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普通は金銭の貸借という物は、おカネには価値がある、という認識に立って行なわれているだろう。 しかし本当は、おカネは益の債券だ。 したがって、おカネを貸す事は、貸したという証明書を貸す事であり、「貸す」が2重に出て来て理解困難である。 おそらく、通貨使用が始まったばかりの頃には、そういう理由で、おカネの貸し借りは行なわれなかっただろう。 それが今では、金銭の貸借は当たり前に成っている。 という事は、この先ずっと行くと、カネを貸したという証明書には価値がある、という理屈が付けられて、それを貸す、という概念的に理解困難な行為が登場する可能性がある。 すでに現時点で、カネの債券の売買という物が話題になっている。 勘ぐると、これは、カネの債券を貸す、という行為を登場させる下準備だった可能性がある。 そもそも、益の債券である通貨は第1種のペテンの問題を抱えていたのだった。 それを貸し、さらに貸したという証明書を貸す、という風に、任意に複雑にして行けば、何らかの債務が無期限に延期されてしまうのではないか。 そういう懸念を私は覚える。 そこで、その点を良く考えてみると、大体次のような事だ、と分かった。 Aは、まず借りたカネで経済全体から益を購入し、その後で、Bに返済する為に経済全体に益を販売し、売り上げをBへの返済に充てる。 これは、実質上は、Aが経済全体から益を借り、BはAにその機会を与えている、という状況だ。 Bは戻してもらったおカネで経済全体から益を購入するので、経済全体が、AからもBからも、という風に二重に益の徴収を受ける、という事は、Aが借りたカネの返済の為に経済全体に益を販売する事によって、防がれている。 よって、貸したという証明書を貸す、という2重構造の複雑性に起因する異常は見られない。 おカネを使い果たすと、それ以上は何も買う事が出来ない、というリミッターが金銭貸借の許容化によって外れる、という問題は残るが、その点も利子を置く事によって解決されている、と理解できそうだ。 利子 = 弾性リミッター。
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最終更新2016年02月03日 | ||||||||||||
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