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2022年01月19日(水曜日)
朝まで生テレビ2022年01月01日放送分を見た感想14

陰謀説の全てを一様に、信憑性が低過ぎて顧慮するには値しないと判断する、という態度を私が取らないのは、自分の個人的な経験のせい(おかげ)だ。
それ(自分の個人的な経験)が無かったなら、陰謀論を流行させる陰謀が有るんだ、と言われれば、そっちの方が本当っぽいと感じてしまっただろう。
自分の個人的な経験によって、そういう経験が無い人に比べれば私は、陰謀が存在する可能性を大きいと感じているけれど、陰謀論を流行させる陰謀が有るんだ、という疑い方もしている。
また私は、個々の陰謀説には肩入れしない。
それは、私が自分の個人的な経験のせい(おかげ)で持つ様に成った陰謀観は1個の陰謀説だと見なされるのが正しいだろうからだ。
聞こえて来る個々の陰謀説はどれも私の陰謀説とは違う様だ、と感じる。
聞こえて来る個々の陰謀説も私は全否定はしないんだけど、私の陰謀説に相当する部分が抜けているという意味で、肝心な点が抜けている、というのが私の感想だ。
私の場合、自分の個人的な経験を、自分の目で直接見聞きした事だからという理由で、証拠として動かし難いと考えているけれど、経験させる事によってだます、という手口も念のために一応疑っておく必要が有る。
例えば黒人差別に反対する人を黒人に襲わせれば「自分の目で見たんだから間違いない、黒人は悪いやつなんだ」という意見の人に、襲われた人が変わる事を狙える。

今日は、私の個人的な経験について書きます。
今月に入ってからこれまでに思い出した物だけ書きます。
他にも色々有ったと思いますが、直ぐには思い出せません。

正直言うと私は、現在の日本が少子化なのは私がまだ子を作ってないから、現在の日本がデフレなのは私がしっかり消費しないから、失われた30年は私の進路選択を理由に誰かが意図的に経済を操作した結果だ、という風に思っています。
新型コロナウィルスの流行も、その流れの中で出て来ている、と私は思っています。
そんな事を言うと「そんなことありませんよ」「そんなことありませんよ」という反応が返って来るパターンも有ると感じていますが、そんなことありませんよというウソがバレない様に誤魔化すのは、短い期間だけなら可能でも、ずっとは無理だと思います。
だからこのままでは藤井聡の言う様には成らない、藻谷浩介が感知している経済の異常もそれだ、と私は思っています。
そういう文脈で、消費税が経済にとって特別に重要であった可能性には私は心当たりが有ります。
それは、1993年頃の私にとって、消費税が増えるか否かが、生活費を稼ぐ為に働く日数を3日のままに出来るか4日に増やさざるを得なくなるかを左右していた事です。
この背景に成っていた理屈の説明は今日は省略しますが、経済の一般論からすると何ら特別なものではない消費税なるものが、私個人にとって特別に重要な働きをする局面が有ったせいで、経済においても特別な相関関係を見せているという事が有るのではないか。
よく考えてみると、1993年頃には消費税は増えなかったわけだし、その後も消費税の増税で私の消費量が減ったなんて事も無い、むしろ消費税増税が何回も先送りにされた理由がその私の個人的な経験と意見に有ったのではないか、と思いますが、それが心当たりです。
藤井聡さんが、具体的なデータを見せて説明すればみなさんの印象も変わるのではないか、というニュアンスの発言をしましたが、その様な普通では考えられない様なデータ上の不審な異常が存在するという事は有り得る話だ、と私は思っています。
バブル崩壊って何年でしたっけ。
1992年じゃなかったっけ。
1992年というのは、私が大学を卒業した年なんですよ。
それまで私の親が私の学費という形でドバーッと払っていたおカネの流れが、そこでピタッと止まった。
それからは私は貧乏学生レベルの生活費しか消費しないフリーター生活に入った。
これが貧乏神の様に日本経済を祟ったと私は確信に近いぐらい感じています。
次の様な事も有った。
大学卒業直前ぐらいだったか、下宿の大家(男)に私がその後の進路としてそういう生活をすると言うと、大家は私に「景気が悪く成る」と言った。
それは、景気が悪く成るのでそういう生活は続行できなく成る、という意味だと私は解釈した。
景気が悪い時もそのうち自然に来るのでその時に困る、という風にも解する事が出来る発言だったが、私がそんな生活をするとそれを出来なくする目的で景気が悪くされる、という意味だと思った。
そこまで行かなくても、私の消費量が減るとそのせいで景気が悪く成る、という意味だと思った。
また次の様な事も有った。
学生時代に交通誘導のアルバイトで知り合った住田有史という名前の人が何かの折に私に「これでまたきみが本を買わなくなってしまう」と言った事が有る。
私の消費動向が1人分よりずっと大きい経済指標を左右するかの様な口ぶりだった。
その人は、エルンスト・マッハ著「マッハ力学」講談社の事だったと思うが、そういう本を私が買って読んでいる事を奇特な事だと言って褒めた。
それも、経済に貢献するとか文化に貢献するというニュアンスだった。
まあ、でも、これは、1人分という意味にも解せるので、その場に居なかった人には分かるまい。
話は変わりますが、2009年から2014年までの6年間は私は、何から何まで計画を立てて計画通りに動いてみました。
その計画には購買の計画も含まれていたので、この6年間は私は与えられたおカネはほぼ全て使い切るぐらい購買していました。
この期間の経済統計を調べてみて下さい。
この期間とこの期間以外で際立った違いが見られるのではないかと私は疑っています。
この様な期間が2014年で終わったのは、私が上手に動く様に成ると、集団ストーカーがその動きを止めに来るからです。
経済の不調の原因は私の消費低迷に有ると思いますが、私の消費低迷は私の本来の性質ではなく、妨害の結果です。
16日@2022年01月@日記の終盤に私のオーディオ関連機器の買い替えが遅れている事を書きましたが、これも、集団ストーカーによるスペース圧迫が遠因です。
遠因方式で圧迫するのが集団ストーカーのスペース圧迫だから、遠因という言い方も良くないんだけど。
藻谷浩介さんが指摘する様な社長や役員の馬鹿みたいな高額報酬も、社長とか会社役員とは違った方向にある物事を私が人生の目標にしたから、そう成ったのだと思う。
テレビに出て来る大学の先生の肩書きが軒並み大学教授から大学院教授に変わったり、もっと分かり易いのは、会社の社長の名称がCEOなんて大袈裟なものに変わったり、これらも同じ理由だと思ってます。
そんな理由で世の中の色々な大切な事を左右するって、償えないぐらい罪が重いですよね。

この部分は2022年09月19日に追記されました。
04日@2022年09月@日記に関連記事が有ります。