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結局、自由市場取引のルールとして厳密に正しいのは、
益ベース完全一致式価格決定律だ、と私は考える様に成った。
これが自由市場取引の基礎原理であり、需要と供給の関係から価格が決まる、とする
オークション方式は次善策だ、と私は考える様に成った。

次善策は、売れ残り問題の解決に対してのみ妥当である可能性が残されているのであり、基礎原理に従った処理中に、その進行に割り込む形で使用されるならば、それは明らかに
法核違反とされるべき物だ。

人iが益種格量αに付けた価格をVi(α)とする時、各々の益種格量αと任意の価格pに対して、集合Sp(α)≡{ i | Vi(α) = p}を定義する事が出来る。
これは、益種格量αの価格をpだと感じる人の集合だ。
そして、
益ベース完全一致式価格決定律に基づくならば、どの益種格量の売買も、各々の集合内でのみ行なわれ、異なる集合に属する人の間では取引は全く行なわれない。
価格の相場の定義としては、
Sp(α)を最大にするpが、αの価格の相場である。
といった定義ぐらいが良いだろう。

価格決定律としては本当は何が正しいのか、をキチンと考えずに過ごして来た長い間、私は、需要と供給の関係から価格が決まる、とする
オークション方式を神聖なルールだとばかり思い込んでいた事が多い。

思い出してみると、私が非常に子供だった頃に、「自由が正義の基本だ」と主張する私に対して、ある大人が「取引も自由に行なうのが正しいのか」と訊き返し、不意を突かれた私が少し考えた後で「そうだ」と答えると、その大人は、さらに「
オークション(価格競争)も自由にしてよいのか」と訊き返して来た事があった。
その時の私は、大目に見ても良い、という判断で、「よい」という返答をした。
その返答には、大目に見ても良いだけであって厳密に正しいのではない、というニュアンスを含めなかったので、「厳密に正しい」という形で引用されて来た事が懸念される。

また思い出してみると、その時の私が正しい取引様相として一瞬思い浮かべた自由取引は、金銭のやりとりのイメージが入っていなかったが、
益ベース完全一致式価格決定律に相当する物だった。
その後、26才(1993年)ごろ千葉県の自室内で、厳密には
オークション方式は正しくない、という意味の独り言を言った事が有った。
その独り言は、思い残しをリストアップする形での物だった。
また、学生時代の晩期の私には、友人から意見を求められて、「オレは、もう間違った事を言うのは嫌なんだ」と言って、答えなく成った事があったのも思い出す。
これらの事は、厳密には正しくないと分かっていながら、それでも言わないよりも足しに成るから、という理由で長い間発言して来た、という事が20才頃まで続いていた事の証拠だ。
また、考えている事が複雑すぎて即座に言語で表現する事が出来ない、というレベルに、その頃には達していた、という事でも有る。



子ページ 益ベース完全一致式価格決定律
オークションと第4種のペテン



27日@2012年01月@日記 市場原理
13日@2012年02月@日記 競争原理
14日@2012年02月@日記 価格決定のメカニズム
15日@2012年02月@日記 価格決定における売り手の意志
16日@2013年11月@日記 自由市場方式の正義
17日@2013年11月@日記 結託しての不買の諸形態
26日@2014年07月@日記 益ベース価格決定律
27日@2014年07月@日記 価格決定律あれこれ
28日@2014年07月@日記 正々堂々とした市場競争
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最終更新2015年12月28日