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2021年11月15日(月曜日) | ||||||||||
戦争が起きるのは何故か(宇田経済学と相対正義論の話) | ||||||||||
戦争は本質的には資源の争奪戦だ、といった意見がよく聞こえて来る。 それでは、資源の争奪戦が起きるのは何故だろうか。 それは、誰がどれだけ取るのが正しいかについての意見が食い違うからだ。 しかし、誰がどれだけ取るのが正しいかという問題は、そんなに難しい問題だろうか。 難しいからまだ解けてないにしても、それは、本気で解こうとしないからではないのか。 そうして、誰が見てもこうだよなという答えを出さない様にしながら、領土の境界線を少しでも相手の方へ寄せようとする、それで衝突が起こるのだ。 この他に、ホッブスが指摘する様な不信、つまり、相手が心の中で何を考えているかなんて分からないので念のために用心として相手を攻撃せざるを得ない、という事情も戦争の原因だろう。 しかし今日は、誰がどれだけ取るのが正しいかについて意見が食い違うのは何故か、という問題について考える。 もし世界に善い人しか居なかったならば、誰がどれだけ取るのが正しいかについて、物理学の研究の様に、これは結局こうだと分かった、という風に共通の納得が形成されて行く事でしょう。 相手の言い分が正しければ、「ホントそうですよね」という風にそれを率直に認め、自分の意見を「違う」と言われても、その事だけで相手が率直さを失ったとは決め付けない、善い人ならそうするからだ。 したがって、意見が食い違うのは、どの国にも悪人が居るからだ。 しかし、国際交渉においてそれら悪人が直接対面してののしり合うわけではない。 では、各国国内の悪人が発する毒が国境を超えて他国の国民を蝕むのは、どういうメカニズムによってなのか、これが今日の本論です。 悪人が国内格差の解消や国内平等の達成を要求し、国内平等を達成するため、国内格差を解消する為の手段として国が外国を侵略する、というのがそのメカニズムだ、というのが私の答です。 悪人が国内格差の解消や国内平等の達成を要求する、というのは、公の場で言葉で要求するだけでなく、国内犯罪が増加するというのも、その一形態である。 国が外国を侵略するのには、戦争だけでなく、昨日説明した経済的なインチキによって侵略するのもある。 もしどの人も分相応に認められるなら、どの国に住んでいようと同じであるはずです。 分というのは所有権などの付帯物ではなくその人本体の事です。 封建社会では分と言えば身分の事でしたが、現代法的正義観では分と言えば天分の事です。 身長(身の丈)や体重などが分ですが、身長や体重は虐待でも不当に歪められるので、まだ厳密な分ではありません。 英語の試験を受ける権利について「身の丈に合った選択をしろ」という発言で、財力が無い人は断念するのが当然だという意味を表現して、それを失言だと非難されて辞任せざるを得なくなった文部大臣が居ましたが、財力は身の丈ではありません。 身の丈は身の丈であって、着ている服でもなければ住んでいる家でもなく、親の身の丈でも、ましてや親の財力でもありません。 もちろん、文部大臣は文字通りの「身の丈」の事を言ったのではないけれど、身の丈という言葉が表すのは天分だけであり身分を表す事は有りません。 それなのに何故「身分相応の選択をしろ」とは言わなかったのでしょうか。 そうは言えなかったからに違いない。 つまり、身の丈という言葉を使った事に、自分の言ってる事が間違っていると自覚している証拠、後ろめたさが表われているわけです。 天分が優れているのに財力が不足している人は、財力が身の丈に合ってないのです。 話を伝わり易くする為に天分の具体例として知能指数を挙げます。 私は決して知能指数(IQ)が万能の尺度だとも思わないし、IQテストが狙いの能力を正確に測定できるとも思わない、そこにどんな巨インチキが潜んでいるか計り知れないと思うが、話を分かり易くする為に知能指数を例に取って説明します。 顔面偏差値なんかも天分ですね。 さて、この知能指数が同じでも、発展途上国に生まれた人は先進国に生まれた人よりも経済的にも文化的にも成功するのがずっと難しい。 この不公平が、自然にそう成っているんだというだけなら、まだ、犯罪とは言えませんが、実際には、先進国内の知能指数が低い人が、自分にも知能指数が高い人と同じ地位を与えろと要求する、自分だってアメリカ人なんだからとか、自分だって日本人なんだからという理由でそうする。 その結果、それを達成するための不足分を国が外国を侵略する事によって調達する。 これは、先進国人の中の知能指数が低い人が発展途上国人の中の知能指数が高い人の上に御主人様として君臨する、という構図です。 これは犯罪です。 漫画的に言うと、まず先進国内に支配階級と被支配階級が居て、そこで被支配階級が自分達にも支配階級と同格の地位を与えろと要求する、その要求に屈した国が、戦争や経済詐欺で外国を侵略して、自国全体を支配階級に、侵略された国の全体を被支配階級にする、こういう構図なんですよ。 昔の植民地政策なんか、これのズボシじゃないですか。 国内での支配階級か被支配階級かの違いも知能指数の違いには一致しないので、ここにも分不相応は存在していると考えられます。 それは、国際侵略のミニチュア版が国内に存在している、という事です。 知能指数が高くても教育を受ける(学習する)機会が足りなければ出世は出来ないので、悪人が結果を操作する余地は十分に有ります。 その手段に使われるのがおカネであり、知能指数ではなく教育費で選別する社会にしておけば、最初に一度不公平な初期状態を与えるだけで、後は永代その不公平は再生産され続けます。 出世できなければ金銭的に豊かに成れないからです。 これは、私以外の人によって今までに何度も言われて来た事です。 それを逆にカネに従がわないのが分不相応だなんて逆さまな事を抜け抜けと言って反応を確める人がとうとう出て来たというのでは油断が成らない。 今回は猛反発を受けたので引き下がったが、悪人というのは、また何年も時間を置いて何度でも同じ事を言ってみて、最後にはその逆さまな道理を通用させようと狙って来るものです。 それに対して受身で対応していたのではいけないんです。 誰もが、自分(本体)はどれだけのものなのでこうだ、という風に考えるなら、戦争は起こらないのではないか。 自分はこれだけのもんだが日本人だから天分を超えて豊かな暮らしが出来るのが当然だとか、アメリカ人だから豊かな暮らしが出来るのが当然だ、という考えは間違っていると私は思うんです。 なぜなら、消費が全て生産によってまかなわれるとすると、消費量の全員分の合計は生産量の全員分の合計に等しく成るからです。 自分は少ししか生産しないけど、日本人(アメリカ人)だから自分の働きには法外な高い値段が付いて、欲しい物が買えるんだ、日本は物価が高いからね、としてしまうと、おカネの計算としてはそれで良いんだけど、益量の計算が合わなく成ってしまうんですよ。 そのツケを発展途上国の人に回す構図に成ってるんじゃないの、と私は言いたいわけです。 言っちゃあ悪いんだけど、また、多くの国がオリンピックで不正をしてでも金メダルを取ろうとする、どうしてなのか、これも同じなんですよ。 自分に誇りを持てなければ自分が所属する集団の栄誉に誇りを持とうとする、自分が勝てなければ自分が所属する集団(の代表)が勝つ事に喜びを見出そうとする、そういう人が多い。 普通じゃないか、どこがいけないんだ、とあなたは思うかもしれません。 しかし、そういう態度は、私が子供の頃から軽蔑して来た態度なんです。 勝つなら自分が勝て、自分の国の選手が金メダルを取ってもそれはあなたが取ったのとは違うだろうが、自分のした事ではない他人にしてもらった事が自分の誇りだなんて、恥ずかしくないのか、ってわけです。 そして、その事情がドーピングなどの不正を生んでいるわけです。 国内の駄目ぇな奴らが国の代表に国際犯罪をさせている、という構図です。
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