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2025年05月31日(土曜日)
集団ストーカー年表

長らく私は、自分の特徴の筆頭は世界一級の天才である事だと思って来た。
しかし、そうではなくて本当は、俺はコックリさんか何かなのか?誰か教えてくれ。
どうして黙ってるんだ?アホンダラア。

リンク 他事
1876年 エホバの証人が、最後の審判は1914年だ、と予言した。
1914年07月28日 第1次世界大戦開始。
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エホバの証人の予言と年が一致しているので、第1次世界大戦は偶発ではなく計画的に引き起こされたと私は確信している。
ちなみに、第1次世界大戦は最後の審判には至らなかったので、予言が外れたという事で失望した信者がエホバの証人の組織から大量に離脱したと聞く。
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2025年06月21日午前10時35分、福山583い1914軽乗用車が、宇田雄一の自宅の通りに到来停車し、直前に宇田雄一の自宅を訪問した歩行者2人と会話しているらしかった。
1954年03月01日 ビキニ水爆実験
1955年 森永ヒ素ミルク事件
1956年05月21日 アグネス・ラムが生まれた
1967年 インターネットで調べると、プレイボーイという雑誌のロゴであるウサギの画像は、1953年に雑誌創刊と同時にデザインされたと書かれている所もあるんだけど、ロゴマーケットというウェブサイトには「1967年に制定されました」と書かれている。
宇田雄一が生まれる直前、母ウダマチコの母=宇田雄一の祖母が、川で溺死した。
1967年 この年に宇田雄一が生まれたとされる(公称)が、本当は1964年ではないかと宇田は疑っている。
宇田雄一は出生時へその緒がグルグル巻きに成っており仮死状態で呼吸していなかった、とウダマチコは証言した。
また、出生直後の宇田雄一の体毛の向きが通常とは逆であった、とウダマチコが大変な事であるとして言うのを何度か聞いた事がある。
英国のジョンソン首相が退任した頃、多分2022年に、自分は毛並みが違うと思ってやがる、といった意味の悪口をテレビで複数回聞いたが、この事も関係あるだろう。
2009年のスプライスという映画の全般および序盤の給餌シーンは宇田雄一の出生に由来しているのではないか、と疑う。
1970,1971年「昆虫物語 みなしごハッチ」というテレビ・アニメに、ハッチの兄弟か家族が並んでその場で踊るシーンがあるが、これが、出生直後の宇田雄一の身体的特徴と家族がバラバラに成る成らないの私的問題を反映していただろう。
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宇田雄一は、人生の最初期においては、父母を「おとうちゃん」「おかあちゃん」と呼んでいた。
そう呼ぶように教えられえたからだ。
しかし、まだ草戸に住んでいた頃のうちに「おとうさん」「おかあさん」と呼ぶように指導され、そう改めた。
この事も宇田雄一にとっては少なからずトラウマに成っているので、これも動物実験の様な集団ストーカー工作だろう。
宇田雄一が大阪文化よりも東京文化を好んだ(この事をウダオサムは恨んでいた)からかもしれないが、「おとうさん」「おかあさん」よりも「おとうちゃん」「おかあちゃん」の方が愛着を感じさせる。
かなり幼いころに宇田雄一は、キリスト教カトリック派の割礼とはこんな物なのではないかと想像させる様な施術をペニスの先端付近に受けた。
これが、後年まで続く宇田雄一のマスターベーション癖の原因だろう。
幼いころは宇田雄一はマスターベーションを「チンチン、グルグル」と呼んでいた。
それをウダオサムが見とがめて「そんな事をしたらチンチンをハサミで切るぞ」と言ってハサミを持って来たものだった。
射精も全く起こらないそんな幼いころからマスターベーションを宇田雄一はしていた。
割礼のような事をされたからだろう。
宇田雄一が人生において性的な事を積極的に行なうように狙って割礼のような施術が行なわれたと思われる。
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草戸保育所で、尿意を訴えて便所に連れて行ってもらうが便所では小便が出ない事が多く、保育士に迷惑をかけた、という事があったが、それもこれだろう。
ペニスに施術されたのと同じぐらいの年齢の時だったと思うが、宇田雄一は「ちりげを切る」という施術を受けた。
ガスライティングで宇田雄一を怒らせ、怒った様子にかんしゃくだと難癖をつけて「ちりげを切る」という施術を受けさせた、といった経緯ではなかったか。
ロボトミー手術だった可能性もある。
首の背面を切開して脳に鬱血している悪い血を抜く、といったような説明を宇田雄一は受けた様に記憶しているが、記憶は曖昧だし、医学的に正確にはそれとは違っていたかもしれない。
しかし、「ちりげを切る」という施術を受けた事は間違いない。
集団ストーカー犯人が「おかしいなあ、どうしてこいつには効かないんだ」とささやき合う事があった様に、宇田雄一が集団ストーカー工作の効きにくい体質に成ったのは、この施術のせいではないか。
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死亡遊戯という映画の冒頭で聞かれるブルース・リーの声は、ガスライティングで宇田雄一を怒らせた時に宇田雄一が発した声に由来しているだろう。
1968年 カネミ油症事件
宇田雄一が草戸に住んでいた時期に、宇田雄一の家族はウサギを飼い始めた。
また、ウダオサムから買い与えられウダオサムによってクマゴロウと命名されたぬいぐるみが宇田雄一の睡眠中に無断で(多分ウダマチコによって)捨てられた。
宇田雄一は2025年の今でも、ウダオサムに肩車された状態で店の棚に陳列されているクマゴロウに近づいて行く光景を、記憶している。
幼児の時に私は、ウダマチコの頭髪をしゃぶっていた。
その後、クマゴロウをしゃぶるようになった。
この事でウダマチコがクマゴロウを捨てたのではないか。
1972年05月13日 千日デパート火災
1974年 宇田雄一が小学校1年生の時に草戸町から沖野上町に引っ越した。
原因は、ウダマチコが小火を出して草戸の借家に居られなくなった事だとウダオサムは言った。
宇田雄一が小学生だった時に、飼っていたウサギが死んだ。
沖野上町での事です。
むごいからという理由でウダオサムは私たち子供に現場を見る事を禁じたが、現場を見られると人為的な犯罪である事が分かってしまうからではないかと私は疑っている。
犬にやられた、というのは本当かもしれないが、人が犬を使ってウサギを殺した可能性がある。
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大場久美子主演の「コメットさん」というテレビ・ドラマが始まったのは、これの直後だったのではないか。
  宇田雄一が住んでいた沖野上町の居宅に保健所の職員が来た。
私を見て「全然問題ありません」と言って帰って行った。
ウダマチコやウダオサムが宇田雄一を鑑定してもらうために保健所を呼んだと思われる。
「全然問題ありません」というのは嘘であって、あってはいけない基準で判断して問題があると思ったけれど、私がまだ小学生であり精神病の言い掛かりを付けれる年齢でもない、ここは一時退却して後で出直そう、という態度だったのではないかと私は疑っている。
そこで「問題がある」と言ってしまうと保健所という存在が宇田雄一からマークされてしまう。
そうさせないために「全然問題ありません」と言って宇田雄一に「なんあんだ、保健所って、話せば分かる人たちじゃないか」と思わせて忘れさせ、ノーマークの状態で姿を見せず宇田雄一を狙い続ける、という方針だったことが疑われる。
その時からずっとその筋からも私は狙われ続けているのだろう。
2023年12月福山こころの病院大林正和が「強制入院か?」との私の質問に「とんでもない、強制入院には全く当たらない」と答えたのも同じだろう。
保健所が来る@生物兵器@敵の手口を暴露@空手以外@理論@武道  
宇田雄一が小学生だった時に、ウダオサムがマツダ製のシャンテという軽乗用車(車体外面は緑色だった)を購入し、これが我が家の自家用車第1号と成った。
この軽乗用車は、乗っている人の嗅覚にシックハウス臭が非常に強かった。
宇田雄一が通っている小学校の同じ学級にノグチ君が遠隔地からの転校で入って来た。
小学校でマツオカ君という名前だったと思うが、プロレス技を私に仕掛けて来る様になった。
コブラ・ツイスト。
しかし、私が力を入れて押し返すと、防げた。
マツオカ君ではないが、指先でノドを突かれた、とか、アンマと称して両足を持たれたまま股間を足で振動踏みされた、などの事もある。
私ののどぼとけはこの時に変形した疑いがあるので後で調べてみたい。
学校でのプロレスごっこも、数十年後に、危険だとして問題に成っている。
私を標的としていたから、私が適用範囲の外に出ると問題にして廃止される、というパターンだろう。
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小学校で宇田雄一は、最初に暴力種の仕掛けを受けた時、まずそれを防ぐ為に「ここにルール違反をしてるやつが居るぞ」と発言した。
すると、その場に居合わせた別の同級生男子から「自分で解決するのが義務である、助けを求めるのはルール違反である」と言われた。
この事が、私にとって、この種の問題の原点に成っている。
だから、後に「自分で対抗してはいけない」「自分で対抗したら喧嘩であり、喧嘩は両成敗である」という風に言われる様に成った事を、話が違うじゃないか、と思うのである。
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あさひ町内会ソフトボールへの参加を宇田雄一が嫌がって、途中で離脱し、その後また参加した。
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この件で宇田雄一は野球という種目が嫌いに成った。
小学校では会った事が無いどこから来たのか分からない同世代の男性児童と知り合った。
名前はニシムラだったと思う。
その男性児童は、放火をして少年院に入れられた。
放火をしたのは私と出会う前からだったと思う。
少年院に入れられたのはもっと後だろう。
多分宇田雄一が中学1年生の時に、その男子児童が少年院から脱走して宇田雄一の住所に来たのを、宇田雄一とウダオサムが自動車で少年院まで送り返した、という事があった。
その男性児童は宇田雄一との対話で度々、当時流行していたインベーダー・ゲームの事を「インボーダー」と言っていた。
間違ったのではなく故意のダジャレだと宇田雄一は解釈している。
当時の宇田雄一も「陰謀」という言葉の意味を既に知っていただろうけれど、面と向かって「インボー」という言葉を聞いたのは、その男性児童から聞いた時が初めてだった。
数十年後に陰謀論が大流行した事の真相を解明する手がかりとして極めて重要である。
宇田雄一が小学5年生の時に小学校の校舎の1つ(宇田雄一が入る校舎)が木造2階から鉄筋コンクリート3階に建て替えられた。
新校舎では、旧校舎では全く聞かなかった風ヒュー音が顕著だった。
1976年 ジャイアント馬場の16文キックというプロレス技が誕生したのは、1976年のようだ。
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小学校の運動会でウエダという男子生徒が宇田雄一らの敷物の上に足蹴りで地面の砂をまき散らすのを見た宇田雄一が、ウエダ君に文句を言うとウエダ君は前進で体当たりをして来た。
宇田雄一は本能の判断で、それを芦原空手のストッピングの様な蹴りで撃退した。
正式に空手の練習をする様に成ってからの方が、多湖輝的な意味で、そういう本能の判断が宇田雄一は悪く成っているのではないかと思う。
膝の屈伸を全く使わず、足裏全体をウエダ君の腹部に当てた。
体当たりは数回試みられたが、全回撃退された。
当時の宇田雄一は、そういう技を練習していたわけではないので、体当たりによってバランスを崩しそうになり、ブランコか鉄棒のポールを手でつかむ事でやっとバランスを保つ事が出来た。
体当たりという技の特性のせいでもあるが、ウエダ君の体格が宇田雄一の体格よりも上だったからではないか。
それ以後、ウエダ君は宇田雄一に敬意を伴った態度で接する様に成った。
「さん」付けだったかもな。
最後に会った時にも、まだそうだった。
この事は宇田雄一にとって意外だった。
このエピソードがジャイアント馬場の16文キックの由来なのではないか。
宇田雄一は、小学校5年生と6年生の時には、同じ学級内にハダ君という生徒がいて、ハダ君は宇田雄一よりもずっと肉体的に頑強だった。
このあたりの人選も全部集団ストーカー由来だったろう。
宇田雄一を含む一般の生徒には先生は体罰として頬を平手打ちしたが、ハダ君だけは特別で、ハダ君は壁に押し付けられて腹に膝蹴りをされていた。
平手打ちではハダ君には全然体罰にならないって感じだった。
あだ名は「はちょん」だったと思う。
1978年04月04日 キャンディーズが「普通の女の子に成りたい」という言葉を残して引退した。
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小学生だった宇田雄一が大人から「どんな女と結婚したいか」と質問されて「普通の女の子」と答えた直後の事だった。
1979年03月28日 スリーマイル島原子力発電所事故
1979年頃 宇田雄一は広島大学附属福山中学校への入学を目指して中学入試の勉強をする様に成っていた。
丁度そのぐらいの時期に、ウダマチコとウダオサムが狭い自宅の同階で葬式の準備という名目で読経を繰り返していた。
おそらく、あの宗教団体は、この方法でも集団ストーカー行為を行なっているだろう。
1979年 口裂け女の噂が流行し、宇田雄一が通っていた小学校でも宇田雄一が所属していたクラスの担任の先生が宇田雄一ら生徒に警戒を呼びかけた。
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口裂け女が「私は綺麗ですか?」と質問し、その質問に「綺麗だ」と答えなければ口裂け女が襲って来る、という噂だった。
口裂け女のこの言動パターンは、集団ストーカーが全体としてやっている事に一致する、と私は感じている。
1980年春 宇田雄一は、肝試しに友人2人ほどと一緒に近所の空き家に入り、帰路地面よりも1メートルぐらい高い位置でつまずいて転び地面まで転落し、地面に胸をぶつけ、肋骨を骨折した。
この骨折による肋骨の変形は50才を過ぎた今でもそのまま残っている。
1981年 宇田雄一が中学校2年生の時に福山市沖野上町から深安郡神辺町に引っ越した。
当初は風ヒュー音とシックハウス臭が顕著だった事が印象に残っている。
おそらく、シャンテでは宇田雄一にシックハウス臭を嗅がせる時間が短いので足りなかったようだ、住居でもっと長時間嗅がせ続けよう、と画策した犯人が居たからだろう。
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神辺東中学校に中学2年生の冒頭から通い始めた。
それまでは鷹取中学校に通っていた。
神辺東中学校は、その時点で中学3年生がゼロ人で、中学2年生を在籍最高学年とする新校だった。
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神辺(かんなべ)は、1997年の神戸連続児童殺傷事件などで何かと問題がある神戸(こうべ)と、関係があるに違いない。
地名などに含まれる「神」という漢字は、極悪犯罪を意味する隠語ではないか。
笛鳴りの風ヒュー音@ノイズ・キャンペーン@敵の手口を暴露@空手以外@理論@武道
神辺東中学校の組体操で、崩れる時に肋骨をかばうために上手には出来ない様子をウダオサムが避難がましく私に言った。
学校の体育の授業での組体操は、危険だとして、数十年後に問題に成っている。
1982年02月09日 日本航空350便墜落。
Wikipediaを見ると、故意に墜落させた機長には「イネ、イネ、・・・」という声が聞こえたという。
「イネ」は「去れ」「死ね」「行ってしまえ」という意味だそうだ。
宇田雄一の実家の地域の方言にも「イネ」は有る。
これは「イヌる」の命令形で、「イヌる」は「入り込む」みたいなニュアンスだと宇田雄一は理解している。
したがって「イヌれ」も有ったと思う。
つまり宇田雄一の実家の地域の方言では、「イネ」は、自分の家の中に引っ込んでろ、という意味ぐらいだろう。
それはともかく、この方言は全国的には珍しいのではないか。
とすると、日本航空350便墜落も宇田雄一に関係が有るのではないか。
また、後に精神異常が個人の権利を制限する正当な理由として認められる様にする為に、精神異常は危険であるという間違った偏見を普及させる工作がこの時点で始まったのだろう。
後には被害妄想が危険だという形で固まるが、日本航空350便墜落の時点ではまだ異常行動を命じる声が聞こえる幻聴は危険だという線で押してみようとされたのだろう。
宇田雄一と同じ事を言いながらテロを行なう@ニセ旗工作@敵の手口を暴露@空手以外@理論@武道
1981年か1982年 宇田雄一は電話級アマチュア無線の資格を得る為の試験を受けに広島市に行った。
当日自宅を出発する前に宇田雄一はウダマチコとの対話で2人称として「オタク」と言った。
この事が、おそらく、後に日本中で広く「オタク」という言葉が変な意味で使われる様に成った原因だろう。
また、ウダマチコはある時期を境に、自家用車での日帰り家族旅行への参加を辞退する様に成ったが、それは宇田雄一から「オタク」と言われたこの日を境にだろう。
宇田雄一の頭の中ではウダマチコとシゲマツ女の関係がこの件に関係ありそうだと思われている。
1983年 宇田雄一が広島大学附属福山高等学校に入学した。
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入学したばかりのころに、数学の加藤先生が、宇田雄一も同室している教室の教壇の上から生徒のひとりを「モリタくうん」と言って呼び寄せた。
1983年06月28日 俳優の沖雅也さんが飛び降り自殺したと聞く。
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「俺たちは天使だ!」という1979年のテレビドラマに出ていた人だ。
1984年 グリコ森永事件(1985年まで続く)開始。
1985年08月12日 日本航空123便墜落
宇田雄一が高校生だった期間中に、大人が当時の高校生の世代を新人類だと言うのを宇田雄一は聞いた。
直接聞いたか、伝聞情報だったかもしれない。
新人類という言葉は、大場久美子主演のテレビ・ドラマの「コメットさん」というタイトルと同じ理由で言われていたのではないか。
集団ストーカーが効かない、という意味の隠語ではないだろうか。
宇田雄一が通っていた高校の同じ学年に、トモタキさん(後に画家に成る)が米国から帰国して入って来た。
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宇田雄一が通っていた高校の物理の先生に、大阪大学で素粒子物理学の研究をしていた、博士号を持っている人が就任した。
名前は多分アサイだったと思う。
ファイアーボールの研究をしていた、と言っていた。
とすると、素粒子論ではなく素粒子物理学だろう。
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宇田雄一が通っていた高校に、米国から白人で物理学者だと言われる人が訪問した。
日帰りではなかったかもしれないが、滞在は短かった。
1986年03月12日? 宇田雄一が上京し日経新聞市ヶ谷専売所に住み込みんで新聞配達をし始めた。
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当時の宇田雄一はそれと気付かなかったが、専売所内の近くの部屋のラジカセからユーリズミックスの「There Must Be an Angel (Playing with My Heart)」という歌が大音響で聞こえ続けていた事は、間違いなく集団ストーカーのノイズキャンペーンだったはずだ。
こんな所で勉強なんてさせはしないぞ、という意味の。
1986年03月22日 宇田雄一が新聞配達の仕事をやめて東京都武蔵野市のヨシイケ・ミツヨ宅に下宿を開始する。
1986年 宇田雄一が上京し東京理科大学神楽坂キャンパスに通い始めた。
通学を始めるとすぐに空手部に入部した。
1986年04月08日 岡田有希子が自殺したと聞く。
飛び降り直後の死体の様子が千日デパート火災の被害者の様子と同じである。
1986年04月26日 チェルノブイリ原子力発電所事故
空手部に「監督さん」と呼ばれる人が時々来る様に成った。
1985年以前にはどうだったのか、1987年以降はどうだったのか知らないが、監督さんが来る頻度や時間が1986年だけ違っていたのではないかと宇田雄一は疑っている。
この監督さんは、1986年中に交通事故で前歯を折ったそうだ。
その損傷具合を宇田雄一も遠目に見たのだったかもしれない。
1986年10月31日 真理の友教会、集団焼身自殺
「会社」という意味で「企業」という言葉が使われる事が急に多く成ったのは、1980年代だろう。
多分1987年 素粒子についての計算物理学を専門とする鈴木公という先生が東京理科大学神楽坂キャンパスの昼物理学科の講師に就任した。
長くカナダに居たと聞いている。
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宇田雄一が鈴木公先生を初めて見たぐらいの時期に、宇田雄一も同室している大教室の教壇の上から鈴木公先生は、生徒席に座っていた人を大声で「カドヤくうん」といって呼び寄せた。
この様子が1983年の「モリタくうん」と瓜二つであった。
その時に鈴木公先生から呼ばれたカドヤという人は、宇田雄一が卒業年次だった時には既に博士課程に所属していたか博士号既所持だったので、1987年にどうしてそんな低学年向きの講義の生徒席に座っていたのか分からない。
1988年-1989年 宮崎勤事件    
1980年代 薬害エイズ事件
1990年頃 「人間なんて、ららーらーららら、らーら」という歌詞を伴う歌をテレビで聞いた。
清水匡太が「ららー・・・」と言ってごまかすのはずるいと思わないか?と言った。
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同じぐらいの時期に清水匡太が「ウミガメのスープ」の話を私に聞かせた。
それは、遭難者が飢えて仲間の人肉をスープに入れて食べる、という話だったと思う。
ウミガメのスープは、湾岸戦争の事ではないか。
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星新一の作品について、清水匡太が何か言っていたのも、この時期だろう。
「星新一のショートショート」と呼ばれる作品の事だった。
それに啓発されてか星新一関係者に直接だったか、清水匡太も自分のアイデアを応募したが落選だった。
そのアイデアの内容は世界中の人が手をつないで、そのせいで将棋倒しに成る、という話だった。
これは、厚生労働省や世界平和統一家庭連合のマークの由来ではないか。
星新一の父が製薬会社の創業者である事も、精神科医療が行なう犯罪のネットワークとのつながりを連想させる。
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清水匡太が民生委員やB型肝炎の話を私にしたのも、この時期だろう。
この時期の私は、民生委員が強制入院に関わることも、B型肝炎が隔離措置を伴うことも全く知らなかった。
清水匡太がB型肝炎の話を私にしたのは、私のマスターベーション習慣についてだった。
当時わたしは1年ぶりか2年ぶりぐらいに、筋トレを再開した。
その最初期に清水匡太の部屋の隣にあったヒガシモト君の部屋の北壁外側に背中を着けて空気椅子体操をしている私を見た清水匡太が何故か私に向かって「何をやってるんだ」と怒った事が有る。
これらの事を2022年04月30日の民生委員のテレビ・コマーシャルと考え合わせると、清水匡太が民生委員の話を私にしたのは多分わたしが近所の公園で筋トレをし始めた直後だったろうと推測できる。
集団ストーカーの計算では、自分たちの意向に従わない男に対しては、女と関係出来ない様に工作する、さらに女と関係できない事をマスターベーションで耐えるという逃げ道をふさぐために、マスターベーションをすればB型肝炎名目で強制入院させ隔離する、という筋書きが存在しているだろう。
1990年08月02日 湾岸戦争開始。
1991年 イグノーベル賞が設立された。
しかし、イグノーベル賞の話題が私の耳に入る様に成ったのは、2006年より後だ。
1991年06月03日 雲仙普賢岳、火砕流災害
1992年 宇田雄一が東京理科大学を卒業し、中学生を教える学習塾に非常勤講師として就職した。
1992年 日本経済がバブル崩壊現象を起こした。
多分1993年春 宇田雄一が東京都杉並区から千葉県に引っ越した。
引っ越し先の下宿の大家は民生委員だった。
当時の宇田雄一は民生委員が何かを全く知らなかった。
多分1994年 千葉県の新検見川駅の近くにあった長谷川荘という下宿の自室で宇田雄一が、独り言形式で自分のこれまでの人生や世の中の根本的な色々な事を広範に渡って、独自の意見を口述した。
盗聴を前提にしていただろう。
詳細は、右のリンク先に書きます。
その内容への反発だと思われる事が、失われた30年と呼ばれる事に成った期間を通してずっと多岐に渡って執拗に見られ続けている。
30日@2025年06月@日記
1993年か1994年 長谷川荘の宇田雄一の部屋の東隣の部屋にヨシイと名乗る男が入居して来た。
この男は、顔が岸谷五朗に非常によく似ていた。
ひょっとすると岸谷五朗本人だったのではないかと思う。
ヨシイは宇田雄一と年齢が同じぐらいに見えた。
ヨシイは宇田雄一へのストーカーとしてやって来たようだった。
「お前みたいな事をしてたらやくざが来て一緒に住む」とウダオサムが言ったそのものだった。
初対面時にヨシイは私の部屋の出入口付近廊下で私を至近距下から上までさっと見渡し「これがそうか」「ふんっ」みたいな態度だった。
ヨシイは私の部屋にパンツ1丁で入って来て床に横たわった事が有る。・・・わたしが持っている美少女写真と同じような服装と姿勢だったので、それだろう。
ヨシイという名前は、坂井荘時代に最寄りの米穀店がヨシイ米穀店だった。
また、広島県に帰省した時に近くに芳井という場所があり、その時までに私は多分自転車で芳井に行ったことがるだろう。

ヨシイは私に、以下の話をした。
・ お前は勤労の義務に違反している。
・ 共産党宣言みたいな感じのドクトリンを発信しろ。(独り言口述への反応だろう)
・ 大学なんて何だかと思ったよ。自分は法学部を卒業した。
普通の人が「何かと思った」と言う事を「何
かと思った」と言う言語特徴を持っている人です。
・ 女との関係を不足させる攻撃への抜け道になるからマスターベーションをできなくしようとする考えがあるというのが本当のところだ。
・ (多分ヨシイに話してない私の根本姿勢について)お前は生意気だぞ。
・ などなど
   
1993年か1994年 読売新聞の中ほどに1頁を丸ごと使ったフジテレビの広告が出た。
フジテレビの目とまつ毛のマークを実在の人が自分の顔で表現したと思われる胸像写真または顔写真だった。
目をパッチリと見開いた顔表情を作っていた。
私が卒業した広島大学付属福山高等学校の化学のダンジョウ先生に似ていると思った。
当時私の住所を週1回訪問していた早川貞一というエホバの証人に向かって前日わたしが目をパッチリと見開いた顔表情を作った事への反応だと思い、嫌な感じがした。
おそらく、クーデターでフジテレビの経営体制が大きく変わった事と関係が有るだろう。
それ以前にもそれ以後にもフジテレビのそんな新聞広告を見た事は1回も無い。
2025年序盤頃に中居正広さんのスキャンダルを発端に、フジテレビ全体に性犯罪体質が蔓延していた事が明るみに出たが、これを私は30日@2025年06月@日記に詳述してある私の発言の一部への反発を動機とした天邪鬼ではないかと疑っている。
1994年04月26日 大山倍達死去
1994年夏 千葉県の幕張メッセで開催された「アメリカン・フェスティヴァル」というイヴェントの警備の仕事に宇田雄一はアルバイトとして参加した。
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そのイヴェントの終盤に、警備員の待機室で雑談中に宇田雄一が冗談で「同時多発」という言葉を使って、対処できない事態の話をした。
1994年02月21日 「愛が生まれた日」という曲名の大内義昭と藤谷美和子のデュエット曲がリリースされた、とwikipediaに書かれている。
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しかし、宇田雄一は、この曲を1986年の上京直前に聞いたと記憶していて納得が行かない。
上京直前に、新曲が出たと言うから聞いてみれば、なんだデュエット曲か、と思った記憶が残っている。
1994年終盤か1995年序盤 ウダオサムがオートバイで転倒して骨折するという事が2回あった。
その両方または片方は鎖骨骨折だった。
2回目の麻酔が奈落の底に落ちていく様な感じで極めて嫌だった、とウダオサムは言った。
宇田雄一が実家に移住する事をウダオサムに告げてから、実際に移住するまでの間にだったと思う。
ウダオサムが故意に事故を起こしたろう、と宇田雄一は見ている。
1995年01月17日 阪神淡路大震災
1995年01月 宇田雄一の住所が千葉県から広島県の実家に変わった。
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妹キョウコが父母を「オトン」「オカン」と呼ぶように成っているのを見て嫌悪を催した。
1986年には妹キョウコは父母を「おとうさん」「おかあさん」と呼んでいた。
広島県の実家は福山風の広島弁の地域であって、関西弁の地域ではない。
2025年03月08日に襲来し「アホンダラア」と叫んだ男も関西弁だったなど、実家の地域が不審に関西化されている印象を受ける。
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いつ頃からかウダマチコは宇田雄一との対話で2人称として「お兄さん」と言う様に成っている。
それは1986年にはもう始まっていたかもしれないが、1995年からだったかもしれない。
宇田雄一は3人兄弟の長男なので妹、弟と対比して「お兄さん」と呼んでいるものとばかり宇田雄一は思っていたが、実は違うかもしれない。
「お兄ちゃん、それは違うでえ」「お兄さん、ちょっと待ちねえ」の様なガラの悪い意味での「お兄さん」なのかもしれない。
1995年 高校生の大学受験準備学習を手伝う通信添削をやっている会社から通信添削の仕事を受注して実行する事を宇田雄一が始めた。
この仕事を宇田雄一は1999年の中頃まで続けた。
途中、宇田雄一が仕事に慣れて作業速度が増加し、仕事にかかる時間が短くなると、それをキャンセルするように用紙に罫線が追加され作業負担が増加し、宇田雄一の心身に膠原反応も生じた。
このような法則性は、2025年にも処理に慣れて処理時間が短くなった分だけ集団ストーカー到来回数が増加するという形で繰り返されている。
1996年 大阪府堺市で腸管出血性大腸菌O157による集団食中毒事件が発生した。
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ノロウィルスが食中毒の原因として一般的に認知され始めた。
宇田雄一の自宅母屋1階浴室内の浴槽の湯を排水せず何日も使う方式が試された。
これに使う装置を父ウダオサムと、ウダオサムの兄が運び込むのを見た。
宇田雄一は衛生面に懸念を感じたため、この試みには乗らなかった。
宇田雄一を感染症にする事が狙われていたろう。
1997年02月から05月まで 神戸連続児童殺傷事件
1997年 愛犬チロの死
1997年 シックハウス症候群が深刻な問題として認識され始める。
1999年 宇田雄一が「古典物理学」という題の書籍を完成させ、少量販売した。
「社長」という意味で「CEO」という言葉が使われる様に成ったのは、2000年を過ぎてからだろう。
同時に、知識人の肩書きの主流が「大学教授」から「大学院教授」に変わった。
1999年 宇田雄一が岡山県笠岡市にある半導体部品工場で被派遣労働を始めた。
その後7カ月ほど続けて解雇された。
在籍中、半導体工場に上部組織から本部長と呼ばれる人が外来した。
2000年 宇田雄一が精神病院に入院し2ヶ月ほどで退院した。
医者は心因性反応だがカルテには統合失調症と書いておきましょうと言った。
程度は、軽・中・重の3つに分けると軽、その軽をさらに軽の軽、軽の中、軽の重の3つに分けると、あなたのは軽の重だ、と医者は言った。
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入院中、尿意が有るのに便所に行っても小便が出ない、という症状が再び出て、困った。
保育所の時に出た症状が数十年ぶりにまた出た、という事です。
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退院直後しばらくジプレキサという薬を処方されて服用し、それが自分に合わず大変苦しんだ。
現実に直面していないが溺れるなどで窒息する様子を想像してしまい、それが極度に迫真であるためにじっと座っていられなかった。
こういう事が起こるのは、出生時にへその緒がぐるぐるまきで窒息して仮死状態だったからだろう。
2000年03月10日 広江克彦さんが、「EMANの物理学」というウェブサイトを運営開始する。
2001年09月11日 アメリカ同時多テロ事件
2002年09月27日 川崎製鉄と日本鋼管(宇田雄一の住所の地域にある)の2社の株式移転により、持ち株会社JFEホールディングスが設立された。
2004年 「もったいない」という日本語を世界に広めた事でワンガリ・マータイさんがノーベル平和賞を受賞した。
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この事を私は、ノーベル賞が変質して来ている印だと見た。
2006年03月01日 宇田雄一の住所である神辺町が深安郡から福山市に編入され、深安郡が消滅した。
2006年 宇田雄一が、「物理学正典」というウェブサイトの手書き部分を一応完成させる。
2006年10月 私(宇田雄一)が日米合同物理学会で、文法物理学という自分の新しい方法論を発表した。
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帰路飛行機内で、隣に来て座った中年女性(日本人に見えた)が私に、ハワイには良い歯科医が居ると言って、ハワイに住む事を私に勧めた。
帰国後わたしは行きつけの歯科医から口腔内に悪質な集団ストーカー工作を何年にもわたって受け気づかずにいた。
2007年05月27日 ZARDの坂井泉水さんが死んだ
2008年 リーマンショック
2010年 宮崎県で口蹄疫が発生し種牛まで殺処分された。
2011年03月 東日本大震災の直前、宇田雄一がYouTubeにアップロード公開した動画に、津波を思わせるシーンが含まれていた。
また、Englishtownというオンライン英会話教室の英作文課題に宇田雄一が「Japan is an erthquake country」と書いたのが、何年だったか思い出せないが、東日本大震災の少し前だった。
2011年03月11日 東日本大震災および福島第1原子力発電所事故
2011年10月11日 大津いじめ自殺事件
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この頃には、あるいはこの事件をきっかけに、プロレスごっこの危険性が認識される様に成って来ている。
2011年12月 宇田雄一の自宅母屋1階屋内便所が抜本的に改装された。
2012年01月 私(宇田雄一)が宇田英才教室(当ウェブサイト)に、宇田経済学の記事を連載開始した。
多分2013年 ウダマチコの姉である下宮道枝が死んだ
2013年12月06日 ケーサツの襲来×1回
多分2014年 福山仁風荘病院の建物が更新され、病院名も「福山こころの病院」に変わった。
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それ以前については知らないが、ある時期からこの病院の駐車場に遠隔地ナンバーの車両が来ているのを見る事が多くなった。
2014年 中国が一国二制度(香港の独立)の終了を早める決定をした。
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この直前期に私は、ブルース・リーはアメリカ人の意向で殺されただろう、という意味の事をウェブ上に書いた。
ブルース・リーが主演する最晩期の映画でブルース・リーの身体がしぼんでいる事を指摘する発言を時々見る、私もそう思うが、あれは、集団ストーカー工作の被害である膠原反応の結果だろう。
2014年03月08日 マレーシア航空370便墜落

2015年 私(宇田雄一)が10年ぶりぐらいに空手の練習を再開し、10ヶ月ほど続けた。
多分2015年 宇田雄一の自宅から東近くに見えるエリアで住宅の新築ラッシュ開始。
建築騒音がひどかった。
2021年にはまだ終わってなかったらしい事を示す資料がある。
多分2015年 宇田雄一が神辺バイパス北縁歩道を東進歩行して自宅に向かって徒歩で歩いていると、東進で追い抜いて直ぐ左折した軽乗用車が目前を横切って、トチギ組と呼ばれるらしい住宅群れの南端の民家に駐車した。
その車両のナンバーを宇田雄一が双眼鏡で読むと、運転手が降車して追いかけてきて「どろぼー」と叫んだ。
仲間のスクーターも到来した。
それらを無視して宇田雄一が帰宅すると、ウダオサムからその件について「写真を撮影しただろう」と言われ、宇田雄一が「写真は撮影してない、双眼鏡で見ただけだ」と抗弁すると、ウダオサムは「とにかく、保健所が来るからな」と言った。
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その数年後、ウダオサムがO157に感染したという名目で宇田雄一の自宅に保健所職員が来た事もあった。
保健所が来る@生物兵器@敵の手口を暴露@空手以外@理論@武道  
2015年10月 ケーサツの襲来×2回

2016年 心身の不調でひどく苦しんだ。
おそらく、そうなる様に狙って合わない薬を医者が故意に出したからだろう。
2016年 小学校の組体操に国が安全配慮要請を出した。
2017年 氷川きよしの「限界突破×サバイバー」という曲がリリースされた。
2018年03月14日 スティーヴン・ホーキング死去。
2018年10月25日 「THE突破ファイル」というテレビ番組が日本テレビ系列で放送開始された。
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この事などが、氷川きよしの「限界突破×サバイバー」という曲と合わせて、宇田雄一が何かを突破してしまった事に因んでいるのではないかと疑われる。
2019年03月 私(宇田雄一)が日本物理学会で「時間の矢への宇田予想と重力円錐宇宙」というタイトルの発表を行なった。
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この発表の帰路、新幹線の中の電光掲示板でホーキングの死を知ったと宇田雄一は記憶しているので、ホーキングが死んだのが2019年03月ではなく2018年03月である事をいぶかしく思っている。
2020年 私(宇田雄一)が、ファイナルファンタジー14というオンラインゲームを初心者としてプレー開始した。
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新型コロナ・ウィルスの日本での流行が始まった。
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ファイナルファンタジー14のマークと新型コロナ・ウィルスの外見は酷似している。
2020年03月 日本物理学会2020年春季大会の現地発表が、新型コロナ・ウィルスの流行を理由に、取りやめに成った。
以後数年間、日本物理学会の春季大会と秋季大会の現地発表は、開催されなかった。
2020年夏 宇田雄一が、自宅西棟2階に位置する自分の居室に「ここひえ R2」という冷風扇を導入した。
06月に1個、07月に2個、合計3個。
2024年末時点では合計6個に増えている。
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これと同時に、自宅西棟2階に位置する自分の居室の南窓のエアコンを撤去し、その南窓の施錠を完全化した。
エアコンによってこの窓の施錠が不完全であった事は、宇田雄一が学会発表旅行で不在中に不法侵入するために悪用されていたのではないかと思われる。
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宇田雄一は、体感に基づいて、エアコンの代わりに冷風扇でも我慢できると判断して冷風扇を導入し、2020年夏はその通りだったが、2022年ぐらいからは毎夏暑くて冷風扇だけの自室には居続ける事が出来なく成った。
宇田雄一がエアコンから冷風扇に切り替えた事に反応して、それによる集団ストーカー害の減少を埋め合わせる為に気温が操作されたからだろう。
20250531d1a
2020年頃か ウダオサムの兄、我が家で「みのみのおじちゃん」と呼ばれている人が死んだ
多分2021年 宇田雄一の自宅から南近くに見えるエリアで住宅の新築ラッシュ開始。
建築騒音がひどかった。
2021年06月24日 宇田雄一が「物理学正典」サイトの「電磁気学正典」パートの補足説明欄の記入に着手した。
2021年07月23日 益川敏英死去。
2021年10月09日 ウダオサムがO157に感染したという名目で保健所が宇田雄一の自宅に来た。
宇田雄一にも検便要請が出た。
12日@2024年12月@日記  
2022年春 私(宇田雄一)が7年ぶりぐらいに空手の練習を再開し、以後3年以上続けた。
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多分その期間の序盤の事だったと思うが、テレビで、数十年ぶりに「人間なんて、ららーらーららら、らーら」と「ウミガメのスープ」の話を聞いた。
この時期、世の中が1990年頃と同じフェイズに入った、という事ではないか。
ウミガメのスープはロシアのウクライナ侵攻の事ではないか。
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2022年02月24日 ロシアのウクライナ侵攻
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私が横股割り体操で、十数年間ずっとやっていなかった角度まで開脚した翌日だったと思う。
2022年03月21日 中国東方航空5735便墜落
2022年04月30日 「朝まで生テレビ」の放送開始から1時間21分40秒が経過した頃、民生委員のテレビ・コマーシャルが放送された。
私の記憶している限りでは、「朝まで生テレビ」の途中のコマーシャル時間に民生委員のテレビ・コマーシャルが放送された事は過去に1回も無い。
   
2022 0721 イトウ変死事件。 2022年11月@日記
2022年07月頃 星新一の作品を原作とする短編テレビ・ドラマ全12回がNHK総合で放送された。
2022年07月13日午前09時44分頃 東山紀之さんが何かの番組で「自分達はデビュー当時新人類と呼ばれた」と発言するのを私はテレビで見た。
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その少し前にテレビで池上彰さんが、新人類と呼ばれたのは宇田雄一の世代よりも年上の世代だ、という意味の発言をするのを視聴した。
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2023年09月20日頃ウィキぺディアで調べると、東山紀之さんは1966年生まれだと書かれていた。
そうだとすると東山紀之さんは宇田雄一と同じ世代である事に成る。
2022年10月15日 宇田雄一の自宅母屋1階脱衣室の洗面台が新型に交換された。
これに伴い、水道など異音と水道不便が始まった。
2023年03月03日 大江健三郎死去。
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私が自宅母屋1階居間で空手練習がてらに大江健三郎をボロクソニけなす独り言を言っていたら、直後にマスコミで訃報を見た。
2023年 ジャニー喜多川の性加害問題が世間を騒がせたのは、2023年からのようだ。
その結果、東山紀之さんを嘘つきだとする発言も出た。
新人類発言のもみ消しが疑われる。
2023年10月07日23時51分 「人生最高のレストラン」というテレビ番組で「ウミガメのスープ」の話が出ている。
出典: 08日@2023年11月@日記
2023年11月16日 宇田雄一の広島県福山市神辺町の自宅西棟2階の宇田雄一の私室への不法侵入が長年に渡って行なわれて来たと判断できる痕跡を発見した。 30日@2023年11月@日記
2023年12月 20年以上通院を続けて来た精神病院で医者から「もう来るな」と言われた。
2024 1015 - 2025 04 自宅から北近くに見えるバイパス道の歩道部分に騒音工事。
2025 0103 ウダオサムが新型コロナ・ウィルス陽性 12日@2024年12月@日記
2025 0301 自家用車の後ろに踏ませ刃が置かれていたとウダオサムが証言 12日@2024年12月@日記
2025 0308 「福山480り7017」の男1人とケイーサツ2人の襲来 2025年03月08日@ケーサツの襲来@敵の手口を暴露@空手以外@理論@武道
2025 0320 ウダマチコが自転車で転倒して骨折入院 19日@2024年12月@日記
2025 04下旬から 「神辺町ら879」「神辺町0-396」「福山市特10330」など耕運機騒音がリレー
2025 0526- 自宅西棟の南に隣接する井戸ポンプに騒音手入れ
2025 0531 自宅の東隣の水田で騒音田植え
2025年夏 ウダマチコが自宅地内と自宅に隣接する土地に視界ふさぎ植物をものすごいテンションで拡充して行っている。
2025年春 テレビ朝日で放送された「PJ~航空救難団~」というテレビ・ドラマの登場人物が「俺たちは天使だぜえ」と発言する。
沖雅也さんが出演したテレビ・ドラマのタイトルと関係があるに違いない。
2025年春は世の中が1979年と同じフェイズに入っている、という事ではないか。
2025年夏 自宅の南西近所で住宅新築工事が続いている 26日@2024年12月@日記
2025 0715 ウダオサムがノロ・ウィルスに感染して自宅便所で倒れた。 12日@2024年12月@日記
2025年07月20日 上子亨さんが集団ストーカー撲滅を掲げて参議院選挙に出馬し落選したが、得票数はなかなかの物だった。
2025年08月 新聞にウミガメのスープの書籍広告
 
2025 0902 自宅南西隣の草むらで不審火。
消防車が来たが、消防車の台数も不審に多かったし、消防車以外に不審車両が何台も来た。
パトカーとバキュームカーも来た。
21日@2023年11月@日記
参考
証拠・資料@敵の手口を暴露@空手以外@理論@武道
直接言われた言葉@証拠・資料@敵の手口を暴露@空手以外@理論@武道
ここまでの年表に重要な加筆を始めた2025年06月09日の翌日は、宇田雄一の自宅の地域は一日中雨だった。
集団ストーカー悲しみの雨だろう。
2025 0611 0925ただいま雨ザーザー降り中。


以上の長期観測の結果の中に宇田雄一は次の様な法則性を感知している。
(1) 宇田雄一が所属している学校や会社などの場所に遠隔地から人(先生、転校生、本部長など)がやって来て、その中には転入する人も居る。
(2) 宇田雄一が通っている学校や病院が、宇田雄一が通っている期間中に改築される。
(2a) 宇田雄一が沖野上町から神辺町に引っ越した時、引っ越し先の神辺町の自宅は引っ越し直前に新築された住宅であり、引っ越しに伴う転校先の中学校も引っ越し直前に新築・新設された中学校である。
(2b) 宇田雄一が1995年から2025年まで住んでいる現住所に西棟が新築追加され、宇田雄一のは自分の居室を母屋2階内の1室から西棟2階に変更した。
(3) 宇田雄一の私室への不法侵入手段の1つを封じる毎に、宇田雄一が外出している間にその手段を使って不法侵入が行なわれて来たと考えられる外出課題が1つ消失する。

(1)
の延長上に、車両情報@証拠・資料@敵の手口を暴露@空手以外@理論@武道で報告されている様な面識の無い人の大量殺到がある、という風に宇田雄一は認識している。
つまり、宇田雄一が対面して直接言葉を交わすなどしている人の背後には面識の無い多数の人が存在しており、宇田雄一が対面して直接言葉を交わすなどしている人は、それらの人々の代表として宇田雄一と話をしている、みたいな構図に成っているだろう。

(2)は集団ストーカー手段のレベルアップだと思われる。
つまり、宇田雄一の様子を見て引っ越し前の集団ストーカー手段を不足だと判断した犯人たちが、出来る事を全て盛り込んだ環境を準備して、その中に宇田雄一を植え替える、という事が繰り返されて来たろう。









以下は、ほんの短い期間の事を実例として取り上げ詳述する事により、他の期間にも同じ様な事が続いているという事情を知ってもらう試みです。

以下の枠内は、2025年05月31日時点での私の課題メモのうちの序盤部分です。
序盤部分というのは、最後に追加された項目で、今後まず最初に実行しようと私が考えている課題です。
マイナンバーカード申請2025 0727締切
回し蹴り腕の振りターボいくらでも速く振れる左手が先
左足後ろ回し蹴り低速で調整しないと何回練習しても正しくできない。
長前ストレート打ち後足カカト浮かせ膝やや伸ばすペダル踏む要領で、前足の膝を標的に向ける
3809地名
ケーサツの襲撃オオガワラカコウキ
槇原これはどうすればいいんだ
サンステ、サタステ、捨て
北視界ふさぎの事前写真
水平ガードで両目を覆う方法
横蹴りと回し蹴りで骨盤を起こすのか尻を向けるのか
横蹴り、軸足のカカトを標的に向けると同時に蹴り足側の骨盤を脇腹筋で吊り上げる、蹴り足側の手甲を尻に触れる、膝を曲げ過ぎると股関節痛、蹴り脚内旋しすぎるな、内転筋を緩める、
第2状態から踏み込んでフォアバック打ちでは前足爪先を外に向けろ
歩道工事の時に淀電子東口に来た軽ボックス福山480こ135
歩道工事、20250308アホンダラ、0396耕運機、井戸ポンプとリレー
トラブルという言葉の作用
OSS!!あやか道場【多田野彩香】、【基礎が大事】すぐに使えるフットワーク!!にフォーカス撃ちのフットワークあり
非暴力不服従
良過ぎるからお前では駄目だ
第3状態第5状態から前蹴り練習交互がよい
北窓視界ふさぎの以前の状態
2025 0525 2200開始回拳立て60回
畏怖自転車
バリバラ、バラバラ
過言、みなまで言うな
済、、、、筋肉の化学エネルギー
制度ニセ旗工作、エネルギー保存

足りないという言葉
鬼束ちひろの歌詞、サタステオープニング曲歌詞、

愛が止まらない
スターシップ、日本のバンド、

突破、花が咲くの少し後
氷川きよし限界突破、ウッチャン突破ファイル、

ネット誹謗中傷、木村花
課題メモの序盤部分には本来は今日中あるいは明日中に実行するつもりの課題が列挙されています。
それが、こんなに膨れ上がってしまって、1日では消化できないかもしれない分量になってしまっているのは、集団ストーカー工作への対処で時間を奪われているせいです。
8時だよ全員集合というテレビ番組の寸劇で、1つ終わったら次、それも終わったらまた次、という風に際限なく珍事が続くために、本来業務がいつまで経っても前に進まないのに似て、この集団ストーカー工作への対処が終わったらメモされている課題の実行に取り掛かろうと思い対処を終わらせると、直ぐに次の集団ストーカー工作が始まり、また課題の実行は延期される、そういう事の繰り返しが起きている。
そして、そう成るように狙って、犯人達は集団ストーカー工作を行なっている。
上掲の課題メモに書かれている課題は、ほとんど全て「私のホームページにこれについての説明を加筆しろ」という内容の課題です。
したがって、これらが実行され完了すると、その分だけ私のホームページの内容は補完・拡充され、それを閲覧する人に私の意見が伝わり、またその事は色々な知的所有権を私に発生させます。
集団ストーカーはそれを止めに来ているんです。
片時も休まず止め続けないと、上記課題リストの内容が、読んだ人によく分かる形に補筆されて、どどっとウェブ上に表出する事に成るわけです。
「おい、あいつが、またホームページにコンテンツを追加し始めたぞ、誰か、早く何かしろ」という風に犯人が言っているのが聞こえるかのようです。
また、8時だよ全員集合というテレビ番組の寸劇は、明らかにその事を表現しているんです。
課題メモの便秘様の消化不良を見せれば、その事があなたにも分かるかなあ、と思った。

読者の早合点を防ぐ為に、2025年06月04日に「非暴力不服従」という執筆課題を前倒し実行しました。
その内容は以下のページで見る事が出来ます。
「物は言い様」の原理の悪用@言語工作、屁理屈、定型句(決まり文句)@
敵の手口を暴露@空手以外@理論@武道
これを見て、宇田雄一のメモの各項目の真意は、宇田雄一自身から直接の説明を受けなければ分かるわけがない類の物が多く、時には正反対の意味に誤解されるに決まっている物すらある事を、知って下さい。
だから、宇田雄一自身ですら、メモがあまりに長期に渡って放置されると、自分でもどういう意味の事が書かれているのか分からなく成ってしまう場合が多いのです。

集団ストーカー工作の証拠データを処理するだけで1日が終わり、上記の課題リストの課題に全く手をつける事が出来ない日が連続して何日も続く様に成ったのは、2025年05月22日に散髪に行ったのを境にぐらいです。
それまでは、 1日おきぐらいに本来業務を実行する時間を作る事が出来ていました。
犯人がその様子を見て1日当たりの集団ストーカー工作の件数を増やして来たという可能性も大きいけれど、散髪道中で私が読んだ車両ナンバーの公開を阻止しようとしている可能性も考えられます。
そこで、とりあえず以下に、その車両ナンバーを掲載しておきます。
2025 0522 1515

いま私は散髪から帰宅したところ。
散髪道中で見た車両を以下に書く。

2025 0522 1410出発。

1104が4331の駐車位置に駐車されているのを見た。

福山580よ6552黄色プレート白車体軽ボックス散髪屋前を通過。
福山480こ7369黄色プレート白車体軽ボックス散髪屋前を通過。

2025 0522 1413散髪屋に入店。

福山430た318白プレート白車体バス形ワゴン。
福山580め3772黄色プレート多分茶色。
時刻1452

倉敷483き775白プレート銀色車体軽トラック土手西進。

福山41う5638黄色プレート白車体軽トラック、前ナンバー右寄せ。

福山500ふ9339白プレート白車体乗用車。
福山400た6866白プレート白車体トラック、多分マツダ。
福山583か7135黄色プレート黒車体。
3台連続で土手ですれ違った。

福山580な1204黄色プレート茶色か深緑色車体軽ジープ形。
時刻1456

7788黄色プレート茶色車体軽乗用車、駐車状態。

倉敷500あ463緑色プレート白車体セダン、タクシー、出合い頭風にカーブですれ違った。

福山581こ1298屯所の北の交差点付近に黄色蛍光ベストの男。

福山340る818
福山300ま6772白プレート多分ムスタング駐車状態。
時刻1502

福山542さ7788白プレート白車体車高が高いワゴン鉄筋通りに入った。
福山580ゆ5928黄色プレート白車体鉄筋通りに入った。
8855黄色プレート水色車体軽乗用車鉄筋通りから出る。
5009黄色プレート緑色車体、自宅通りから左折で出て西進。
時刻1503

以下は、2025年06月01日現在の私の処理待ちデータが入っているフォルダの末尾の部分の様子です。
 
a2025 0102 1146.emlとa2025 0102 1146.emlのファイル名の頭に「a」が付けられているのは、これらのファイルの表示順位を最下位にするためです。
これらのファイルの表示順位を最下位にしたかったのは、他のファイルを全て処理し終わった後でこれらのファイルを処理しようと私が計画しているからです。
このうちの、a2025 0102 1146.emlはピンボケの証拠写真でした。
つまり、私が使っているスマホのカメラが集団ストーカー工作で撮影時ピンボケが生じる様にされている事の証拠写真でした。
すっかり忘れていました。
a2025 0102 2200.emlの内容は以下です。
件名 2025 0102 2200
本文 NHKスペシャル2025巻頭言
を私は今見終わった。

ここにもマイケル・サンデル先生が出て持論を言っていた。

エリートやエリートの仕事に比して自分たちや自分たちの仕事が見下されていて尊重されていないと労働者が感じている事が社会の分断だったかの原因だ、という意見だった。

これなら絶対に正しい、とまでは思わないが、実力主義がいけないんだという意見よりはずっと正しいと思う。

けれど、それでは、労働者の仕事が馬鹿にされている状況を変えるべきだと言えるのか、については、私は、変えるべきだとは言えないと思う。

まず、馬鹿にするしないというのは心の中の問題であるから、社会政策の対象としてはいけない、という事です。
人が心の中で何をどう思うかが問題だからなんとかしろ、というのは、これは大変な危険思想だと思うよ私は。
それをハーバード大学の教授が言うというのは、驚きである。

労働条件や仕事内容が不当に悪いせいで、これでは他の人から馬鹿にされてしまうではないか、という事なら、それは是正の必要が有るが、その場合には、労働条件や仕事内容を是正するのであって、馬鹿にする気持ちを是正するわけではない。

馬鹿にする気持ちを直接是正するのではないから、労働条件や仕事内容を適当化しても、なおそれらを馬鹿にする人は居るかもしれない。
それは、どうしようもない事です。

また、エリートの仕事に比べて労働者の仕事を見下している点では、エリートと労働者の間に意見の相違は基本的に無い、だろう。
したがって、労働者の仕事が見下されている事が分断の原因であるという分析は正しいかもしれないが、それは見下す人の見下す考えが間違っているからではない、と私は考えている。

私のこれまでの人生には次の様な事があった。
大学卒業直前期に、同じ大学の学生らしい男性から、何だったか、私の進路選択について質問され私が、労働者に尽きる人には成らない、と答えると、質問した男性は私に、馬鹿にしてはいけないという意味で、馬鹿にしているのか、と言った。
それに対して私が、労働を馬鹿にしているのは労働者も同じである、私のやろうとしている事の方が一般の労働よりも素晴らしいと労働者も思っているから労働者はそれを許せないのだ、と言い返した。
すると私に質問した男性は私に向かって、お前こわくないのか、と言った。
私の言う通りである事を認めた、したがって、最初に言っていた馬鹿にしてはいけないという意見は間違っているという事です。

また、次の様な状況は今でも続いている。
私はこれまでに知的所有権が発生する様な事を考え出して発表しています。
その過程で直接会って話をした色々な友人が、私が過去に他の誰も言ってない新しい事を言ってるんだという事実をなんとか認めずに済まそうと必死な様子であった、その様子が、私より年上の男一般の気持ちへの配慮の必要から何が何でもである風だった。
まるで、最低限のルールぐらいは守れよ、と言わんばかりのニュアンスだった。
これが何回も有る。
つまり、私より年上の男、大抵は労働者です、そしてその人数は膨大です、これらの人が、自分たちのやって来た仕事やっている仕事よりも、過去に誰も言ってない事を他に先がけて自分が言う事の方が立派な事である、と考えている、という事です。

マイケル・サンデル先生、あなた学者なんだから、学説として御世辞を言っちゃあ駄目ですよ。

マイケル・サンデルさんは、これまでの人生がエリート・コース一辺倒だったために、エリートでない人との軋轢の経験が乏しく、そのせいでエリートでない人への善意の解釈を誇大に膨らませているのではないだろうか。
共産主義の話を聞いているとシンパという言葉が出て来るが、このシンパというのがそういう概念らしい。

私は自分の宇田経済学で、機械化によって製品の値段が下がるというのは不当ではないか、という問題を考えています。
これは、技術の進歩によって労働の値段がどんどん低下して来た事を不当だとする結論につながるかもしれない。
したがって私も、労働の報酬についてはホントはもっと高いんじゃないのか、逆に正味の仕事をしてないのに所得と社会的地位ばかりが高いエリートも多いんじゃあないのか、と疑っています。
それでも、私が発表して来たような新しい考えの方が労働よりも立派である、自分よりも宇田雄一の方が立派な行ないをするなんて許せないと労働者も考えている、という点は変わらないんですよ。
これは、勝った負けたの話であって、そこに礼儀への違反とか権利の侵害という要素は含まれていないんですよ。

 
これについても私は、肖像権について01日@2025年03月@日記を書いた様にして、あらためて丁寧な説明を書くつもりで居ます。
集団ストーカーの犯人は、それを恐れて集団ストーカー工作で私に臨時追加の業務を入れ続ける事によって、私のこの作業を繰り延べ続けさせて、そのうちやり忘れたままにしようと狙っている様だ、と私は感じています。
なにせ、2025年01月に発生したやり残し課題が2025年06月01日にまだ着手できないでいるんだから。
犯人は何らかの方法で私のこのフォルダを毎日監視していて「おー、あぶねー」と言ってるんじゃないか。
雑用を全部済ませて、処理待ちデータが入っているフォルダの内容がa2025 0102 1146.emlとa2025 0102 1146.emlの2つだけに成っていた日も、これまでに何日もある。
2024年11月@日記の諸記事も、後日推敲するつもりで放置されたままです。
これらも、推敲前と推敲完成後とでは、そこから読み取れる主旨は随分と違った物に成るのではないかと懸念しています。




最終編集2025年09月12日