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2022年01月31日(月曜日) | ||||||||||
朝まで生テレビ2022年01月01日放送分を見た感想24 | ||||||||||
もう今日は、くたびれたので、少し書くだけにします。 29日@2022年01日@日記の後半に書かれている女性差別についての私の見解を補足します。 男社会とは何か。 会社の社長や国会議員は男ばかりで女が少ない事だ、と世間では言われている。 しかし私は、それらは男社会度のバロメーターではあるけれど男社会の本質ではない、と考える。 それでは男社会の本質とは何か。 個人レベルや少人数レベルで男と女の意見が対立した時に、それについて相談や質問をされた第3者がどちらの言い分を支持するかという問題で、第3者がエコヒイキをしたり間違った偏見に基づいて判断するせいで男の言い分に比べて女の言い分が認められ難い。 これが男社会の本質だ、と私は考える。 この様な言い方をしただけでは大した事ない問題の様に見えるかもしれないが、具体的に言うとどういう事なのかを考えると、深刻な問題である事が分かる。 例えば、強姦の被害女性が被害を訴えて犯人は否定する、という場合に、強姦が有ったという事実が第3者に認められ難い。 07日@2022年01月@日記で説明されている様な下賎の手口を使って自身の正当性を圧殺される 男と対立すると、自分の方が正しくても、自分の方が悪者にされる事が最初から分かっている。 言い争いで逐一的確な批判や抗弁を行なっても、それらは全部ノーカウントにされる。 たとえ自分に落ち度が無いのに離婚されたり解雇されたり試験不合格にされたとしても、そうされたんだという訴えが認められるなら、それらの害を弁償してもらう事が出来るし、それが知れ渡れば誰も女性差別を最初からしなく成ろう。 だから、対立において自分の言い分がどう扱われるかが本質なのです。 具体的に言うと、こういう事です。 これでも、まだ的外れかもしれないけど、的外れだと思う人は「いや、問題はそこじゃない、こういう点こそが鍵に成ってるんだよ」という意見を、こぞって発信して欲しい。 私が言いたいのは、公制度に女性差別が含まれる、という事とは違った所に女性差別の本質は有る、という事です。 美人コンテストをやめようという動きが有る。 どういうタイプの女が美人か(を男は欲しがるか、が男にモテるか)、という基準は次の意味で重要だという事に、みなさん気付いてますか? どういうタイプの女がモテるかの相場が、実際とは違う風に社会的に宣伝(口裏合わせ)されていたなら、その事は次の様な犯罪に力を与えてしまう。 ・ モテるタイプの女に、お前なんかどうせモテないんだから、結婚相手としてはこの男ぐらいしか望めないぞ、という風にウソをつかれても、そう言われた女は反論できない。 それでも、もっとマシな男が「欲しい」と言って来てくれればマシでない男で我慢せずに済むが、それでは配偶者選択における女性側からの選択が無く男性側からの選択しか無い男権社会に成ってしまう。 詳しく言うと、誰がどの女を取るかを男だけで話し合って決める社会に成ってしまう、という事です。 男同士の人間関係、力関係の中で、もっとマシな男が「お前は我慢しろ」と言われて従がわざるを得なく成れば、もっとマシな男が「欲しい」と言って来る事は無いわけです。 ・ 強姦の犯人が被害女性に「誰がお前みたいなモテないタイプの女を強姦するものか」と言って犯行を否認し、それが認められれば、犯行は無かった事にされてしまう。 被害女性が「自分はモテるタイプの女だ」と反論しても、その反論が自惚れなどの恥ずかしい事実誤認だと言われて貶められ、「それは妄想だから精神病だ」と言われる危険すら有る。 この様に、事実は出来るだけ明らかにするという態度をチョッとでも緩めると、たちまち犯罪の鎖がつながる様に成るのである。 最近私は「だんなさまは18歳」というタイトルのテレビドラマの録画を引っ張り出して視聴してみた。 このドラマの主役の石井めぐみという女優は、私が見ても理想の美人で、ドラマの中でもモテモテです。 このドラマの台詞の中に、胸つまり乳房が小さい事は女性としての欠点だ、という認識が出演者達の間で共有されている事が分かる台詞が有りました。 それでもドラマ中の男達はみな胸の大きい女にではなく胸の小さい石井めぐみに殺到するのですが。 これは、女の形はどんな形が理想であるのかについて、行動レベルでは正直ですが、言葉のレベルではウソで口裏が合わされている例です。 その理由には、主人公が自分の形を最高だと言うとカッコ悪いから、などの理由も有るだろうけど、このページで私が批判している犯罪を百パーセントは排除できなかった、という事だったのかもしれない。 最近のテレビドラマの様に変なディスり要素をまるで義務ででもあるかの様に入れる、という事を全くせず、完全無欠の美人像を表現したその作品ですらそうなのかしら、と私はいぶかっている。 匿名係長只野仁というテレビドラマで梅宮辰夫さんが「最近の巨乳ブームは理解できない」「乳房というのはだなあ、こう手の平にひたっと収まるのがベストなんだよ」という意味の台詞を言った。 全くその通りだと私は思うのだが、梅宮辰夫さんが死んだのは、私がそのシーンを見てから間も無くだった。 乳房発言が食あたりみたいに当たったから死んだのではないか。 そう考えると石井めぐみドラマの台詞が何故ああだったのかにも納得できる。 何かのタブーなのかも。 鳥類の生殖を見れば分かる様に、女が男を選り好みする事は種の保存において大切な働きを担っている、と私は考えます。 どんなタイプの女が男にどの程度モテるかの相場が歪められて伝えられてなかった時代でも、劣人主主義者達は、どの男がどの女を取るかを男だけで決め(ようとし)ている、と私は推測している。 結婚は両性の合意のみに基づく、という定めを含む日本の法体系でも劣人主主義者は、それを愚弄するかの様に、10日@2022年01月@日記で私が説明した「公法を使って自分達の勝手な賊法を通用させようと」していると私は見ています。 そのやり方では、この共謀に参加していない男が勝手に女に話を持ちかけると、その男は性犯罪で逮捕される事に成っているだろう。 共謀に参加している者は言う事を聞いていさえすれば安全に(罪人扱いされる事なく)女をまわしてもらえる、組織的な強姦システムである。 これにおいては、性犯罪者が無罪に、無実の男が性犯罪者に仕立て上げられる事に成る。 この考えが私の頭には有るので、性犯罪のニュースを聞いたり、性犯罪の取締りの強化のニュースを聞いた時には、どこまでが聞いた通りでどこからが聞いたのとは逆なのか、迷うのである。 1993年か1994年に千葉に住んでいた私の部屋の隣の部屋に吉井と名乗る男が住む様に成った。 その男が「マスターべションは何かの強制力の抜け道に成るので不都合だ」という意味で「マスターベーションが許されると言う事を聞かなくて済む様に成るのでいけない」と言った。 これなんかも、その強制力が女を自分達の資産の様に管理している事を意味するだろう。 私の父ウダオサムから「自由には出来ない」という意味で「お前の様な生活をしているとヤクザが来て一緒に住む」と言われた事が私には有る。 吉井が来たのはそれだろう。 よく思い出せないんだが小学生の頃に「我々の言う事を聞かないと結婚できない」と言われた事も私には有る様な気がする。 私には「宇田君、そんな事を言ったら、あなたの言う事を誰も信じてくれなく成るよ」と言われた経験が有る。 言われたのは学生時代だったと思う。 それを聞いて私は不審だと思った。 「そんな事」の内容が、それを言ったら信用を失う様な事だとは私には思えなかったからだ。 「そんな事」の内容は、それまでに色々な人々から数え切れないぐらいの様々な不正をされて、その累積は既に甚だしい、という意味の事だったかなあ。 そういう事は有り得るんじゃないかなあ。 何故それを言ったら信じてもらえなく成るんだ? 実際、去年の派遣労働体験談から今年の朝まで生テレビの感想までに書いた色々な事が有ったわけでしょう。 普通の人には有るわけない様な事かもしれないけど、私には実際に有ったのだし、可能性が有る事だけなら事実を確認しなくても考えれば分かる事じゃないか。 私が普通では有り得ないぐらい優れた人である事は、君(上記の不審発言をした人)も今まで見て来たはずじゃないか。 私はそう思っていたが、もしかして全然わからなかったのか。 そういう風にも思ったが、私を信用しなく成ると言われている人々は、犯人の共謀に参加しているので、自分達の犯罪について言う者には発言内容がデタラメだという偽のレッテルを貼る、という事だな、とも思った。 学生時代に交通誘導で知り合った住田有史という友人から「アムネスティインターナショナルに相談したらどうか?」と言われて「何を相談するんですか?」と思った事が有る。 その人は私に「もっと行くと、あなたに仕掛けられる犯罪が罰せられなく成るんだよ」とも言った。 そう言われた時の私は何の事を言ってるのか良く分からなかったが、傍目に見ると本人の私よりもハッキリと分かるぐらいの事をされてる様だ、と思った。 私の母ウダマチコから「そんな事をしたら誰もあなたの事を相手にしなくなる」と言われた経験が私には有る。 「そんな事」の内容は、何才に成っても本業を独学だとし続ける進路選択の事だったと思います。 私が「相手にしなくて結構、自分の事は自分でやる」と言うと、ウダマチコは「馬鹿じゃなあ、あんたは。相手にされなく成るというのは、生きて行けなく成るという事だ」と言った。 語るに落ちた。 この他に「間違えないと誰も助けてくれなく成る」という定型句も有る。 これについては物理学正典TEC-0-1-54の補足説明欄に書かれています。 この様に、「誰も信じてくれなく成る」「誰も相手にしなくなる」「誰も助けてくれなく成る」の「誰」に当たる人が、つまり身近な人が私をどう処遇するかで生殺与奪を自由自在に出来る様に成ってるらしい。 つまり、法律を遠隔作用の原理に例えると、近接作用の原理に例えられる何かが社会における力の本質だ、という洞察です。 これが、法律なんて有って無い様なもの、と言われるべき巨悪の鍵だと私は思う。 そして、男社会か女社会か男女平等社会かの違いは、本質的には、この部分(近接作用の如何)の違いなのである。 女性差別、男社会はいけないけど、女社会に成ってもいけない。 正しいのは、あくまで男女平等だ。 --- 私の録画では録画開始から1時間42分24秒が経過した頃に、発言中の上昌広を見る藤井聡の顔表情が映ってます。 憎しみの表情ではないかと思うんだけど、特に右目なんか。 上昌広さんが 「マスクはつけると感染半分ぐらいになるらしいんですよね。でコロナの流行が終わるのは途上国のワクチン打ち終わった時期だって言われて・・・」 という風に発言している時です。 少ししか書かないつもりだったが、結構な量書いてしまった。 今日も、くたびれた。 |
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