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2022年01月05日(水曜日) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
朝まで生テレビ2022年01月01日放送分を見た感想1 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
まず、最も肝心な点を書きます。 証明責任というものは基本的に負った方が圧倒的に不利、負わせた方が圧倒的に有利です。 藻谷浩介から批判されている藤井聡の意見は「どうすればどう成る」「こうすればこう成る」「だからどうするべきだ」「だからこうするべきだ」という意見だと思われる。 それに対する藻谷浩介による批判は、そうとは限らないじゃないか、という批判です。 この様な対立においては、論証しなければいけないのは藤井聡の側です。 なぜなら、藻谷浩介による「そうとは限らないじゃないか」という批判は、藤井聡による論証には論証として欠陥が有る、という指摘だと見なせるからです。 学部レベル云々という発言が、そういう指摘です。 それなのに藤井聡は藻谷浩介に「論証しろ」と要求している。 ここに、この討論の最大の不正(証明責任の転嫁)が有ります。 これを私は藤井聡による故意の不正だと判定します。 故意の不正だと私が判定した理由は以下です。 「どういう点についておっしゃってるのか、しっかりと論証して頂きたい」という藤井聡の発言は、「どういう点についておっしゃってるのか」と「しっかりと論証して頂きたい」がつながっていない点で、おかしな文に成っており、藤井聡が無理矢理「論証して頂きたい」に持って行こうとした証拠だと見なせる。 「どういう点についておっしゃってるのか」という質問に対する答えは「こういう点についてです」という形に成るはずであり、論証ではないのが当然である。 また、次の点も指摘できます。 藤井聡による発言13が藻谷浩介による発言12をさえぎっている。 藤井聡による発言15が藻谷浩介による発言14をさえぎっている。 一方これらにおいて藻谷浩介は、発言13や発言15が始まると直ぐに自分の発言を中止して相手の発言が終わるのを待っています。 この様に相手の発言が終わり次第自分の発言の続きを言い始めるつもりを保持したまま他者による後発被せ発言の間だけ待機する事は、私も使うテクニックであり非常に良心的ですが、他では見かけません。 この部分には、単に後発の発言を先発の発言に被せて先発の発言を妨害する、という特徴が有るだけでなく、発言内容に以下の異常が見られます。 発言13と発言15はどちらも「説明しなさい」という内容の発言です。 しかし、発言12も発言14も、発言13や発言15で要求されている説明です。 つまり、発言13と発言15はどちらも、藻谷浩介によって既に開始されている説明をさえぎる後発の発言であるにもかかわらず、その内容が「さえぎられた発言を続行しろ」という内容に成っている、という事なんです。 藻谷浩介から「だから今説明してる所じゃないですか」と言われても仕方が無い様な事を藤井聡が2回も言った、という事です。 そのせいで藻谷浩介が足払いを掛けられた様に説明の糸口を見失いそうに成っているみたいだ。 藻谷浩介のさえぎられた直後の発言の出だしがさえぎられる直前の発言の出だしと毎回違う。 発言13と発言15は、藤井聡が藻谷浩介からの反論を怖がって慌てて止めようとしている物だ、と私は見る。 発言15が恫喝(的)であるのも、そうだからだろう。 この事は、藤井聡が自分の意見を正しいと確信していない証拠だ。 (藻谷浩介による発言1の開始時点頃の藤井聡の目が怯えた目に成ってないか) 発言13開始から発言15終了までの間に藤井聡は「論証の責任は藻谷浩介に有る」という意味の事を3回も言ってる。 これは、証明責任の転嫁を藤井聡が強く意識している証拠だ。 論証の責任は藻谷浩介に有るというミスリードのレールから議論が外れない様に過剰な念押しをしているのでないと3回も言わない。 溺れる人がワラにすがるかの様に証明責任の転嫁という不正に藤井聡がすがっている体だ。 証明責任の転嫁は効果が非常に大きいので、その弊害を防ぐには、証明責任の転嫁を指摘して改めさせる以外には有効な対策が無い、と思った方がよい。 つまり、論敵による証明責任の転嫁を大目に見て黙認するのは非常に危険な自信過剰である。 その代わり、証明責任の転嫁は明示的手法だから、まめに指摘すればその弊害を防げます。 証明責任は負った方が圧倒的に不利、負わせた方が圧倒的に有利なら、「こうすればこう成る」といった様な、言えば証明責任を自分が負う事に成る様な意見は言わない方が得なのか。 そんな事はありません。 そういう意見は証明に成功すれば得点が高いし、証明が困難であればあるほど「証明できてないじゃないか」という反論の得点は低いからです。 内容にもよりますが、大雑把に言うと、証明責任を負った人は論敵に「そうとは限らないじゃないかと指摘するだけなら誰にでも出来るんだよお」という言葉で、それをアピールする事が出来ます。 Aを証明できなかった事は、notAを証明できた事とは違います。 例えば、非常に桁数の多い素数を見せて、それが素数である事を証明せよと要求すれば、大抵の人は証明できないわけです。 しかし、証明できなかったから素数ではないという事には成らない。 だから、討論において何かを論証できなかった事によって結論が確定する事は有りません。 その様な場合、つまり論証できない問題を扱う討論では、論証未満の所でどちらの意見の方が正しそうであるかを競う事に成ります。 藻谷浩介による発言3はこの道理を説いている、と思われます。 したがって発言3は「ここから先は私は論証しませんよ」「類推で相関関係を見当付けますよ」という藻谷浩介による宣言だと解釈されるべきだろう。 藻谷浩介は、藤井聡の意見を「そうとは限らないじゃないか」と批判するだけにとどまらず「藤井聡が言うのとは違った風に成りそうだ」という意見を出している様に見えます。 そのため、[論証を要する意見]対[そうとは限らないじゃないか]という形の対立ではなく、[論証を要する意見]対[論証を要する意見]という形の対立が生じているとする方が正確です。 それでも論証する責任は、両者に有るのであって藻谷浩介の側だけに有るのではありません。 藻谷浩介が自分の意見を論証できなかった事をもって藤井聡の意見が論証されたとする事も出来ません。 「藻谷浩介の意見に論証が無ければ藤井聡の意見が正しい」と言うなら同時に「藤井聡の意見に論証が無ければ藻谷浩介の意見が正しい」ともしなければ不公平です。 不公平であるだけでなく「藻谷浩介の意見に論証が無ければ藤井聡の意見が正しい」も「藤井聡の意見に論証が無ければ藻谷浩介の意見が正しい」もどちらも間違っています。 その意味で、論証する責任を藻谷浩介の側だけに押し付けている藤井聡の態度は、やはり証明責任の転嫁です。 [論証を要する意見]対[論証を要する意見]という形の対立では、自分の意見を論証しようと努めるというアプローチが有るだけでなく、論敵による論証の欠陥を見付け出して指摘する、というアプローチも有ります。 この文脈で藤井聡による論証の欠陥を指摘しているのが、藻谷浩介による発言1の「学部レベルの」「モデルをもとに」という部分だと思われます。 藻谷浩介による発言1は、学部レベルではモデルを使うが研究者レベルではモデルを使わない、という意味なのか、それとも、学部レベルと研究者レベルでは使うモデルが違う、という意味なのか、どちらなのか私にはハッキリとは分かりません。 しかし「学部レベルの」と発語してから「モデルをもとに」と発語するまでの間に時間的な空白が有るので、学部レベルではモデルを使うが研究者レベルではモデルを使わない、という意味だろうと思われます。 藻谷浩介の意見は以下だと思われます。 藤井聡はモデルを使っている。 モデルを使うのは因果関係で考えている証拠だ。 経済学の議論というのは相関関係の議論だから因果関係じゃないので、そういう判断ではいけない。 これが、藤井聡による論証の欠陥を藻谷浩介が指摘している事に、当たるのです。 因みに物理学なら、学部レベルの知識は現状に合わない、なんて事は無い。 物理学では、むしろ学部卒業後に習う知識の方が日常経験とは縁遠い。 そこが物理学と経済学では違うようだ。 |
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