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2023年09月12日(火曜日)
2023年09月07日分精神科受診時音声


2023年09月07日精神科診察音声(1)
12分38秒 ツイッターのXマーク(2023年開始)は私の著作物から取られている。
例えば物理学正典CAN-5-1-18(2006年公開開始)に見られる。
これは私の著作物の内容が門外漢にまで広く知れ渡り色んな事に取り入れられている証拠。
私のウェブコンテンツの閲覧回数が僅少なのは何らかの不正工作によるだろう。
バックハンド打ち姿については、
04日@2022年09月@日記で説明されています。


ツイッターのXマーク。


アルファベット大文字Xの物理学正典での手書きフォント。

因みにツイッターの新名称XはX-Japanという音楽グループの商標を侵害する、という指摘も有るようだ。
イーロン・マスクがそこまでXにこだわる理由も、私がオンラインゲームで使っているニックネームに由来するだろう。

これで、
29日@2023年05月@日記で説明されているウィンドウズの話も私の言う通りであるだろう事が分かろう。
類題:
08日@2023年12月@日記

2023年09月07日精神科診察音声(2)
18分04秒 私の貧乏ゆすりの音が入っているようです。
パイレーツ・オブ・カリビアン・生命の泉という映画の中に悪役の悪行を見るに見かねた牧師が「私が間違っていた。救われない命も有る。お前がそうだ」と発言するシーンが有る。
これについては
31日@2023年08月@日記でも説明されている。
このような牧師は「私が間違っていた」と言いながら気付くまでは、ずっと「救われない命は無い。信じる者はみな救われる」と言い続け、それに異を唱えた人の事を、人として最も大切な知識や思いやりが欠けた人だ、と言ってけなして来たはずだ。
水谷豊主演の「相棒」という日本のテレビドラマの各回の最後に水谷豊さんが犯人役を怒鳴りつけて説教するシーンが有るが、この説教の内容からも牧師の気付く前のそういう態度と同種の特徴が感じられ、嫌な印象を受ける。
他のドラマにも、そういうのが多い。
ドラマ「相棒」での水谷豊さんの台詞に含まれる異変の発信源は私の父ウダオサムではないか。
「へ?」とききかえす意味で「はい?」と発語する悪趣味な習慣がもう随分前からかなり広く普及しているが、これをウダオサムがするし、ドラマ「相棒」で水谷豊さんも思いっ切り明瞭に「はい?」と発語する。
赤塚不二夫の漫画「おそ松くん」のギャグ「シェー」のポーズをフィギュアスケートの選手が試合本番中にするのをテレビ見て「おや」と思い嫌な印象を受けた時も、私の弟ウダヒロトシがシェーのポーズで写った写真を思い出したし、若者音楽の中の冴えないフレーズが聞こえて来た時に私の妹キョウコの音楽的に才能の無い過去の何かを思い出し、アレが出て来ているようだと感じた事も何度も有る。
ブルース・リーの「考えるな。感じろ」のゴーストライターが私であるのと同じルートで、七夕の日に短冊に願い事を書くみたいにして、私の父や弟や妹が発信した信号で社会の一級コンテンツが汚されているのではないか。
ドラマ「相棒」での水谷豊さんの説教台詞の内容に似たものとしては他に、核兵器の保有や使用を厳禁にしろ、という主張が挙げられる。
一般に「どんな理由であろうと・・・してはいけない」という主張は全部それです。
「どんな事があっても絶対に・・・してはいけない」と言ってるやつは、必要に成ればするだけでなく、必要に成ればするつもりで今すでに居る。
また、そのルールで人を殺そうと画策している。

以下は核廃絶を叫ぶ被爆者のみなさんへのメッセージです。
私は自分の相対正義論で、被害の当不当と加害の当不当は局所的には一致しない、という見解に到達しました。
例えばドラマで殺し屋が殺される人に向かって「恨むなら○×を恨め」と発言するのを聞いた事が有ると思います。
これは、殺される人の殺されるという被害は不当だけれども、殺し屋の殺すという加害は正当である、という思想を表現したものです。
私の相対正義論は、この理屈を採用します。
被害の当不当と加害の当不当は一致する、という間違った理屈が世界中いたるところで掛け算九九の様に多用されている事が、世の中の不条理の原因の何割かを占めているだろうと私は考えます。
核兵器を使用した結果の被害が間違いなく不当であっても、その事をもって、核兵器の使用が不当であると証明された、とするのは早合点です。
核兵器の保有や使用を厳禁にしたのでは、そのルールが守られても核兵器以外による被害が増えるし、そのルールでは核兵器は無くならない可能性も大きい。
核兵器の保有や使用は厳禁だ、というルールを置くのではなく、核兵器の使用による被害は絶対にあってはならない、というルールや、それに加えて、核兵器の保有による危険はあってはらない、というルールを置くのが正しい。
核兵器厳禁と同じじゃないか、と思うかもしれませんが、責任の所在をどこに置くかが違うんですよ。
被害はあってはならない、という言い方では核抑止論を是認するという含みも持たせてある、という違いも有ります。
私は、被爆者はもっと引っ込め、と言っているのではありません。
原爆資料館の展示内容が強烈過ぎる印象を与えないように改変された事は、容認されてはいけなかった。
被害は絶対にいけない、というのは伝えていかなくてはいけないからです。
この点は、もっと引っ込まないようにしてくれ、と言いたい事の例です。
そういう意味で、原爆資料館の展示内容が強烈過ぎる印象を与えないように改変された事は、悪意の存在証拠です。
核兵器の使用による被害は絶対にあってはならない、というルールを出発点とすれば、どうすればその目的は達成されるのか、という研究が始まります。
これは、核廃絶を叫んでいた時には到達し得ない境地です。
一般の人と同様に被爆者も、この研究でなら幾らでも突出するのは良い事です。
核は結果的に無く成るべきものであって、結果よこうあれというルールを課したのでは無くならなかったり別の害が出て来るわけです。
核兵器の使用による被害や保有による危険や核廃絶の害をなくす方法は、31日@2023年08月@日記に私が書いている「絶対無反省な悪意を持っている人をほじくり出して皆殺しにする」事だろう、と私は予想します。
核を無くす為の研究は、世の中の不便を探して直す研究ではなく、世の中の悪意を探して取り除く研究でなければ、問題は絶対に解決しない、という事をアドヴァイスしておきたい。
核廃絶を強硬に要求するだけなら、絶対無反省な悪意を持った人も不正な狙いでそうするかもしれないような事です。
私の出身校の在校生が核廃絶の問題に取り組んでいるようですが、テレビで見て、頼りなく感じました。
核兵器反対の大人に気に入られるような事を言っていたのでは役に立たないと思うよ。、
大人に向かって「お前らごときに分かるわけがない。だって正解はコレなんだもん」と言えるような答えを見付けるぐらいでないと、ただの受け売りに成ってしまい役に立たないだろう。
真実は小説より奇なり、と言われるように、ホントの事というものは、そのぐらい目からウロコを落す様な事であるものだからです。
間違った意見を受け売りすれば役に立たないどころか有害です。
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ここまでの部分もよく書けた、被爆者のと言うわけではなく色々な人の面目を木っ端微塵に打ち砕いたと思うので、それを、宇田ではなく自分の発言だ、という事にしてしまいたい不心得な人がまた居る事だろう。
最近の生成AIという物が大急ぎで整備されつつある動きは、そういう動きだと私は見ている。
生成AIが書いた文章の特徴がテレビで紹介されていたが、それは私の文章の特徴ではないか、と思った。

2023年09月07日精神科診察音声(3)
21分07秒 私が子供だった頃に来た謎の大人から言われた事の列挙。
謎の大人からの質問に私は「平等と自由が原理だ」と答えた。
すると謎の大人は、まず、それを否定せずに各論を言い始め、それに私が長々と従がい続けると、知らず知らずのうちに最後には平等の原則と自由の原則を否定する具体的な規則を幾つも私が自分の口から言う羽目に陥る、というやり方をした。
それは私が非常に幼かった頃の事だが、私が成長して学齢期になると、そういう幼かった頃に聞かされた事が、法律などの公正義とは大きく食い違っている事を知った。
謎の大人は、法律では取り締まれない事も法律以外の方法で取り締まる必要が有るんだ、と言ったが、法律以外のルールとして謎の大人が言った事は、法律に書かれていないというよりは法律で否定されている事だった。
北朝鮮による拉致の事だと思われる行為を謎の大人から承認させられたが、これは何十年も後に成ってから大きな社会問題として話題に成り、容認できない事が誰の目にも明らかに成っている。
この事から分かる様に、公にはこういう事に成っているがそれではいけないんだ本当はこうなんだ、という風に謎の大人が言った事は真っ赤なウソか大きな間違いであった事が追い追い分かって行った。
そういうのが色々ある。
平等の原則を否定する具体的な規則として私は「年齢順序」を答えた。
何を答えてもよいが何も答えないのはいけない、という風に感じたが、他の属性で順序を決めるように答えたなら「年齢順序」という答えまで誘導された(私が一発で正解しただけ)かどうかは分からない。
誰を一番偉いと定めるか、という質問に、
09日@2005年10月@日記で説明されているダンプカーの乗員のタイプの人を一番偉いと定める、と私は答えた。
取り消す。
警察官が職務質問した時に、相手が生物個体として優れた人なら警察官が言い負かされてしまうかもしれない。
それを防ぐ為に警察官が複数で入れ替わり立ち代り対話する事によって負けないようにするのを認めろ、と謎の大人から言われ、これを私は承認した。
06日@2013年12月@日記07日@2013年12月@日記で説明されている職務質問を受けた時に私はこの事を思い出したし、その時のケーサツの態度はそれだった。
2015年10月@日記で説明されている職務質問を受けた時にもそうだった。
経済発展を総理大臣に頼む話をしたのは謎の大人ではなくウダマチコとだったような。
経済発展に必要と成る大量の手間仕事は、どーしよーもないやつらが居るので、そいつらにやらせるというのでよいか?と謎の大人から質問された。
「よい」と答えたが取り消す。
私が記憶しているウダマチコの最古の発言は「偉い人に成るのよ」という発言だが、その次が「あなたは一代限りにしなさい、子孫を残す権利を放棄しなさい」という意味の発言、さらにその次が「自由競争すれば将来あなたが取得するであろう権利を自由競争しない事によって劣った人にゆずれ」という意味の発言だ。
一代限りにする事を承認した私は、その代わりに自分の一生で思いっ切り花を咲かせてやる、と思った。
「劣った人に譲れ」というのは、それの全否定である。
子孫を残す事は生物としての最も根本的基本的な利益だ。
現代中国の言葉を真似ると「核心的利益」。
それなのに、いつごろからか、子孫を残さないのは利己的な選択で社会的責任を果たさない行為だ、という逆さまな事がウダオサムをはじめとする多くの人の口から言われだした。
少子化もこれも、私の事情から来ているだろう。
朝まで生テレビでも「誰も、結婚したくなくてしないわけじゃないんだよ」という意見を何度も聞いた。
謎の大人やウダマチコは、私がひとつの要求を承認すれば、「それだけじゃないんだ」という風に山姥のように際限なくと思われるほど次の要求を出して来たので私はウダマチコに「それじゃあ私の天才の発揮はいつ行なえばよいのか?」と質問した。
するとウダマチコは「それら(要求した事)を全部済ませた後、残りの時間で行なえばよい」と答えた。
それは私が草戸に済んでいた頃(小学1年生まで)の事だと記憶している。
私が30才ぐらいだった頃、岡山県笠岡市にあったワコー電器という工場で派遣され労働をしていた時、まず仕事に最低限必要なだけ慣れて、休日に時間と体力を捻出して社宅の近所の公園で空手の練習を始めたら直ぐに、勤務中に派遣会社の山本所長から「休日も出勤してもらえないか?」と打診された。(山姥)
この時に私はウダマチコの「残りの時間で・・・」という言葉を思い出し、それが言い逃れのウソである証拠を初めてつかんだ、と感じた。
つまり、自由の原則が有るために、あれをするな、これをするな、とは言えない。
だから、あれも義務だからしろ、これも義務だからしろと言って義務を課す事によって、したい事をする時間や体力が残らないようにして来るのだ。
その仕事は、休日を減らすのはもちろんの事、勤務時間を延長する事すら論外とされねばならない内容の仕事だった。
勤務中に古参の職員から「この仕事の負担の大きさ(労働条件)は非常識だ。しかし、この仕事にも絶対守られる限度がある。それは1回の勤務の時間の長さが11時間である事だ」と言われた事が有る。
その直後、11時間を超えて働かす残業を私にさせようとする試みがあった。(山姥)
そのとばっちりで残業させられた職員も居た。
私は休日出勤を断った。
その事が、私がその職場を解雇された本当の理由の候補の1つだ。
2000年を過ぎてから私の弟ウダヒロトシがニュージーランドから我が家に来た時に、「(マウイだったか)ニュージーランドの原住民は工場労働という体力が残りにくい仕事なのに休憩時間に腕立て伏せをしていて驚いた」と発言したのを聞いた。
原住民の先天的な体力が優れている事を表現する発言だった。
この発言を聞いた時に私は、ワコー電器での私のエピソードへの反応だと直感した。
列挙に戻る。
ウダマチコから「いままで女が可哀相な世の中で来ている」と言われて、女にも男にもある自己決定権を女に認めるように言われて、配偶者選択に自分の意見を反映させる権利を女に与える事を私は承認した。
でも、これは、私が承認しなくても、元からそう成ってる事ですよね。
何かの質問に私が、配偶者選択方式としては自由選択方式が正しい、と答えると、それを聞いた謎の大人が「なんてひどい事を言うんだ」という意味の事を言った。

2023年09月07日精神科診察音声(4)
1分40秒 終わりの挨拶。


最終編集2023年12月11日