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2022年02月20日(日曜日)
先月までの記事への補足5

2022年02月17日の新聞に以下の書籍広告が掲載されていました。

 

 

この書籍広告を私は、
08日@2022年02月@日記の後半に書かれている事や31日@2022年01月@日記に書かれている事や10日2022年02月@日記の序盤に書かれている事の文脈で出て来ていると認識しています。
私は、どの人も自分の遺伝子に合った体形が正解だ、というのが本当だと思うよ。
痩せ体形の遺伝子の人が太るのも、太り体形の遺伝子の人が痩せるのも、健康上はベストの選択じゃない。

眼鏡なんか明らかに眼鏡屋の都合で、眼鏡が外見をカッコ悪くする、という誰でも本音では思っている事を言わせない様にする世相に成っている、と思うが、上記の書籍広告が出た背景には、太った人が多い方が儲かる業種の都合も有るだろう、太った人が痩せた人にも太って欲しいという事情だけでなく。

障害者の人生も健常者の人生と同じぐらい有意義だとする意見が、あまりに行き過ぎると、将来的に傷害罪は罪ではないと言われ始める危険が有る、と書いたページを探したが今は見付ける事が出来なかった。
見付けた。10日@2022年02月@日記だった。
正「障害者を腫れ物に触る様に扱う表現が実質上の義務に成ってしまっている最近」
誤「
障害者を腫れ物に触る様に扱う論調が強く成った最近
怪我をした方がいいですよ、と言われたら、怪我をさせられるんじゃないかと心配に成りますよね。
一生無病息災よりも一病息災の方がいいですよ、と言われても同じです。
いいですよって、誰にとっていいと言ってるのか。
既に怪我をしてしまった人が、まだ怪我をしていない人に向かって言う場合には、既に怪我をしてしまった人にとってはまだ怪我をしてない人が怪我をした方がいい、という願望が、まだ怪我をしていない人にとっていい、という形に歪められて表現されている、と私は思います。
私も「・・・した方がいいよ」と言われた事が何度も有ります。
「自分を特別だと思わない方がいい」とか「一病息災の方がいい」とか「馬鹿に成った方がいい」とか。
「いいって、誰にとっていいのか?お前にとってだろうが」と言い返すべき事です。
この様な誤魔化した言い方も、
07日@2022年01月@日記で説明されている下賎の手口に属するでしょう。
痩せている方がマシだと思っている太っている人が、痩せている方がマシだと思っている痩せている人に向かって、「私はあなたに太って欲しいと思ってるんです」と言う事は、単なる感情の伝言に留まるものではなく、脅かし(おびやかし)だとみなされる必要があろう。
呪いの言葉なんだよ、こんなの。
私なんか、言われるたびに神経痛が出たよ。
例えば高所で命綱一本でぶら下がっている時に、「その命綱が切れるといいなあ」と言われたらどう思うだろうか、という事なんだよ。

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09日@2022年02月@日記で説明されているレイ・セフォーの様な態度を私の父ウダオサムが取った事が有るのを思い出した。
それは、私がまだ負んぶや抱っこをされる年齢だった頃の事だ。
私が母ウダマチコの胸部に抱っこされていた時に、ウダオサムが私に向かって至近距離で、同様のしぐさをした。
ウダオサムは、私に手出しをしたいが出来ないのを欲求不満がって、そうした。