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法規の無矛盾性


法規が無いより有った方がマシである、法規は被害を抑制するのみで促進しない、という条件を「法規の無矛盾性」と呼ぶ事にする。
これは、全体としてそうならよい、という基準ではなく、法律が無い方がマシな事はどこにあってもいけない、という基準です。

法律のどんな悪用も何れかの法律に違反する、という条件が法律の無矛盾性だ、と言った方が分かり易いかもしれない。
現行の法律はそれを濫用の一言で片付けているが、それでは不十分な事が、法律の悪用がまかり通っている事から分かる。

弾力的義務の理論では、努力義務を超えた努力と受忍義務を超えた受忍をしなくても、それは違法ではない。
しかし、硬直的義務では、それらが違法だとされる。
その結果、硬直的義務では、違法だからといって処罰されるという不当な損害(A)と、そう成るのを避けるために義務を超えた努力をする羽目に陥るという不当な損害(B)の2種類の損害が発生する。
これらは、どちらも法律が無ければ発生しない損害なので、そんな事なら法律なんて無い方がマシだという事に成ってしまう。

被害に直接接している人を加害者だとして、その人に被害の全ての責任を負わせる方式は、法律の無矛盾性に反する。
自分ひとりの力では他者が被害するのをどうしても防げない事が有るからだ。
例えば徒歩の群集の混雑で将棋倒しで死者が出た場合、その死者の隣で死者の上に倒れ込んだ人がその死の全責任を負わされたのでは不条理だ。
それでは、本当は群衆の中の誰かが隣の人にもたれかからない様にする努力を怠ったからそんな事に成ったのに、その点ぬかりは無かった人が全責任を負わされるという事だからだ。
これがAタイプの損害の例だ。
誰も努力を怠っていなかったのに偶然そうなる事もあろう。
けれど、これは例え話だと理解して欲しい。
偶然かもしれないけど偶然そう成る確率は極めて低い、という問題の例え話です。
ひとりひとりに隣の人の上に倒れ込んで隣の人が死んでしまう事が無い様にする義務が有るのではなく、ひとりひとりに将棋倒しの原因を作らない様に努力する義務が有るのが本当だ。
みんながその義務を守っていれば将棋倒しは起きず誰も死なない。
将棋倒しが起きて誰かが死んだと言う事は、義務を守らなかった人が居た証拠だ。
現行の司法でも、群集の将棋倒しで死んだ人の上に倒れ込んだ人だけを殺人罪に問う事は無いが、それはあくまで「この場合はそうだね」とケースバイケースで認識する態度であり、全ての種類の被害発生の処理をその考え方で透徹させる事を現行の司法はしない。
それに対して私は、将棋倒しの問題を処理する時に見られる考え方を、抽象的な一般原理の段階で採用します。

また、死んだ人の上に倒れ込まない様に際限なく努力すれば、実際には死んだ人は死ななくて済む様に成るが、その代わりに、努力した人が全ての害を食い止める事に成る。
その人が死んでしまうだろう。
これがBタイプの損害の例である。

私の弾力的義務の理論から、努力義務への限度を超えた違反がどこかに有れば必ず、誰かが努力義務を超えて努力する羽目に陥るか、または、誰かが受忍義務を超えて被害する。
このうちの前者、つまり、努力義務を超えて努力する事も、それが強制されるなら被害であるが、既存の法律では強制される。
既存の法律は、どんな事があっても~してはいけない、という形式で書かれているからだ。
「追い込む」という犯罪が有るが、それは、この点に付け込む犯罪だろう。
自殺に追い込む等。

私の弾力的義務の理論では、努力義務を超えて努力する事は、法律には従がわなければいけないから、という理由で強制される事は無い。
また追い込むのも、負(マイナス)の努力だから、努力義務への甚だしい違反です。
追い込んだだけですなんて、何の理由にも成らない、という事です。
行為の外形を取り締まったり結果の責任者だと定められている人が全責任を負う硬直的義務方式では、追い込むという犯罪が不問に付されてしまう。
私の弾力的義務の理論では、他者が被害する様に狙って何かしたら、それが何であっても、また、狙い通りに成らせる為に、どこをどう工夫しても、罪は変わりません。
ところが現行の法律は、禁止が行為の外形に対しての禁止である為に、目的が間違っていても、法律に全く違反せずに目的を達成できるかどうかは工夫次第であり、これが犯人にやる気を起こさせてしまっている。

全体の富をZとし、被害の期待値をYとし、加害努力の程度をXとし、行為の外形に対する禁止の厳しさをWとすると、何らかの関数Gを使って、Y = G(X, W, Z) という関係が成り立つだろう。
Wを大きくすればYは小さく成るが、Wを大きくしてもその分だけXも大きくするなら、Yは減らないのである。

法律を悪用して他者に危害を加える犯罪が可能ならば、法律なんて無い方がマシだ、という事に成ってしまうのである。



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最終更新2020年11月25日