自寝室脇の井戸ポンプが起動された為、午後1時まで寝る事が出来なく成った。
この日は、就寝時間が、深夜2時~午前6時までの4時間だけと成った。
これを境に、自寝室のベッドではなく母屋居間の床で寝る様に成った。
就寝時刻も、深夜2時より早まり、深夜0時ぐらいまでには寝る様に成った。
就寝時心調は就寝可能なレベルだが、午前8~10時頃の起床時心調は、寝続ける事が出来ないレベルだ。
私(雄一)が母屋居間床で寝る様に成ってから、井戸ポンプは起動されなくなったらしい。
井戸ポンプが稼動していないのを近寄って確認した日もある。
2016年05月24日?心調極悪
昼間は、自宅庭で母と父の間を往復しながら足踏みをして両者と対話して過ごした。
その際に、泣いたり、苦しそうな声を出した。
そのぐらいに、心調が極悪だった。
この日は大便した。
2016年05月25日?心調極悪
たぶん、夕方から夜間にかけて、父にドライブに連れて行ってもっらった。
尾道方面(初回)。心調が悪いから連れて行ってくれ、と要請したドライブ。
帰宅後UFO(ナショジオで録画)のDVDを父と一緒に見たのはこの日ではないか。
それまでの様に楽に見る事が出来なかった。
冒頭の部分では、UFOの様な事があると、社会の基礎が怪しく感じられ不安だ、と感じた。
UFOの話をするな、という人の気持ちが分かる気がした。
世の中には精神の不安定な人も居て、そういう人への配慮として言っているのかな、という意味でだ。
そう感じたのは、心調極悪だったから。
2016年05月26日心調極悪
仁風荘への通院は、父による自家用車での送迎と成った。
自力で井原鉄道に乗って通院する事が不可能なぐらい容態が悪化していた。
仁風荘での受診時に大林院長に報告した心調の崩れの内容も、2000年頃の著しい不調を引き合いに出して説明するほどの、著しい不調だった。
診察後、父が迎えに来るまで待合室で待っている間、足踏みをしていた。
足踏みをしなければ過ごせないぐらいに心調が悪かった。
診察時には、平静だった。
2016年05月26日?心調極悪
昼間は日用自転車で、坪生→笠岡→日本鋼管という風にサイクリングした。
サイクリング中の心調は、悪かった。
日本鋼管正門前で、雨が降り出したので、父に車で迎えに来てもらった。
2016年05月26日心調極悪
夕方、父が車で「まが医院」に通院するのに同乗し、そのままドライブに連れて行ってもらった。
ドライブ中、井原のジョイフルで食事した。
和風ハンバーグ+和食セット+ライス(おかわり)を注文し、完食した。
食事中は心地よく感じた。
食後駐車場で視覚異常が感じられたが、つらい気持ちには結び付かなかった。
ドライブコースは、東進→南進→鴨方→西進→北進だった。
帰宅後、自力で入浴した。
2016年05月27日心調極悪
昼間は日用自転車で、芦田川→箕島→日本鋼管→茂平→北進という風にサイクリングした。
サイクリング中の心調は、悪かった。
夕方から夜間にかけて、父にドライブに連れて行ってもっらった。
182号線北上→東城→庄原に向かう→途中で上下に向きを変える→上下→府中→駅家ジョイフル→帰宅
駅家ジョイフルでの食事中の心調は、かなり悪かった。
出店時、父が支払いをしている間、私(雄一)は足踏みをしていた。
2016年05月28日
母屋居間床で私(雄一)が寝ていると、父の自動車付近に岡井が座り込んで、近所の婦人数人と談話口実で声を出し、私の睡眠を妨害した。
私が起床し、自室に行こうとすると、自宅脇の道路を北進するトラクターが見えた。
トラクターの男は岡井に挨拶した。
自室に移動する途中でポンプが稼働中である事を確認した。
自寝室北窓から確認すると、発音位置に移動した後のトラクターの発音は控えめだった。
このページをここまで執筆した時点(午前10時42分)では、心調がどの程度悪いかよく分からない。
何かに熱中して作業している間はつらい気持ちに成らない、という法則性がある。
また、日が昇るに従って心調が悪くなる、といった法則性もある。
過去に、○×君が「夕方に成ると惨めな気持ちに成る」と言っていたのを思い出す。
2016年05月30日
夕から夜にかけて、父に自家用車でドライブに連れて行ってもらった。
これは、ここまで毎日してもらっている。
2016年05月30日は、箕島と笠岡干拓地。
ドライブ中、心調は悪かった。
2016年05月31日心調急好転
午前6時朝食米1合+マグロフレーク。
午前10時まで新道歩道を歩行。
正午昼食米1合+豆腐。
父の仕事場のソファーに座って13時頃から16時頃まで、辛い気持ちが出て来ない姿勢を取って、やり過ごす。
この方法は、2016年05月29日頃から始めた。
上体を微後傾させ首を引き後頭部を背中に背負う感じにして、頭蓋骨内の髄液を背中にバキュームするつもりを持つ。
16時頃母屋便所で大便。(前回の1週間後)
大便後、心調が悪くない事に気付いた。
午後6時夕食米1合+シーチキン+なま卵
夕から夜にかけてのドライブは、2号線東進で岡山あたりまで行った。
ドライブ中心調は良好だった。
10時30分頃帰宅。
帰宅後夜食米1合+納豆(就寝中に空腹が生じて不安に成り足踏み状態に成るのを防ぐため)
2016年06月01日
朝5時台起床。
起床時、心調不良で、寝続ける事が出来ない状態だったが、足踏み状態ほどには悪くなかった。
午前6時朝食米1合+マグロフレーク。
2016年06月07日
不調に耐え切れず、臨時の診察をしてもらい、セロクエルとロヒプノールを出してもらった。
前日までは服薬なし。
2016年06月09日
朝セロクエル25 + 寝る前セロクエル25 + 不眠時ロヒプノール1
を7日分出してもらった。
2016年06月16日
セロクエル25を朝2+寝る前2
アタラックス25を朝1+寝る前1
マグミット330を寝る前3
ピコスルファートナトリウム2.5を寝る前2
以上を7日分出してもらった。
診察前には、じっとしていられず廊下を歩き回っていた。
診察時には「一切の事に嫌気が指している」「物理もダメ」「音楽もダメ」「食欲はある」「異性への興味はある」と答えた。
2016年06月19日
終盤のみ好調。
夕父ドライブ中にモーツアルトのK466を気持ちよく聴く事ができた。(不調時は音楽やラジオの一切に拒絶反応)
朝食後下痢便。
2016年06月20日
前半不調。後半快調。快調の内容は以下。
父が「雄一がテレビを見てコメントしてる」と言って驚いた。(前日まではテレビに拒絶反応)
マスターベーションをした。(不調時には心理的な理由で出来ない)
2016秋学会に出席できそうな気がし、また、出席したい、という欲望が生じ、翌日から準備を再開しよう、と思った。
(前日までは、2016秋学会への出席は、旅程への不安から、取りやめにしよう、と思っていた。)
株の郵便物を停止してもらう必要を感じなくなった。(前日までは、処理し切れなく成る、と感じていた)
夕食で久しぶりに生卵+納豆+米を食べた。(前日までは、心理的な意欲減退が原因で、納豆+米で食べていた。)
朝食後下痢便。
夕父ドライブは用の江→農面道路東進→鴨方→国道2号線西進→国道182号線北進→486東進
ドライブ中も心は快調だった。
2016年06月21日
起床直後不調。朝食時好調。朝食後服薬後睡眠時不調。
テレビ録画でクローズアップ現代を見ながらパソコンでこのHTMLページに加筆した。
その間は心調好調。
朝食後大便なし。
昼食後仮眠で不調化。
午後ネットでエビリファイを検索その間好調。
夕父ドライブは、神辺郵便局脇を北上→三谷→東進→高屋→東進南進迷走→313西進→486帰宅
2016年06月22日不調。
朝食後下痢便後服薬後13時まで仮眠。
13時昼食後1時間程度仮眠。
15時台このページへの加筆。
日付不明 食欲の減退。
炊飯量が、まず3合(1.5合×2食+ホットケーキなど)から2合(1合×2食+ホットケーキなど)に減り、さらに、2合を食べきれないので父に1合食べてもらった事があった。
もっと行くと、2016年05月24日頃からは気持ちが辛くて食欲が出ない、という状態に成った。
その時期には、朝から午後6時まで一食も食べてないのに、空腹感を感じず、午後6時頃になってようやく空腹感を感じた、という具合だった。
性欲の減退。
女を魅力的だと感じなく成り、女に魅かれる気持ちが無く成り、異性に目覚める前の子供だった頃の感じ方が蘇った。
これを更年期の男性版だと勘違いした。
2016年04月には既にそう成っていた、と思う。
空手意欲の減退
めんどうくさいのでまたにしよう、と思うようになった。
昨年春は空手ばかりしていたが、今年はデスクワークばかりしている。
2016年05月23日頃からは、空手の練習を無意味で48才にも成ってやる事ではない、とすら思うように成った。
著しい不調が始まる少し前に、起床時刻が13時頃である事が多かった。
自分の意思で遅くまで寝ていた時期だ。
その頃に、起床直後の気分が優れず、それを起床時刻が遅いせいだろう、と思っていた。
起床時刻が遅過ぎて気分が優れない、と感じた事は、2009年以前にもあった。
不調の内容 程度を表現するには、恐怖体験という言葉が必要なレベル。
じっとしていられず、立って足踏みしながら歩き回る。
辛さのあまり声を出す事がある。
泣き叫んだときがある。
新緑の萌え感に胸が詰まる思いがする。
過去の記憶が蘇るから。
宇田方程式の厳密解からファインマン経路積分が出なかった事のショックと自信喪失。
自分が選択しなかった人生(結婚して子供を育てる人生)への喪失感。
想像結婚生活の思い出の切なさ。
想像結婚生活で妻を大切に出来てない事への罪悪感や焦燥感。
完全無欠な人生ですら避けられない「人生のはかなさ」への寂しく悲しい気持ち。
過ぎ去った過去への喪失感。
時間の経過に対する過敏な切なさ。
浴室や自室に入るのを怖いと感じる。
ベッドの上の空間を切な過ぎる空間と感じ敬遠する。
自室を忌まわしい場所だと感じる。
20年間時間の無駄遣いをした場所。
父が死んだ後の生活の心配。
自分が死ぬときの事の心配や恐怖。
浦島太郎に成った様な気持ち。
背中がほてり、そのほてりによって後頭部がボイラーの様にガンガン焚かれる様な感じがする事がある。
仰向けに寝ると背中の保温が良く成って、これが生じるので、仰向けに寝る事が出来ない。
空腹時に空腹感が感じられず、空腹感が別の心理不安に変換されて感じられる。
考察 上体を微後傾させ首を引き後頭部を背中に背負う感じにして、頭蓋骨内の髄液を背中にバキュームするつもりを持つと心が落ち着いた。
セロクエル服薬開始後は、このポーズを必要とする事は無くなった。
自分にとって不都合な事を考えるから心調が悪くなるのか、心調が悪いから自分にとって不都合な事を考える事に耐えられないのか、という問題。
心調が悪くない時に同じ事を考えても、足踏みになる、みたいな事は無かった。
感受性(同じアイデアから強すぎる印象を受ける事)なのか、アイデアなのか?
脳内の諸物質の濃度などによって規定される心の感受性なのか、思い浮かんだ事が良くなかったから辛いのか。
エビリファイが不調の原因だったら、不調の本質は感受性だが、宇田方程式の厳密解からファインマンの経路積分が出て来ない事に気付いた事が不調の原因ならば、不調の本質はアイデアだ、という事に成る。
感受性を水位に喩え、アイデアを底から上に突き出る竹の子に喩える。
感受性が悪い(過敏だ)と、水位が低く、竹の子が水面上に出てしまい、これが気持ちの辛い状態だ。
この場合、本当の原因は水位が低い事なのに、水面上に出てしまった竹の子が原因だ、という風に誤解する可能性がある。
気持ちが辛くない時にも、気持ちが辛い時と同じアイデアが出ているが、水面上に出ないので辛くない、そういう感じがする。
ので、本質は感受性ではないか。
セロクエルのおかげなのか、下剤のおかげなのか?



2016年06月22日(水曜日) 多分この日に「容態が悪かった日に比べて声に太さや力強さが出て来ている」という風に母から言われた。
容態が悪かった日とは、2016年05月23日頃から2週間ぐらいの事だろう、と思う。
2016年06月23日(木曜日) 朝食後コーヒー。
仁風荘受診。
前日の大雨のせいで道路渋滞し9時に父車で家を出たのに仁風荘到着は11:30頃。
仁風荘目前徒歩開始地点と仁風荘到着下車地点と帰宅時自宅で真上をヘリコプター。
受診後支払いまでソファーに静座していた。
帰路モスバーガーまで精神好調。
モスバーガーに紺色の半袖シャツの青年男性2人組が一足先に入店し、不審だった。
店内で私が父に、院長からコーヒー飲んでも良いと聞いた話、をした際に、父が2人組の方を見てうつむいた。
私の話に対する2人組の反応が、父をうつむかせる様なものだったからだろう。
モスバーガーに軽く生タマネギ味が含まれていた。(父と前回まで行った時には含まれていなかった)
モスバーガー食後は急に精神不調化。
モスバーガー消化完了頃から再び精神好調化。
夕食は納豆切れで豆腐+米としたが納豆+生卵+米とするほど精神好調ではなかった。
夕食末コーヒー。
熱コーヒー飲了時に、胃と後頭部が連動してグジュッと整う感じがし、今までもずっとそうだった事を思い出した。
夕食後父車で芳井役場付近まで行くも、その先が通行止めだったので引き返した。
就寝後、何度も父の入室音などの些細な物音にハッと目覚めている。
多彩な夢を見た。
23夜から24朝に掛けての睡眠では、見ると寝れなくなるアイデアを探し出して思い浮かべようとした瞬間に探すのをやめた、という選択が瞬間的に為された事が何度か有った。
その為に、アイデア+感受性で目覚める事が無かった。
5月不調発生から6月23日朝までは、このメカニズムで不眠が回避された事は無かった。
2016年06月24日(金曜日) 見た夢を朝食後に父に言った。
朝食は昨夜ハローズで父と買った惣菜+米とし、朝食末にコーヒーを飲んだ。
この時点から朝食後服薬まで精神好調だったが、朝食後服薬で短時間不調化し再度好調化したので、仮眠した。
起床直後精神不調だったが、起床後はそんなに悪くない。
悪くないので横に成って仮眠すると悪い精神状態で目覚める、という事が午前に1回あり、午後2時前にも1回あった。
昼食はホットケーキ+バナナ+牛乳とした。
午前中からマスノさん宅に引越しのサカイのトラックが来て、作業していた。
父母の話を参考にすると、転入ではなく転出らしい。
私に向けられているのと同じ攻撃がマスノさんにも向けられている可能性について父に話した。
午後6時頃に夕食する直前までこのページの編集など自室でPC作業したら、夕食時には精神は快調に成っていた。
夕食後次の米を炊飯スタートして父に車ドライブを要請した。
その時には気付かなかったが、父は仕事で疲れており、ドライブは無理だった。
それなのに私が父にドライブを要請し、3時間近くドライブしてもらったので、父は体調を崩し機嫌も悪く成った。
ドライブコースは押撫→茂平→神島大橋→海岸線を北上→国道2号に出ようとして迷走→国道2号→182号→313号→486号→帰宅
父が機嫌が悪いのを見て、私の精神状態は非常に不安や恐怖に成り、帰宅後なかなか就寝できなかった。
父を見てのこの恐怖状態は、5月下旬の夕父ドライブ帰宅直後に母に向かって「おかーさーん、こわいよー」と悲鳴を上げた時以来だ。
翌日午前4時台に目覚め父に不調を訴え、父の睡眠の邪魔に成った。
午前4時より前にも目覚めたかもしれない。
夜間目覚めたときには横臥不能心理と成り、足踏み状態と成った。
これは、5月下旬に深夜父を何度も起こして不調を訴え、そのせいで父が睡眠不足と成り、そのせいで父が帯状疱疹になってしまった時と同じ最悪のケースだ。
翌日午前4時台に抗不安薬アタラックスを飲んだ。
翌日午前5時台から午前7時過ぎまで寝れた。
深夜に目覚めた時に父に、嘔吐と嚥下の精神との関係について述べた。
ドライブ以降の父の不機嫌の本当の理由は、ドライブ中の私の被害の申告が父を怒らせたから、かもしれない。
「おかーさーん、こわいよー」の日は父はそう言っていたが、2016年06月24日は父は、仕事で疲れているのに3時間近くもドライブさせられたから、と言っておられた。
2016年06月24日の私の被害の申告は、ドライブ中に他者(自動車など)から攻撃されている事、についてだった。
帰路押撫を経由するコースは後ろから追っかけられるので避けよう、という父の発言に乗じて、お父さんも心の中ではマークされていると思っているんだろう、という風に言って、父を責めてしまったりした。
父は「他者からの故意の加害は雄一の被害妄想であり、自分は故意に攻撃されているとは思わない」という風に日ごろから一貫して私に言っておられる。
前の自動車が赤信号で急停車し私と父の自動車がそれに追突しそうに成った時にも、私は父に向かって、追突させる事を狙われた、と主張した。
それを受けて父は私に向かって、「それじゃあ我々の自動車の直ぐ後ろの自動車の人はどう思うと言うのか」と言って反論した。
これに私は反論してしまった。
「我々の直ぐ後ろの自動車の人がどう思うかは、色々な可能性が考えられるが、我々の自動車と我々の直ぐ前の自動車が結託して追突させようとした、という風に思う可能性がある。自分には過去にそう思った経験がある。」
私のこういう発言に父が怒ったのではないか、という風に私は心配している。
交通量の少ない田舎道で私と父の自動車の後ろから後続車が追い上げて来て、私と父の自動車の直ぐ後ろにピッタリと付いて走る、という事が、繰り返される。
父の「追っかけられる」という表現は、これを指している。
追っかけられるのを避ける為に父は、後続車が見えると、左側路側に停車して後続車に追い抜かせる、という事をする。
しかし、この追い抜かせをやってもやっても次から次へと追いかけ車両が来るし、左側路側に停車スペースが無かったり、中央線がオレンジ色の実線だったりして、長い間追い抜かせる事が出来なかったりするので、追いかけられるのは私も父も嫌だ。
この追いかける行為を私は、「私と父の自動車は、マークされていて、つけまわされているのだ」という風にストーカー行為だ、という風に認識しているが、父は「追いかける車両は偶然の通りすがり車両だ」という風に私に向かって主張なさる。
これについて父は私に「おかあさん(雄一の母)も、尾行されている止まれ、と要求し、追い抜かせを実行させた後で、よし発進しろ、と言って指図する」と言って、マークされているという認識が如何に被害妄想であるかを私に諭そうとなさった。
これは、雄一の母も精神病患者である、という父の主張と、雄一の精神病は母から遺伝した物である、という潜在的な理屈が背景として存在していての話だ。
この父の発言にも私は反論してしまった。
「おかあさんが同乗していない時に父が自分の判断でやっている事(追い抜かせ)も、おかあさんから言われてやっている事(追い抜かせ)と同じである。お父さんは口では、マークされているとは思っていない、と言ってるが、心の中ではお父さんも、マークされている、と思っているのではないか」
この私の発言も父を怒らせたのではないか、という風に私は心配している。
それから、2016年06月24日はドライブ中に私は何度も、私と父の自動車が中央に寄り過ぎているのではないか、という風に父に言った。
この日以前のドライブでもそう感じていたが、この日以前に比べて2016年06月24日は私は遠慮せずに何度も言った。
左前方に歩行者や自転車が見えた時に警報声でそれを知らせた事も、父の目には私の危機意識過剰に見えたかもしれない。
「左から出た」という私の警句に、父が「出た、と言うから驚いたじゃないか」という指摘をなさった。
これは、とっさの事で私が発語の速さ早さを単語の選択の正確さよりも優先させた為に「出た」の部分が実際の状況にそぐわない表現に成ってしまった物だった。
しかし、そういう事情によって生じる発語の不正確さに対して、私の父なら理解を示してくれる(=私が発語した事の方を評価してくれる)と私は思っていたので、父からの反応が逆に欠点指摘であった事に、私は不安を感じた。
信号のある交差点で青信号で右折する時(国道2号線→国道182号線だったと思う)に、対向車線の歩道を少女の自転車がこちらに向かって走行しているのが見えた。
これを私は父に声で知らせたが、これに対する父の評価も、「これのことだろ、そんなに言うほどのことじゃないじゃないか」といったニュアンスだった。
少女の自転車が左折して車道に出て来なかったからだ。
少女の自転車は実際には左折したが、直進して車道を横断する可能性だって有った。
だから、私の発した警報は絶対に必要だった、と私は思っている。
父の目に私が危機意識過剰に見えたのではなく、問題の芽を私が未然に摘み取った事を父が快く思わず、その不快感を表現する手段として、雄一は危機意識過剰である、というニュアンスを父が使ったのではないか、という疑い方を私(雄一)はしている。
2016年06月25日(土曜日) 24夜から25朝までの睡眠では、生理種のハット感が(首根っこ背面あたりにではなかったか)瞬間的に生じ、生じると同時に生理的に鎮火される、という事が複数回有った。
これらにおいては、心にアイデアが登って来るには至らなかった。
5月不調発生から6月24日朝までは、このメカニズムで不眠が回避された事は無かった。
しかし、5月不調発生前に何度か有った現象と同じ(類似)である気がする。
24日に自室でPC作業をたくさんした事が原因ではないか、と思った。そうだとすると改善だろうと思った。
また、前夜からの父の様子を見ての精神状態の著しい不調のせいかもしれない、とも思った。そうだとすると悪化だろうと感じた。
昨夜からの不調が続いている。
午前中は、居間ソファでの父の睡眠を妨害しない様にするために、私(宇田雄一)は屋外の公道を歩き回った。
午前10時頃に帰宅。
以後午前中は、母に来客で、その話し声で父は睡眠できなかったのではないか、と思う。
昨夜からの父の不機嫌は、この日も続いている。
それを感得して私の精神状態が不安や恐怖である事も続いている。
昼食後も屋外の公道を歩き回った。
午後2時頃に、自室PCでこのページに加筆開始。
就寝後深夜に目覚めて横臥不能あしぶみ状態と成り、父に不調を訴えて父の睡眠の邪魔と成り、朝起床後は静座不能で屋外公道を歩き回る、というのは、2016年06月07日の服薬開始より前の精神状態が最悪だった時期のパターンだ。
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2016年07月30日 午後はレシートのスキャンなど、部屋の片付けをした。
この日まで数週間は急迫不調は無く、
午前8時頃にBF-1を飲んで、居間に少し座り込んで休んでから、便意が出たら便所で下痢を出し、正午頃まで再度横臥寝し、正午頃朝食、午後3時頃ジャムパン程度の軽食、午後6~7時頃に夕食、というパターンが続いている。
夕父ドライブは、午後5時頃に父の宅急便出しに同伴して途中でアイスクリームを買って食べるだけ程度にまで縮小されている。
居間ではエアコンを掛けて過ごしている。
2016年07月28日の受診では、久しぶりに、差し迫った辛さや恐怖についてではない話をした。
これは、2016年04月末まで何年間もして来た話で、2016年04月末の急迫不調以来は、不調の話で手一杯で出来なくなっていた。
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2017年02月21日 まだ心の調子は完全には回復していない。
日中何もしないで横に成っている時や、睡眠から目覚めた瞬間に感じる事が良くない、という傾向が続いている。
2017年02月に成ってからの新傾向としては、睡眠から目覚めた瞬間に胸が生理的にビリビリし心理的にハラハラする、という現象が繰り返されている。
ビリビリの範囲は胸を中心にだが、胸に留まらずもっと広範囲に及んでいる時もあった。
最も調子が悪かった2016年05月下旬の睡眠中に心がハッと何かを感じて飛び起きる、という状態をほうふつとさせる。
これも胸の当たりに急に強い生理的な反応を伴う物だった。
それが再発する恐れはなさそうだが。
2017年02月の件は、冬から春に季節が移り変わっているからかもしれない。
2017年02月21日まで、もう何ヶ月もずっと、眠れないとかじっと座っていられないという事は無い。
2017年03月28日 まだ日中は目が覚めているときには母屋で寝具の中で横に成っている時には恐怖感が出る。
2017年04月
2017年04月05日就寝時に宇田方程式の厳密解(2)を案出した。
これによって、2016年04月に宇田方程式の厳密解にダルマ落とし公式を適用してファインマンの経路積分が出て来なかった事による絶望は、挽回された。
だが、心の調子は、一度大きく崩してしまったため、元通りの快調には戻らない。

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2017年04月07日夜入浴した。
2016年05月に心の調子を大きく崩してからは、入浴は2週間に1回のペースと成っている。

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2017年04月09日朝強い眠気。
AM09:00頃テレビのスイッチを入れて日曜討論を出したが、眠気があまりに強かった為にAM10:00まで番組の内容は全く頭に入らなかった。
AM10:00までほとんど寝ていたし、AM10:00を過ぎても眠気は続いた。
2017年04月09日朝の強い眠気は、2016年06月の薬を飲み始めたばかりの頃には有ったかもしれないが、2017年04月08日まで何ヶ月も無かった物だ。
2017年04月08日夜から2017年04月09日朝にかけて脳のケミカルバランスが激変した感じがする。
その原因として考えられるのは、2017年04月05日の発想で学問的に救われた事、2017年04月07日の入浴、季節が冬から春に移り変わった事、が考えられる。
このうちの入浴については、それまでにも何度も入浴したのに、その時には脳のケミカルバランスが激変したとは感じなかったので、主要な原因ではないだろう、と考えられる。
季節の変化は、2016年に心の調子を崩したのもほぼ同じタイミングでの事だったので、主要な原因で有り得る。
学問上の発想についても同様の事が言える。
2016年の場合、自分の学説の反証が出来てしまった、と確信したのが04月で、精神状態が最悪に成ったのが05月中旬だから、自分にとって不都合な事実を認識したと考えてから精神が壊れるまでに1ヶ月の時間がかかっている。

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2017年04月10日
朝起床時に眠気が残っていたが、2017年04月09日ほどではなかった。

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20170411
日の出の時刻頃に目を覚まし、その後も布団内に留まった。
何時頃からかAM10:00頃まで強い眠気で寝た。

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20170412
AM06:30に目を覚ました。その直前に職場系悪夢を見た。
何時頃からかAM10:00頃まで強い眠気で寝た。
薬を飲み始めたばかりの頃の薬による眠気がよみがえったかの様な眠気だった。=ケミカル感満々。
2017年03月頃は、薬に慣れて、薬を飲んでもあまり眠たくならなくなっていた。
物理学正典をhttp://book.geocities.jp/physeiten/からhttp://physics.aki.gs/に戻した。
www.grammaticalphysics.acを復活させた。ドメインを再取得した。

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20170413
AM08:00に起床した。
起床時刻が早く成った事を実感した。
2017年03月までは何ヶ月間も起床時刻はAM11:30だった。
写メール投稿ブログ「即達」をFC2で再作成した。
アドレスはhttp://wooder.blog43.fc2.com/からhttp://shotlive.blog.fc2.com/に変更と成った。

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20170414
AM06:00目覚め。AM09:00まで睡眠続行。

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20170416
AM06:00目覚め。それまで見ていた夢が超大作だった。
この日は父と自動車で四国にドライブ遍路に行った。

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20170417
AM08:00目覚め。AM10:00まで寝た。
目をつむったままだと心の調子が非常に悪い。
目を開けると心の調子がよい。
前日が遍路だったので就寝時刻が遅く成り、そのせいで心の不調が再来したのではないか。
午後あらがいがたい眠気に襲われ昼寝した。

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20170418
古いメールを見ていて清水匡太君のメールと吉田伸夫さんのメールの内容を見て精神状態が悲観的に成った。
清水君のメールからは、出来ても認めてもらえない、正義は通用しない、という感じを受けた。
吉田さんのメールからは自分以外の優秀な人の優秀さを感じ、自分は優秀さが不足しているのではないかと心配に成った。

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20170419
AM08:00起床。
昨日の心境の悪化がまだ続いており、ケミカルバランスとアイデアの重要性を比較して、アイデアの重要性が大きい事を実感。
起床が早いのも、心境の悪化で安心感が減り、それによって朝の眠気が減ったため。
薬を飲んでいるせいか、夜間飛び起きて足踏み、という事は無かった。
昼間もベッドに横に成ってじっとしている事が可能。
正午にパソコン作業開始。
最近は昼間はパソコン作業をしている。

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20170420
AM08:00ケミカル眠気はしっかりある。
アイデアは悲観のはずだが。
201605の心の調子の崩れの原因は悲観アイデアではなくケミカルであったか、20170418のアイデア悲観の効果が20170420にはまだ出てないだけか。

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20170421
AM11:00まだ眠気が強いが起床。
4月という時期に薬の効き方が強まる、という感じがものすごくする!!!
2016年04月もそうだった(エビリファイの効き方が急増した)のではないか!!!
正午にも、まだ強い眠気が続いている。

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20170423
AM08:00ごろ目覚め。精神状態は悪い。胸に悪性のハラハラ感あり。

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20170427仁風荘受診日。
朝下痢なし。体調が変化したらしい。
正午ごろ仁風荘の便所で下痢便を出した。

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20170429
朝まで生テレビ終了までテレビを付けっ放しで寝た。
AM05:30下痢。AM08:20下痢。季節変化による体調変化の可能性もある。

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2017年05月
20170506
19:00から池上彰番組を見ていたら、序盤で寝てしまった。
自分のYouTubeチャンネルを全部復活させて、宇田英才教室内の動画ページも再FTPアップした。

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20170507
AM09:00頃まで強烈な眠気。
昨日朝までと違い、急変した感じ。
季節の変化によるものではないかと思うが、前日の動画復活成功に安堵した為かもしれない。

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20170508
AM09:00ものすごく眠たい。

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20170516
AM08:30まで強い眠気。
その前の夜中に大場久美子への強い性欲を伴う夢を見た。
この回は他にも多く夢を見た。
AM09:00前から目覚めると東が非常にうるさい。
これは勘違いだったかもしれない。
本当は西隣の淀電の改装工事の音がうるさく聞こえ、それを東からだと勘違いしたのかもしれない。

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20170517
AM09:00以前たぶんAM08:00頃、目覚めかけて恐怖感が強い。
2016年05月ほどではないが、最近では珍しい。
最近は、恐怖感はあまり出なくなっていた。
日中に散髪に行った。
夜、入浴した。

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20170518
たぶんAM6:00頃まで快眠、目覚めよし。
その後二度寝で恐怖感。
東の建築音がうるさい。
耕運機もうるさい。

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20170520
AM8:00頃目覚め、AM8:30頃ベッドを離れた。
目覚めた頃、全身の筋肉がキュッと収縮する様な不随意運動が生じた。
これは、起きている時に危険等に反応して反射的に身構えるのと同種の反射運動が、夢の内容に対して起こった物だ、と理解している。
本日(20170520)のこれは、身体の反応のみで心理ショックを伴わなかった。
こういうのは、2016年04月に心の調子を崩すより前にも希に何度も有った(20才台にはあったし、未成年の時から有ったかもしれない)事で、その頃には心配しなかったが、今思うと、2016年05月の強い心理ショックを伴う反射の一歩手前まで来ていた危険な状態だったのかもしれない、と思う。
本日(20170520)は、目覚めると、それに従う形で、上半身前面全体にビリビリ感を伴う血行の回復が生じた。
これは、正座で脚の血行が遮断されるので、正座した後で脚を伸ばした際に脚に起こる現象と同種だった。
上半身を圧迫していたわけでは無いが、薬の作用も手伝ってか、眠りが深く自律神経まで眠ってしまい心臓のポンプ機能が低下した為らしい感じだった。
心理的なハラハラ感を伴わない心地良いビリビリ間だった。
ビリビリというよりも、もう少しやわらかい感覚だった。
この感覚は2017年04月以前には経験した事が無いだろうと思う。
目覚めた直後に腕だけに限定してそのビリビリ感が生じる、というのは、2017年04月以前にも有った。
目覚めるとそれに従う形で上半身に血行の回復が起こる、というのは数日ないし数週間前から経験され始めた。
毎日ではないかもしれない。
心理的要素を含まない純粋に生理的な現象で、きのめどき、の効果だろうと思う。
しかし、それとは別だが、本日(20170520)は、目覚めて直ぐの心理状態が悪かった。
父母弟妹(私もかどうかハッキリしない)の集合写真をペンダントに入れて持ち歩き、それを見て涙する、といった状況を思い浮かべ、2016年05月の自発性の心理ショックを髣髴とさせる心理ショックが複数回生じた。
耐え難かったので、その心象を思い浮かべないように心の目をそらした。
思い浮かべたのは、父母弟妹が全員死んでしまい私だけが生き残っている状況だったかもしれないし、父母は死んだが弟妹は生きており離れて暮らしている状況だったかもしれない。
ハッキリしない。
目覚める前の睡眠中に見た夢がどの程度悪かったかは思い出せない。
その点は、数日ないし数週間前から、同程度ではないかと思う。
騒音については、本日(20170520)朝は控え目。詳しくはy-wooderからのメールに記載。

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20170521
AM8:00頃目覚め。最近は目覚め時刻は、この辺りが相場と成っている。
目覚め時の心理は悪い。
本日は、目覚め時に、ビリビリ感が手にまで及んでいる事を確認した。
本日は、胴体にはあまりビリビリ感は生じなかった。
目覚める前の夢の中で、悲しくて意図的にあ~~~~~と声を出して泣いた。
生理的と心理的の統合した本泣きではなかったので、涙は流さなかった。
しかし、それは、本泣きよりももっと悲しい、という種類の物だった。
学生生活についての夢だった。
夢の中で、自分が学生生活とは不釣合いに50才に成っている事が悲しまれたのだったと思う。
近年学会発表で早稲田大学に行った時に、後者が近代化されて階段はエスカレーターに成っており、冷たい感じだった。
今回の夢の中では、下宿も後者も私が学生だった時よりももっと昔のスタイルだった。
夢の中でも近年の校舎を思い出し、今見ている物をそれと対比し、今見ている物は本当の事ではないのではないか、と思ったりした。
夢の中では自分は早稲田大学の学生だったかもしれないが、ハッキリは思い出せない。
もっと色々な内容が含まれていたのだが、思い出せない。
2分法的には悪夢だったと言えるだろう。

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20170522
初回目開けAM06:00頃。
この頃の心理は、そんなに悪くない。
ベッドを離れたのがAM08:20頃。
この頃の心理は、少し悪かった。

2017年06月
20170602朝04:45まで、オバケ屋敷で浪人生活する夢、を見た。

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20170605目覚め時の心調が悪い。昨夜マスタベーションしたせいか?
AM08:20起床した。
AM08:39まで大便中に心調が瞬間的に好転した。
大便を出す為に気張った事が原因の一つだと思った。

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20170606
13:00頃から母屋居間でFILZA2に寝そべってマカロニウエスタンの10枚目のDVDを見始め、途中で寝てしまい、15:00頃に目覚めるとDVDの再生は終了していました。
その後、自室に戻って、日本物理学会 > 個別の大会 > 2014autumn の整理を行ないました。
15:00頃に目覚めた後の心の調子が悪い。
昨日Fujisan.co.jpにバックナンバーの購入は出来るか質問メールを送り、昨日中に「出来ない」という回答メールが送信されていたのを、日本物理学会 > 個別の大会 > 2014autumn の整理を終わらせた後、メールチェックで知りました。
これがチョッとショックです。
朝日新聞出版に、バックナンバーを購入できるか、問い合わせメールを送信しました。

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20170606夜から20170607朝にかけての主睡眠で、スコット・ニューマイヤーさんが知人の女性とインターネットを介してdiana rossの歌をセッションするのを傍聴した、という部分を含む夢を見た。
夢の中で、スコットさんは全く歌わず、相手の女性の歌声がインターネットを介して聞こえて来た。
夢の中で私は、その歌の序盤は目が涙で潤んだ、そのぐらい良かった、しかし、序盤よりも後はそれほど上手くはなかった、と伝えた。
後でインターネットで調べてみると、diana rossのif we hold on togetherは違う曲だった。
私が夢の中で聞いたのは、たぶんdiana rossの曲ではなかったのだろう。
私が夢の中で聞いたのは、
らららんらんらーらーらー、らららんらんらーらーらー
らららんらーらー
らららんらんらんらーらんらんらー、
というメロディーの有名な曲。
出だしのらららんらんらーらーらー以降の部分に目が涙で潤んだ。
ここまでに書いた事は、20170606夜から20170607朝にかけての主睡眠で私が見た夢のほんの一部分に過ぎない。
夢の全体は、もっとずっと内容量が多かった。

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20170619
AM4時台からAM8時頃まで強烈な眠気で起きる事が出来なかった。脳内のケミカルバランスが激変した可能性がある。
マカロニウェスタン15枚目の復讐のガンマンの後編を起床後すぐに見ようと思っていたが、眠くて起きれなかった。
この早朝の二度寝の間中、テレビのゴルフ試合をつけっぱなしにしていた。
20170618に2017初エアコン使用。

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20170630
久しぶりに朝起床時の心の調子が少し悪かった。

2017年07月
20170702
数日前から朝起床時の心の調子が悪い。

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20170703
起床はAM09:00の少し前。それまで心調は良くなかった。

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20170721
AM7時台起床時まで心調が少し悪い。ひさしぶり。

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20170723夜から20170724朝までの睡眠において、見た夢の内容が久しぶりに良くなかった。
20170723日中にマスターベーションを久しぶりにしたからかもしれない。

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20170725後半から20170726前半まで心調が悪い。
高校聖夫婦というテレビドラマの録画を1年以上前に第9話まで見て止まっていた視聴を数日前に再開した事が原因かも。
内容が心に非常に堪える。切なさや青春時代への喪失感や・・・言葉でどう言えばよいか分からない。
20170725には音楽CDの取り込み整理が完了した。心調が悪化したのは、このせいかもしれない。
目先に未完了の課題が在ると心調は崩れない、課題解決が完了すると気が抜けて心調が崩れるような気がする。

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20170728朝、高校聖夫婦最終回まで見終わった。
最終回の納得感は低かった。

2017年10月
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2017/10/08朝、東方農業コンバイン騒音の音源に来てる車両のナンバー読みをしに自転車で近所を捜査した。
その際に、到来偵察牽制通過車両まで含めて、音源に来てる車両以外の多数の容疑車両のナンバー読みをした。
この捜査には2回ほど出たと思う、1回だけではない。
この捜査を終えて、と言うより適当に切り上げて、帰宅した直後頃から、心調が馬鹿に出来ない程度に悪化した。
その理由として、以下の可能性が考えられる。
・2017/10/06夜、久しぶりにマスターベーションした(これにより性的興奮が抜けて精神のテンションが下がったのでは)。
・2017/10/06夜から2017/10/07朝にかけての主睡眠で寝冷えして風邪を引いた(原因は気温だけでなく直前のマスタベにもある可能性がある)。
・2017/10/07夜から2017/10/08朝に掛けての主睡眠で長袖下着シャツの上に半袖シャツを着て寝た
(前項の風邪を治すのが目的だが、これで体温が上昇し、その体温上昇がキノメドキと同じ原理で心調を悪化させたのでは)。
・2017/10/07に比して2017/10/08は気温が急上昇した。(これが、キノメドキと同じ原理で、心調を悪化させたのでは)
・2017/10/07に、それまで1週間ほどハイペースで吸い続けていたタバコが尽きた(2017/10/08朝からタバコの禁断症状が始まったのでは)。
・2017/10/08朝、セロクエルを飲み忘れたかも。
・前回の受診と前々回の受診で薬を一粒減らしてもらった。
・就寝前、薬と一緒に飲む水、の量が少なく成りがち(居間で飲み忘れ自室で飲んだから)だった。1ヶ月ほど前まではそんな事は皆無だった。
・2017/10/08朝の容疑車両捜査で疲れたり、ストレスを感じたり、不安に成った。
2017/10/08朝に始まった心調の悪化は、2017/10/09朝起床時にも残っていた。
ただし、2017/10/08後半は、自室でエアコンを掛けて学会報告記事執筆やWar Tunderを行ない、心調は良好だった。
本件の心調悪化が起こるまでは数ヶ月前から心調を全く心配しなくて良い状態が続いて、悪心調は過去の物と思っていた。
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20171026朝。
目覚め時に胸部中央付近の血行が非常に活発化した。
これは201606の心調最悪の時の強い恐怖や強い喪失感が瞬間的に生じてそのままの姿勢では居られなくなりはじかれた様に飛び起きた時の生理現象と全く同じだったが、20171026朝の場合は、生理現象のみで心理現象は全く伴わなかった。
しかし、20171026朝も、目覚めからベッドを離れるまでの間は、心調もほんのり悪かった。
子を設けずに一生を終える事への恐れを感じた。
20171026朝は、ベッドを離れた後は、心調は全く悪くなくなった。
ほんのりすら悪くなくなった。
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20171027朝、目覚めからベッドを離れるまでの間、心調がほんのり悪かった。
しばらくタバコを吸って、やめたからかもしれない。
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2022年01月19日 頭を前に倒して首の背面を伸ばしても首の骨が鳴らなくなった。
数日前まではミシミシとかバキバキ鳴ってた。
頭を前に倒し始めた時期は日記@宇田英才教室に書かれている。

チェックリスト(作成時期不明)
食事 途中で吐きそうに成った。
自分が食べる機械に成り下がってしまっている感じがして辛かった。
マグロフレーク+米とか豆腐+醤油+米といった風に最小限にしか食べる気がしなかった。
納豆+生卵+米といった風に、美味しさも追求して食べた。
味噌汁を飲みたいとは思わなかったので飲まなかった。
味噌汁も飲む気に成って飲んだ。
食事末にコーヒーを飲みたいとは思わなかったが飲んだ。
食事末にコーヒーを飲みたいと思って飲んだ。
生理 胴体がほてる、カーッと熱く成った感じがする。
挙動 気持ちの辛さのあまり「あー」とか「うー」とか「おー」といったうめき声を出す。
じっと立って居られず、足踏みしたり、歩き回ったりする。
静座していられず、立ち上がってしまう。
横臥姿勢のままを維持できず、上体を起こしてしまう。
心に思い浮かぶ事から強過ぎる負の印象を受けて、睡眠できない。 目覚めている時に経験したショックがフラッシュバックする
抽象的な画像が思い浮かび、それから強い負の暗示を受けてしまう。
問題を解決しなくてはいけない、眠っている場合ではない、と思ってしまう。
取り返しの付かない過ちを深く後悔してしまう。
何をされるか分からない恐怖を感じる。
自信 次回の学会大会旅行を実行できる感じがする。
入浴を想像した時に、入浴に抵抗感を感じない。
自室内での作業を自室外で想像した時に、その作業に抵抗感を感じない。
自室に入室する事を自室外で想像した時に、自室への入室に抵抗感を感じない。
理髪店や歯科医に行っても静座して居られる自信がある。
欲望 次回の学会大会旅行を実行したい、と思う。
物理学や空手をやりたいと思う。
マスターベーションをしたいと思って実行した。
異性のエロさに引かれる。
性に目覚める前の年齢の児童の様に、エロさに鈍感である。
美味しく食べたい、という形での食欲がある。
食欲は有るが、美味しく食べようと思う程には心に余裕が無い。
食欲が無い。
五感 住宅を建築する時に出る音 不審を感じる
怒りを覚える
恐れを感じる
崩壊させられる危機を感じる
道路を建設したり補修したりする時に出る音
自動車や農機の動力音 ブーボー低音
パオン、スポーツ音
バルバル船舶音
演奏(暴走族2輪)
特殊音色(手押し耕運機の粒入りシュルシュル音)
単純大音量(草刈)
食器の接触音などの生活音に、脅威を感じる。
自動車のヘッドライトを向けられると、脅威を感じる。
不審に感じられる人や車両を見ると、脅威を感じる。 衝突回避を要求されると
追跡されると
遠方に見えただけで
夢の中でまで、目覚めている時に心配している事が前提として成り立っている。
夢の中では、目覚めている時に心配している事は、忘れられている。
たくさん見た、少しだけ見た、見なかった。

嘔吐(おうと)と嚥下(えんげ)
以下は、医学や心理学について素人である私が、自分の心や体で実感した事を頼りに、素人考え、を述べた物です。
学問的には荒唐無稽です。
しかし、BBB(Brain Blood Barrier)を破壊された事による不調を解明しようと思案している様子らしい事を言っている(2023年12月31日加筆)。
嘔吐は胃の内容物を吐き出す事。おうと。
嚥下は口→食道→胃という風に飲食物を飲み込む事。えんげ
嘔吐は消化器の逆転。
嚥下は消化器の順転。
不安感は嘔吐に関連しているのではなかろうか。
安心感は嚥下に関連しているのではなかろうか。
髄液か何かを背骨から頭蓋骨内に嘔吐する感覚とアイデアに対する過敏性が関連している、という感じがする。
髄液か何かを頭蓋骨内から背骨に嚥下する感覚と精神の安定した状態がが関連している、という感じがする。
嘔吐は、心の働きと連動しているのではなかろうか。
嚥下は、生理快感を伴い、アイデアが心に上ってくるのをストップした感じ。
心情を吐露する、という言い方がある。
言葉を飲み込む、という言い方もある。
ゲップは嘔吐の向き。
オナラは嚥下の向き。
しかし、両者とも生理枠内であり、ゲップは心理を伴う、という事は無さそう。
吐き気をもよおす、という表現で使われるように、吐き気という気持ちが有るのではないか。
これに対して、飲み込み気という言葉は無い。


これらの資料が何故不法侵入(
30日@2023年11月@日記)で隠滅されなかったのかは不明です。
2023年12月21日の診察で大林正和理事長が2016年問題の発生時期として2016年以外の年を言い掛けたので、証拠隠滅の動機は存在していたと考えられる。
私が気付かないだけで、一部は隠滅されているのかもしれない。
因みに、2015年というのは、私が10年ぶりぐらいに空手の練習を再開した年で、2016年は01月01日から2021年12月31日までは空手の練習を全くしませんでした。
私の空手の練習を止める集団ストーカー工作が行なわれた疑いがあります。
2022年春に私は数年ぶりに空手の練習を再開しました。
すると2023年12月21日に、
22日@2023年12月@日記に書かれている様な事が有りました。

私の精神力と体力は、心が沈む事があっても、一晩寝ると翌日には回復しているとか、心が沈んだ状態に浸り切る事によって自力で回復する、という性質を元々は持っていました。
2016年にもそれらの方法が通用するだろうと最初は思いましたが、実際には、待つだけでは、いつまで待っても極悪な精神状態が続き、止む事はありませんでした。
これを私は「底が抜けた」という言葉で表します。
2016年に底が抜ける経験をしたので、回復した後も、調子が悪い時には、また底が抜けるんじゃないかとビクビクする様に成りました。
この様な心配は、2015年までは、した事が有りませんでした。
この事も副次的な被害です。

エビリファイなどの服薬以外で考えられる要因。
・ 2003年から2014年まで1週間に1回のペースで実行していたロード自転車約60km走行の晩期に、出発から帰宅までずっとハンドル・バーの下を握って顔を上げたまま走行する様に成り、そのせいで首の背面に無理が蓄積した。
・ 2012年に
宇田経済学の執筆を始め、今まで温存を図っていた体力を世のため人のために損耗するのはここだ、と判断して後頭部から首背面にかけて無理な負担を感じるような執筆作業を長期間行なった。
その時まで成らない様に活動をセーブしていた状態が、2016年頃までには常態化した。
(後で使うために取っておいている体力を被派遣労働
2021年12月@日記で奪われるわけには行かなかった理由はコレです)
その状態では集団ストーカーがノイズ・キャンペーンとして発する音で脳や神経に怪我を負うが、そう成らない様に活動をセーブしていれば同じ音で脳や神経に怪我を負う事は無い。
頭脳作業をある程度を超えたペースで遂行しようとすると成る状態です。
ペース自体が問題なのではなく、同じペースで作業していても、作業の進捗が予定より常に遅れている場合には成る状態、作業の進捗が予定より常に進んでいる場合には成らない状態です。
それは不正な状態でも病気の状態でもなく、タダの精一杯頑張っている状態に過ぎないが、それを不都合だとする集団ストーカー犯人が、ヤツの頭が今おかしくなってるぞ、という風に捻じ曲げるのだと思う。
「そんなに頑張らないでくれ、お前がそんなに頑張ったらオレが負けてしまうじゃないか」というテンで話に成らない不当な要求を「そんなに頑張るなよ、そんなに頑張ったら病気に成るぞ」という言葉で表現する手口です。
私の実感では、集団ストーカー工作は、被害者の活動レベルをそれ以下に抑えている、集団ストーカー工作が頭上に高圧電線みたいに張り巡らされていて、低い姿勢を維持しないと頭が高圧電線に触れて感電死する、みたいなコンセプトだと思う。
それを集団ストーカー犯人は、意識的にやっている、と感じる。
おそらく、集団ストーカーの指導層は、(多分脳の)その状態を指し示す言葉を持っているが、被害者からはその言葉を取り上げて言いたい事を言えなくしている、と思われる。
「かゆい」という言葉を奪われたら、かゆい時あなたどう説明しますか、お手上げですよね、という事を考えれば、この事が理解できるでしょう。
長らく常態化していたその状態が2023年12月21日の前日ぐらいから「頑張っている時だけ」に戻った事を私は2023年12月26日にヴォイス・メモしている。
2022年春に空手の練習を再開した事に伴い腹筋が復活して来た事や、就寝直前にマスターベーションをした事などが、その原因ではないか、と思っている。
気分も1990年代の気分が懐かしく蘇っている。
2023年12月27日午前10時10分頃、徒歩での散歩をしたい気持ちが出て来た事をヴォイスメモしている。
徒歩での散歩をしたい気持ちは1990年台の私に多かった気持ちで、2023年まで10年以上そんな気持ちには成らなかったろう。
・ もう1990年代から私は、自然にしていれば泣く様な局面でも、ニラメッコの要領で泣かない様にしている。
それを何十年も続けているので、ウンコを我慢すると便秘に成るのと同じ原理で、泣き便秘、泣き詰まり、みたいな感じに成っていて、自然に泣く事が出来なく成っている。テレビで出演者が「涙が枯れて・・・」と発言するのを聞いた事があるが、あれは私の状況への誤解だったろう。テレビの出演者が泣くのを不審に遠慮していて、それがまるで、家庭で父親が箸を着けるまで子供が食事開始を待たなければいけないみたいな印象を受けた事も多い。視聴者の私が泣かない事への反応だと思った、泣くのが当然の場面だったのに。何十年も泣かないままでいる事は脳の健康に悪いと感じる。
篠原涼子のだったか1990年代の何かの歌の歌詞に「今にも泣き出しそうな」という言葉が含まれているはずなんだけど、私を見てそう思った人が居るんじゃないか。
そうでなくても少なくとも私は、自分の事を言われてるみたいだ、と思った。
2000年に初めて精神病院で診察を受けて初めて入院した当時の私の精神状態は、そういう状態でした。
ドーパミン過剰で危ないとか、とんでもない話です。

補足資料 タイトル 内容
23日@2022年02月@日記 先月までの記事への補足8 私の服薬について



最終編集2024年01月31日