2016年05月の心調の崩れ
|
薬 |
2015年09月04日エビリファイ3ミリ1錠×14日・・・単発試用
2015年11月27日クエチアピン(セロクエル)・・・単発試用
以上については継続しなかった。
セロクエルについては、1回しか服用しなかった。 |
2015年12月25日~2016年04月21日エビリファイ3ミリ1錠×14日
2016年04月21日に受け取った薬は、全く服用せず、2016年05月12日に返却しようとした。
2015年12月25日~2016年04月21日の期間は、服用し忘れた日も多いが、基本的に継続服用した。
2016年04月21日に受け取った薬に全く手を着けなかったのは、それまでに受け取った薬の中の服用し忘れた分を服用したから。
したがって、最終服用日は2016年04月21日よりも遅い。
心調の崩れに気付き、服用を停止した。
その時期は、おそらく2016年04月下旬。 |
キチンと服用を継続し始めたのは学会から帰宅した2016年03月下旬だった可能性もある。 |
不調期間 |
全体として、2016年04月の何時頃からか、心調が急に悪く成った。
自覚的キッカケは、宇田方程式の厳密解からファインマン経路積分が出なかった事のショックと自信喪失だったが、客観的には、それではなくエビリファイのせいである可能性が大きい。 |
2016年02月17日~
スカパーでスターデジオの放送を聴いていて、Burning House, Medicine, Sunrise Sunsetに感じ入ったのでメモした。
このうちの、Medicineという曲からは、たとえば青春時代の様な人生の夏みたいな時代の思い出が淡く蘇る感覚を喚起され、その点を評価した。
その時には気付かなかったが、エビリファイの作用でそう感じた可能性がある。
Sunrise Sunsetからは、日が昇り、日が沈む、という事の早送りでの繰り返しで月日が流れて行く様子を感じ、胸の詰まる思いがした。
Sunrise Sunsetに感じたのは、深夜就寝中だった。
Burning Houseは単純に音楽趣味だろう。
70年代J-POPなどを聴いていた期間もある。
その期間には、夜間就寝中にベッドに仰向けに寝て、目をつぶって、福山市沖野上町で暮らしていた頃の家の2階の2段ベッドの下の段に居るつもりに成ってみたり、した。
つらくはなかった。 |
たぶん2016年04月12日
父に自家用車に乗せてもらって、笠岡ベイファームまで行って昼食→高速道路で東進→北進し、新見の少し南まで行って、そこで折り返して帰宅した。
新文法からファインマン経路積分が出ない事に気付いた後かどうか不明。 |
2016年04月14日
www.GrammaticalPhysics.ac > Newsに、宇田方程式の厳密解からファインマン経路積分が出なかったのでダルマ公式を格下げした、という記事を書いた。
この少し前に、宇田方程式の厳密解からファインマン経路積分が出ない事、に気付いたと思われる。
その時期は、宇田英才教室>日記>2016年04月13日によれば、2016年03月28日から2016年04月13日までの間のいつかだ。 |
2016年04月01日~2016年05月02日夜間のみ心調悪
スカパーでClassica Japanを受信していた期間。
夜間就寝中にClassica Japanの放送をBGMにして寝ると、耐えられないぐらいに暗くて悲しい気持ちに成った。
たまりかねて、就寝中のBGMとしてClassica Japanを使うのをやめた。
特に、ショパンのノクターン遺作が、私の一生を悲しく歌って居るかのように感じられ、耐えられなかった。
曲の終わりの部分が、私が死んで居なく成って行く部分を表現している様に感じられ、寂しく悲しくつらく耐えられない気持ちに成った。
クラシック音楽は、深い含蓄を持っているので、自覚的には好きでなくても、心に響く、という事なのか、という風に考えた。
しかし、これもエビリファイのせいだった可能性が大きい。
2016年05月は、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルを視聴。 |
2016年04月28日頃。
ビデオ>マカロニウエスタン>荒野の1ドル銀貨の序盤の主人公が緑の草原を馬で走るシーンで、緑の萌え感に圧倒され、それ以上見続ける事が出来なくなった。 |
たぶん2016年05月05日心調非自覚
ゴールデンウィークだから、という事で、父を誘って、ドライブに連れて行ってもらった。
これは、心調が悪いから連れて行ってくれ、というものではなかった。 |
2016年05月12日心調悪
仁風荘への通院は、ほぼそれまで通りに行なえた。
その際に、仁風荘での受診時に大林院長に、心調の崩れを報告し、服薬を停止した旨を申し出た。
しかし、その時に報告した心調の崩れの内容は、物理学の研究における失敗を原因とした自信喪失であり、その時には、薬が原因だとは認識していなかった。 |
2016年05月15日
午後9時から50分間、母屋居間でNHKスペシャル「天使か悪魔か・羽生善治・人工知能を探る」を見た。
その後自室に帰室し、YouTubeで人工知能の専門家のレクチャーを見て、自分のベッドで寝た。
これは、心調の崩れが小さい証拠だ。 |
2016年05月20日心調不明だが非極悪
金融関係業務(引落予定額確認、残高確認、資金移動)を実行している。
これを実行できるぐらいに正常な心調だったと思われる。 |
2016年05月2?日まで。心調悪
夜、父と一緒にUFOのDVDを見ながら談話して、深夜2時頃就寝し、午後1時頃起床する、というパターンが確立していた。
そういう日が10日ほどあったのではないか。
2016年05月初旬からずっとだったかもしれない。
この期間は、深夜2時頃まで待たないと、心調が落ち着かず、自寝室のベッドの上に行けない気持ちだった。
父に人生相談し、結婚する人生に対して私が深い喪失感を持っている事に対して、結婚しない人生だってある、という風に父から言われ、心調が急に好転し、自寝室に寝に行けた、という日が、最初の方にあった。
その日は、話の話の内容が効いた、と思ったが、その後段々と、薬のせいだ、という考えの占める割合が増えて行った。
2016年05月23日午前4時に録画されたUFO番組の視聴を最後に、UFO番組の録画を父と見る習慣は一旦終わった。
新規録画が発生しなかった事と、心の余裕が無くなった事の、両方が理由だ。 |
2016年05月24日?
午前6時に自寝室脇の井戸ポンプが起動された為、午後1時まで寝る事が出来なく成った。
この日は、就寝時間が、深夜2時~午前6時までの4時間だけと成った。
これを境に、自寝室のベッドではなく母屋居間の床で寝る様に成った。
就寝時刻も、深夜2時より早まり、深夜0時ぐらいまでには寝る様に成った。
就寝時心調は就寝可能なレベルだが、午前8~10時頃の起床時心調は、寝続ける事が出来ないレベルだ。
私(雄一)が母屋居間床で寝る様に成ってから、井戸ポンプは起動されなくなったらしい。
井戸ポンプが稼動していないのを近寄って確認した日もある。 |
2016年05月24日?心調極悪
昼間は、自宅庭で母と父の間を往復しながら足踏みをして両者と対話して過ごした。
その際に、泣いたり、苦しそうな声を出した。
そのぐらいに、心調が極悪だった。
この日は大便した。 |
2016年05月25日?心調極悪
たぶん、夕方から夜間にかけて、父にドライブに連れて行ってもっらった。
尾道方面(初回)。心調が悪いから連れて行ってくれ、と要請したドライブ。
帰宅後UFO(ナショジオで録画)のDVDを父と一緒に見たのはこの日ではないか。
それまでの様に楽に見る事が出来なかった。
冒頭の部分では、UFOの様な事があると、社会の基礎が怪しく感じられ不安だ、と感じた。
UFOの話をするな、という人の気持ちが分かる気がした。
世の中には精神の不安定な人も居て、そういう人への配慮として言っているのかな、という意味でだ。
そう感じたのは、心調極悪だったから。 |
2016年05月26日心調極悪
仁風荘への通院は、父による自家用車での送迎と成った。
自力で井原鉄道に乗って通院する事が不可能なぐらい容態が悪化していた。
仁風荘での受診時に大林院長に報告した心調の崩れの内容も、2000年頃の著しい不調を引き合いに出して説明するほどの、著しい不調だった。
診察後、父が迎えに来るまで待合室で待っている間、足踏みをしていた。
足踏みをしなければ過ごせないぐらいに心調が悪かった。
診察時には、平静だった。 |
2016年05月26日?心調極悪
昼間は日用自転車で、坪生→笠岡→日本鋼管という風にサイクリングした。
サイクリング中の心調は、悪かった。
日本鋼管正門前で、雨が降り出したので、父に車で迎えに来てもらった。 |
2016年05月26日心調極悪
夕方、父が車で「まが医院」に通院するのに同乗し、そのままドライブに連れて行ってもらった。
ドライブ中、井原のジョイフルで食事した。
和風ハンバーグ+和食セット+ライス(おかわり)を注文し、完食した。
食事中は心地よく感じた。
食後駐車場で視覚異常が感じられたが、つらい気持ちには結び付かなかった。
ドライブコースは、東進→南進→鴨方→西進→北進だった。
帰宅後、自力で入浴した。 |
2016年05月27日心調極悪
昼間は日用自転車で、芦田川→箕島→日本鋼管→茂平→北進という風にサイクリングした。
サイクリング中の心調は、悪かった。
夕方から夜間にかけて、父にドライブに連れて行ってもっらった。
182号線北上→東城→庄原に向かう→途中で上下に向きを変える→上下→府中→駅家ジョイフル→帰宅
駅家ジョイフルでの食事中の心調は、かなり悪かった。
出店時、父が支払いをしている間、私(雄一)は足踏みをしていた。 |
2016年05月28日
母屋居間床で私(雄一)が寝ていると、父の自動車付近に岡井が座り込んで、近所の婦人数人と談話口実で声を出し、私の睡眠を妨害した。
私が起床し、自室に行こうとすると、自宅脇の道路を北進するトラクターが見えた。
トラクターの男は岡井に挨拶した。
自室に移動する途中でポンプが稼働中である事を確認した。
自寝室北窓から確認すると、発音位置に移動した後のトラクターの発音は控えめだった。
このページをここまで執筆した時点(午前10時42分)では、心調がどの程度悪いかよく分からない。
何かに熱中して作業している間はつらい気持ちに成らない、という法則性がある。
また、日が昇るに従って心調が悪くなる、といった法則性もある。
過去に、○×君が「夕方に成ると惨めな気持ちに成る」と言っていたのを思い出す。 |
2016年05月30日
夕から夜にかけて、父に自家用車でドライブに連れて行ってもらった。
これは、ここまで毎日してもらっている。
2016年05月30日は、箕島と笠岡干拓地。
ドライブ中、心調は悪かった。 |
2016年05月31日心調急好転
午前6時朝食米1合+マグロフレーク。
午前10時まで新道歩道を歩行。
正午昼食米1合+豆腐。
父の仕事場のソファーに座って13時頃から16時頃まで、辛い気持ちが出て来ない姿勢を取って、やり過ごす。
この方法は、2016年05月29日頃から始めた。
上体を微後傾させ首を引き後頭部を背中に背負う感じにして、頭蓋骨内の髄液を背中にバキュームするつもりを持つ。
16時頃母屋便所で大便。(前回の1週間後)
大便後、心調が悪くない事に気付いた。
午後6時夕食米1合+シーチキン+なま卵
夕から夜にかけてのドライブは、2号線東進で岡山あたりまで行った。
ドライブ中心調は良好だった。
10時30分頃帰宅。
帰宅後夜食米1合+納豆(就寝中に空腹が生じて不安に成り足踏み状態に成るのを防ぐため) |
2016年06月01日
朝5時台起床。
起床時、心調不良で、寝続ける事が出来ない状態だったが、足踏み状態ほどには悪くなかった。
午前6時朝食米1合+マグロフレーク。 |
2016年06月07日
不調に耐え切れず、臨時の診察をしてもらい、セロクエルとロヒプノールを出してもらった。
前日までは服薬なし。 |
2016年06月09日
朝セロクエル25 + 寝る前セロクエル25 + 不眠時ロヒプノール1
を7日分出してもらった。 |
2016年06月16日
セロクエル25を朝2+寝る前2
アタラックス25を朝1+寝る前1
マグミット330を寝る前3
ピコスルファートナトリウム2.5を寝る前2
以上を7日分出してもらった。
診察前には、じっとしていられず廊下を歩き回っていた。
診察時には「一切の事に嫌気が指している」「物理もダメ」「音楽もダメ」「食欲はある」「異性への興味はある」と答えた。 |
2016年06月19日
終盤のみ好調。
夕父ドライブ中にモーツアルトのK466を気持ちよく聴く事ができた。(不調時は音楽やラジオの一切に拒絶反応)
朝食後下痢便。 |
2016年06月20日
前半不調。後半快調。快調の内容は以下。
父が「雄一がテレビを見てコメントしてる」と言って驚いた。(前日まではテレビに拒絶反応)
マスターベーションをした。(不調時には心理的な理由で出来ない)
2016秋学会に出席できそうな気がし、また、出席したい、という欲望が生じ、翌日から準備を再開しよう、と思った。
(前日までは、2016秋学会への出席は、旅程への不安から、取りやめにしよう、と思っていた。)
株の郵便物を停止してもらう必要を感じなくなった。(前日までは、処理し切れなく成る、と感じていた)
夕食で久しぶりに生卵+納豆+米を食べた。(前日までは、心理的な意欲減退が原因で、納豆+米で食べていた。)
朝食後下痢便。
夕父ドライブは用の江→農面道路東進→鴨方→国道2号線西進→国道182号線北進→486東進
ドライブ中も心は快調だった。 |
2016年06月21日
起床直後不調。朝食時好調。朝食後服薬後睡眠時不調。
テレビ録画でクローズアップ現代を見ながらパソコンでこのHTMLページに加筆した。
その間は心調好調。
朝食後大便なし。
昼食後仮眠で不調化。
午後ネットでエビリファイを検索その間好調。
夕父ドライブは、神辺郵便局脇を北上→三谷→東進→高屋→東進南進迷走→313西進→486帰宅 |
2016年06月22日不調。
朝食後下痢便後服薬後13時まで仮眠。
13時昼食後1時間程度仮眠。
15時台このページへの加筆。 |
日付不明 |
食欲の減退。
炊飯量が、まず3合(1.5合×2食+ホットケーキなど)から2合(1合×2食+ホットケーキなど)に減り、さらに、2合を食べきれないので父に1合食べてもらった事があった。
もっと行くと、2016年05月24日頃からは気持ちが辛くて食欲が出ない、という状態に成った。
その時期には、朝から午後6時まで一食も食べてないのに、空腹感を感じず、午後6時頃になってようやく空腹感を感じた、という具合だった。 |
性欲の減退。
女を魅力的だと感じなく成り、女に魅かれる気持ちが無く成り、異性に目覚める前の子供だった頃の感じ方が蘇った。
これを更年期の男性版だと勘違いした。
2016年04月には既にそう成っていた、と思う。 |
空手意欲の減退
めんどうくさいのでまたにしよう、と思うようになった。
昨年春は空手ばかりしていたが、今年はデスクワークばかりしている。
2016年05月23日頃からは、空手の練習を無意味で48才にも成ってやる事ではない、とすら思うように成った。 |
著しい不調が始まる少し前に、起床時刻が13時頃である事が多かった。
自分の意思で遅くまで寝ていた時期だ。
その頃に、起床直後の気分が優れず、それを起床時刻が遅いせいだろう、と思っていた。
起床時刻が遅過ぎて気分が優れない、と感じた事は、2009年以前にもあった。 |
|
不調の内容 |
程度を表現するには、恐怖体験という言葉が必要なレベル。
じっとしていられず、立って足踏みしながら歩き回る。
辛さのあまり声を出す事がある。
泣き叫んだときがある。 |
新緑の萌え感に胸が詰まる思いがする。
過去の記憶が蘇るから。 |
宇田方程式の厳密解からファインマン経路積分が出なかった事のショックと自信喪失。 |
自分が選択しなかった人生(結婚して子供を育てる人生)への喪失感。 |
想像結婚生活の思い出の切なさ。 |
想像結婚生活で妻を大切に出来てない事への罪悪感や焦燥感。 |
完全無欠な人生ですら避けられない「人生のはかなさ」への寂しく悲しい気持ち。 |
過ぎ去った過去への喪失感。 |
時間の経過に対する過敏な切なさ。 |
浴室や自室に入るのを怖いと感じる。
ベッドの上の空間を切な過ぎる空間と感じ敬遠する。 |
自室を忌まわしい場所だと感じる。
20年間時間の無駄遣いをした場所。 |
父が死んだ後の生活の心配。 |
自分が死ぬときの事の心配や恐怖。 |
浦島太郎に成った様な気持ち。 |
背中がほてり、そのほてりによって後頭部がボイラーの様にガンガン焚かれる様な感じがする事がある。
仰向けに寝ると背中の保温が良く成って、これが生じるので、仰向けに寝る事が出来ない。 |
空腹時に空腹感が感じられず、空腹感が別の心理不安に変換されて感じられる。 |
考察 |
上体を微後傾させ首を引き後頭部を背中に背負う感じにして、頭蓋骨内の髄液を背中にバキュームするつもりを持つと心が落ち着いた。
セロクエル服薬開始後は、このポーズを必要とする事は無くなった。 |
自分にとって不都合な事を考えるから心調が悪くなるのか、心調が悪いから自分にとって不都合な事を考える事に耐えられないのか、という問題。
心調が悪くない時に同じ事を考えても、足踏みになる、みたいな事は無かった。 |
感受性(同じアイデアから強すぎる印象を受ける事)なのか、アイデアなのか?
脳内の諸物質の濃度などによって規定される心の感受性なのか、思い浮かんだ事が良くなかったから辛いのか。
エビリファイが不調の原因だったら、不調の本質は感受性だが、宇田方程式の厳密解からファインマンの経路積分が出て来ない事に気付いた事が不調の原因ならば、不調の本質はアイデアだ、という事に成る。
感受性を水位に喩え、アイデアを底から上に突き出る竹の子に喩える。
感受性が悪い(過敏だ)と、水位が低く、竹の子が水面上に出てしまい、これが気持ちの辛い状態だ。
この場合、本当の原因は水位が低い事なのに、水面上に出てしまった竹の子が原因だ、という風に誤解する可能性がある。
気持ちが辛くない時にも、気持ちが辛い時と同じアイデアが出ているが、水面上に出ないので辛くない、そういう感じがする。
ので、本質は感受性ではないか。 |
セロクエルのおかげなのか、下剤のおかげなのか? |