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このページは執筆中・未完成です。 他動詞表現の不正確性の悪用のページで説明されています。 アドレスは変わるかもしれません。 「~が・・・するように狙って選択する」という言い回しを使えば、他動詞を全く使う必要が有りません。 私がこのページを設置した2023年06月05日の翌日2023年06月06日に、全仏オープン女子ダブルスというテニスの試合の3回戦で、加藤未唯が打った球がボールガールを直撃し、その責任を問われて加藤未唯が失格に成る、という事件が起こった。 私がこのページを設置した事への反応だと思われる。 私はテニスの事をあまり知らないので、よくわからないが、「だから失格にするのはおかしい措置だったのだろう」という状況判断が出来る。 直感的にも、あれで失格では、そりゃないよ、という印象を受けた。 さて、私が提案しているのは「~が・・・するように狙って選択する」という言い回しであって、悪い結果を狙わなければ責任を問われない、と私は言ってるのではない。 どういう事かと言うと、自動車運転における注意義務のように、悪い結果が生じないように狙う義務というのは全く正当裡に存在し得る、という事です。 しかし、「~が・・・するように狙って選択する」という言い回しに基礎を置け、と言うからには、悪い結果が生じないように狙う義務が有る場合でも、狙う真剣さが義務に合格していさえすれば、悪い結果が出ても責任は問われません、というのが私の相対正義論の教理です。 そういう意味で、私の相対正義論は、結果責任というものを否定します。 テニスの話に戻る。 強打ではなかったので、悪い結果が生じないように狙っていた、と言えるのではないか。 当たる当たらないだけでなく、当たる強さでも結果は変わるのだから。 強く打つならボールが飛んで行く向きも真剣にコントロールしなければいけないが、このぐらいの強さならどこへ飛んで行っても大した事にはならない、だから、打つ強さだけコントロールする、というのは、悪い結果が生じないように狙っていた事に当たるよ。 ボールガールが当たり屋だったかもしれないし。 そういう事は選手本人にはかなりハッキリ分かるだろうけど、選手本人の口からは言えない風潮が非常に強く、その事は不条理ですよ。 プレー中のボールがボールガールに当たっても責任を問われるのか、問われないはずだ、という点も有る。 これは半分ギャグとして聞いてもらいたいが、そもそもテニスの試合ではインに成る様に狙って打っても結果がアウトなら減点される、スポーツの試合は狙う能力を結果で測定するプラス偶然の影響も加味するものだから、その基準に揃えるなら、ボールガールに当たってしまって残念でしたね失格です、という考え方も有り得る。 ここまでを書いた2023年06月09日には自動車の変な多重事故が有った。 後で、返球は地面にバウンドさせるのが普通だ、という意見も聞いたので、事件が起こるまでの加藤未唯の返球と比較して問題の返球だけが違っていたのかとか、問題の返球の直前に加藤未唯に心理的な不満が生じてないか、という事も確認する必要が有る。 |
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最終更新2023年06月11日 | ||||||||||||||
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