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2019年10月12日(土曜日) | ||||||||||
投資って何だろう | ||||||||||
株式会社の再定義を考える時に私は、10万円の機械を購入して10万円相当を超える働きをさせる、という別の例を持ち出した。 しかし私はイノベーションを考えた時には、10万円相当の価値を生産する機械の価格は10万円だ、という見解に到達したのだった。 それでは一体、投資って何だろう? 何を購入しても、購入によって得た財や権利が生み出す価値が購入価格と同じならば、投資という概念そのものが成り立たない、あるいは従来よりも著しく縮小してしまう。 宇田経済学の基準は従来の投資概念を不健全であるとして切り捨てるのであろうか? 株式会社の再定義をキッカケに私は、その点について考え始めたが、考え始めたばかりなので、まだ結論は出ていない。 現時点で思う事を以下に書く。 投資は当て価値の購入であって益の購入ではない。 10万円相当の価値を生み出す機械を購入しても、購入しただけで行使しなければ、また購入した時点ではまだ稼働時間ゼロなので、受益していない。 機械を稼動させて機械に価値の生産をさせるかどうかは購入者が自分の意志で決める事であり、機械を稼動させて機械に価値の生産をさせた場合には、それは購入者自身が価値の生産をしたと評価される。 機械が既に購入者に所有されているからだ。 つまり、10万円相当の価値を生み出す機械を購入する事は、購入者が10万円相当の価値を追加で生み出すつもりに成れば生み出せる様に成る事に等しい。 これは当て価値の購入だ。 当て価値という物は、基本的に経済全体に貢献するものであり、その効果は非線形だ。 その事を私は無線通信機を例に取って過去に説明した。 N人が無線通信機を購入ないし自作して新規に保有し始めると、それによって生じる通信の利便性は1人当たりN-1に比例する。 各人が残りのN-1人と通信できる様に成るからだ。 そのN人分を考える事によって経済全体の当て価値の増加はN(N-1)に比例する事が分かる。 つまり非線形なのだ。 しかし、だからと言って無線通信機1台の価格をN-1に比例する、という風にするのは間違いだと思う。 極端な話、経済全体の当て価値を計り知れないほど増大させる発明は、それが結果的に増大させた例えばGDPに比して、ずっと小さい特許料しか受けていない、と考えられる。 もし発明がGDPを増加させた分だけ発明者に代価が支払われるなら、発明者以外の人は誰も得をしない、発明や経済全体の当て価値の増加は全然有り難くない、という事に成ってしまう。 投資は私有の当て価値の購入だが、その価格を如何なるルールに基づいて決めるのが正義にかなうかは、未解明だ。 社会の豊かさは、主に当て価値の豊富さであり、貯金残高ではない。 貯金残高は個人の豊かさに過ぎず、宇田経済学ではその合計はゼロだ。 誰もが買おうと思えば買える状態、実際に誰もがたくさん買っている、これが社会の豊かさであり、それは当て価値の豊富さに等しい。 少し話を広げ過ぎたので、話を元に戻す。 当て価値の購入は、それが私有財の購入であっても、他者の当てを増加させる、それが理由なのか、当て価値の購入価格を決めかねるのは。 そうではないだろう。 他者との取引が皆無の場合で考えてみる。 投資というのは字義通り資源を投じる事、つまり与益ではなく負担なのではないか。 宇田経済学では他者との取引では益ベースの考え方を採用し、負担ベースの考え方を否定します。 取引ではそうですが、一方では負担率とか負担指数という物も考えます。 投資はこの部分なのかもしれない。 宇田経済学では、負担は一生の何パーセントなのかで測られ、金額で表される益の価値とは、大小関係を比較できない。 従がって直接レベルでは、マネーを投資する、という概念は語義矛盾だ。 投資するのは一生の何パーセントかであり、それは金額では表されないのだ。 間接レベルで考えると、どうだろうか。 電子マネーを投資する、という事は、投資した分だけ自分の電子マネー口座の残高が減る。 残高が減るという事は、その分だけ自分の今後の他者に何かを売る義務が増える、という事だ。 他者に何かを売るには負担が伴う。 その負担を投資した、と考えてはどうか。 投資した電子マネーが配当で全部回収されれば、その負担は実際には生じないから、これは駄目だなあ。 おカネを増やすサービスをおカネで買う、に成ってしまう。 これは、宇田経済学では株式会社は否定される、って事かもなあ。 会社は、株式会社という形で株を売って資金調達しなくても、会社員の電子マネー口座の残高がマイナスでもよいのだから、会社員の自腹で運営できるでしょうが、という事なのかも。 これでは大規模な会社を作る事が出来ないかもしれないが、巨大国際企業の様な矮大現象を抑制する効果が有ろう。 どうしても会社を大きくしたければ社員の人数を増やすしかない。 それでも、自分の電子マネー口座で会社に貢献するタイプの社員は認められない。 それだと、仕入れはどの社員が支払うのか、という問題が生じる。 大きな設備を共同購入する場合、誰がどれだけ支払うかの割り当てが難しい。 ここで、電子マネーを投資する、という概念がどうしても出て来そうな。 個々の社員にとっては他の社員全員との取引に成るが、ここでどうしても、金銭以外での貢献をしてその分だけ金銭で報酬を受ける、という取引だけでは会社が成り立たない、という問題が生じる。 今日は、このぐらいにして、また後で考えます。 |
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