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2022年02月10日(木曜日)
先月までの記事への補足2

31日@2022年01月@日記に書かれている「だんなさまは18歳」というタイトルのテレビドラマの該当箇所が分かりました。

だんなさまは18歳、第4回「ああ残酷な学園祭」
後半の職員室でのシーン(私の録画では36分54秒頃)
次の様な台詞が有ります。
「もっともあなたは身長プロポーションとも今日的要素に欠けてらっしゃるようですけれどもハハハ」
「あたしがチビでペチャパイだと言いたいんですか先生は」 ・・・ 石井めぐみが言った。
「あら違いまして、それ」

こういう台詞が有ります。
この様な台詞は珍しくはないと思いますが、具体例を挙げろと言われれば私は、今はこれしか思い出せません。
チビもペチャパイも欠点ではないのに、それは欠点だという認識で2人の発言者の両方が一致している、そういう表現に成っている。

ついでの話ですが、「もっともあなたは・・・」「あら違いまして」と言った脇役が落とした自分のコンタクトレンズを床で探すシーンが、この直後に有ります。
これは、その人は目が悪いという点で身体に欠点が有るので美人としては不完全である、という表現です。
チビやペチャパイをけなした自分の方が、それどころじゃない大きな欠点を抱えているじゃないか、という表現に成っています。
その上チビやペチャパイは欠点ではないし、石井めぐみは相手の目の悪さをけなしてないので、メンタルとフィジカルの両方で、脇役が主役を引き立てる効果が出ているわけです。
また、今日的な美人観への皮肉も込められているのではないだろうか。
因みに、台詞の2人の素の人相は、実は、酷似してるのかもしれない。
そうだとすると、それを正反対のタイプの女だと視聴者に思わせるのは、なかなか粋な計らいですよね。

落とした自分のコンタクトレンズを床で這い回って探す、という行為をさせる事によって辱める、という種類の表現は、当時は他の作品でも多く見られました。
コンタクトレンズよりは、男が落とした自分の眼鏡を探す、というパターンが多かった。
眼鏡やコンタクトレンズというものは、足りない視力を補うための器具だから、それらを落として探す時には目がよく見えないので上手く探せない、という状態に成ります。
その様子をからかって馬鹿にする表現です。
この様に言うと、そんな表現をした人は、恥ずかしいから言わないでくれ、と思うかもしれません。
でもね、そういう表現で馬鹿にされた目の悪い人も、恥ずかしかったんですよ。
毎日毎日、これでもかこれでもかと。
ネットでの誹謗中傷は本質的にはこれなんですよ。
手が届かない位置に有る松葉杖を足の悪い人が取ろうとして困る、足が悪いんだから手が届く位置まで移動できない、この様子を馬鹿にする表現なんて誰もしませんよね。
障害者を腫れ物に触る様に扱う論調が強く成った最近ではもちろんの事、当時でもそうだったろう。
それなのに、眼鏡を馬鹿にするのは何故そこまで「どうぞ、どうぞ」「もっとやれ、もっとやれ」だったのでしょうか。
それは、例えば、カンボジアでポルポトが大虐殺を行なった時に、眼鏡をかけている人は資本主義社会において有利な地位に居る人々だからという理由で優先的に殺された、というのと同じ動機が背景に有るからでしょう。
当時はアニメなんかでも多かったんですよ、登場人物が落とした自分の眼鏡を探す様子を馬鹿にしてからかう表現が。
私は、自分の事だ、と思いましたねえ。
本当にそうだったんじゃないかなあ。
そういう表現に対する私の反応を見て「笑っていいとも」という番組なんかが出て来たと私は見ている。
しかし、私の反応を「笑っていいとも」だと解釈した人々には想像もつかないような恐ろしい事が当時の私の心の中では起こっていました。
それは「いいよ、それならオレはそのルールで優勝するから」という反応です。
私はホント良い人だから、自分がされた事に報復しようとは考えませんでした、それがルールなんだと悪気なく考えたんです。
であるから、近年に成って「馬鹿にするな」とか言い出した事は許せないんですよ。
これも、テレビから聞こえて来る意見を私が「は?」と思う理由のひとつです。
自分達が馬鹿にする番の時は散々馬鹿にしておいて、馬鹿にする番が私に回って来たら「馬鹿にしてはいけません」「馬鹿にしてはいけません」なんて、それは通用しないんだよ。
馬鹿にはするんだよ、何を言ってるんだ。

誤解を防ぐ為に念のために言っておきますが、私は「だんなさまは18歳」の作風の方が最近のテレビドラマの作風よりも好きです。