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| 2014年08月04日(月曜日) | ||||||||||
| 損概念と益概念の区別の曖昧さ(宇田経済学の話の続き) | ||||||||||
昨日の記事を書いていて思ったが、Aが、今までは自分でβを生産していたが、これからはBが生産したβをBから供給してもらう、という場合には、AがBから受ける益は、βの価値なのか、それとも、βの生産に伴う負担を免れるという負担減免益なのか、ハッキリしない。 負担減免益の価格は、それを受益する人の過去の与益との比較によって決まる物であり、減免された負担の量と一致するとは限らない。 負担減免益を受益する人が現在受益する負担減免益、と同量の与益を過去にした、という場合を考える。 そういう過去の与益の具体例しては、現在受益する負担減免益と同じ物を与える、という行為が挙げられる。 それは、その際の受益者にとって減免される負担と同量の負担を伴う生産の産物を、その受益者に与える、という行為だ。 従って、冒頭の例で言うと、負担減免益の価格はβの価格に等しい、という事に成る。 これは、減免された負担の量とは異なる。 この点で、昨日の記事は間違っていたので、ここに訂正する。 負担の量は、益の価値と単位が異なり、両者は換算不可能だ、という事ではないか。 もし、負担減免益の価値が減免された負担の量でカウントされるとすると、負担の量は益の価値と同じ単位で測られる事に成り、それだと一生の価格という物が出てしまって変だ、という事には、昨日既に薄々思い至っていた。 という事で、負担率という概念は棄却されねばならない。 同一生産量に対して異なる個人の負担の比を考えよう。 (負担指数)≡100×(対象と成る個人の負担)÷(平均的な個人の負担) という風に定義する。 詳しく書くと、次の様に成る。 (α生産に伴うAの負担指数)≡100×(α生産に伴うAの負担)÷(α生産に伴う平均的な個人の負担) 負担は売買できない、のではないか。 負担の限度量が一生である事を考えると、負担を売買する事は、人身売買に当たるのではないか。 負担の売買とは、それに対して金銭の支払いを受けるために負担する事、および、負担させるためにその負担に対して金銭を支払う事、これらだ。 2014年08月01日の記事を修正する必要が出て来た様だ。 C<Dは誤りだった。 C=Dと考えるのが正しい、らしい。 じゃあ、イノベーションによって作業者の余裕が増える、というのは間違いだなあ。 イノベーションによって社会の何が豊かに成るのだろうか? 答えは、作業員がD販売業からC'販売業に転職する、という事の中に有るのかもしれないし、アテ価値の増加についてのもっと奥深い洞察に依らねば分からない物、かもしれない。 宇田経済学@持論@学問 |
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