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マハトマ・ガンジーの「非暴力不服従」

複数のルールや命令のうちで、「暴力を振るってはいけない」というルール、あるいは「暴力を振るうな」という命令にだけは従うが、それ以外のルールや命令には従わない事を表しているのではないか。
だとすると、これは私の敵の行動方針と一致する。
分かりやすく言うと、マハトマ・ガンジーの「非暴力不服従」は、暴力以外の犯罪を任意に行なうよ、という宣言ではないだろうか。
非暴力不服従とは非暴力攻撃の事を言ってるのではないか。
自分に仕掛けられて来る犯罪を観察して、私はマハトマ・ガンジーの「非暴力不服従」という言葉を、その様に疑う様に成った。
そしてまた、NHK映像の世紀などの歴史教育番組でしばしば見られる非暴力不服従の実践例の映像からも、その疑いを私は強めている。
非暴力不服従の実践者が通行禁止のゲートを通行する事を執拗に繰り返す映像が決まって出て来る。
「これっておかしいですよね」と言いたくても言えない発信者が黙って見せているのではないか。
善意に解釈すると、不当な命令やルールには従わない、しかし従わないだけであって反撃はしない、という意味だと思われる。
非暴力不服従という言葉を見れば、普通はそう思うだろう、私もそう思って来たけれど、非暴力不服従という言葉の字面には、そういう事は全く書かれていないのである。
何に従わないのか明記せず単に「従わない」とだけ言ったのでは、反撃しないと言った事にはならない。
反撃する事も何かに従わない事である。
通行禁止のゲートを故意に通行する事が、非暴力攻撃なのか、それとも不当な命令には従わないだけなのかは、通行禁止というルールが正当な物なのかそれとも不当な物なのかによって変わる事である。
従わないだけ、という言葉の意味が曖昧で、積極的な攻撃をしないと言ってるのか否か分からない事や、何が積極的な攻撃で、何が積極的な攻撃ではないのかがハッキリ区別できない事は、私の相対正義論で「協力のゼロ点問題」として発見されています。
21日@2024年05月@日記にも、関連記事が有ります。
非暴力不服従という戦い方は、自分の態度を非暴力不服従な態度にするだけでなく、そうすることによって、相手が暴力を使う事をも許さない、という意味が暗に含まれています。
自分は暴力を使わないんだからお前も使うなよ、あー!使った、と言いたいわけです。
しかし、この考え方はどこまでも正しいわけではないですよね。
暴力以外の犯罪は何でも暴力以外の方法で防げるという保証はなく、正直言って防げないものもある。
それを暴力で防いではいけないという事は、その犯罪の害を受けない権利の否定です。
また、非暴力犯罪を防ぐ暴力をとめるためには、自分は暴力を使わなくても、誰かが暴力を使わなければとめる事が出来ません。
「あー!使った」という声を聞いた人に暴力を使わせるのが非暴力不服従なのだから、それでは自分が暴力を使うのと同じじゃないか、という問題もあります。
この項目の初版を書いてウェブ上に公開した2025年06月04日の直後2025年06月12日に、インドで旅客機が墜落して200人以上が死亡した。
 
マハトマ・ガンジーが英国に留学していた間に、英国人の誰かがマハトマ・ガンジーに入れ知恵したのではないか、とも私は疑っている。
ポルポトなんかもフランスかどこかに留学していたよな。
留学中に白人文明に反発するようになった、という事をまずは私も考えるが、それだけではないのではないか。



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最終更新2025年06月24日