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もし通貨にも価値が有るならば、通貨の追加発行によって世の中に存在する価値の合計は発行した通貨の分だけ一瞬で増える事に成る。 果たして、そんな事が有るでしょうか。 無いのです。 通貨は密閉された容器に封入された液体に混入している気泡の様な物であり、存在していると思い込んでいる価値が、丁度通貨の総量の分だけスッポリ抜けている。 これが、通貨を用いている社会と用いていない社会の本質的な違いであり、従って、通貨を用いる事によって、全体として不足しているにもかかわらず、足りていると錯覚し、気が楽に成る。 電子マネーの事を考えれば分かる様に、硬貨や紙幣など物質の通貨を使うか否かは問題ではない。 要は、それと同等の約束が通用しているか否かだ。 物質の通貨が存在しなくても、そういう約束が通用している社会は、物質の通貨を用いている社会と、本質的には同じである。 言い方を変えると、通貨の総量は、 (これからX年Y月Z日までに買うつもりの益の量の全員分の合計) - (これからX年Y月Z日までに売るつもりの益の量の全員分の合計) であり、この様に表現すれば、消費する分だけ生産しなければ足りない、という当然の道理に反する偽りの安心を通貨が我々に与えてくれている事が分かる。 通貨の交換価値説を信じた各個人は、 (これからX年Y月Z日までに売るつもりの益の量) ≧ (これからX年Y月Z日までに買うつもりの益の量) - (現在所有している通貨の量) でありさえすればよい、と考えるので、 (これからX年Y月Z日までに買うつもりの益の量) > (これからX年Y月Z日までに売るつもりの益の量) ≧ (これからX年Y月Z日までに買うつもりの益の量) - (現在所有している通貨の量) という選択をしてしまう可能性が有ります。 そういう選択をする人が多過ぎれば、 (これからX年Y月Z日までに買うつもりの益の量の全員分の合計) > (これからX年Y月Z日までに売るつもりの益の量の全員分の合計) という風に成ってしまい、これでは、おカネを十分に持っているのに買おうとしても買えないケース、つまり通貨が不渡りに成るケースが出て来ます。 宇田経済学では、この事を指して、正定値通貨は不良債券である、と言い、通貨の交換価値説をおカネ詐欺と呼びます。 この問題は第1種のペテンに属します。 この問題を放っておいて幾ら、銀行では1円合わないだけでも合うまで残業だと言っても、裁判では念のために疑わしきは罰せずだと言っても、全て砂上の楼閣なのである。 屁理屈の上に積み上げる理屈を幾ら厳密にしても、そんなのはただのポーズ、厳密な振りに過ぎない。 容器の中に気泡が入っているので、液体の体積は、容器の容積よりも小さい。 個人に着目すれば、液体の体積の分だけ他者に供給して稼ぎ、そうして得たおカネと、元々持っている気泡分のおカネを合わせて、購入するつもりでいる。 しかし、それでは全体として、供給するつもりの量が購入するつもり量よりも小さく成ってしまって、アテが外れる。 これは、第1種のペテンによって生じる弊害だ。 経済が破綻しない為には経済成長が必要だ、とされるのは、この為かも知れない。
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最終更新2021年05月11日 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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