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なめてはいけない、という言葉は基本的に「なめる」という単語と「いけない」という単語の2つで構成されており、「なめる」も「いけない」も多義的である。 そんな事が出来たら他人をなめるのだろうなあと思われる様な事を私が成し遂げた直後に、誰の何の事を言っているのかハッキリとは分からない形で「なめてはいけない」という意味の言葉が聞こえたり、「なめてはいけない」という意味の文字が見えたりする事が、私のこれまで人生を通して多数回繰り返されており、私はこの事に非常に腹を立てている。 私のした何かが「なめている」事に当たる、お前はなめている、その証拠はこれだ、という言い方をしない。 一般的な規則として、円周率は3.14です、といった調子で、なめてはいけない、と繰り返し言って来る。 自分の何かが舐めている事に当たる、と言われたのなら、そんな事はない、と言い返す事が出来るが、私が何かを舐めている、とは言っていないので、なめてはいけない、という意見が仮に間違っていても、私としては、間違っているぞと反論する必要も権利も関心も自分の何かが言われた場合よりも小さい。 お前の書いた答案に円周率は5.14だと書かれていたぞ、と言われれば聞き返したり言い返したりするが、円周率は5.14ですと言いながら歩いている人を見ても無視するだろう。 この加減がガスライティングに属するだろう。 私の意見は、なめてはいけないなんて事はない、なめるだけなら誰でも自由である、という物だが、「なめる」という言葉で何の事を言ってるのか、「いけない」という言葉をどういう意味で使ってるのかがハッキリしないので、なめてはいけないなんて事はない、なめるだけなら誰でも自由である、と発言するのを念のためにやめておく、という態度を私は取りがちである。 ハッキリ間違っている場合には宇田雄一は臆せずズケズケと言い返して来る、という事を知っている犯人がやっているなあ、とものすごく感じる。 「いけない」の多義性について。 なめていると失敗するからいけない、という意味でなら、なめてはいけないという意見に私は賛成です。 なめてはいけないと言われた人が忠告を聞かずなめ続けたせいで計算ミスをしたり、自動車の運転操作を誤ったりして、そういう時に「だから言っただろうが、お前がなめるから、そんな事に成るんだよ」と言う、これは理解可能である。 それに対して、普通なら誰でも運転操作を誤ってしまうものである様な難しい状況で運転操作を全く誤らなかったとか、普通なら誰でも計算ミスをしてしまうものである様な煩雑な計算で計算ミスをしなかったとか、そういう成功が確定した直後に、その成功者に向かって「なめるなよ」と言って来るのが敵の態度です。 したがって、なめると失敗するからいけない、と言ってるのではない、なめる事自体がいけない、と言っている様なんですよ。 なめてはいけない、なめたら失敗するぞ、と自分に言い聞かせながら事に当たり、そのおかげで見事ノーミスで問題をクリアした瞬間に「なめるなよ」と言われる、という不条理な話です。 これは出来ないだろうなあと敵が思っているような課題をスイスイとこなして見せると舐めた事にされてしまう。 おかしいなあ、舐める発言は厳に慎んだはずなのに、どうして舐めていると言って責められるんだろうか、というのも有る。 意味不明な事を言う、という言葉は本来この様な「なめるな」発言に与えられる評価であるはずです。 こういう事は、非常に大事な事なのに、おそらく、警察も弁護士も裁判官も全然知らないだろうと思う。 それとも、警察も弁護士も裁判官も、その点では敵に組み入れられていて、先刻承知之助なのか。 「なめてはいけない」と敵から言われたとき、それを善意に解釈して、舐めると失敗するからいけないという意味ではまあそうだけど、と思って黙認すると、敵は「心の中で他人や仕事を馬鹿にする気持ちを持つ事はルール違反である」という意見が承認された事にしてしまう。 時間が無いので、続きは後で書きます。 「(私はお前に)馬鹿にされた」「(お前は私を)馬鹿にした」というのは、相手に非が無い場合のこじつけである。 これが、少年時代(多分小学生時代)の私が初めてこの問題を耳にした時の第一印象であり、その後長くあまり意識しなかったが、最近このページなどを書き始めてからまたハッキリと再認識している。 私が千葉県から現住所の実家に移住した1995年(私が27才の時)より後のいつだったか、多分現在の私の部屋の直下の父(ウダオサム)の仕事室での事だったと思うが、多分母(ウダマチコ)の姉(シモミヤミチエ)から「成功してどうするのか?」という意味の質問をされて、私が「他人を見下して暮らす」と答えたら、「あは、あはははは、なあんだ、見下すか、見下すくらい幾らでも見下してくださいよ」という意味の事を言われた事が有る。 これは、馬鹿にされたぐらいでは何もされた事に成らない証拠である。 馬鹿にされた、というのは、当然甘受すべき不利益にも満たない、という事である。 29日@2021年11月@日記に書かれている「何て事をしてくれたんだ、その古新聞は私にとって最も大事な物なんだぞ!」と吹っかける態度の様な態度が「馬鹿にする事を呵責する態度」の正体である。 似たような言葉に「嫌なヤツ」という評価が有る。 これを私は幼少期に敵に属する大人から聞いた。 その大人は、罰する理由として十分である事が納得されやすい態度や行為を重い物から軽いものへと順に色々と挙げて、それを罰する理由として十分だと私に承認させた後で、それらのいずれにも該当しない場合でも「嫌なヤツ」に該当すれば死刑にする事が出来る、という案に私を同意させた。 いつだったか思い出せないぐらい幼少の頃の事で、保育所に通い始める前だったかもしれないので、上記の私の記憶には証言能力が足りないと思われるかもしれないが、その後、次の様な事があった。 2000年より後、日本物理学会大会で発表する為の旅行の途中(多分帰路)で、関西地方(兵庫県か大阪府)を走る電車の中で、同じ車両の中に居た大学生か高校生だと思われる男性複数人の会話声の中に「嫌なヤツ」という言葉がハッキリと聞こえた。 「あいつ、嫌なヤツだよなあ」とかいう物ではなく、「あ、じゃあ、それ、嫌なヤツに該当するって事じゃないの」という文脈での発言だった。 多分、私に聞かせるための集団ストーカー工作としての発言だったろう。 この事によって、非常に幼少の頃についての私の記憶はやはり確かだった様だ、という事が分かる。 この意味での「嫌なヤツ」という評価も、相手に非を見付ける事が出来なかった場合に付ける難癖である。 「嫌なヤツ」なら殺してもよいというルールは法律の不備を補完する、と敵は主張するが、実際は、そんな事ぐらいでは殺す事はおろか何もしてはいけない、というのが法律である。 つまり、法律に書かれていないのではなく、法律には反対の事が書かれているのである。 こんなところにも、こいつら(敵)の言う事は全部ウソなんよう、というホントの事が垣間見えるのである。 その幼少期には、また、別の人だったかもしれないが、やはり敵に属する大人が私に「誰でも、全く非の無い人でも、人格者で有ろうと無かろうと、任意に殺す事が出来ないと危険である」と言った事もあった。 理由が有ったから殺すのではなく、殺すには理由が必要だから理由をつける、それが理由として十分でなくても、十分でなければ自分達にとって不都合だから「十分だ」と主張する、そういう態度で敵が居る証拠である。 「なめるなよ」という言葉の意味は「いくらルールがどこも間違ってなくて誰も違反してないからと言って、オレがどこまで負け続けてどんなにカッコ悪く成っても我慢して最後までルールを守り続ける、と思ったら大間違いだぞ」という意味だろうと私は考える様に成った。 その意味では、「なめるなよ」「なめとるんか」に対しては「あまえるなよ」「あまえとるんか」という反論が有効だろう。 しかし、それで十分なわけではなく、相手が何を言いたいのか分からないように狙って言葉を選択している点も大問題である。 昔は「お前、一体、何が言いたいんだ?」という決まり文句が有ったが、私はこの決まり文句で済ませるのでは全然足りないと感じている。 大阪の警察のスキャンダルの中に、取調室での恫喝の録音がテレビで放送された、というのが有った。 「なぐらへんおもうたらおおまちがいやぞ」=「殴らないと思ったら大間違いだぞ」 という内容だった。 してはいけないからといってしないと思ったら大間違いだぞ、という内容である。 だから私は、天道よしみがテレビ・コマーシャルで「なめたらあっかーん」と連呼する事に、とても腹を立ててるんですよ。 「ルールがどこも間違ってなくても」と敵が考えていると私が思うのは、ルールにどこか間違ったところが有るんじゃないかと調べてあげている筆頭がオレなのに、そのオレを敵が攻撃してくるからだ。
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| 最終更新2026年04月17日 | ||||||||||||||
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