発言タイミング |
発言内容 |
注釈 |
ohp12au-13-1 |
仕分け論理と学会の社会的地位というタイトルで発表します。
発表と言っても研究成果といったほどの物ではなくて、自分の考えを述べる、といった感じのものなんですが。
民主党政権によって2009年の11月に行われた仕分けの話なんですが、それについての話で、まあ純粋な学理の追求といった様なものに対する批判というものが、強くそこに打ち出されていてですねえ、純粋な学理の追求をしている側の人からはあまり有効な反論がなされていなかったなあ、と思いました。
特に、何故そのような研究をする必要があるのか、という様な事に対するですねえ、あまり有効な反論を聞かないので、私はこの様に反論したらいいのではないかと思う事をちょっと、発表します。 |
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ohp12au-13-2 |
社会をですねえ、人間の人体に例えた時に、学問の世界、学界というのは、人体の中の脳の中の大脳の中の大脳新皮質の中の、まあ何か特定の領域に対応するだろう、と思います。
で、まあ学界の中の個々の学者というのは、脳の特定の領域の中の神経細胞に相当するだろうと。
で、人体における血流というのが社会における資金流の様なものに対応するんではないかと、この様に考えました。
大脳新皮質というのは、この、何故必要なのかというのが必ずしも明確ではないので、かと言って必要である事は明らかであるけど。
それとの対応において、純粋な学理の追求というものも必要だ、という事は明らかであろう、という、そういう考えなんですが、それで具体的な、ちょっと、事を調べてみまして、私もその、脳だとか人体だとかいう事に関しては素人なんで、Wikipediaとか、ちょっと調べてみました。
こんな事が出て来ました。
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ohp12au-13-3 |
脳の血液の循環量は心拍出量の15パーセント、酸素の消費量は全身の20パーセント、グルコース(ブドウ糖)の消費量は全身の25パーセント。
さらにですねえ、脳の質量というのがですねえ、これは全身の質量の2パーセント程度だそうです。
で、脳の神経細胞の個数は、これは0.2パーセントぐらいの様ですね。
あ、ごめんなさい、あぁ、これは自分で計算したのか。
脳の細胞の個数は(ohp12au-13-3の表中の3000億個という部分を指して)このぐらいだ、と書いてありました。
人体の細胞の個数は(ohp12au-13-3の表中の60兆個という部分を指して)このぐらいだ、と書いてありました。
よって、まあ脳の細胞の個数というのは、これは人体の0.5パーセント程度かなあと、その様に思いました。
あ、それからあと、脳全体に比して脳の神経細胞というのは、大体1割程度なんだそうです。
これ個数にしてなのか質量にしてなのか、よく分からないので、まあ大雑把に、両方とも0.1を掛けておきましたが。
そうすると、人体全体に比べて、脳の神経細胞というのは、まあ個数にして0.05パーセント、質量にして0.2パーセント程度という事に成ります。
で、まあ社会の問題を考えるのに分かり易くするために、パーセントではなくて「1億分の」で考えてみると、まあ脳全体というのは、これは、人体全体の1億分の50万ぐらいです、個数にして。
そして、質量にすると1億分の2百万程度みたいです。
それから神経細胞は、個数にすると人体の1億分の5万程度、それから質量にすると1億分の20万程度の様です。
それで、この、脳全体に比べて神経細胞というのが、なぜ1割程度しか無いのか、と言うと、これも、なんか、インターネットで調べてみますと、神経細胞以外の、その、神経細胞に栄養を供給したりだとか、そういうものが残りの9割を占めているのだそうです。
という事でですねえ、まあ社会の問題に置き換えますと、神経細胞の働きというのが、これが本来業務で、学問の研究などですねえ。
それに対して、神経細胞以外の、なんかグリア細胞とか言うらしいですが、それの行なってる働きというのが、これが学問の研究を補佐するような補助業務の様なもの、という風に考える事が出来るでしょう、と思いました。
ま、ただし、その、なんですか、学問の世界というのは、これは脳全体でもないですしね。
それから、だからこれは、あくまでその、社会における脳に相当する様な仕事、という風に考えなくてはいけないんであって、社会における脳に相当する様な仕事のほんの一部分が、たぶん学問のやってる事、学問の研究などだろう、と思います。
まあ、ですが参考には成るでしょう。
そのまま学問に何パーセントが来るべきか、という話までは出て来ませんが、参考には成るでしょう、という事で、これ、まあ、この結果から大雑把な見積もりみたいなものを考えて見ますと、社会の脳に相当する仕事(補助業務込み)には、全人口の0.5パーセントから2パーセントが従事し、全体の15パーセントから25パーセントの資金供給をすべき、という事が言えるんではないか、という、ええ、こういう大雑把な。
なんですかねぇ、ま、違ってる所は、追加的な研究によって、こう、明らかにして直して行って頂きたい、と思うわけですが、こういう路線で考えて行ってはどうか、という、なんですかねぇ、新しい切り口と考えて頂ければいい、と思います。
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「なんですかねぇ、ま、違ってる所は、追加的な研究によって、こう、明らかにして直して行って頂きたい、と思うわけですが・・・」の部分は、聴講者から失笑らしきものが聞こえたので、それを受けて、間違ってる所があるのかなあ、と思って、述べた部分です。 |
OHPで報告記事のアドレスを表示して |
これは、まあ、この発表が終わった後、このアドレスに報告記事を書きます、という事なんです。 |
サイト移転前の旧アドレスが表示されていただろう、と思います。 |
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ちょっと補足の話をしますと、仕分け論理というのは、たとえば学生時代に、気象に進む予定の学生、同級生ですが、素粒子論の様な分野は道楽だ、と言っていた事がありました。
ただし道楽という言葉は、私がその人の意を汲んで、私が発したものですが。
素粒子論より気象などが一段低く見られている事や、素粒子論を望んでも無理である事への負け惜しみだと感じたが、的確な言葉が直ぐに思い浮かばなかったので反論はしませんでした。 |
「役に立たない」という批判は自分に劣等感を与える存在への言い掛かりとして用いられがちだ、という話をしています。
04日@2011年09月@日記に参考記事があります。
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あとですねえ、まあ、これ、ちょっと時間配分間違えたかなあ。
う~ん、そうだなあ、まあいいか。
よく、汗水たらして働く、とかねえ、油まみれに成って働くとか、真っ黒に成って働くとか、そういう言葉がよく使われますが、まあ私はこういう言い方は嫌いでですねえ。
どうして嫌いかと言うと、そういうのしか仕事と認めない、みたいなねえ、排他的で偏狭な価値観を反映しているので、そういう表現は私は嫌いです。
まあ、そういうの仕分けの論理に通じるものだと思うんですが。
演劇じゃないんだから、見た目で働いている事のアリバイを作らなければならないなんて、そういう他人の足を引っ張れる社会にしてはいけない。
少し文章を練る時間が無かったので表現があまり適切じゃないですが。 |
「表現があまり適切じゃない」というのは、本当はもっと辛辣な言葉で表現したかった、という意味です。
辛辣に成り過ぎている、という意味ではありません。
「文章を練る時間が無かったので」というのは、辛辣さが足りないのは手加減によるものではなく言葉を選ぶ時間の不足による、という意味です。 |
あとですねえ、私がこの発表の講演概要を提出した直後ぐらいに、テレビかなんかで誰かが、まあ政府の関係者か何かだと思いますが、そういういわゆる社会の脳に相当する様な働きの仕事とそうでない働きの仕事というものを固定するんじゃなくて交代制みたいにしてはどうか、みたいな事を、アイデアを出したという話を、テレビかなんかで見ましたが、そういうのなんかも、あれですよねえ、仕分けの論理みたいなものというのが本音においては、恵まれてない地位の人が恵まれている地位というものそのものを無くそうとする動き、だったんではないかと。
で、無くせないという事が分かったら今度は、ほんじゃあ代われと、交代しろと、言い出したみたいな事じゃあないか、というのを、そういうものを思ったりと、思いました。 |
末尾の「そういうものを思ったりと、思いました」は日本語的に少し変です。
「そういう事を思いました」か「そういう事を思ったりしました」と言うべきでした。 |
それから、あと、大脳新皮質的な仕事への風当たりというのは、これは、文化人や知識人を目の敵にする共産化運動の特徴に似ているなあ、と思いました。 |
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あとですねえ、そういうのがまあ仕分け論理の特徴ですが、それに対してまあ反論としたら、植物人間だって生きていると、まあ植物人間だって生きていて、そのためにはまあ脳の重要な部分の働きが停止している、その場合には停止しているわけですが、だから生きるためにはそれらは必要ないから、という事でそれらを必要ないとするのは暴論でしょうという、まあそういう言い方、が反論として一つ考えられると思います。 |
「植物人間だって生きているから生きるために大脳新皮質は必要なく、生きるために必要ないから大脳新皮質は必要ない」と言うと暴論に成る事から、必要という語の危険性を説いています。 |
あと、究極的にはですねえ、何故その脳というものが、まあ大脳新皮質なんかもそうですが、必要かと言うと、これは、これも私の専門外の話で、ちらっと聞きかじった話ですが、環境変化に適応するために脳の可塑性というものが是非とも必要なんでしょうね。
究極的には、これに由来するんでしょう、そういう大脳新皮質的な仕事の必要性というのは。
究極的には、こういうものに由来するんだと思います。 |
地球上の問題で言うと、資源がいつかは無く成る、とか、太陽もいつかは死ぬ、という環境変化が考えられる。
それらがずっと先の事でも、克服は不可能に近いぐらいに困難なので、今から本気で考えなくても間に合う、という保証は無い。
また、克服は不可能だ、と決めてかかるわけにも行かない。
問題が深刻化して来れば必ず考えるはずだ。
興味深さに引かれて考えるのでなければ、必要に押されて考えていたのでは、そういう問題の解決には到底及ばないだろう。
人間心理に好奇心が備わっている事には、それなりの進化論的な理由があるはずだ。
この活動に比して言うなら、経済活動なんてものは「一番難しい所はオレがやっておいたから、あとはお前らでも出来るだろ」といった程度の家事に過ぎない。
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あとですねえ、ノーベル賞学者の小柴さんなんかが、電子なんかを持ち出して、最初は必要性に気が付いてなかった事でも、あとで必要に成る事、大いに役に立つ事があります、という風に反論しておられるのは聞いた事があります。
これは有効な反論の一つだと思いますが、そういうものに対して「電子?でもそれだけでしょ?」と言う人が居るんじゃないか、と思ってね。
例えば、それじゃあ機械工学なんかは、これは間違いなくニュートン力学が役に立っていないわけがないわけで、あと量子力学だって物質設計に役に立っているでしょう。
それから最近では、一般相対性理論ですらGPSカーナビに役に立つ時代が来ている、らしいですねえ。
どんな先進的な物理学理論も、役に立つのが直ぐではないというだけであって、ずっと役に立たないものではない、と思います。
まだ実用化されていない様な学問の成果というのは、これは科学技術の潜在的可能性として蓄えられたものだ、という風に考える事が出来ると思います。
そして、近年は科学技術の進歩が目覚ましいというのは、裏を返せば、ものすごいスピードでそれを食い潰してしまう傾向がある、という事で、これは大脳新皮質的な仕事に大きな負荷をかける行為だ、と言えます。
その分、大脳新皮質的な仕事の重要性がますます高まっているんではないですか、という事ですね。 |
これは、環境変化というよりは、むしろ、経済成長の限界の観点からの、指摘です。
基礎物理学の研究は、経済成長の限界への到達を、延期する。
これは、「なあ、なんかもっとないの?」という市場からの声に応える力の源泉だ。 |
社会の何が人体の何に対応するか、塗り絵を完成させる問題が残るでしょう。
残ります。
まあ不完全な形で私が先ほど書きましたが、これを、もっときちっとしたものを書け、という問題ですねえ。
それから大脳新皮質を使う仕事イクオール社会の大脳新皮質、とは限りませんよねえ、ただしねえ。
そこら辺は、もう少し詳しく考えてみる必要がある、と思います。 |
ohp12au-13-2の対応図を充実させる問題を提起しています。 |
人体において、ものすごく食糧が足りなく成ったり、呼吸が苦しく成ったりした時に、どこに優先的に酸素が回されるのか、といった、それも参考に成ると思うんです。
そもそも社会における仕分けの問題が出て来たというのは、財政がひっ迫して来たのでどこか削らなくちゃいけない、という事で出て来たわけで、これは人体においてどこが優先されるかというのは参考に成ると思います。 |
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あと、ただしですねえ、まあ、このような事を考えたからといって、これ全体主義にしろと言っているわけではなくて、全体主義は非常にいけない事なんだろうと、そういう価値観を私も共有しております。
戦時中の天皇機関説みたいな、そういうものはいけないんだろう、と思っております。
以上です。 |
実のところ私は、天皇機関説というのがどういうものなのか、良くは知らない。
戦時中の思想だから全体主義の一例なのだろう、と思って引用したが、知ったかぶりだった嫌いがある。 |