since 2003
イレコナビ サイトマップ
< 日記 >
< 2022年01月 >
< 29日 >
2022年01月29日(土曜日)
朝まで生テレビ2022年01月01日放送分を見た感想22

26日@2022年01月@日記の終盤に私は、
「ああ!言うたあ!」と怒鳴りつけられて、それは、お前の行為は賊法に対する重大な違反だから覚悟しとけよ、という宣告に違いなかった
と書きました。
この様な死刑宣告を私は過去に何度も受けた事が有ります。
これに似た発言に「馬鹿にしたらいけん」というのが有ります。
その背景は以下です。
ガスライティング(真性の嫌がらせ、集団ストーカー)という犯罪は、被害者が怒って言葉や暴力で反撃する事を前提にしています。
犯人は、自分から仕掛け(手を出し)ておきながら被害者が反撃すると、何もしていないとウソをついたり、仕掛けたのではなく自分の業務をしているだけだとウソをついたり、じゃれ合いの意味での軽微な攻撃しかしてないとウソをつくなどして、被害者の反撃が過敏な反応や被害妄想に基づく他害だと誤解される様に狙います。
ところが私は、もともと人間が寛容なので、ガスライティングをされた時に「笑う」という反応をするのが常でした。
犯人としては、被害者に笑われてしまったのでは、被害者の反応に限度を超えた加害だとか危険な脳の状態だという難癖を付ける事が出来ないし、自分達は何もしていないというウソが信じられ難く成るし、恥をかいてしまうし、被害者のストレスが解消されてしまう。
ガスライティングというのは、被害者が反応するとハメられてしまうから我慢して反応しないようにしても、被害者に精神的などのストレスが蓄積し、それを繰り返す事によって累積効果で大きな加害を出来る様に計画されている犯罪です。
ところが被害者の反応が「笑う」だと、被害者のストレスがその都度解消されてしまいその計算が狂う上に、犯人が恥をかき逆に犯人にストレスが蓄積されてしまう。
つまり、被害者が「笑う」という反応をする事は、完璧なガスライティング返しだったわけです。
この時期が私は長かった。
私が小学生だった頃から始まり、大学生だった時にもまだこの時期が続いていると思っていた。
ところが、ある時突然「ばかにしたらいけん」と恫喝され始めた。
横溝正史という作家の「八つ墓村」という小説を元にした同題の映画で「こいちゃのあま」という役名の登場人物が主人公に向かって「来るな、お前が来ると血の雨が降る」という台詞を言う時の口調で「ばかにしたらいけん」と。
そう成ったのは、
22日@2022年01月@日記の前半に書かれている「犯人が怒っているからいけない」という意味の事を私が言った事件のすぐ後ぐらいだと思う。
そういうタイミングで突然そう成った。
「笑う」という行為を取締りの対象としてよいか否かの点で、陰伏して存在する劣人主主義者達の合意がこっそり切り替わったのだと思った。
怒ったまま帰った犯人が根回しして切り替えたのではないか。
この様に、劣人主主義者というものは、自分達が勝つまで幾らでもルールを変えて行くものである。
自分達が勝つ様に、というのが彼らのルールなのである。
また、世の中で何が通用するかが、その様な陰伏して存在する合意や「笑う」などのほとんど行為に満たない些細な行為を外形でどう評価するかといった事に鋭敏に依存する状態のままにしてある、という事は、罪刑法定主義の実質上の潜脱であり、罪刑法定主義に基づく安心の根本的な破壊であるので、決して許されない。
さて「死刑宣告を私は過去に何度も受けた」という話に戻ります。
現在私には、集団ストーカーという犯罪が四六時中年がら年中毎年毎年仕掛けられ続けていて、それに加えて、そういう私の認識を被害妄想だと認定するという集団ストーカー工作の害も私は受けているのですが。
私の実感としては、それは、死刑宣告を受けた時に持った「一体何をされるんだろう?」という疑問への答えとして「ははあ、これがそうだなあ」「よくわかった、これに違いない」と思う様な事なんですよ。
それでも被害妄想ですか?
こんな言い方をしなくても、
22日@2022年01月@日記の後半に書かれている「馬鹿もん、そんなに簡単に分かるものではない、音は難しいんだ」と高年の男が発言した話など、ここまでに私が書いて来た話を読めば、あなたはもう被害妄想だなんて思ってないかもしれないが。
と成ると、被害妄想ではない事を被害妄想である事にしてしまう、精神病冤病という犯罪が横行している、少なくとも私には仕掛けられた、という事に成るんですよ。
これは、嫌がらせとか殴る蹴るの暴行とか、そんな事とは比べ物に成らない凶悪犯罪です。
これも、テレビから色々な犯罪を厳しく批判する言説が聞こえて来た時に私が「は?」と思う理由です。
精神病冤病という凶悪犯罪中の凶悪犯罪の事は口が避けても言わないやつらが、何を言うか。

今は朝まで生テレビを見た感想の続きを書いているので、こういう話は本来ここでする話ではない。
また、一箇所にまとめて書かないと、劣人主主義を駆逐する効果を十分に出せない。
しかし、書ける時に書いておかないと、まとめて書こうとしても、その時には今度は何が有ったかを思い出せないものです。
幸い今はとめどなく思い出すモードに私の脳の状態が成っているので、ここで、もうしばらく思い出した事を書こうと思います。
これでも、一箇所にまとめてないので、犯人は私の記事が埋もれて人目に触れ難く成るのを待つつもりで居ると思います。
その効果を小さくする工夫を読者側でして下さると幸いです。

---

私が高校生の頃だっただろうか、大柄な青年男性が、多分精神病冤病での強制入院の事を言っていたのだろう、人を拉致してどうのという行為の話をしているのを間近で聞いた。
どういう文脈だったかは思い出せないが、誰かをそうしなければいけないとかそうするつもりだとか、そんな話だったと思う。
それに対して私がそれを「とんでもない事だ」「凶悪犯罪だ」という意味の事を言うと、「お前、そんな事を言って、ただで済むと思うなよ」という意味の言葉を、そういう調子で言い返された。(これも死刑宣告だな)
(今でこそ犯人達は暴力的だという難癖を付ける事によって敵を攻撃するが、昔はこうだったんですよ。昔は犯人達は自分達の暴力にはお前はかなわないんだから言う事を聞け、という態度だったんですよ)
それを聞いて私は非常に驚くと同時に大きな懸念を覚えた。
多分私は、直ぐには解決できそうにないので、覚えておいて後で解決しよう、と思ったのだと思う。
非常に驚き懸念というのは、そこまで明白に凶悪犯罪である事は普通なら、犯人の強さは「そんな事しません、してません」というウソを通用させる力の強さを中心とした物であるはずなのに、その犯人達はそういう力なんて自分達には必要ないんだ、という態度を取っている点にです。
これは、犯人に味方する人の存在範囲が常識では考えられないぐらい広い事を意味します。
そういう事件を起こした時に関係する位置に居る警察官は全て犯人の味方だ、というのでなければ、犯人達はそこまで落ち着いて居られなかったのではないか。
私には、高校から自転車で下校中に自転車の前輪で石かコンクリート塊を踏んで転倒し直後に通過したバスのタイヤに踏まれそうに成った事、が有るのですが、それは「ただで済むと思うなよ」という意味の事を言われた直ぐ後だったかもしれない。
その石かコンクリート塊は国道313号線を北上して横尾という場所に差し掛かったとき左折して直ぐの所に有り、置き石である事は明白だと私は判断しています。
バスも偶然じゃなかったんじゃないかなあ。
因みに2000年より後にロード自転車でサイクリングしていて置き石を置かれた事も多数あります。
同じ状況で私の様に「とんでもない事だ」「凶悪犯罪だ」とコメントするのは難しい事だと思います。
私も、喉で止まって言わなかったかもしれないけど実際には言った、という状態です。
私が何も言わないと見込んで犯人は、私を犯人の一味だと第3者が誤解する様に狙ったのかもしれない。
あるいは犯人は最初から、私に批判させて、私の批判が賊法に違反しているという理由で後で私に加害するつもりだった、のかもしれない。
集団ストーカーの噂には、不正を大目に見ない人がターゲット(被害者)にされる、という噂が有ります。
私の実感でも、間違っている事を間違っていると言う私の性質を生意気だとして、本当にそうなのか(相手が誰であっても間違っている事には私が反対するというのは本当なのか)を確認しに来る輩が居る。
何度かそういう輩を見た。
例によって、また、「馬鹿もん、そんなに簡単に分かるものではない、音は難しいんだ」と発言した高年の男と同じぐらいの背格好と年齢だった。
私に「凶悪犯罪だ」とコメントさせた犯人も、そういう確認を目的としていた可能性が有る。
その犯人は、ルックスが、糞の典型という言葉で私が表現するルックスでした。
性犯罪というものは今でこそ具体的に有った事が認定され易い世相に成ってるけど、昔は、これ(性犯罪)で女性が犠牲に成るのが、被害妄想難癖、精神病冤病、強制入院の定番のひとつだったはずだと私は見ている。
その事情を知っている女性は、嫌いな男から迫られてもそれを告発すれば被害妄想だと言われて精神病院に強制入院させられるから言い出せない、という形で実質上は「自分と交際しないと精神病院に強制入院させるぞ」という脅迫をされるのが、お決まりのパターンであったはずだ。
その意味で、伊藤詩織さんなんかはイノチカラガラだった可能性が高いんだよ。
そういう犯罪の犯人像として糞の典型のイメージが、ものすごくマッチするんだよね。
女性差別が肯定されると一番心配だと女が心の中で思うのは、本当は、こういう犯罪原理なんですよ。
こういう事も有るので、男女差別発言を厳しく批判する声がテレビから聞こえて来た時に、それを空々しいと私は思うんですよ。
女の権利の最も主要なものについては何も言えないくせに、何を言ってるんだと。
犯人に味方する人の存在範囲が常識では考えられないぐらい広い、というのは最悪の場合、犯人の考え方を常識だとする人と、そういう犯罪を常識では考えられないとする人に、世の中が2分している、という事です。
これも、「分断」という言葉で言われる様に成った社会問題に含まれるだろう。
だから私は、「分断」という言葉では生ぬるい、「分断」という言葉を使うのはエコヒイキだ、と言うんですよ。

---

26日@2022年01月@日記の後半に書かれている「そう言うちゃるな」の話について。
「言うちゃるな」というのは広島弁ですが、意味の点で実質上同じ事を言われたのは、広島県においてだけではなかったと思います。
東京に居る時に広島弁で言われたというのも有ったかもしれないけど、広島弁ではなく「もうええ」「そのぐらいにしとけ」「それ以上言うな」「お前わからんのか」みたいなフレーズを言われた記憶も有る。