since 2003 イレコナビ サイトマップ |
||||||||||||
< 学問 > | ||||||||||||
< 持論 > | ||||||||||||
< 宇田経済学 > | ||||||||||||
< 通貨の総量 > | ||||||||||||
無限連鎖講の延命工作 正定値通貨制度は無限連鎖講だから、有限のプレイヤーしか居ない現実社会では必ず行き詰る。最終的には、平衡状態という形で行き詰るが、そう成る前の途中の段階には何が有るかを考えてみる。 正定値通貨無限連鎖講は、その開始から十分に時間が経過して自分の所有通貨量を増やすつもりの人が足りなく成ると、 (今後売るつもりの益の量の全員分の合計) ~ (今後買うつもりの益の量の全員分の合計) - (現在所有している通貨の量の全員分の合計) という風に成ってしまい、十分におカネを持っているのに買おうとしても買えない、という通貨の不渡り問題が発生するのだった。 この事は現実の歴史において繰り返し見られる人手不足に対応している、と私は仮説する。 無限連鎖講では、上流の人は買うだけ、下流の人は売るだけだから、人手不足の内容は下流の人が売らなく成る事です。 この事を「下流の人が働かなく成る」と上流の人が言うのが如何に間違っているか、良く分かります。 真っ先に働かなく成ったのは上流の人なんだから。 無限連鎖講では、上流の人から順に売らなく成って行き、最後は下流の人まで売らなく成る。 人手不足が起こると、その対策として、外注が始まる。 この外注が無限連鎖講の延命工作の第1弾である。 無限連鎖講なのだから、これは国外からおカネではない益を徴収する実質上の徴税を通貨発行国が勝手に始める事に等しく、正義に反する。 無限連鎖講の文脈では、外注は下流の付け足しである。 無限連鎖講は、永遠に下流を付け足し続けなければ止まってしまうが、幾ら世界が広いと言っても、付け足すべき下流が無限に存在するわけではないので、それは不可能である。 大西洋奴隷貿易やアヘン戦争と、この論理との関係を私は疑う。 現代で言うと、経済のグローバル化が、これだろう。 つまり、経済のグローバル化は、基軸通貨無限連鎖講の延命工作だと私は考える。 ここまでをまとめると、まず外注開始時、足りない分を国外から買うのだから、 (国外から買うつもりの益の量の国民全員分の合計) = (買うつもりの益の量の国民全員分の合計) - (売るつもりの益の量の国民全員分の合計) ・・・ (1) (買うつもりの益の量) = (国内から買うつもりの益の量) + (国外から買うつもりの益の量) ・・・ (2) ∴ (売るつもりの益の量の国民全員分の合計) = (国内から買うつもりの益の量の国民全員分の合計) ・・・ (3) つまり、外注開始時には、国内の需要と供給は、釣り合っている。 ただし、 (国外に売るつもりの益の量) = 0 ・・・ (4) とします。 外注によって国内通貨が減少するに従がって、 (買うつもりの益の量の国民全員分の合計) - (売るつもりの益の量の国民全員分の合計) > 0 が減少する。つまり、 ⊿(売るつもりの益の量の国民全員分の合計) > ⊿(買うつもりの益の量の国民全員分の合計) ・・・ (5) この間に (国外から買うつもりの益の量) は変化しないとする。 ⊿(国外から買うつもりの益の量) = 0 ・・・ (6) すると、(2)(6)から、 ⊿(買うつもりの益の量) = ⊿(国内から買うつもりの益の量) ・・・ (7) この事と(5)から、 ⊿(売るつもりの益の量の国民全員分の合計) > ⊿(国内から買うつもりの益の量の国民全員分の合計) ・・・ (8) この事と(3)から、 (外注開始時に売るつもりだった益の量の国民全員分の合計) + ⊿(売るつもりの益の量の国民全員分の合計) > (外注開始時に国内から買うつもりだった益の量の国民全員分の合計) + ⊿(国内から買うつもりの益の量の国民全員分の合計) つまり、 (国内通貨減少後の売るつもりの益の量の国民全員分の合計) > (国内通貨減少後の国内から買うつもりの益の量の国民全員分の合計) ・・・ (9) これは、国内に失業問題が発生する事、を意味します。 つまり、経済のグローバル化による産業空洞化も、通貨の正定値性の帰結だという事です。 失業問題を解消する為に通貨を追加発行したら、しばらくは良くても、国内の通貨の量が復元されるので、時間が経つとまた人手不足に成り、外注の追加を経て、産業空洞化がもう一段階進む、つまり無限連鎖講の第2波が来るだけです。 考えてみれば、おカネとは自分の仕事を他者に付け替える道具なのだから、これは当然の事である。 国外にドバーッと流れ出るおカネで仕事もドバーッと国外に流し出されるのである、水洗便所の様に。 外注をやめて国内から買う方式に帰っても、これはトランプ大統領のやり方ですが、振り出しに戻る、元の木阿弥です、国内の通貨の量は前より少ないけれどまだ正(プラス)なので、やはり人手不足が再来する。 この他に、国外に益を売り始めるという方法も考えられる。 ハリウッドによる映画産業は、これだと思う。 この方法は、有効であるのみならず経済を無限連鎖講ではない方向に健全化するが、外注による国内通貨の減少をキャンセルするには足りないので、これだけで失業問題を無くす事は出来ない。 下流は一方的に売る、上流は一方的に買うのが無限連鎖講であり、上流が下流に売る事は状況を無限連鎖講ではない方向に健全化する。 経済成長が人手不足や失業問題を解消し得るか考えてみる。 取引内容に新種の益の売買を追加すると、どう成るだろうか。 税金で公共事業を発注する事も、これに属するだろう。 以下では、 ⊿(買うつもりの旧種の益の量) = 0 ・・・ (10) つまり、買うつもりの旧種の益の量は変化しない、とする。 新種の益の売買を追加すれば、(買うつもりの益の量) が ⊿(買うつもりの益の量) = ⊿(買うつもりの旧種の益の量) + (買うつもりの新種の益の量) = (買うつもりの新種の益の量) ・・・ (11) だけ増加し、(売るつもりの益の量)が、 ⊿(売るつもりの益の量) = ⊿(売るつもりの旧種の益の量) + (売るつもりの新種の益の量) ・・・ (12) だけ増加する。 まず人手不足について。 新種の益の売買の追加によって、 (買うつもりの益の量の全員分の合計) - (売るつもりの益の量の全員分の合計) = D > 0 という人手不足の状態が、 (買うつもりの旧種の益の量の全員分の合計) - (売るつもりの旧種の益の量の全員分の合計) ≦ 0 ・・・ (13) という状態に変化する場合を考える。 つまり、 ⊿(売るつもりの旧種の益の量の全員分の合計) - ⊿(買うつもりの旧種の益の量の全員分の合計) ≧ D > 0 ・・・ (14) である様な場合を考える。 (10)(14)から、目標は ⊿(売るつもりの旧種の益の量の全員分の合計) ≧ D ・・・ (15) とする事だ、という事に成る。 全員を、 (買うつもりの新種の益の量) = 0 ≦ (売るつもりの新種の益の量) ・・・ (16a) and ⊿(売るつもりの旧種の益の量) = 0 ・・・ (16b) である様な人つまり新種の益を売る人と、 (買うつもりの新種の益の量) ≧ 0 = (売るつもりの新種の益の量) ・・・ (17a) and ⊿(買うつもりの益の量) = ⊿(売るつもりの益の量) ・・・ (17b) である様な人つまり新種の益を買う人に、分ける。 両方の条件を同時に満たす人は便宜上、新種の益を買う人だ、としておく。 すると、(11)(12)(17b)から、新種の益を買う人については、 (買うつもりの新種の益の量) = ⊿(売るつもりの旧種の益の量) + (売るつもりの新種の益の量) この事と(17a)から、 (買うつもりの新種の益の量) = ⊿(売るつもりの旧種の益の量) ・・・ (18) 従がって、 ⊿(売るつもりの旧種の益の量の全員分の合計) = ⊿(売るつもりの旧種の益の量の新益売人全員分の合計) + ⊿(売るつもりの旧種の益の量の新益買人全員分の合計) = (買うつもりの新種の益の量の新益買人全員分の合計) ∵ (16b)(18) この事と(15)から、 (買うつもりの新種の益の量の新益買人全員分の合計) ≧ D ・・・ (19) 売買の量は増加するので、これは経済成長を表している。 つまり、外注を開始せず新種の益の売買を追加して経済成長を達成する事によって人手不足を解消する事は可能であり、それは、実態が無限連鎖講である場合には新種の益を上流の人が下流の人に売る事だから、状況を無限連鎖講ではない方に健全化する。 しかし、新種の益を売る人の心理に疑問な点が有ります。 新種の益を売る人の心理は、 ⊿(買うつもりの益の量) - ⊿(売るつもりの益の量) = (買うつもりの新種の益の量) - ⊿(売るつもりの旧種の益の量) - (売るつもりの新種の益の量) ∵(11)(12) = - (売るつもりの新種の益の量) ・・・ (20) ∵ (16a)(16b) であり、これは、通貨の所有量を減らすつもりを(売るつもりの新種の益の量)だけ減らす事を意味します。 減らすつもりを減らすのだから、新益を導入しない場合ほどには減らさないつもりに変わる、という事です。 あるいは、新益を導入しない場合よりももっと増やすつもりに変わる、という事です。 旧益の人手不足をゼロにする為には、(19)を成立させる必要が有り、その為には、少なくとも、 (売るつもりの新種の益の量の新益売人全員分の合計) > 0 ・・・ (21) である事が必要です。 新益の人手不足を解消せず、極端な話、(売るつもりの新種の益の量の新益売人全員分の合計) = 0 であっても、何らかの原因で(19)が成立すれば(15)は成立し旧益の人手不足は解消されるが、それでは、新種の益を買えない事が分かると直ぐに (買うつもりの新種の益の量) = 0 に成り、(15)も成立しなく成る。 (20)を使えば、(21)は (通貨の所有量を減らすつもりの減少の新益売人全員分の合計) > 0 である事だと解釈されます。 新種の益を売る人が何故そう決断するのか、その心理が不明です。 旧種の益の供給不足を解消するのが目的ならば、新種の益を売り始めるなんて回りくどい事をする代わりに自分達が ⊿(売るつもりの旧種の益の量の新益売人全員分の合計) = D とすれば済む話だ。 だから、新種の益を売る人の心理としては、旧種の益の供給不足を解消するといったボランティアみたいな目的ではなく、もっと利己的な目的が必要である。 確信は持てないが、旧益の購入資金が減るのを遅める為に新益の販売を開始する、という心理ではないか。 一方、新種の益を買う人の心理は(17b)(18)で表されている。 これは、新益を買うおカネを稼ぐ為に旧益の販売量を増やす、という心理です。 これらの様な費性の心理だけでなく、産性の心理も考えられる。 新種の益の売買を追加した後の全体としての人手不足は、 (旧種の益を売る人手の不足) + (新種の益を売る人手の不足) = (新種の益を売る人手の不足) ・・・ (22) ∵ (13) 式(22)は、人手不足が旧種の益から新種の益に移動する事を、表している。 外注で生じた失業問題を国外に益を売り始める事によって解消したり、外注を開始せず経済成長で人手不足を解消したりする事は、反無限連鎖講的な健全な(フローだけで経済を運営する)方法ではあるが、そんな事が出来るんだったら、最初から全ての人に同量の通貨を持たせれば良いはずだ。 そうしないのは、出来ないからだ、または、同じ純フロー経済であっても通貨の所有量が平等で有るか否かで出る違いを求めての事だ。 その違いとは、負担の違いや産性の喜びの違いだ。 そうでないと言うなら、人手不足の時に下流の人が売らなくなった益を上流の人が代わりに売り始める事をせず、あくまで下流の人に売らせようとするのは何故なのか。 ここに大きなウソが有るのだ。 純フローという条件は、益の授受の公正性を保証するには十分だが、産性の喜びや負担を全くカウントしない点で、それだけでは不十分である。 ここから失業問題について。 外注で国内に失業問題が生じるのは、国内の通貨の量が減って(9)が成立する様に成るからだった。 (売るつもりの益の量の国民全員分の合計) - (国内から買うつもりの益の量の国民全員分の合計) = D' > 0 という失業問題の存在する状態が、新種の益の売買の追加によって、 (売るつもりの旧種の益の量の国民全員分の合計) - (国内から買うつもりの旧種の益の量の国民全員分の合計) = 0 ・・・ (23a) and (売るつもりの新種の益の量の国民全員分の合計) ≦ (買うつもりの新種の益の量の国民全員分の合計) ・・・ (23b) という状態に変化する場合を考える。 つまり、 ⊿(国内から買うつもりの旧種の益の量の国民全員分の合計) - ⊿(売るつもりの旧種の益の量の国民全員分の合計) = D' > 0 ・・・ (24) である様な場合を考える。 (国外から買うつもりの旧種の益の量) と (国内から買うつもりの旧種の益の量) は、どちらも変化しないものとする。 ⊿(国外から買うつもりの旧種の益の量) = 0 ・・・ (25a) ⊿(国内から買うつもりの旧種の益の量) = 0 ・・・ (25b) ∴ ⊿(買うつもりの旧種の益の量) = ⊿(国外から買うつもりの旧種の益の量) + ⊿(国内から買うつもりの旧種の益の量) = 0 ・・・ (10) (24)(25b)から、目標は ⊿(売るつもりの旧種の益の量の国民全員分の合計) = - D' ・・・ (26) とする事だ、という事に成る。 国民を、 (買うつもりの新種の益の量) = 0 ≦ (売るつもりの新種の益の量) ・・・ (16a) and ⊿(買うつもりの益の量) = ⊿(売るつもりの益の量) ・・・ (17b) である様な人つまり新種の益を売る人と、 (買うつもりの新種の益の量) ≧ 0 = (売るつもりの新種の益の量) ・・・ (17a) and ⊿(売るつもりの旧種の益の量) = 0 ・・・ (16b) である様な人つまり新種の益を買う人に、分ける。 両方の条件を同時に満たす人は便宜上、新種の益を買う人だ、としておく。 売る人については、(11)(12)(17b)から、 (買うつもりの新種の益の量) = ⊿(売るつもりの旧種の益の量) + (売るつもりの新種の益の量) この事と(16a)から、 ⊿(売るつもりの旧種の益の量) = - (売るつもりの新種の益の量) ・・・ (27) この事と(16b)から、 ⊿(売るつもりの旧種の益の量の国民全員分の合計) = ⊿(売るつもりの旧種の益の量の新益売人全員分の合計) + ⊿(売るつもりの旧種の益の量の新益買人全員分の合計) = ⊿(売るつもりの旧種の益の量の新益売人全員分の合計) ∵ (16b) = - (売るつもりの新種の益の量の新益売人全員分の合計) ∵ (27) この事と(26)から (売るつもりの新種の益の量の新益売人全員分の合計) = D' ・・・ (28) 売買の量は増加するので、これも経済成長を表している。 つまり、外注による国内通貨減少のせいで生じた失業問題は、新種の益の売買を追加して経済成長を達成する事によって解消できる。 それは、実態が無限連鎖講である場合には、下流の(失業した)人が上流の(失業してない)人に売る、という事だから、無限連鎖講の延命工作の第2弾です。 新種の益を売る人の心理は(17b)(27)で表されている。 これは、旧益の売れない分の代わりに同量の新益を売る、という心理です。 一方、新種の益を買う人の心理は、 ⊿(買うつもりの益の量) - ⊿(売るつもりの益の量) = (買うつもりの新種の益の量) - ⊿(売るつもりの旧種の益の量) - (売るつもりの新種の益の量) ∵(11)(12) = (買うつもりの新種の益の量) ・・・ (29) ∵ (16b)(17a) であり、これは、通貨の所有量を減らすつもりを(買うつもりの新種の益の量)だけ増やす事を意味します。 減らすつもりを増やすのだから、新益を導入しない場合よりもっと減らすつもりに変わる、という事です。 あるいは、新益を導入しない場合ほどには増やさないつもりに変わる、という事です。 (23b)(16a)(17a)(28)(29)から、 (通貨の所有量を減らすつもりの増加の新益買人全員分の合計) ≧ D'. この事は、旧種の益では失業してない人が失業した人を追加雇用する気に成れないが、新種の益なら失業してない人が失業した人を追加雇用する気に成る、という心理を表しています。 これは、いわゆる身売りとか骨までしゃぶられるといった様な凶事を表している場合も有るだろう。 規制緩和や自由化という物の本質はここに有るのではないか、を疑う必要が有る。 新種の益の売買を追加した後の全体としての失業は、 (旧益を売る仕事での失業) + (新益を売る仕事での失業) = 0 ∵ (23a)(23b) だから、失業問題が解消される。 ただし、その為には(23b)の成立が必要です。 人手不足の解消にしても、失業問題の解消にしても、ここまでで私は、各人の売るつもりや買うつもりの変化を結論として来た。 それに対して、人手不足や失業問題は各人の変化ではなく人数の変化によってしか解消されない、という反論が有るかもしれない。 これについて、経済の実情に即した完全な答えは後で考える事にして、間に合わせの答えを、ここで考えてみる。 人手不足については、週3日勤務の人の売るつもりが増加して週5日勤務に成れば、各日に職場で勤務している人数は増える。 失業問題については、週1日コンビニエンス・ストアに勤務し、週1日スーパー・マーケットに勤務していた人が、スーパー・マーケットを解雇されて、週1日コンビニエンス・ストアに勤務し、週1日携帯電話ショップに勤務する様に成ったなら、これは、携帯電話ショップでの働きという新種の益の売買の追加が、(コンビニエンス・ストアでの働き) + (スーパー・マーケットでの働き) という旧種の益の失業問題を解消した、と解釈され得る。 これは、説明の為にしか役立たない実際的でない具体例だとは限らず、現実でもこうした方が本当は良いのかもしれない。 全時間を被雇用で使い切らず余暇を十分に残す事、単一の職場に依存し切らず複数の職場に勤務してリスクを分散する事、これらは、ワークシェアリング、多角経営の被雇用者版、悪用される優越的地位を存在させない、といった観点から合理的である。
|
||||||||||||
最終更新2021年05月25日 | ||||||||||||
|