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| 2012年01月16日(月) | ||||||||||
| 貨幣の動力学 | ||||||||||
| 昨日は、主君が、統治という自分の与益に伴う債券として、貨幣を自分で鋳造して持った、という考え方を書いた。 こう書くと、主君は随分と乱暴な事をするなあ、という風に見えるかもしれないが、もともと、統治という自分の与益に対して主君は税を取っていたわけだから、税を取る代わりに、税として納められる予定だった物品を買える貨幣を持った、と考えると、貨幣無しの時代よりも何かが悪化したのではない、と分かる。 また、鋳造した貨幣と同じだけの減税を行なわなくても、主君が家禄として家臣に貨幣を支払う際に、この貨幣で主君の所有物を買う事も出来る、という条件を設定しておけば、実質上は、家臣が主君に物品を貸してその債券として貨幣を持った、という状態に成り、家臣が貨幣で臣民から何かを買う事が、家臣に対して主君がすべき事を臣民に肩代わりさせている事には、当たらない、と考える事が出来る。 さらに、税を貨幣で支払う事が出来る、という所まで行くと、貨幣で主君の所有物を買う事が出来る、という条件まで外せる気がする。 一見、この考えは正しそうに見えるが、貨幣を自分で鋳造して物を買うなら、絶対にその人が不正な利益を得ているはずだ、と直感的に分かるので、どこかに、おかしい所が有るはずだ。 しかし、そのまま考えたのでは、問題が難し過ぎて、何を拠り所に考えて良いのか分からない。 根拠の根拠を辿って行くと元に戻ってしまう様な、掴み所の無い問題だ。 そこで、貨幣は幻である、という基本認識に立ち返って、貨幣導入後の現象から貨幣を削除したらどう見えるか、を考えてみる。 n人の人P1,P2,・・・,Pnが居て、PjがPj+1から手袋をもらう、PnはP1から手袋をもらう、という一連の取引を考える。 手袋はn-1対しか無いとする。 始状態では、n人の中の誰か1人が手袋を持ってないはずだ。 P1が手袋を持ってない、としよう。 まずP1が、P2に「手袋をくれ。その代わりP3から手袋をもらえば良いじゃないか」と言って、P2から手袋をもらう。 その結果P2が、P3に「手袋をくれ。その代わりP4から手袋をもらえば良いじゃないか」と言って、P4から手袋をもらう。 その様な事の繰り返しが起きた後で、PnがP1に「手袋をくれ。その代わりP2から手袋をもらえば良いじゃないか」と言ってP1から手袋をもらう。 このサイクルを永久に繰り返せば、手袋はn-1対しか無いのに、n人全員が手袋を所有できるかに見えるが、それは錯覚だ。 どの人も、手袋を与えてから受け取るまでの僅かな時間だけ、手袋を持っていない状態に成る。 したがって、この取引は、言い出しっぺのP1だけが得をし、その分だけP2,・・・,Pnの各々に少しずつ損を分担させるものだ。 P1を貨幣の鋳造者(主君)と考えれば、これが、税を貨幣で支払う事が出来る場合の、経済構造だろう。 全ての時刻に渡って、どこにも貸し借り(貨幣)が無い状態を維持するには、手袋の全ての授受が同時に起こらなければいけない。 それに対して、貨幣がある場合には、手袋の授受(または債権)が波(または空孔)の様に伝播し、P1の所に戻って来るまでに有限の時間が経過する。 この時間をTとすると、P2,・・・,Pnの各々は、1人当たり時間T÷nだけ手袋を貸す事に成る。 これに対して、P1が手袋を借りている時間はTだ。 このサイクルを永久に繰り返せば、P1は、ほとんど常時、手袋を借り続ける事が出来る。 鋳造者は、貸した人に、自分は貸している、という事に気付かれずして、たくさんの人に僅かな時間ずつ貸させて、その時間の合計の時間だけ、無償で借りる事が出来る。 これが貨幣の効果の本質なのではないか。 とすると、利子(レンタル料)がちょろまかされている、という事が問題なのだろうか? 貨幣が電気回路の起電力の様な働きをしているのではないか、とも思うが、まだどう繋がるのか分からない。 |
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