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国家財政の分析


税金方式(受益者負担の場合)
 
金流は益流と逆向きです。
政府が、Aから税金を徴収してそれをBに支払って、BをしてAに与益せしめる。
これは、A内の人が割り勘でBから益を購入するのと同じです。
Aは、税金を支払った分だけ、
(今後売るつもりの益の量) - (今後買うつもりの益の量)
が増加し、今後周囲に益を放出する(売る)。
Bは、税金で支払いを受けた分だけ、
(今後売るつもりの益の量) - (今後買うつもりの益の量)
が減少し、今後周囲から益を吸収する。
全体としては益流も金流も保存流であり、政府はポンプ(心臓)の働きをしている。
益流の本当の原動力は需要です。

通貨を追加発行する方式
 
益流の発散(div) > 0 の点では、金流の発散(div) < 0 です。
政府が、通貨を追加発行してそれをBに支払って、BをしてAに与益せしめる。
Bは、追加発行された通貨で支払いを受けた分だけ、
(今後売るつもりの益の量) - (今後買うつもりの益の量)
が減少し、今後周囲から益を吸収する。
Bが周囲から益を吸収するとは、追加発行された通貨の一部で周囲から益を買う事である。
このおカネが、十分に時間が経った後では、全員の商取引に混入し、その分だけ全員の所持金を微増させる。
所持金が微増したという事は、その点では金流の発散(div) < 0 に成ったという事です。
また、所持金の微増は、周囲に益を売る事によって起こるので、その点では益流の発散(div) > 0 に成ったという事です。
B内でも 益流の発散(div) > 0 です。
益流の発散(div) > 0 である事は
益の湧き出しを意味します。
全体の至る所から湧き出した益が合流してBに流れ込み、それにB内で湧き出した益を加えた益をBはAに与える。
これは非保存流です。
全体から湧き出した益がBを介してAに流れ込む、という構図です。
Aからも益が少しは湧き出しますが、それ以外の意味では、AにはBから益が流れ込むのみでAは周囲に益を放出しないので、トータルではAは
益の吸い込み点の集合です。
また、全員の所持金の微増が平衡状態に達した後では、その増分を支払って益を買う事は全体としては出来ません。
増えたおカネで益を買おうとすると、(売るつもりの益の量) - (買うつもりの益の量) が減少し、
(売るつもりの益の量の全員分の合計) < (買うつもりの益の量の全員分の合計)
という風に成ってしまうからです。
これは無限連鎖講の飽和停止を意味します。
各人は使えないおカネで支払いを受けて益を売ったのだから、それは益を無償で与えたのと同じです。
つまり、通貨の追加発行は税としておカネではなく益を徴収する事(物納など)に等しく、それは無限連鎖講方式で行なわれる。

三橋貴明という人が唱えている説は、どうも、通貨を追加発行して需要より大きい供給能力の分だけ益を授受させろ、という意味らしいのですが、これが正しいか間違っているかは、総需要の不足が本質的な欲望の不足なのかそれとも単なる購買力の不足に過ぎないのか、で決まります。
本質的な欲望が不足しているならば通貨の追加発行で益流を作る事は、押し売りであり問題の解決には成りません。
欲望は不足しておらず購買力が不足しているだけなら、通貨の追加発行で益流を作る事は、自動車のエンジンをセルモーターで始動する様な働きをするので有効です。
欲望が不足してないのに購買力が不足しているとは、購買力の不足でみんなが三竦み(さんすくみ)に成っている状態で、これは、他者の購買力というアテ価値の不足によって自分がもし売るつもりに成っても予定通りに売れない、売れないから自分の購買力が不足する、その事がアテ価値の不足を悪化させる、という自縄自縛の事です。
これに対して、たくさん売ってたくさん買うよりも少ししか売らず少ししか買わない方がマシだ、という考えは本質的な欲望の不足です。

さて、通貨の追加発行において無限連鎖講の意味での上流と下流は、どことどこだろうか。
上端はAだ。
追加発行された通貨が全てAに無償で与えられ、その通貨でAはBから益を買う、と見なせるからだ。

A - B - その他
上流 ← → 下流

図を見ても、その様に成っている。
益流の終点が上端である。

出典 28日@2021年04月@日記 宇田経済学で政府の財政を分析する


最終更新2021年05月13日