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日本物理学会2013年秋季大会での私の発表は、文法物理学についての21pSG-2「量子力学の新文法と観測問題」と、教育についての25aBD-1「体罰批判軸上での教育の取るべきスタンス」の2つだった。 発表旅行中に撮影した写真は、私の写メール投稿ブログ「即達」の2013年09月部分に掲載されています。 私の発表についてのご意見ご感想はWooder!掲示板にお寄せ下さい。 SG会場は、高知大学朝倉キャンパス共通教育棟1号館3階132教室だった。 21pSG-2「量子力学の新文法と観測問題」の講演では、OHPを掲示しながら、以下の様に口述した。 発表の様子は、学会発表の実況(日本物理学会2013年秋季大会21pSG-2)@動画でも御覧いただけます。
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2013年09月21日撮影分@学会発表の実況@動画 質疑応答時間には、鈴木貞吉さんと私の間で、以下の様な問答が行われた。
2013年09月21日発表後帰路、井原鉄道で清音駅から御領駅まで帰る途中で、「次は終点の井原です」というアナウンスが流れたので井原駅で降車したのだが、途中で降車すると初乗り1回分が加算されるのではないか、と疑問に思い、降りる時にその事を運転手に尋ねたら、「御領駅では差額の90円だけでよい」と言われた。 800円払って井原駅で降りると、車体の掲示板には「神辺行」と書かれていたので同じ車両にまた乗った。 「終点です」というアナウンスが嘘だったのではないか。 私は今まで井原鉄道に何度も乗ったが、井原駅が終点だった事は一度も無い。 その後、運転手が「今800円で乗り放題のチケットが出てるので90円は要りません」と言い出した。 御領駅で降りる時にもそう言われたが、「出てても買ってないので」と言いながら、念のために90円も払って降りた。 その時には、「念のために」程度にしか考えなかったが、後で、私に支払義務違反をさせるための罠だったのではないか、と思う様に成った。 子供の頃に、この手口の話を聞いた様な気がする。 2013年05月17日の、やはり、この時間帯に、清音から御領に向かう井原鉄道の車両に乗っていた際にも、井原駅で長停車した際に不審青年男性2人組が酔っ払いを口実に私の荷物の上に過失を装って故意に座ろうとする等の調略を弄して来た。 その際に、私が調略行為を完全に見切ってかわしたのを見た時の運転手の負の表情も不審だった。 今回も、私の右隣に不審老婆が来て座った際に、私が上着の右腰ポケットを踏まれない様に引き退けたのを見た時の運転手の表情に似た特徴が見られた。 朝倉を出るのが予定よりも早かったので、井原鉄道も乗ったのは予定よりも早い便だった。 井原鉄道を御領駅で下車し、自転車に荷物を積み込んでいると、御領駅の北西に隣接する民家から幼児虐待の疑いのある幼児の断続的泣き声が長長と聞こえて来た。 幼児虐待の疑いのある幼児の声は、私の自宅の自室や自寝室に、南方の民家から頻繁に聞かれていた時期もあったが、今はほとんど無い。 もともとは、私が千葉に住んでいた時に、聞こえ始めた。 その頃は気付かなかったが、今では、私に対するものである、とハッキリと認識している。 単に嫌がらせるだけの嫌がらせか、トラブルに巻き込んで私を陥れるための罠だ、と思っている。 今回は、証拠としてICレコーダーで鳴き声を録音しようと音源に近付いたが、録音開始しようとすると声が止んだ。 自宅に聞えて来る鳴き声もそうだった。 上り列車が来た時には、まだ聞こえていた。 また、その後、御領駅から自宅まで自転車で帰る途中にも、午後08時14分頃、暗闇の中で、自宅前通りの路面荒れの箇所(Google地図での位置≒34.560155,133.404289)の右脇(西脇)を徒歩下校少女が歩いていて非常に危険だった。 南向きに走行していた私がこの路面荒れを避けるために右に寄ると徒歩下校少女に自転車で追突する事はほぼ必至であった。 案の定である。 この路面荒れが私を陥れるための物だ、という先入観を事前に持っていなかったなら、衝突を回避する事はまず出来なかっただろう、と言われるべき状況だった。 その直前にGoogle地図での位置≒34.560502,133.404608に不審4輪車両が来ていた。 そこへ向かって、交差点の西から子供が走り抜けた。 この交差点はGoogle地図ではまだ道が繋がっていないが、実際には随分前にもう繋がっている。 その様子は、私の写メール投稿ブログ「即達」の2012年04月05日の記事の写真で見る事が出来ます。 その不審4輪車両は、滞在時間が非常に短かそうだった。 走り抜けた子供をピックアップするという体裁を取っていた様に見えた。 車両の型は多分軽乗用車。 子供が走り抜けた時、私は丁度、交差点の北の道路の西に隣接する民家の敷地から頭を覗かせていた不審自動車のナンバーを読んでいた。 もし、そうしていなかったら、子供が交差点を通過したタイミングは、私が交差点を通過するタイミングと一致していたであろう。 したがって、この走り抜けた子供も当たり屋である。 参考:05日@2013年01月@日記 日本物理学会2011年秋季大会では私は、1つ目の発表を終えた後いったん自宅に帰り、2つ目の発表のために自宅で休憩して体力を回復させた。 その自宅に居た期間中に、外部の水道管を我が家の水道管に接続する工事らしい工事を、我が家の敷地の出口付近でやっていた。 農業用水路のコンクリート壁を動力付き機械で削る異常にけたたましい音がしていた。 その時、私は、壁を隔てて直線距離でそこから数メートル程度の位置のソファーに横に成っていた。 その位置から離れた自室に戻る際には、まだ作業と音は続いていた。 この件には、次の様な不審点があった。 (1)それまでは水道管は農業用水路の底の下を通っていたが、それをやめて、農業用水路の上を通す管を新設していた。 (2)作業員が「手が痛い」と言いながらやっていた。 (3) 1つ目の発表への出発前に同じ場所に対して工事が2度も行われていた。 (1)は、コンクリートを切削する際に出る騒音をどうしても出したかった、からだろう。 水道管を、農業用水路の底の下を通さず、農業用水路のコンクリート側壁を切削して横断させた為に、流水断面積の著しい減少という信じ難い不合理が生じている。 過去には農業用水をこの水路の上端スレスレまで流しているのを見た事があるが、たった1箇所の水道管工事で、もうこれは不可能に成った。 誰も文句を言わないのだろうか? それとも、後で私に難癖を付けるための布石なのだろうか? 大雨での増水時にも、水路から水が溢れ易く成ったはずだ。 (2)については、普通ならしない事を無理してやっている事がハッキリと分かる嘆息調の「いってゃーのー(痛いなあ、という意味の方言)」という独り言だった。 騒音を聞いていて、音の大きさが普通ではないまでに大きい事と、持続時間も不自然に長いので手が痛くて当然だ、という事が私にも分かった。 私の父と母についても同様だが、我が家の南方近所の民家内に潜伏している何者かから指示されてやっているらしい、と思った。 なぜ従うのかが今でも疑問だ。 金でももらったのだろうか。 日本物理学会2013年秋季大会では、1つ目の発表が終わった後、2つ目の発表に行く前に、私の自宅の物陰に幼女向きの不審なキックボードが置かれ始める、という事があった。 BD会場は、徳島大学常三島キャンパス総合科学部1号館3階309教室だった。 会場に到着した時に、ブラインドが全て全開にされて部屋中が光に満ち満ちている事に気付いたので、これでは室内が明る過ぎてOHPの表示が見えない、と思い私が自分で全て閉めた。 そろそろ、故意にされている、と思い始めている。 21pSG-2の時もそうだったし、それ以前にも、ここ数年は、こういう事が増えていた。 座長さんが来てから、OHPの準備を依頼すると、OHPの準備は座長の仕事ではありません、OHPの準備はアルバイトの仕事です、という意味の意外な返答が返って来た。 この返答で一瞬にして私の頭は、それ相応モードに切り替わった。 即座に私は「ではアルバイトの人に依頼して下さい」と切り返した。 もし、それもしない、という事であれば、私が自分でアルバイトの人に依頼に行けば済むだけの話だった。 この後だったか、これより前に自分でチェックしようとした時だったか、OHPを表示したときにスクリーン上に盲点が2つ出来ていて、ピントもぼけていて、このままではOHPでの発表は無理だ、と思った。 その様子は私の写メール投稿ブログ「即達」の2013年09月25日の記事の写真で見る事が出来ます。 発表開始予定時刻が近付いてから私は、発表開始時刻が来たら直ぐに発表開始できるようにと、自分のノート型パソコンを会場の設備に接続して動作チェックをした。 その直ぐ後に25aBD-2の講演者が、その人のノート型パソコンを会場の設備に接続して動作チェックをしていた。 25aBDセッションの最初の講演は私だったので、それが終わるのを見届けてから私は、25aBD-2の講演者の動作チェックによる機器設定の変更を元に戻そうとした。 元に戻そうとしたのは、パソコンへの2つの接続端子のうちのどちらからの信号を会場の設備がスクリーンに表示させるかを切り替えるスイッチのポジションだった。 そのままではスクリーンに自分のノート型パソコンの内容が表示されなかったからだ。 それを見た座長が、既にスイッチの位置は元の位置に戻っている、という意味の言葉を、私に怒鳴りつけた。 これに対して、私は、今までに何度も経験して来た同様の態度と指紋がピタリと一致したため、こんな所でもまた来たな、という風に一瞬にして怒りが頂点に達した。 それは、譲る義務の無い何かを何処かで私が目上の人に対して譲らなかった事に対して、その目上の人とは別の人で私と同世代か私よりも年下の人が別の機会に別の場所で別の件で、不当に私を罪人の様に扱う態度を取る事だ。 ここでは、もしスイッチの切り替えを私が誤ったとしても、設備が壊れたり他の発表者に迷惑が及ぶ事は無いので、座長の怒鳴りつけるという態度は不当であった。 私はあまりに腹を立てたために、おそらくよほど怖い顔に成っていたのだろう。 私は一言も発しなかったが、私の顔を見て座長は急におとなしく成った。 その様子を見てだろうと思う、もう一人の青年男性が、私の顔が良く見える位置まで移動してそこに立って、液晶プロジェクターにするかOHPにするか、どちらかに決めてもらう必要がある、と言って、私に尋ねて来た。 発表中に自分で選択する事も可能なはずなので、どちらかに決めてもらう必要がある、という部分は不審であった。 どちらかに決めさせる事によって発表開始時に立ち往生が生じる確率を上げる事が出来るのではないか、とか、返答に窮させる事によって心理的にまたは時間的に発表に支障を出させよう、とか、私の表情を自分の目で確認して私に不利な証言を後でしよう、という魂胆の存在を私は感じた。 もし私が慌てて「OHPにします」と答えて自ら液晶プロジェクターを使用する道を断っていたならば、先述のOHP不調によって発表は失敗していただろう。 それを狙われたのだろう。 明らかに、座長が食い止める事が出来なかったのでカバーに来た、という行為だった。 一人に対して複数で当たる、という行為が正当なのは、悪に対する場合のみである。 それ以外は、それ自体が悪である。(そういうルールの参加拒否が任意のゲームは別だが) 私は即座に、出来ればOHPで、それが無理なら液晶プロジェクターで発表したい、という意味の事を柔和な態度で答えて、あっさり片付けた。 私は、液晶プロジェクターで発表するのは本件が初めてだ。 だから、私の発表を妨害しようとした者は、私が液晶プロジェクターで発表する可能性を考え落としていて、そうされると妨害は回避されてしまう、という事情が背景にあったと考えられる。 私の発表が始まってから、少し講演を進めた辺りで、近くの聴講者の鼻をすする音が聞こえた。 その時の私は、25aBD-2の講演予定者のだろうと思った。 私の講演は妨害によって防がれるはずだったのに、現にこうして講演が始まっている、その事を信じるには、それだけのタイムラグが必要だったのだろう。 あれだけされて全部かわして私が予定通り講演している事は、そのぐらい信じがたい光景だったに違いない。 それと同時に、その鼻すすりの主は、妨害の存在を知っていた、という事に成る。 それが25aBD-2の講演予定者だったとすると、私の動作チェックの直後の動作チェックも妨害工作だったと考えられる。 25aBD-1「体罰批判軸上での教育の取るべきスタンス」の発表では、液晶プロジェクターで自分のノート型PC内の画像ファイルを表示しながら、講演概要を途中まで読み上げ、補足コメントもした。 口述内容は、講演概要の読み上げを基軸とし、随所に補足説明を差し挟む形式で行った。
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25aBD-1「体罰批判軸上での教育の取るべきスタンス」の発表では、ここまでで発表時間を使い切ったため、質疑応答は全く出来なかった。 発表前の準備段階では、ソレダケノモン方式コーチングについても、口述内容の候補がメモされている。 また、誰もが思うが誰も言わない事として、オリンピックでの体罰発覚は他国選手からの指摘による物だったので、これは体罰を受けた選手を擁護する為の行為ではなく、敵チームを失格にする為の行為だったのではないか、疑り深く見ると、日本に体罰を止めさせて自分たちはこっそりやろう、そうすれば勝てる、そういう魂胆なのではないか、という視点、もメモされている。 関連記事: 13日@2013年01月@日記@宇田英才教室 17日@2013年01月@日記@宇田英才教室 20日@2013年01月@日記@宇田英才教室 14日@2013年02月@日記@宇田英才教室 25日@2013年01月@日記@宇田英才教室の末尾 |
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最終編集2016年04月05日 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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