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2022年01月11日(火曜日)
朝まで生テレビ2022年01月01日放送分を見た感想6

伝聞情報に基づいて討論の内容はどうだったかを判断する時に使う理屈は、証拠に基づいて事実がどうだったかを判断する時に使う理屈の一例です。
一昨日の記事の後半に書かれている様な、同一人物が行く先々で色々な人と口論しているとか、これを「トラブルを起こしてる」と言ったり、あの討論では誰それの発言が意味不明だったとか、まともな人に誰それがかみついた、かみついたからまともでないとか、そういう噂を伝聞情報として入力すれば、その噂で悪く言われている人が周りの人に迷惑を掛けたというのが事実だったのだろうという判断を出力する様な理屈、そういう理屈が、昨日の記事の後半で指摘されている様な、欠陥の有る理屈や犯人によって曲げられた屁理屈です。
これにおいて証拠とは、伝言者が特定の内容の発言をした事であって、伝言者の言う通りである事ではありません。
根拠を説明できなくても、自分や他の誰かが何かを思った、とか、何かを思うと誰かが言った、というのも証拠です。
この様な「思う」系の証拠は事実がどうであったかを知る手掛かりに成り難い、というなら分かりますが、根拠を説明できないならどう思うかを言うな、という主張は、明らかに不審であり、防犯を萎縮させる目的の工作だとしか考えられません。
不当な要求です。
昨日の記事で私が最も教えたかった「理屈を正せ」とは、同一人物が行く先々で色々な人と口論しているとか、・・・そういう噂を伝聞情報として入力しても、その噂で悪く言われている人が周りの人に迷惑を掛けたとは限らない、むしろ周りの人がその人に迷惑を掛けたのかもしれない、という判断を出力する様な正しい理屈を正直に割り出して、欠陥の有る理屈や屁理屈をその正しい理屈で置き換えろ、という事です。
この様な主張は、
05日@2022年01月@日記07日@2022年01月@日記で行なわれている様な例示なくしては支持されない傾向が今までは強かった。
そこにつけ込まれて来たのです。
しかし、頭を冷やして考えてみると、例示は本当に必要でしょうか?
理屈だけで分かる事ではないでしょうか。
「むしろ周りの人がその人に迷惑を掛けたのかもしれない」という可能性は、例示を待たずとも、最初から有ったのだし、それは考えれば分かる事だったわけです。
これを教訓として、まだ例示を与えられてない種類の事についても、最初から有ると分かっている可能性はひとつも切り捨ててはいけない、という事を学んで欲しい。
これが、1を聞いて10を知る、という事です。

討論の内容についての伝聞情報には、他にも、「誰それは論理的だったが誰それは感情的だった」という評価もパターンとして有ります。
こういう伝聞情報の信憑性を確めるには、どの発言がどうだったから論理的(感情的)だと思ったのか、きき返してみるとよいでしょう。
根掘り葉掘りというのは、こうして始まるのです。
「思う」系の発言について書いた様に答える事が出来なければいけないなんて事はありませんが、答える事が出来なければ、証拠としては「思う」系の証拠だと見なされる(ランク付けられる)事に成ります。
また、発言者が論理的か感情的かを判断するには、個別の発言を見ただけでは不十分であり、発言全体の大意も見なければいけません。

いつ頃からか私は伝聞情報で判断を求められた時に「わからない」と答えるように成った。
それは以上の理由(フライイングを防ぐ目的)でです。
私のその態度は、特定の答えを期待していた質問者に私への不信感を抱かせたようです。
私が犯人の味方に転向したのではないか、という風に。
しかし、私が「わからない」と答えたのは、犯人に義理立てしてではなく、むしろ質問者を犯人の手先ではないかと疑ったからだったわけです。

ここまでが今日の本論です。
以下は、昨日までの記事への補足です。

07日@2022年01月@日記で説明されている不正Dについて。
「無茶苦茶じゃないか」のタイミングでは「理屈じゃないんだよ」や「ごちゃごちゃうるさいんだよう」と言われる事も有る。
まるでこっちが理屈で誤魔化してるみたいな言い方。
まるでこちらの方が悪いかのような言い方。
下賎の手口が屁理屈犯罪だから、それを摘発する言葉が理屈っぽく成るのである。
下賎の手口を摘発する言葉が理屈っぽい事が責められるのは筋違いだ。
また、途中まで理屈ぶった言い方をしておきながら、理屈で負けると分かると一転して理屈という物を否定するのも、不正な態度である。
「理屈じゃないんだよ」や「ごちゃごちゃうるさいんだよう」の人聞きの悪さはハッキリではない。
そう言った人が開き直った、正体を現した、という風に聞こえる場合もあろう。
他にも、正しい判断を出来なくする目的で「本気で言ってるのか?」ときき返すとか、「そんな面白い話は初めて聞いたよ」みたいな言い方も、「無茶苦茶じゃないか」のタイミングで使われる事が有ります。
「そんな面白い話・・・」は、推理小説で犯人が名探偵に向かって「まったく君の想像力にはいつも感心させられるよ」みたいな事を言うのと同じです。
「妄想」「妄想」という最近の言い方はこれがエスカレートした物である、のが良く分かるでしょう。

08日@2022年01月@日記の終盤や09日@2022年01月@日記の序盤に、色々な素朴な疑問の答えが下賎の手口だと書かれています。
この他に次の様な例も有ります。
報復として嫌がらせをされるのが怖いから義務の無い事をせざるを得ないとか権利の有る事をする事が出来ない、という話も聞いた事が有ります。
しかし、嫌がらせは不正だから、やめなさいと言われれば出来ないのではないか?
やめなさいと言われてもやめなければ警察に通報すれば済むはずなのではないか?
そうではないのは何故か?
その答えも、嫌がらせが下賎の手口だからです。

一昨日の記事の中盤に、ウダオサムが「こりゃあ戦争でも無けりゃあいけんのう」と言った事が書かれています。
それは、私の安心し切った様子へのウダオサムの反発でしたが、「安心し切った」に加えて「堂々とした」「悠々とした」「悠然とした」という言葉を補いたいと思います。
派遣労働の雇用者が反発したのも、私のそういう態度です。
本来は誰もがそういう態度で居られる様にというのが社会の目的なのに、逆さまなのです。

下賎の手口には、次の様なのも有ります。
H. 赤上げて、青上げて、赤上げないで青上げて、みたいな質問の仕方で返答を間違わせる。
I. 家に帰って調べてみないと討論の場では確認できない史実などについてウソをつく。

不正Iは、朝まで生テレビでされたと池田信夫さんが怒っていました。