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| 2012年01月15日(日) | ||||||||||
| 貨幣の起源 | ||||||||||
| 昨日の記事に書いた様に、貨幣経済の原始時代には、与益せずして貨幣を持つに至った者が、必ず居るはずだ。 それは誰だろうか? 元々は、貨幣の発行者つまり国家権力、だろう。 昨日、貨幣は最初無償で配給されたのかなあ、と父に問い掛けたら、最初は主君が家来に家禄を貨幣で支払ったみたいな事だろう、と言われ、それは当たっていそうだ、と思った。 そこで、主君が、家臣からの受益に対する報酬として、自分で鋳造した貨幣を使った、という状況を考え、その論理を検討してみる。 家臣にしてみれば、最初は、貨幣なんかもらっても、何ももらってないに等しい、と不満に思うだろう。 それに対して、主君は、その貨幣で臣民から受益できる、と説明する。 これで家臣は一応納得するだろう。 しかし、これでは、本来は主君がすべき家臣への与益を、臣民に肩代わりさせている事、に成る。 家臣は、その点を疑問に思うかもしれないが、どの人もちゃんと受益できるのだからまあいいや、と考えたのだろう。 家臣が臣民から益を貨幣で買おうとする時にも、同じ事が起こる。 臣民は、最初は、貨幣なんかもらっても、何ももらってないに等しい、と不満に思うが、その貨幣で他の臣民から受益できる、と説明され、納得する。 その繰り返しだ。 こうして貨幣は、不幸の手紙の様に、権力の出先機関として、徴収の波を波及させて行ったはずだ。 こう考えると貨幣は、債券ではなく、徴収令状であり、主君への無償の与益の領収書だ。 経済全体を考えてみると、それまで家臣への報酬が物納税の中から支払われていた、とすると、それを止めて貨幣で支払う事は、税の2重取りに当たる。 しかし、それに相当する分だけ税の減免が実施されていれば、そうは成らないので、その点は本質的な問題ではない。 おそらく、貨幣が債券ではなく徴収令状、領収書である事自体が、問題なのではないか。 現代社会では、実感としては、貨幣は益の債券だと思う。 しかし、起源においては、貨幣は徴収令状であった様だ。 貨幣の徴収令状としての性質は、時間と共に減衰して行ったのか? それとも、まだ保持されているのか? 主君が一方的に、統治という行為は家臣と臣民に対する与益であるので、その債券を作る、と言って貨幣を鋳造した、と解釈する論理的可能性はある。 そう考えると、主君も与益に対して貨幣を持つに至った、と考える事が出来る。 だから、与益せずに、というのがポイントではなく、受益者から渡された貨幣ではない事と、受益者に有無を言わせずのものである事、がポイントなのかもしれない。 とすると、貨幣を債券として理解する私の考え方を、今後も押し通す事が出来るかもしれない。 --- 注:不幸の手紙とは、だいたい「この手紙と同じ内容の手紙を3日以内に10人の人に渡さないと、あなたは不幸に成ります」といった内容の手紙で、過去に大量に出回った事があるそうです。 |
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