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現代社会では、物々交換描像ではなく、循環機械描像が正しい。
物々交換描像というのは、例えば手袋と靴下を物々交換する際に、間に貨幣を介在させて、手袋を受け取った人が直ぐに靴下を渡さず受け取った証拠に貨幣を渡し、手袋を先渡しした人が後日貨幣と交換に靴下を受け取る、という納得方式の事だ。
手袋と靴下の物々交換では、手袋を渡す人は手袋を渡す相手から靴下を受け取るが、循環機械描像では、手袋を渡す人は手袋を渡す相手とは別の人から靴下を受け取り、現代社会で実際に起こっているのは、後者だ。
個々人は取引相手のみと2者取引をしているのではなく、取引相手を窓口として経済全体と取引をしている。

貨幣が初登場した頃は、貨幣は、2者間での物々交換の便利化としての意味しか持たなかったかもしれないが、その様な独立の取引者ペアーが至る所で発生し、その存在密度が空間的にも時間的にも高まると、複数の小磁石が結合して大磁石が出来る様に、取引者ペアーが輪(イメージ)につながって経済循環機械という大循環が生じたのだろう。
これは、物版インターネットだ。
2021年までにIoT(Internet of Thing)という言葉が普及する様に成った。
そこで、誤解を防ぐ為に「益版インターネット」と言い直しておく。
この様に、私の言葉が正しく伝わらない様に言葉などの公共の規格を追加したり廃止したり変更したりする工作が執拗に繰り返されている事を覚えて置いて下さい。

貨幣に対する従来の理解は、2者間の物々交換描像を、基本としている。
つまり、前の人に手袋を与え、その代わりに、前の人から靴下を受け取る、といった描像だ。
これに対して、貨幣経済に対する私の理解は、前の人に手袋を与え、その代わりに、後ろの人から靴下を受け取る、といった描像だ、と言える。
何か、アインシュタインが一般相対性理論の説明として用いたとされる、ずっと前方に自分の後頭部が見える、という話を彷彿とさせる。
これが、経済全体との取引であり、イメージとしては、全体が輪に繋がっており、自分はその輪の中の1人で、前の人に手袋を与える事は経済全体に手袋を与える事で、後ろの人から靴下を受け取る事は経済全体から靴下を受け取る事だから、経済全体と自分が物々交換をした、という風に理解できる。
これは、やってみるまでは、そんなもの本当につながるのか、と疑ってしまう様なネットワークが実際に繋がっている、という事であり、貨幣経済については醜悪な面ばかり強調される事が多いが、大筋においては、まるでキリストの教えを地で行くかの様な奇跡にも見える。
2者間の物々交換描像よりも、私の益版インターネット描像の方が、現代社会に暮らす我々の実感に近い。

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無限連鎖講
国家財政の分析




06日@2012年01月@日記 宇田経済学樹立
11日@2012年01月@日記 宇田経済学における貨幣の定義
14日@2012年01月@日記 経済循環機関
15日@2012年01月@日記 貨幣の起源
16日@2012年01月@日記 貨幣の動力学
17日@2012年01月@日記 貨幣の動力学(2)


最終更新2021年05月26日