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2022年02月22日(火曜日)
先月までの記事への補足7

昨日の記事に書かれている「舌鋒を鈍らせてくれ」に類する発言を思い出した。
いま危なかったんよう」という発言だ。
言ったのは多分、私が通っていた大学に私と同じ年に入学した親しい友人だった。
この「いま危なかったんよう」というのがひとつの発言の前半で、「
宇田君もっと舌鋒を鈍らせてくれ、○×さんの心証が悪いんよう」というのが後半だったかもしれない。
「いま危なかったんよう」の意味は、もう少しで私(宇田)に対して非公式の(=不正な)強権が発動される所だった、という意味だと私は解釈しているし、その場の状況だけから判断しても、それ以外の解釈は考えられなかったし、ここまでで私が説明して来た事や、これから私が説明する事も参考にすると、そういう意味だった事は間違いない。
これから私が説明する事というのは、以下の経験だ。
やはり学生時代の同じ時期に私が大学内のある教室の中に居ると、私の親しい友人(複数)が心配そうに「
宇田君は?」と言いながらその教室に入って来て、私が異変なくそこに居るのを見て「ああ良かった」と言った。
そういう事が有った。
これは、私(宇田)に対して非公式の(=不正な)強権が発動されたが私にはそれが通用しなかったか、私に対して非公式の(=不正な)強権が発動されるという情報をその友人が耳にしたがその情報は不確実だったりウソだったりしたか、どちらかだ、という事だ。
この事は、その時期に私に仕掛けられる事が懸念されていたり実際に仕掛けられたりした何かが、不正な犯罪であると判断する根拠に成るだろう。
それはガスライティングだったと見てほぼ間違いないだろう。
私の権利を正当に制限する行為だったならば、私の住所に郵便で通知が来るとか、警察に現行犯逮捕されるという様な事でも、私が該当する犯罪をする前からそう成る事を知らされた友人が駆け付けるはずがない。
「危なかった」という表現は、私(宇田)が危なかった、私(宇田)が被害者である、という認識を反映しており、たとえ警察に現行犯逮捕されるという形だったとしても、それは警察が「我々はこんな事もやってます」と公言は出来ない様な事だと考えられる。
さらに「○×さんの心証」なるものがその根拠に成っているとしたら、それは正当事由には成り得ないし、先に手を出し(仕掛け)たのは私(宇田)ではなく、○×さんが先に私(宇田)に手を出し(仕掛け)た事に成る。
昨日の記事に私は、正当な理由なく保護観察処分みたいな扱いを受けている事、それが私に全く知らされてない事を指摘したが、それに加えて、私を観察する行為が私に察知されない様に行なわれている事も、ここで加えて指摘しておく。
「○×さんの心証が悪いんよう」と言われるまで、私の目に誰かが、私を観察しているその筋の人に見えた事は、一度も無い。
誰かに見張られている感じがする、という認識は被害妄想の典型例だとされて来た、そういう認識を持っている事を理由に統合失調症だとされてしまった人も多いはずだ。
しかし、私がここまでに書いた事は、本当に被害者にとって正体不明の人から見張られている場合が有る証拠です。
これも、
11日@2022年01月@日記に書かれている、事実がどうだったかを判断するのに使う理屈を正せ、という私の教えを理解する助けに成ります。

統合失調症だという診断の根拠とされる事には、次の問題点が有ると私は前々から言っている。
それは、刺激対反応の関係において、刺激を確認せず反応が大きい事だけを見て過敏だとか妄想だとか言う点である。
刺激が無いのに反応が有れば妄想だし、刺激が小さいのに反応が過大なら過敏です。
刺激がどうだったか確認せず、反応だけを見たのでは、妄想や過敏かどうかは判断できません。
それなのに精神科はそういう判断をしている、という点だけを見ても、悪意でやってる事が分かるんだよ。
刺激がどうだったかについては、確認は出来ないけれど常識で判断している、というのでは、常識を逸脱した犯罪に悪用されてしまうし、そういう犯罪を助長してしまうとは、この問題について私が何十年も前に第1印象として思った事である。
反応が大きい事は、概して、反応が妄想や過敏である証拠であるよりも、刺激が大きい事の証拠である場合の方が多いものである。
これも、火の無い所に煙は立たない、あるいは、悪い事は有ったか無かったかハッキリしない場合は大抵は有った場合の方が多い、というのと、同じ種類の事です。(
26日@2022年01月@日記)
その逆さまでゴリ押しして人権を蹂躙して来た人々は、一体どうやってその罪を償うのでしょうか。