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2015年03月17日(火曜日)
金銭の貸借3(宇田経済学の話の続き)

利子は、どの値なら納得するのかによって決まる、という事に、昨日の記事で気付いたので、今日は、どの値なら納得するのか、を詮索する。

通貨の使用、つまり
経済への貸益が無利子である事の正当性の根拠も、当事者がそれに納得する事に求められる。
通貨を使用して経済に益を貸して返済を受けても、それが無利子ならば、与益量=受益量という意味で、何も増えない。
しかし、通貨を使用して経済に益を売って買い戻せ(=貸して返済を受けれ)ば、自分で自分に与益する場合よりも、同一
負担に対しては与益量が大きく、同一与益量に対しては負担が軽く成る。
従って、無利子であっても、経済に益を貸して返済を受けた方が自給自足の場合よりも、同じ負担でより多量の受益が出来、同じ受益をする為の負担が軽く成る、という事が言える。
この事は、個人が納得づくで通貨の使用(経済への貸益)を自ら進んで選ぶ理由として、十分である。

しかし、この文脈で言うならば、経済への貸益の利子が負(マイナス)であっても個人は納得するのではないか、という疑問が生じる。
利子ゼロで有限の好都合が有る、という事は、利子をゼロから少しだけ減らしても、まだ好都合なはずだからだ。
これについては、経済の窓口として個人Aに益を返済し債券を回収する、という個人Bの行為が同時に、経済に益を貸して債券を受け取る行為でもある事を考える時、経済への貸益の利子が負ならば両者が矛盾してしまう、という指摘が出来よう。

経済からの借益を解禁する、という規制緩和に個人は反対しないはずだ。
なぜなら、借りる事が出来ないよりは借りる事が出来る方がマシに決まっているからだ。
反対するのは貸す側だが、益を貸すのは個人ではなく経済全体だから、これも反対しない。
貸し出し窓口の個人は、解禁前と同額の金銭の支払いを受けるので、これも反対しない。
貸金者は、利率次第では納得するし、解禁されても貸すのを断る事は出来るので、反対しない。
金銭貸借の解禁という
第3規制緩和への納得は、ここまでは自明である。

残るは借金者(=借益者)の納得の内容だが、これには次の問題が有るだろう。
(1) 自給自足の場合よりも好都合なのか否かが不明。
(2)
斥力の存在に納得出来ない。

(1)について。
通貨の使用による負担の軽減と利子による負担の増加を勘案して、自給自足の場合よりも好都合だから、という理由で自ら進んで経済から借益するならば、これは自由主義の理念にかなっているが、経済から益を借りる事が強制される事は、自由主義の理念に反する。
経済と取引するか否か(通貨を使用するか否か)の選択も個人の自由である、とするのが本当の自由主義であるはずだ。(
2012年01月11日の記事)
ひょっとすると、経済から仕方なく借益する者には(=経済との取引を個人に強制する場合には)、通貨の使用による負担の軽減と利子による負担の増加が相殺する(=経済と取引しなかった場合と等価に成る)様に利子を決めるのが正義なのかもしれない。

(2)について。
借金せざるを得なく成ったのは斥力のせいであり、斥力は不当なものである。
これは、
宇田経済学の基準モデルでの借金には、当てはまりません。

何か犠牲にしている事は無いのだろうか?
益の返済の前倒し実行は納得に傷を付けるか?
個々の売り手は売るのを断る事が出来るから、納得に傷は付かない。

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昨日の記事では、貸金者にとって貸したカネが返済を受ける前に不意に必要に成る可能性を考え落としていた。
これを考えに入れると、
[ 1 - (戻って来ない確率) - (必要に成る確率) ] × [ (貸金額) + (利子) ] = (貸金額)
という式が思い浮かぶ。
これを基にして、部分的に戻って来る場合や、必要に成った場合には戻って来ない場合と同じ結果に成るわけではない、という事を盛り込んで式を精密化して行けば、色々と本当の事が分かりそうだ。

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宇田経済学@持論@学問