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2021年11月14日(日曜日)
発展途上国は人雇費が安いか?(宇田経済学の話)

無限連鎖講の延命工作@通貨の総量@宇田経済学@持論@学問について、新しい気付きが有ったので書きます。

先進国の親会社が、国内の工場で生産していた製品を発展途上国の工場で生産する方式に切り替える事によって、経営の行き詰まりを打開する理由は、発展途上国では人雇費が安いからだと説明されるのが常だ。
そう聞くと誰でも、第一印象としては、同じ仕事をさせて国内より少ししか支払わないなんてインチキではないか、と思うはずだ。
その疑問への答も用意されていて、発展途上国では物価が安いから人雇費が安くても被雇用者は同じだけ買えるんだ、と説明されるのが常だ。
私の父ウダオサムも私に、そう説明した。
私は、それで煙に巻かれて、最近まで何年間も、どこがおかしいか分からなかった。
しかし、絶対にどこかに間違っている所が有るはずだ、と最初からずっと思っていた。

それが、どこがおかしいか、数日前やっと分かった。
簡単の為に、役務の売買ではなく物品の売買で説明する。
例えば、ミカン1個を日本国内の人が日本国内で売ると、その代金は百円で、日本国内では石鹸1個も百円だとする。
これは、日本国内ではミカン1個と石鹸1個を交換してもらえる状態だ、という事だ。
これに対して、全く同じ品質、同じ大きさ重さのミカン1個を発展途上国から輸入すると価格が十円だとする。
この場合、ミカンを売った人は、十円を受け取る代わりに、石鹸1個を日本人から受け取る事が出来なければいけない。
しかし、十円では日本人から石鹸1個を買う事は出来ない。
でも、その代わりに自分の国(発展途上国)で石鹸を買えば1個十円で買えるから、同じじゃないか、という理屈が、人雇費の安さを物価の安さで正当化する理屈です。
発展途上国製の石鹸と日本製の石鹸では品質が違う、と言うなら、この時点で、正当化は破綻します。
そこで、発展途上国製の石鹸と日本製の石鹸の品質が同じである場合を考えます。
この場合、石鹸を売った人は、自分の石鹸を日本製の石鹸と直接交換すれば交換できるのに、石鹸を自分の国で売って得た代金の十円では日本人から石鹸を買う事が出来ません。
つまり、石鹸を不当に安く売らされた、という事です。
でも、十円で日本人から何か買う代わりに、自分の国(発展途上国)で買えば、物価が安いので石鹸相当の物を買える。
それで、石鹸を不当に安く売らされた、という損害は帳消しに成ります。
しかし、その何かを売った人は、・・・・
という風にして、爆弾リレーの様に損害が移動して行きます。
しかし、プレイヤーは無限には居ないので、これでは、誰も損害を受けないというわけには行きません。
したがって、発展途上国での人雇費の安さを物価の安さで正当化する論法は詭弁である。
これは理論上に留まる話ではなく、輸出の累積量が大きく成り、輸出した人が、その売り上げ金で日本から輸入しようとした時に、輸出した益の量よりも少ない益しか輸入できない、という不公平が発生します。
この不公平は、通貨が正定値である事によって生じる不公平とは別に、それに加えて発生する不公平です。
米国が金利を変更すると世界中のドルが米国に戻って来る、というのは、これに拍車を掛けたものである疑いが強い。