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2022年02月09日(水曜日)
本当の心理学

29日@2021年12月@日記に、心理学をやるなら「本当の心理学」をやれ、という事を私は書きました。
本当の心理学とは何かを分かってもらうために、以下の例を今日は紹介します。

1998年04月09日に神奈川県の横浜アリーナで開催された「K-1 KINGS'98」という格闘技大会の第1試合の第5ラウンドの残り時間が1分09秒に成った瞬間つまり開始から1分51秒が経過した瞬間から数秒間、レイ・セフォー(Ray Sefo)という選手がフランシスコ・フィリオ(Francisco Filho)という選手に向かって見せたジェスチャー。
おちょくって怒らせようとするしぐさです。

 おちょくっている様子。

 おちょくっている様子。

 真面目な様子。

これは、セフォーによる演技かもしれないし、フィリオもセフォーを倒そうとしている状況での事ですが、先制攻撃の意思が無い相手に自分の攻撃が通用しないと分かった時にセフォーの様な行動を生む人間心理というものが、一般的に存在します。
格闘技の試合で相手を怒らせようとする事は、厳密には反則かもしれないが、相手が怒って反撃してもそれが反則とされる事は無いので、そんなに悪質ではないと思う。
それでも、実社会での悪質なガスライティングを生む人間心理が一般的に存在する証拠と見なせるだろう。

私は、この人間心理が集団ストーカーやガスライティングの動機だ、と考えます。
そう私が思うのは、セフォーがフィリオにした種類の行為を、私がされた事も、他の人がされるのを見た事も、どちらも何回も有り、それらが集団ストーカー工作と同じ状況で発動されたからです。

そういう経験が有るので私は、それがどういう状況かを説明する例え話を案出する事が出来る。
自分の経験は具体的には覚えていないが、フィクションの具体例を生成する事なら出来る。

男女の恋人関係などを、周囲の善良な人から祝福されて「大切にしなさいよ」などと言われ「はい大切にします」と答えて、その通り大切にしていると、犯人がちょっかいを出して来て、それに目くじらを立てると、犯人は引き下がらざるを得なく成った。
例えば、この様な状況です。
その瞬間などに犯人がセフォーの様な事を行なう、というパターンが一般的に存在します。

こう言われると、あなたの頭の中でもバチッと火花が飛ぶ様なフラッシュバック様の合点が行くのではないでしょうか。
誰でも少なからずそういう経験をしているはずだからです。
経験が有るだけでなく、自分の経験の中でも軽くない異質な経験、犯人に「お前は一体何なんだ」「お前のその考えは一体何なんだ」「お前のその行いは一体何なんだ」と憤るだけでなく理解に苦しむカルチャーショックの様な異界との遭遇みたいな経験だったはずだ。
看過できないのに忙しくて解決を先送りにしているうちに忘れてしまっていた、そういう問題ではないですか。

26日@2021年12月@日記に書かれている「どうせ自由時間にする活動はくだらない事なんでしょ」と言われた私の経験も、それに近い。

これが本当の心理学である。
それに対して、エセ心理学は、セフォーに反感を抱かせた様なフィリオの自意識を異常な精神状態であると言って貶め、さらに、セフォーがしたおちょくる行為を有りのままに認識する事を被害妄想だと言って責任を転嫁するタイプの屁理屈です。
奴隷道徳と主人道徳の対立にピッタリ一致しているではありませんか。

本当の心理学というのは、よっぽど気を付けてないと誰でも陥ってしまう、ほとんど誰でもが持っている恥ずかしくて悪い心の性質を暴くものであり、そうして暴かれた人間心理こそが、世の中に存在する不正の主な動機なのである。
本当はそうなのに、エセ心理学は、そんな事を言うやつは頭がおかしい、頭のおかしいやつが犯罪するんだ、とウソをつくのである。
まさに善悪の逆転、被害加害の逆転なんですよ。

これじゃあだめだわな。
どうして、そんな事をするのだろうか。
それは、恥ずかし過ぎて屈辱すぎて本当の心理学を認める事が出来ないからである。
我々は常識の有る大人だ、お前らはまだ子供だ、と言ってる側の人々の方が、手段を変えるだけで小学生の頃と狙っている事が変わってない、狙いを年齢相応に改善して行こうとする者を子供だと言って揶揄するのでは、てんで逆さまだ。
そういう逆さまな言い分というのは、屈辱すぎて本当の事を直視できないから出て来るのだ。
我々は大人で子供のお前より偉いんだって、何の事を言ってるかと思えば、蓋を開けてみれば、小学生の時に負けた喧嘩で今度は勝てるぞと言ってるみたいな事だったなんて、お粗末の限りである。
本当の大人とは、もうそんな事では喧嘩しない人の事である。

セフォーの様な人が、追っ払われて出入り禁止に成ったりしたら、おちょくるのをやめるだろうか。
追っ払われて近寄れなく成っても、フィリオが目に入らない場所に居ても、自分からフィリオの様子を調べて、あいつがまだ居る、あの自意識のまま進み続けている、と不満に思い、後退させられても後退させられても、後退先の場所からしつこくおちょくり続けるだろう。
負け犬の遠吠えを見れば、動物にすらこの心理が有るのだから人間一般にこの心理が有るのは当然だ、と感じられます。
最近話題のネットでの誹謗中傷も、これです。
セフォーはそういう人ではないかもしれないが、そういう駄目ええええええな人がたくさん居るんです。
それが集団ストーカーに加担する種類の人なのである。