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「チームしがのしがです」と名乗るキックボクシングの先生のYouTube動画が面白くて、最近よく見ている。
他にも「宍戸祐太」とか「たつ」とか「中澤純」とか色んな先生の動画を見ている。
「しが」という先生が、元2ちゃんねる運営者のひろゆきさんが「格闘技をやっていると不当な暴力が懸念される場所でも安心して出歩ける」と言っているがそれは間違いだ、と言うのを聞いた。
私もそう(間違いだと)思うが、その内訳はしが先生と私とでは違うようです。
しが先生は、あくまで格闘対戦の問題の範囲内で論じていた。
凶器の使用の事も言っていたかもしれないが、それでも、1対1でボクシングの試合をする場合みたいな場合しか言わなかった。
小島一志さんなんかも、空手で強くても実戦では限界が有るという話をする時には、武器とか試合では反則だとされる技とかの話しかしない。

そういう考えは視野が狭いと思うんですよね。
私の考えを以下に書きます。

護身・実戦の問題は、まず第一に敵の人数が問題である。
武器がどうの、敵の体重がどうのと言う前に、敵が多数居れば圧倒的に不利です。
人のネットワークが最も危ない。
その事を理解するには、次の様な手口を想像するのが分かり易いだろう。
敵は、まず、あなたの入っている部屋の全てのドアを閉め、外側から鍵を掛ける。
10人ほどの野球バットを持った体格の良い男達が、知らせを受けて、そこにバス形ワゴンに乗り合わせて急来する。
あるいは、そういう開き直った犯罪者がバス形ワゴンに乗って急来する代わりに、救急車やケーサツが通報を受けて掛け付け、あなたを異常者扱いして拉致して精神病院まで運び、合法的な強制入院という名目で精神病院内に監禁する。
この様な可能性を具体的に考えれば、空手や柔術がめっぽう強いというだけでは、全然護身万能とは言えない事が分かろう。
殺して死体をコンクリート詰めにして海に沈める、という凶悪犯罪が極刑の様に存在している事は、既にあなたの耳にも入っている事だろう。
空手や柔術がめっぽう強い事だけで、この様な犯罪の餌食に成らない事が保障されるだろうか。
詳細を検討しなくても漠然と、保障されない気がする、とあなたも思うはずだ。
それは、敵が何かを隠している、我々に知られないようにしている、と感じるからである。
つまり、誰でも最初からホントの事を知っているのである。
人のネットワークというのは、バス形ワゴンに乗り合わせて急来する人みたいな種類の人のネットワークだけではない。
全くの軟人として無関係を装ってその場に居合わせている人も、敵のネットワークに所属している事が考えられる。

誤解を防ぐために言っておくが、私は、(行為の外形だけで決めちゃあホントはいけないんだけど)、上記の枠内に書かれている様な犯罪や、殺して死体をコンクリート詰めにして海に沈める、といった犯罪を強く憎む。
だから、それらには叶わないから諦めろ、と言っているのではありません。
立ち向かっていかなければいけないんだけど、空手や柔術や武器術だけじゃ駄目なんです。

部屋に閉じ込められれば、消火用の二酸化炭素で殺されるかもしれないし、飲物に睡眠薬を入れられれば、気付いた時にはどこかに監禁されていたという事にも成りかねない。
韓国イテウォンで2022年10月に起こった事故(使われた手口)の害も空手や柔術では防げない。
それ以上の事は、敵の手口を暴露を読んで下さい。
格闘技というのは、そういうのとは別の範囲を守備する、と考えられる。
何でもかんでも自分の身は自分ひとりで守れなければ護身できてないと言われたのでは、世界を敵に回しても勝てるのかという問題に成ってしまい、護身なんて釈迦の涅槃みたいに実際には誰も出来やしない事に成る。
定義の問題だから究極的には任意だが、護身という言葉をそういう風に定義しても何の役にも立たない。
護身というのは文字通り自分の身を守る事一切合切だと考えるのではなく、護身という概念は自分の身を守るノウハウのうちの特殊な一領域を指している、と考えるべきだろう。
感じとしては、万引きの様な腕力行使の害を免れる術、ぐらいだろうか。
つまり、敵が正々堂々と「これは正しい事なんです」と言いながら行使する暴力は、たとえそれが不当な暴力であっても、護身が扱う分野ではない。
敵が「そんな事はしていません」と後でウソをつかなければ負けてしまうような腕力行使、これが万引きの様な腕力行使です。
そういうコソ泥的な小規模な暴力の害を免れる術として、護身術という物を定義できるだろう。
これでもまだ正確じゃないだろうけど、こういう感じで考えて本当の事を明らかにして行かなきゃならない。

空手や柔術で撃退できる様な方法で被害者を落とせると敵が判断すれば、敵はそういう方法を使って来ますが、それをもし被害者が空手や柔術で撃退すれば、敵はもう二度と同じ方法では攻めて来なく成ります。
これは、攻めて来なくなるという事ではなく、別の方法で攻めて来る様に成る、という事です。
これは、個別の被害者に対しても言える事だし、社会全体のフェイズとしても言える事です。
空手や柔術で身を守る、という考え方は、確かにそれが妥当だった時代が一瞬だけあったけど、そのせいで、敵は別の方法を使うように変わって行った。
身を守る為に空手や柔術を習う、という態度は、時代のそういう変化について行っていない、時代の変化から取り残されている、過去のある時期で時間が止まっている人、という面が有ります。
それならどうして宇田は熱心に空手の研究や練習をするのか、と言われるでしょう。
それは、敵が使うようになった別の方法というのは全て屁理屈(=詭弁、間違った理屈)に頼っているので、理屈を正せば使えなく成る物だからです。
そうやって別の方法が全て使えなく成れば、結局空手や柔術が担当する様なセキュリティーホールだけが残る、という風に見当付けているからです。

ついでの話なんだけど、しが先生のYouTube動画で、天才が勝つなんて誰が決めたんだ、というメッセージを見た。
お言葉を返すようだけど、決めたんじゃなくてやってみたら結果がそうだったんだと思うよ。
強い者が勝つんじゃなくて勝った者が強いんだ、っていう例のアレじゃないかなあ。
天才が勝つんじゃない、勝ったヤツが天才なんだ、ってね。
決めたら八百長だよ。


最終更新2023年11月15日