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2022年01月12日(水曜日)
朝まで生テレビ2022年01月01日放送分を見た感想7

私が藤井聡さんを初めて見たのはYouTube動画ででした。
それは国会で何かを発言している姿でした。
その時の第1印象は「ホントかなあ?」という印象でした。
つまり、第1印象で既に私は良くない印象も受けた、という事です。
消費税に反対する内容の発言だった様に記憶している。
発言の冒頭で藤井聡さんは「学者としての責任感と覚悟で発言します」という意味の事を言った。
そういう責任感と覚悟で行動したり発言したりする人はそれまでにも居たかもしれないが、「学者」という言葉をそういう風に使う人は初めて見た。
そこをうさん臭いと思ったけど、本当にそうなのかもしれないので、決め付けずに判断を保留しておいた。
消費税を話題にした点も、一般受けを狙った人気取りであって責任感からではないのではないかと思ったが、本当にそうなのかもしれないので、決め付けずに判断を保留した。
風貌は、どこか精悍さを含む、しかしねちっこくない好感を持てる男前な風貌だが学者風とはちょっと違う、と思った。
この点にも疑問を感じたが、むしろ良い事じゃないか、とも思った。
学者が普通は平均より劣っている点について平均以上である、という事なのだから。
つまり総合的に言って学者タイプではない、学者としては本物ではないのではないか、という疑いを持った。
しかし、要は内容だから、内容が素晴らしければ、外形が学者タイプでない事は、むしろ「型破り」という種類の加点要素だ。

朝まで生テレビで見られた様な、恫喝調の力説も、何に対してかを確認しなければ、是非を判断できない。
しかし、
05日@2022年01月@日記に書き起こされている発言13では、恫喝に正当性が無い事が確認できます。
その理由は
07日@2022年01月@日記の終盤に書かれています。

このあたりを見て私は、保留していた判断を1歩進めました。

ロールシャッハーが一挙に切り替わって、上沼恵美子さんの漫談みたいに見えたり、ヒゲと頭髪の顔に随伴する程度が不自然に低く、怒った時にヒゲと頭髪が飛び去ってクロちゃんという名前のコメディアンの頭部が出現しそうだと感じたり、ははあ岡山洋二(
2019年12月@日記)が化けて出たなと思ったりした。

前回(2021年11月27日放送分)の朝まで生テレビで「ギフテッド」という言葉が使われた事を私が批判したので、そこで「ギフテッド」という言葉を使った人とは正反対の陣営の人が出て来たという事なのかもしれない。
前回の放送で「ギフテッド」という言葉を使った人は、「ギフテッド」という言葉を使った点以外では優れた論客に見えたよ。
単語ひとつで人選を変えるのは間違ってると思うけどなあ。

藤井聡や荻原博子の人相と発言傾向をデータセットとして、ディープラーニングすべきです。
遺伝子にどういう特長が有る人はどんな人かの知識を発達させる必要が有るんです。

外見やものごしで差別してはいけない差別してはいけないと自分に言い聞かせながら見ていたが、やはり差別は正しかったのかと思った。
「やっぱりか」「やっぱりなんか」というやつである。
このような目をした人が善人であるわけがない、という偏見も私には有る。
藻谷浩介による発言1の開始時点頃の藤井聡が怯えた表情をしているのではないかという事を私は
05日@2022年01月@日記で指摘したが、この表情が慢性化して人相に成ったという成分も含まれているのではないか。

もうこう成ったら大阪って悪いものなんか、関西って悪いものなんか、ぐらいに思ってしまう。
そう思われてもしょうがないのではないか。
日大に乗り込んで不正をしていたのも関西の2人組だってのもあるし。
天才脳外科医ドクターフクシマも、大阪だけは入れない、という不審な発言をした。
日大を乗っ取ろうとした2人組みも関西の人であるだけでなく医療関係者だと言うではないか。
関西の医療業界って何なんだ。
一体何が起こっていると言うんだ。
手掛かりは一瞬しか見えない。
隠蔽が徹底しているからだろう。

どうして藤井聡みたいな人が京都大学の大学院教授なんていう地位に就けたのか。
藻谷浩介さんが「身分社会」という言葉で批判するのも、こういう視点ではないか。
こりゃあ京都大学じゃなくてナニワ文化大学だわあ、と思ったよ。

藤井聡には、証明責任の転嫁を行なった余罪が有るのでは無いか。
馬鹿の一つ覚えみたいに多用して来た可能性すら有る。
京都大学の大学院教授まで出世する過程でこの不正は使われなかったのだろうか。
藤井聡は西部邁の弟子だと聞いた事が有るが、証明責任の転嫁は西部邁から仕込まれたのだろうか、それとも西部邁に取り入るのに使ったのだろうか。
どちらにしても証明責任の転嫁は自分で編み出したのではなく教えられたのだと思う。
コーチされたゴルフスウィングフォームみたいな感じを受けるからだ。
藤井聡の出身母体となる文化圏の秘伝のタレみたいなものか、それとも登用された後のトレーニングに含まれていたのか。
今回藤井聡は藻谷浩介の発言を怖がっていたと思うのだが、生放送でなかったり録画されてなかったらもっと他にも使える手口があるんだけど生放送だからそれが使えなかった、という事情との関係も疑うべきだろう。
「生放送、チェッ惜しかったのう」という考え方をするやつに正しい人は居ない。