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益貸借の仕組


個人の行為には「借りる」「返済する」の2つが無い、と考える。
そして、経済全体の行為には「貸す」「受け戻す」の2つが無い、と考える。

個人Aが個人Bを窓口として経済全体に与益して貨幣を得る事、つまり、個人Aが個人Bに何かを売る事、を例に取って説明する。
・個人Aは、個人Bを窓口として、経済全体に、何かを貸している。
・個人Bは、個人Aを窓口として、経済全体から、その何かを受け戻している。
・経済全体は、個人Bを窓口として、個人Aから、その何かを借りている。
・経済全体は、個人Aを窓口として、個人Bに、その何かを返済している。

これを、個人Aと個人Bの2者取引だ、と誤解すると、個人Aは貸すつもりで渡しているのに、それを個人Bは受け戻すつもりで受け取っている事に成り、もし、そこで意思疎通が行なわれたら、2人とも「何だと!」と言って怒り出す危険性があるので、2人が言葉を交わさない事を祈る、といったスリル満点の状況だ。
しかし、その様な、自分のしている事と相手のしている事の意味、というものを考えないならば、全く不都合は生じない。
これは、非常に絶妙だ。
一見まるで、AとBが同一の取引に対して異なる認識を持っているのに取引が成立する、かの様だ。

A 経済全体 B
貸す 借りる, 返済する 受け戻す

意地悪な言い方をすると、経済という悪魔が居て、この悪魔が、Aに対しては「私の部下Bが取りに行くから、そいつに渡してくれ」と言ってAから何か借り、それと同時に、Bに対しては「私の部下Aが渡しに行くから、そいつから受け取ってくれ」と言って、Bへの返済を済ませてしまう、というズル賢い手口に成っている。
ただし、これは言葉の綾であって、貨幣経済のシステムがそういう意味でズル賢いものだ、とは私は思っていない。

ともあれ、貨幣経済は、「返せ」と言われた時に運良く他の誰かが「貸す」と言ってくれなければ成り立たない究極の自転車操業、だと言える。



出典 01日@2012年02月@日記 「貸す」「受け戻す」「借りる」「返済する」の相互関係


最終更新2016年01月29日