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「言語工作@敵の手口を暴露」や「法律工作@敵の手口を暴露」に書く予定です。


写真撮影への法的制限が増やされて来ている。
カスタマー・ハラスメントを取り締まる法律が新規に作られて来ている。
自転車交通の取締りが強化されて来ている。
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2026 0401自転車青切符制度開始
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国旗損壊罪の新設が議論されている
2026年03月25日の参院予算委員会で、れいわ新選組の奥田芙美代議員が防衛装備品を「人殺しの武器」という言葉でそしった事を受けて、小泉進次郎防衛相は、そこで「人殺し」という言葉を使う事は看過できない、という意味の発言をした。
私の記憶では「人殺しの武器」ではなく「人殺しの道具」ではなかったかと思うが、2026年04月05日に本稿を執筆中にインターネット検索すると「人殺しの武器」という言葉ばかりが並んでいた。
小泉進次郎防衛相の発言の中に「看過できない」という言葉が入っていた事は間違いない、インターネット検索の結果にも、そう書いてあった。
本件は、言論のルールのこれまで続いて来た相場を一変させようと小泉進次郎防衛相が仕掛けた物だ、と私は疑っている。
したがって、言わせてるヤツが背後に居る、と私は見ている。
中国大使館に自衛隊員が侵入して言葉を慎めと要求したのとほぼ同時ですよね。
背景を長期醸造した上での仕掛け(崩壊を開始させる最後の一押し)が行なわれてるんですよ。
この様な発言などの出来事がキッカケで色々な基準の相場が大きく変わってしまう、という事は有りがちな事ではないですか。
私の経験でも、ある時期まで長年に渡って私が言い続けて来たが全く呵責されなかった様な事を、ある時を境に突如として、刑法犯罪の現行犯をつかまえたかの様な態度で文句を言われ始め、それが今も続いている。
途中で相場が変わって、その事が私には伏せられていた様だ、と私は見ている。
丁度大学を卒業する直前(1991年)ぐらいの事だった。
私の意見は以下です。
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国会は言論の府であり、国権の最高機関とも言われ大事な事を決めるのだから、意味内容が聞くに堪えないなどの理由で発言が制限される事によって、議決内容が左右される事は有ってはならない。
この道理は、意味内容が聞くに堪えない発言を出来るだけしないようにすべきだ、という道理よりも優先されるだけでなく、国会中継をテレビ放送して内容を広く国民に視聴してもらわなければいけない、という道理よりも優先される。
国会中継を見た人の心理的な負担を無くしたり減らしたりしたければ、そういう発言を禁止するのではなく、視聴者サイドで受信機を操作すれば受信機から出力される範囲のグレードを選択できるようにすべきだ。
裁判では審議の内容が著しくしたくない話に及ぶ事があるので裁判をするには覚悟が必要だ、という噂を聞いた事がある。
これも、裁判が正しく行なわれています、という風に私には聞こえた。
国会も、それと同じ事です。
したがって、国会での国会議員の発言の意味内容面での自由は、一般的な言論の自由よりもずっと大きいはずである。
語弊を恐れずに言うならば、国会での国会議員の発言の意味内容面での自由は無制限であるのが正しい。
たとえ他の場所では言ってはいけないとしても国会でなら言ってもよい、とされるのが本当でしょう。
選挙民が、自分では怖くて言えないから国会議員の先生に国会で自分の代わりに言ってもらう、だから代議士って言うんじゃないのか。
(ただし、防衛装備品を「人殺しの道具」と表現する事が、一般的な言論の自由だけでは正当化され得ない、とは私は言っていない)
したがって、奥田芙美代議員の当該発言がルール違反であるか否かは、この発言が奥田芙美代議員の意見を的確に表現したものであるか否かのみによって決まる事である。
奥田芙美代議員の意見を的確に表現したものであるならば、それがどんなにどぎつい物であろうと、これは容認されねばならない。
いわゆるポリティカル・コレクトな発言でなければルール違反である、という基準には私はハッキリと反対です。
その理由は、何がコレクトであり何がコレクトでないかや、ポリティカル・コレクトネスをどの程度尊重しなければいけないかは国会で議決されるべき問題だからです。
国会での議決に先立って基準が存在すれば、その基準が正しいのか否かを国会で議論する事が出来ません。
そういう基準は1つたりと有ってはいけないはずです。
特定の何かの基準について、これは当たり前の事だから国会であってもそれを否定する法律を作る事は許されない、と誰かが言っても、その誰かが団体であっても、その事(誰かが言ったという事)だけでその基準が当たり前の正義だと認定する事は出来ない。
言ってる人が誤解してるかもしれないし、間違いだと分かっていながらふっかけているかもしれない。
聞いた人が自分も当たり前だと思っても、その事まで合わせても足りない。
本当に当たり前なのか念のために確認する必要が有る。
その確認は、民主主義では究極的には選挙で行なわれる。
国会での議決というのは、その内容が選挙によって支持されました、という事だから、結局、当たり前の事は国会でも否定されてはいけないという意見は語義矛盾レベルに間違ってるわけですよ。
それが、議会制民主主義って言うのか、日本の現行の制度の基本中の基本であるはずです。
議会制民主主義が正しいか否かは究極的には不確実ですが、議会制民主主義ではそうでしょう。
簡単に言うと、特定種の差別がいけないか否かは国会で議決されるべきことであり、たとえ国会様であろうと差別の是非を議論する事は許されないという意見は間違っている、と私は言ってるんです。
実際レベルで言うと、国会は法律を作る所であり、立法は憲法に従わなければいけない、だろうけど、原理レベルで言うと本来は、憲法だって国会で作る物です。
多分これは法治国家という原則から言える事ではないか。
何が正しくて何が間違っているかの公定基準の中に、その根拠が国会の議決ではない物があれば、それは国会以外の誰かが決める事に成ります。
それは、法が治めるのではなくその誰かが治める、って事でしょう。
法治国家の原則は、そういうのは一切だめです、と否定しているわけですよね。
それでは、奥田芙美代議員の当該発言がルール違反であるのはどういう場合か。
それは、奥田芙美代議員が自分の意見ではない事を言った場合です。
自分に投票した人の意見を代弁するのは構わないけど、聞いた人が誤解する様に狙ったとか、言われた人が不利に成る様に狙ったなど。
本当にそう思って言ってるんだったら許されねばならないんだけど、聞いた人が誤解したり言われた人が不利に成る様に狙って思ってもない事を思ってますとウソをつく、こういう発言はルール違反だとされるのが本来は正しいはずです。
しかし実際問題としては、人が心の中で本当はどう思ってるかなんて立証できないんだから、この種のルール違反については、違反 → 処罰という方式で対処したのではいわゆる「正直者が馬鹿を見る」に陥るのでいけないから、対抗議員が「あなたは違反している」と発言する事や、周囲の議員や国会中継の視聴者が違反してると思うかどうかを今後の発言や投票行動に反映させる、という対処の方式が正しいだろう。
「人殺し」という言葉については、武器というのは基本的に人を殺す道具です。
細かな事を言えば、殺さず怪我だけで済ませるとか、色々あるだろうけど、警察ではなくて自衛隊の任務が想定する状況としては、そうも言ってられない状況が主な状況だろう。
したがって、自衛隊が使う武器を「人殺しの道具」と表現する事の不当性は高々言葉を不当に飾っている事だけであり、語幹まで歪めているわけではない。
「殺傷兵器」という言い方ならよいが「人殺しの道具」という言い方はいけない、と言えるのかどうか、私には疑問です。
正直言って、同じじゃないか、と思うんですよ。
「看過できない」という言葉について。
これをテレビの国会中継で聞いて直ぐに私は反射的に「看過できないってどういう意味に成るんだろうか?」と独り言を言った。
看過できないというのは、行動を起こす必要が有る、って意味だと思うんだけど。
権力者が行動を起こすというのは、権力を行使するという意味に成りますよ。
言論に対して行動を起こす、という発言は、権力者が軽々しく口にしてはいけない物です。
小泉進次郎防衛相は軽々しく言った様には見えなかったけど、でも即座に言ったよね。
権力者が即席の判断で「行動を起こす」と口にしてもよいのは、極めて特別な場合だけでしょう。
したがって本件は総じて、小泉進次郎防衛相が大変な失言をしてしまった、という事件だとまとめるのが適当だと私は思う。
しかし、近年の国会内での色々な国会議員の野次ではない正規の発言の中に、国会にふさわしくないと私が感じる物が増えているのも確かです。
これを私は悪しき傾向だと思っています。
これも一種のガスライティングであるならば、小さい事だから我慢しろ、といって済ませていると甚大な被害が生じて気が付いた時には手遅れに成ってしまう。
だから念のために、まず、そういう不品格ではないかと思われる発言の、どこがどういけないのかをキチンと明らかにする事から始める必要が有ると私は思う。
私も、まだ、その答えを知らない。
どこがどういけないのかをキチンと究明し尽くさないまま曖昧な基準を置いて取締りを開始すると、将来的にはその基準が悪用される様に成るんですよ。
その事は最初から敵に狙われている。
国会での国会議員の発言を聞いて、半ば笑いながら、最近一体どうしちゃったんだろう、すっげえなあこの言い方、ある時期までこんな言い方を国会中継で聞いた事は皆無だったけどなあ、と思う事が増えた一方で、議長が「先ほどの○×議員の発言に反則発言が含まれていました、これについて後で・・・」という意味の発言をする事が多い事にも問題を感じています。










最終更新2026年04月07日