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日本物理学会2018年秋季大会での私の発表は、文法物理学についての15pS35-4「宇田方程式の厳密解(3)」だけだった。
発表旅行中に撮影された写真は
リンク集 > 宇田雄一のウェブサイト > 即達 の2018年09月分のページに掲載されています。



S35会場は、信州大学松本キャンパス全学教育機構3階35番教室だった。
15pS35-4「宇田方程式の厳密解(3)」では、液晶プロジェクターで資料を掲示しながら、次の様に口述した。
発言タイミング 発言内容 注釈
OHP-sr-1 宇田雄一です。
宇田方程式の解を新規に1つ見付けたので発表します。
左記発言開始は2018年09月15日14時11分14秒です。
OHP-sr-2 宇田方程式とは何かは、過去に発表しましたが、一応ここにも書いておきます。
これ(冒頭の式)が宇田方程式で、このS(宇田方程式中のS)は作用汎関数です。
今日は、宇田方程式の解のうちで、この(Sの定義式直下の枠内の)形の解を発表します。
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宇田方程式を書き換えると、こう(最下枠の直前の式に)なります。
この方程式に、この(最上枠内の)汎関数Φを代入すると、この(最上枠内の)Δに対する条件は、こう(最下枠内の様に)なります。
ポテンシャルVを指定して解を求めるのは難し過ぎるので、解を指定してポテンシャルVを求める事にしました。
もっと早くそうすれば良かったのですが、ポテンシャルVを指定しての求解への未練のせいで、それが遅れてしまいました。
概観としては、V[χ]は実数だから、この項(最下枠内の第1項)もこの項(最下枠内の第3項)も実数に成る必要があります。
だからΔ(t1,t2)は純虚数、Δ(t,t)は実数でなければいけません。
したがって、Δ(t,t)は純虚数であり実数でもあるからゼロでなくてはいけません。
さらっと言いましたが、この事に気付くのに私は十年かかりました。
まず定常状態に話を限って解を求めよう、という方針に留まり続けた事が、気付きを遅らせました。
もっと丁寧に考えると、各項が全て実数である必要は無く、V[χ]以外の全ての項の虚部が打ち消し合いさえすれば良いのだから、
プロジェクター画像中のSの定義式が間違っています。
正しい式は講演概要の末尾に記載されています。
OHP-sr-3 こう(虚部についての条件)です。
Δ(t,t)がゼロでなくてはいけない、という判断は早合点でした。
実部の和もゼロに成る必要がありますが、その条件は、こう(実部:に続く部分の式で)書けます。
この様に、詳しく見ると、実部と虚部がどうでなければいけないかは、あまり厳しくありません。
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特別な場合としてΔ(t1,t2)の虚部がゼロで、Δ(t1,t2)の実部がt1-t2のみの関数である場合を調べてみる事にしました。
この場合、この積分(実部:に続く式の右辺の第1項)が発散しない為には、ΔR(t,t)はゼロでなくてはいけません。
この場合、こちらの条件(虚部についての条件)は自動的に成り立ち、この条件(実部:に続く式)は、こう(最も下に書かれている式に)なります。
-
OHP-sr-4 具体的に、ΔRがこう(冒頭の枠内の式)である場合を調べてみました。
この式(冒頭の式)は、こう(枠直下の式に)書き換えられるので、この積分(最初の積分)の計算は、こう(※の直前の辺に)なります。
ただし、B1, B2で偏微分した後でB1とB2にBを代入する物とします。
この等号(※)の成立根拠はガウス積分です。
こんな所でもお世話に成って、ほんとガウス積分様様です。
この計算結果(※の次の等号の右隣の辺)を
-
OHP-sr-3 ここ(最後の式中のtでの積分)に代入すると、ポテンシャル汎関数Vは、 -
OHP-sr-4 こう(最後の式の様に)なります。
このポテンシャル汎関数のχ(t1)χ(t2)の係数の概略をグラフに描くと、
-
OHP-sr-5 こう(グラフの様に)成ります。
これは相互作用が非局時的である事を表しています。
解に時間方向のエンタングルを手で入れたので、相互作用が非局時的でなければいけない事が証明された、とまでは言えないけれど、
-
OHP-sr-2 Δ(t,t)がゼロでなければ、この積分(最後の長方形枠内の第1項)が発散するので、相互作用が非局時的でなければいけない事を示唆する結果が得られた、とは言えるでしょう。 -
OHP-sr-5 作用汎関数を汎関数微分して、対応する古典力学の運動方程式を求めてみました。
その結果が、これ(最も下に書かれている式)です。
波線部分がtより大なるτに対してもゼロで無い事は、現在および過去に受けた力のみならず将来受ける力も現在の加速度に寄与する事を意味します。
力を原因、加速度を結果と考えれば、これは因果律違反ではないか、という問題が生じます。
将来受ける必要が生じる力を借り入れるのだ、と考えれば因果律違反ではないと考える事が出来るかもしれません。
-
OHP-sr-2 この積分(最下枠内の第1項)が発散しても、それはポテンシャルVに無限大の定数項を付け足す働きしかしないので、Δ(t,t)はゼロでなくても良い、無限大ですらあっても良い、かもしれません。
場の量子論の計算でS行列の位相因子の位相が発散するのはお咎め無しである事を私は見ました。
それは外線を持たないファインマングラフのS行列への寄与を学んだ時の事ではなかったか、と思います。
-
OHP-sr-6 Δ(t,t)がゼロでない場合というのは、例えば、こういうケースです。
この(第1式の)場合、この(第2式の)積分は発散します。
もう1つの例として、こういう(第3式の)場合を考える事が出来ますが、これだとポテンシャルVは、こう(第4式の様に)なります。
この部分(第4式右辺第1項)は調和振動子のポテンシャルに成っており、これは局時相互作用です。
この部分(第4式右辺第2項)は、定数項だから物理を変えませんが、被積分関数が発散し、それを積分するからもっと発散する、という風に2重に発散します。
-
OHP-sr-7 ウェブ上のこのアドレスに報告記事を書きます。
以上です。
左記発言終了は2018年09月15日14時19分10秒です。

画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
講演概要

15pS35-4
日本物理学会2018年秋季大会概要集
Web版 ISSN 2189-0803
DVD版 ISSN 2189-079X
23ページ
OHP

OHP-sr-1


OHP-sr-2


OHP-sr-3


OHP-sr-4


OHP-sr-5


OHP-sr-6


OHP-sr-7




2018年09月15日録音分@学会発表の実況@動画

この発表の原型は
Exact Solution of Uda Equation (4) @ Quantum History Theory @ Products @ Forum @ www.GrammaticalPhysics.acです。

質疑応答時間には、次の様な対話が生じました。

発言者 発言内容 注釈
不明 そもそも宇田方程式というのは何を記述している方程式で、また、どういう根拠に基づいて提出された物なんですか? -
宇田 必要性は無いです。
新しい可能性を探る物として提出された物です。
それで、どの様な物を記述しているかと言うと、従来の量子力学のシュレディンガー方程式に取って代わる様な基礎方程式で、従来の量子力学のシュレディンガー方程式は量子状態の時間発展という物を記述していましたが、宇田方程式は量子状態という概念の代わりに量子歴史という概念を考えて、それが従がうべき方程式を宇田方程式が記述しています。
量子歴史というのはどんな物かと言うと、古典歴史を変数に持つ波動関数の様な物と考えても良いですしですね、あるいは、量子状態の時間発展という概念を一般化した概念と考えても良いですね。
それが量子歴史です。
量子歴史を従来の量子力学における量子状態の時間発展のみに限った考えと私の量子歴史の違いというのは例えば、従来の量子状態の時間発展しか考えない考えでは量子状態のエンタングルというものしか考えれませんが私の量子歴史の概念は時間方向にエンタングルしている、異なる時刻の変数がエンタングルしているというものも視野に入れている、という違いがあります。
で、まあ、あの、先例を挙げますと、例えばですね、ノン・アーベリアン・ゲージ理論って言うんですかね、ヤン・ミルズ場の理論、これなんかは、まず先に記述しなければいけない物理的な存在があって、それを記述する為に後追い型でヤン・ミルズ理論が出来たわけではないですね。
ヤン・ミルズ理論が先に数学的可能性として勝手に必要も無いのに作られ、その後で「あ!これ、ヤン・ミルズ理論で記述されるよね」っていう物が見付かったわけですね。
この様に必要も無いのに考えられる可能性を先に考える、という事には合理性が有ると思っています。
「必要性は無いです」については、現時点ではまだ必要は発生していませんが、将来必要に成るのではないかとの見当に基づいて研究しています。

必要性以外の根拠は過去の発表で何回にも渡って述べられています。

「それが従がうべき方程式を宇田方程式が記述しています」は「それが従がうべき法則を宇田方程式が記述しています」の言い間違えです。

「合理性が有る」のみならず学界が合理性を認めている事は先例によって証拠付けられている、と言いたかった。

さらに、先例第1号は先例が無いのに認められたわけだから、先例がある事は十分条件に過ぎず必要ではない。

現代の物理学では、理論が仮説を立て実験がそれを検証する、というスタイルが基本であり、既存の理論で説明できない実験結果に出会ってから新理論を作り始めるのではない事は常識だ。
不明 じゃ今の現状のシュレディンガー方程式では記述できない何かを記述したいと? -
宇田 はい、そうです。 -
不明 具体的に何かそれは有るんですか? -
宇田 ぜんぜん見当も付きませんが。
(間を置いて思い出した)
ちょっとだけ見当が付くというのは、もの凄うく短い時間のスケールを研究したい。
よく量子力学というのはミクロの世界を探ると言います。
要するに空間的に小さいスケールを考えるわけですが、私の理論というのは、空間的に小さいスケールを考えるだけじゃなくて時間的に短い時間スケールを研究しようかと。
その時に従来の量子力学とは現実が食い違っていて、私の宇田方程式の方が現実に良く合ってるぞ、という事が発見される可能性が有るんではないか、と思います。
状態が急速に変化する現象なんかが狙い目だと思う。

例えば、場の量子論における電子・反電子の対生成や対消滅は、現行の理論では所要時間ゼロで完了すると考えられているのではないかと思うが、私の理論を使えばその内訳を詮索する事が出来そうだ。

私の左記発言に反応して誰かが「タイムクリスタル」と言うのが聞こえた。※2
不明 それは今ある場の量子論と何か結論は違って来るという事ですか? -
宇田 そうですねえ、これはですねえ、量子力学をワタシ版、新文法版に改定した物ですが、場の量子論というのも、無限自由度の系、場ですが、自由度の番号としては空間座標だけを取っています。
私のこの量子歴史という概念は自由度の番号として空間座標のみならず時間座標も自由度の番号に入れます。
まだ場の量子論に手を出してないですが、つまり、これはですねえ、量子力学を改定して場の量子論と並び立つ、そして比較されるべき様な物ではなくてですね、場の量子論に本当は適用したい手法を量子力学で開発してる、といった様な所です。
だから後で場の量子論に対する従来の方程式ではない宇田方程式、私はどういう名前を付けようかまだ分からないんですけれど、そういう物を作ろうと思っています。
それはハッキリ、シュレディンガー方程式と宇田方程式が違う様に、既存の場の量子論の方程式とそれを改定して作った私の方程式という物はハッキリ違います。
そういう物はまだ作ってないですが、これから作る予定です。
左記発言で私は「今まで発表して来た宇田方程式は場の量子論の対抗馬ではない」「場の量子論の対抗馬は今後作るつもりです」と答えています。

左記発言には質問への直接の答えが含まれていませんが、あえて答えるなら「違って来ます」が答です。

その事は、左記発言に以下の意味が含まれる事を汲み取れば、分かります。

場の量子論も既存の理論では量子歴史としては量子状態の時間発展しか考えず、時間方向にエンタングルした量子歴史は考えませんが、私は考えます。
不明 始めにデルタはゼロでないといけないと言っていた後で、デルタは発散してるという、その流れがあまり良く分からなかったんですけど。 -
宇田 ええ、これは前言撤回といった辺りですかね。
最初の辺りで言った事がですね、やっぱし間違いでした、っていうのを途中で言って、もっともっとエスカレートして、ちょっと間違ってるだけではなくてもの凄うく間違ってるかもしれないよ、っていうのが最後の方にこう入って来て、私としてはどれが本当なのかちょっと判断しかねてますといった話です。
Δ(t, t)はゼロでなくてはいけないのか、ゼロでなくても良いとしたら無限大であっても良いのか、という点を私は判断できないで居ます。
不明 つまり1ページ目で最初に見せて頂いた解は間違っていると? -
宇田 この式(OHP-sr-2の最後の長方形枠内の式)が成り立たなければいけない、という事に対する否定は述べられていません。 今回の発表では否定しませんでしたが、2017年秋の発表内容の様にΦがδ関数因子を含む場合まで考慮すると、成り立たなければいけない事はない。
座長 はい、じゃあ時間に成りましたので、どうも有難うございました。 -
宇田 (質問者に向かって)どうぞ後で訊きに来て下さい。 -

※2:帰宅後にインターネットで調べると、タイムクリスタルは物質片だから、私が発表している新しい物理法則とは全然別物である事、タイムクリスタルの構想発表は2012年、実生成成功は2016年09月である事が分かった。私が発表している独自の新理論はタイムクリスタルよりも学問的価値において比べ物に成らないぐらいスケールの大きな話です。また私の新理論の発表開始は2005年です。タイムクリスタルの発案者は日本物理学会2009年秋季大会での私の発表13pSH-3「円環時間を用いた新文法版シュレディンガー方程式の求解」をヒントにしたなら、その事を速やかに表示して下さい。2018年終盤か2019年序盤にテレビでアニメ映画が放送され、その中でタイムクリスタルが大きく取り上げられていましたが、それは※2を受けての事だと思われます。

私の新文法とは何かや宇田方程式とは何かは私の過去の発表のテーマだから何時まで経っても毎回そういう質問しか出ない事は残念だ、とは過去の報告記事にも書いた通りだが、それに加えて前回までは鈴木貞吉さんが虚な質問で私の発表の質疑応答時間を使い切ってしまって実な質問が封殺されていた。
鈴木貞吉さんの質問によって封殺され続けて来た会話内容がどんな物かを上記の今回の質疑応答内容で知る事が出来ます。
この会話内容は私の評判を向上させる物である事が分かるでしょう。
これは、私の評判を低下させる事を狙っている集団ストーカー犯とそれを雇っている私の商売敵にとって、致命的に不都合なわけです。
そこで私の口を塞ぐために遣わされた工作員が鈴木貞吉さんだった、という見方を私はしています。

2018年09月15日には15pS35セッションが始まる前に信州大学松本キャンパス構内の売店で私が昼食として食品を購入して食べていると目の前に15pS35-2の発表者である吉田さんが姿を現したので声を掛けた。
目の前を歩いている人に見覚えが有る感じがして「ひょっとして吉田さんですか?」と声を掛けた。
そして物理学について色々と雑談した。
その中で吉田さんの今回の発表内容について話が及び、吉田さんが電磁場の4元ベクトルポテンシャルの第0成分A0をゼロだとしている点について理由を尋ねたら、電磁場のエネルギー密度の式にA0の2乗が負の係数を伴って現れるのでA0=0でないと電磁場のエネルギー密度の正定値性が保証されないからだ、と吉田さんは答えた。
それに対して私は「そんな事は無いはずだ。私の物理学正典を見れば分かるんだけど」と反論した。
私が「物理学正典」という言葉を口にするや否や最寄の自動販売機に担当業者が到来してガタガタガシャガシャという激しい物音を立てた。
集団ストーカーのノイズ・キャンペーンです。
反応の早さからして外で指示を聴きながら待機していたとしか思えないタイミングだった。
私と吉田さんの会話の内容がリアルタイムでその男に筒抜けだった、という事だ。
こういう事は他にも多く、私の発言を封じるタイミングで私の話し相手に電話が掛かって来る事が多い。
とすると吉田さんも集団ストーカーの手先って事か?
私の物理学正典は集団ストーカーによる封じ込め網を突破して好評を博しているので、その効果を打ち消しに来た様ですが、自動販売機の管理騒音で打ち消す事は到底無理です。
ホテルに帰ってから私の物理学正典で確認すると、やはり電磁場のエネルギー密度は電場の絶対値の2乗と磁場の絶対値の2乗の和(係数省略)だ、と分かった。
なら、電場と磁場をポテンシャルで表す式をその式に代入すれば、ポテンシャルで表した式も電磁場のエネルギー密度の(A0≠0でも)非負性を保証する事が分かる。
リンク集 > 物理学正典 > 電磁気学正典 > CAN-2-1-15 を参照。
吉田さんは相間トンデモです。
A0で添字を下付にしているのもそのせいでしょう。
相対性理論以降は添字は上付でA0と書くのが普通です。
ゲージ固定としてなら電磁場のポテンシャルに勝手な制限を課す事が出来ますが、ソース無しの自由電磁場でなければA0=0という条件でゲージ固定する事は出来ません。
今回の発表で吉田さんが扱ったのはソース有りの場合だったし、A0=0と書かれていたのがその準備として自由電磁場を論じる部分だったとしてもゲージ固定ではなくエネルギーの正定値性を理由とした事は、吉田さんが電磁気学を理解していないからだ、と言える。

吉田さんが過去に負のエネルギーなんて物は不合理だからという理由で反電子は存在しないから反電子を削除して計算するのが正しいという方針を打ち出してその様に計算していた、のをその雑談の場において私は思い出して「今回も反電子を削除した計算でもするのかなと思ったが違うんですね」と訊ねた。
すると吉田さんは「いやいや、反電子を削除した計算もするつもりですよ」と答えた。
そこで私は、相対論的量子力学においては電子の負エネルギー状態という物が現れてしまいディラックの負エネルギー電子海という考え方もそれへの苦しい言い訳に過ぎないが相対論的量子力学から相対論的量子場理論への移行に伴って負エネルギー状態という無理は出現しなく成り、めでたしめでたし、と考えるのが場の量子論の成功物語なはずです、と反論した。
すると吉田さんは、でも質量が負に成るじゃないか、と反論した。

まず、それなら最初から相対論的理論の欠点として負エネルギーではなく負質量を持ち出せよ、という事が言いたい。
まず負エネルギーで批判し、それが論破されたら負質量を持ち出す、というのは議論のやり方として正しくない。
なぜなら、それでは相手が負エネルギーへの批判を論破できなかったら負エネルギーが相対論的理論の欠点ですというのが話し合いの結論に成ってしまうからだ。
その結論は間違っている、という事を最初から知っている人が、そういう結論で話し合いを終わらせる、というのは間違った態度だ。
そう考えると、吉田さんは本当は相対性理論が正しい事を分かっていて、そのくせに故意に不正な手段を用いて相対性理論は間違っているという主張が出来るだけ多く、相対性理論は正しいという主張は出来るだけ少なく認められる様に工作しているのではないか、という疑いが濃く成る。
相対性理論には負エネルギーという欠点と負質量という欠点の両方が有る、という風に吉田さんが誤解していたなら話は別だが。

さて、量子力学から量子場に移行すると負質量が現れるのか?
そんな事は無い。
場の質量というものはクライン・ゴルドン方程式で評価される。
吉田さんはディラック方程式の4成分中の2成分を見て質量が負だと思ってしまった(訊き返して確認した)が、場の質量を定義するのはディラック方程式の部分成分ではなくクライン・ゴルドン方程式だ。
エネルギー運動量4元ベクトルをpとすると pμpμ = (p0)2 - p2 = (m0c)2.
これに p0 → ih0, p → -ih という置き換えを施して得られるのがクライン・ゴルドン方程式だからだ。
ディラック方程式はクライン・ゴルドン方程式の十分条件だから、ディラック場の質量に問題は無い。
また、ディラック方程式の部分成分は、ディラック方程式ではないのだから、その式中のmを含む項が(質量)×(-1)だと解釈される理由は無い。

そもそも、エネルギーが負ではいけないという事情は、相対性理論のエネルギー運動量4元ベクトルのローレンツ変換性によって生じた事であり、ポテンシャル井戸を思い出せば分かる様に非相対論的な理論ではエネルギーは負で構わないのだから、相間主義者が負エネルギーを批判する事は自己矛盾です。

吉田さんの発表の質疑応答時間に私は「相対性理論を前提に話を進めて行くと変な事に成る、というのが発表の主旨ですか」と質問し「はい、そうです」との返答を得た。
吉田さんは相対性理論を背理法で反証しようとしているわけだ。
しかし実際には相対性理論に基づく量子電気力学の正しさが実験によって立証されたのだから変な事には成らなかったのは誰もが知る所だ。
変な事に成らないどころか相対性理論を認めざるを得ない実験結果が出たという事だ。
それも、とっくの昔に。
(1948年に実測された電子の異常磁気モーメントが1965年までに完成された量子電気力学の理論値に高い精度で一致した)
まず私は吉田さんがそういうつもりで発表している事に思い至らず「一方では相対性理論は失敗したと言いながら一方では相対性理論に基づくディラック方程式を用いているのは矛盾ではないですか」と質問した。
それに対して吉田さんの返答が有り、その返答はこういう意味ですか、と尋ねた物が私による「相対性理論を前提に話を進めて行くと変な事に成る、というのが発表の主旨ですか」という質問だった。

日本物理学会2016年春季大会の報告記事の中の19aAG-3についての報告部分に書かれている事も吉田さんが相間トンデモである証拠です。

昼食時間帯の吉田さんとの雑談では、クレプシュ・ゴルダン係数も話題に上った。
軌道角運動量は連続変数関数に対する演算子だがスピン角運動量は離散変数関数に対する演算子だという違いが有るのでそれらの合成についてはクレプシュ・ゴルダン係数の一般論は使えなくて別途の計算が必要だ、と吉田さんが主張したのを聞いて私は、そんな事は無いはずだ、軌道角運動量とスピン角運動量の合成もクレプシュ・ゴルダン係数の一般論で処理できたはずだ、と反論した。
物理学正典に書いてあるはずなんだけどなあ、と私が言ったのは、その時だった様な。
ホテルに帰ってからインターネットを使って私の物理学正典の内容を確認すると、やはり軌道角運動量とスピン角運動量の合成もクレプシュ・ゴルダン係数の一般論の例外ではない事が分かった。
要は、変数が連続か離散かという違いが出るのは座標表示を使うからであって、クレプシュ・ゴルダン係数の一般論は角運動量表示で書かれるからそこにおいては両方とも変数は離散であり差は無い、という事です。
リンク集 > 物理学正典 > 量子力学正典 > CAN-5-1-28,29; TEC-0-5-35-22~25; TEC-0-5-29~33 を参照。

話題が量子力学に及んだキッカケは、私が現在までに発表して来た量子力学の新文法は本当は素粒子論会場で発表すべき事ではなくて物性会場内の量子力学の基礎1というセッションで発表すべき事ではなかろうか、と私が発言した事だった。
学会大会のプログラム冊子でそういうセッションが有る事を私は見付けたばかりだった。
私がそう言うと吉田さんは「私は量子力学を3人の先生から学びました」と言ってクレプシュ・ゴルダン係数の話を始めたのでした。
3人の先生から学んだので軌道角運動量とスピン角運動量の合成を学ぶ事が出来た、という話だった。
現在まで私が習慣的に発表を繰り返して来たトンデモ隔離セッションよりもふさわしいセッションが有るのに、発表場所をそちらに変更しようとすると学会から元のセッションでやってくれともし言われる様なら、それは私の言説の流布を封じる悪意が学会にやっぱり有る証拠だ、学会の正体の露呈だ、と吉田さんに私は言ったのだった。
「3人の先生から学んだ」という吉田さんの発言には嫌悪感を持った。
理由を説明するのは難しいが、それは、Aさんは優れた物理学者です、という風にBさんが門外漢の第3者に宣伝する際に使う類の手口だからだ。
色々な分野で一流だとされる有名人を称揚する際にテレビがそういう手口を常套的に用いて来た事は私も他の誰でも良く知っている事だ。
私は、そういう物にうんざりしている。
特に吉田さんが人数の多さを理由に挙げた事は、それに輪を掛けた。
事実3人の先生から学んだからこそ得られたはずの軌道角運動量とスピン角運動量の合成の特徴を吉田さんが誤解しているではないですか。
門外漢に対してすらそういう称揚の仕方を良く思わない私が専門を同じくするのだから、吉田さんには自分の抽象的または具体的な学説のみを自己称揚の根拠として欲しかった。

何を説明する為にだったか忘れたが、ディラック場の量子化はψとψ†の間に反交換関係を設定する事によって為されますよね、と私が言うと吉田さんは、量子化はaとa†の間に反交換関係を設定する事によって為される、aとa†はディラック方程式を解く過程で生じる積分定数だ、と言った。
ホント吉田さんと話をすると耳に入る言葉の一々にドキッとさせられて心臓に悪い。
積分定数って事は無いでしょう、フーリエ係数です、と言って私が問い詰めると吉田さんは、でも微分方程式を解く過程で生じる不定因子なんだから積分定数とも言えるでしょう、と弁解した。
それを聞いた私は、まあ対数を取ればそうとも言えるなあ、とその場では思ってしまった。
aとa†の反交換関係ではなくψとψ†の反交換関係が基礎です、という事は念を押しておいた。
フーリエ変換を用いないとディラック場を量子化できない、という風に吉田さんは誤解している様でした。
何時間か後に成ると、aとa†を積分定数だと考える考え方は自由ディラック場についてしか成り立たないが電磁場との相互作用が有る場合(自由でないディラック場)でもaとa†は使うので、やはり積分定数って事は無い、という事情を思い出した。
基礎的な自由度としてψを用いるか、それと線形変換で結ばれるaを用いるか、の選択をするのだと理解するのが正しい理解の仕方です。
そして原理はψを用いて書かれ、その原理からaについての反交換関係が導き出されます。
ψを用いるかaを用いるかの選択は、量子力学での座標表示を用いるか運動量表示を用いるかの選択と同様です。
自由粒子では運動量の固有値はシュレディンガー方程式の積分定数ですが、運動量の固有値を積分定数とは言わないですよね。
それは、表示の選択は力学(粒子に働く力の如何)とは独立だからです。
自由粒子ではなく力を受けている粒子の量子力学でも運動量表示は使え、そこでは運動量の固有値はシュレディンガー方程式の積分定数ではありません。
吉田さんはa, a†と言わずにディラック方程式の積分定数とだけ言ったので、吉田さんが言ってるのはa, a†の事だと気付くには少し頭を使う必要が有った。
それに肝を冷やして私は吉田さんに「運よく気付いたから良かったが、積分定数という言い方では十年経っても百年経ってもa, a†の事を言ってると気付かないかもしれない」と抗議した。
それに対する吉田さんの答えが「でも微分方程式を解く過程で生じる不定因子なんだから積分定数とも言えるでしょう」だった。

ここまでに書いた吉田さんとの対話内容は、物理学というのは難しい分野なんだ、という事を未習者や非習者に分かってもらう働きを持つだろう。
電磁気学でも量子力学でも代表的な同じ教科書を最後まで読み通せば誰でも正統的な同じ理解に到達する、という物ではない。
途中で計算に詰まったり意味の分からない箇所に出会わなくてもそうだ。
そういう所が物理学は他のほとんどの分野と違う。

16aS42-12「R2+(Rμν)2を含む重力理論における散乱振幅のユニタリー性」の質疑応答時間に私は「アインシュタイン重力が繰り込み不可能だという事実はアインシュタイン重力にとって不利なのか繰り込み可能でなければいけないという考えにとって不利なのか、どちらだとお考えですか」という質問および「どちらなのかは意見の分かれる所ですか」という質問をして第2質問に対しては「どちらなのかは意見が分かれる所だ」という返答を、第1質問に対しては「どちらも同じ様に重要だと考えています」という返答を得た。
セッション終了後にこの発表者から「質問して下さり有難うございます」と礼を言われ私は「いえいえ、こちらこそ」と礼を返した。
私に礼を言ったのは、聞いた人が何者かの都合に配慮して素直に思った事を言うのを控える無反応にこの発表者が苦しめられて来た、からかもしれない。
さらに私は、それはこの発表者が本当は「王様の耳はロバの耳」のニュアンスで「アインシュタイン重力は繰り込み不可能だ」と言っているからではないか、と勘ぐった。

16pS43-1「Kaluza-Klein 正則化と余剰次元空間のカシミア効果」の質疑応答時間に「4次元理論において生じる発散の困難は Kaluza-Klein に移行するだけでは解消されず Kaluza-Klein に移行した上さらにカットオフを入れないと抑える事が出来ないのですね」というコメントおよび「Kaluza-Klein 理論は正則化に過ぎないとお考えなのか、それとも Kaluza-Klein が4次元理論よりも現実に近いと、4次元理論が現実を表しているのではなくて Kaluza-Klein 理論が現実を表しているという可能性を追求しておられるのですか」という質問をした。
第2部分である質問の意味を発表者が理解できないでいる様だったので私は「Kaluza-Klein 理論の価値は正則化としての価値のみだとお考えなのか、あるいはそれ以上の価値を持つとお考えなのか、どちらですか」と言い直した。
それでも返答は得られなかった。
その場では私は思い付かなかったがホテルに帰ってから「Kaluza-Klein 理論においてコンパクト化で縮小される空間のサイズはゼロに持って行く極限を必ず取られねばならないのか、それとも非常に小さいが有限の値なのか、どちらなのか」と言えば伝わっただろう、という事に気付いた。

16pS43-2「高次元ディラック場における拡張された量子力学的超対称性の構造」の質疑応答時間に「この発表は既存の理論が抱える困難を解決する目的での研究ではなく既存の理論を特別な場合として含むもっと一般の場合を考えてみましたという発表ですね」と質問して「はい、そうです」という返答を得ました。
さらに「研究のその様な特徴は査読において却下される理由には成りませんよね」と訊ねて「はい、却下される理由には成りません」という返答を得ました。
「私の場合そういう理由で却下されたんですよ」と私は言い添えた。
その私の論文の内容は、この発表の内容とは全く別です。
この発表の内容と同じ事を過去に私が論文として提出して却下された、と発表者に誤解された懸念が有ると思い、後で座長に「機会があったらその事を発表者に伝えて下さい」と申し出た。



日本物理学会2005年秋季大会15aSD-12で私が発表した内容のうちで今日まで私が廃案にする事なく追求し続けている重要なアイデアを含む論文を日本物理学会2005年秋季大会より前にJPSJに論文投稿した後のJPSJと私の通信内容を以下に紹介します。
送信者 本文
JPSJ\(Taniyama\) 宇田 雄一様

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論文番号: 61814
セクション:Full Papers
論文タイトル: Fundamental Principle of Quantum Theory in the case where Quantum History is not Analyzable
著者: Yuichi Uda
受付日: 2005年8月10日
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Journal of the Physical Society of Japan(JPSJ)へのご投稿ありがとうございます。
貴論文を受付致しました。

(以下省略)
JPSJ\(Taniyama\) Dear Dr.宇田 雄一

Your manuscript submitted to the Journal of the Physical Society of Japan (JPSJ) was reviewed by one of our referees.
According to the referee's comment attached, we regret that your paper is not appropriate for publication in our journal.

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Manuscript No.: 61814
Section:Full Papers
Title: Fundamental Principle of Quantum Theory in the case where Quantum History is not Analyzable
Authors: Yuichi Uda
Received: August 10, 2005
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Referee's report:
本論文のタイトルにある``analyzable''というのは、著者によれば、各時間の波動関数の積で書いたものを言う。
そのようにすべき論理的な必然性はないのだが、多粒子系の波動関数が積の形に書かれていることから、時間を粒子の番号に対応させ、積の形に書きたいという「著者の思い込み」から議論を展開している。
著者は結論で「このような定式化が物理的に必要とは言えない」と言っている。
JPSJの読者は、まず著者の動機が全く理解できないであろうし、読者に混乱を与えるだけのものである。
また、英文の論文でありながら、参考文献にL. I. Schiffの教科書の日本語訳が挙げられていてぎょっとする。
結論として、この論文はJPSJの掲載には全く不適当である。
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Sincerely yours,

Hiroyuki Shiba
Chief Editor
the Journal of the Physical Society of Japan

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(以下省略)
宇田雄一 >本論文のタイトルにある``analyzable''というのは、
>著者によれば、各時間の波動関数の積で書いたものを言う。

上は正しい。

>そのようにすべき論理的な必然性はないのだが、
>多粒子系の波動関数が積の形に書かれていることから、
>時間を粒子の番号に対応させ、
>積の形に書きたいという「著者の思い込み」から議論を展開している。

そのように書かねばならない、と僕が主張したなら、それは僕の思い込みであるが、僕は、そのように書ける、と主張したのみであって、この事は僕の思い込みではない。
また、タイトルを見ればわかるように、僕の主張の力点は、"analyzable" ではない量子歴史の可能性の指摘、に置かれているのであって、"analyzable" な量子歴史の新しい書き方の提案、に置かれているのではない。
この事を閲読者は読み取れなかったのではないか?
閲読者は、社会的および政治的配慮を一切排して査読する義務を負うはずである。

>著者は結論で「このような定式化が物理的に必要とは言えない」と言っている。
>JPSJの読者は、まず著者の動機が全く理解できないであろうし、
>読者に混乱を与えるだけのものである。

ヤン・ミルズ場の理論は、発表された当初は、対応する物理現象が見当たらないので、軽視されたと聞くが、論文誌に掲載を拒否されたとまでは聞かない。
同じ理由により、僕の論文の論文誌への掲載の拒否は、全く妥当しないものである。
読者に僕の動機が理解できないならば、動機の説明を加筆すれば良いだけのことではないか。

>また、英文の論文でありながら、
>参考文献にL. I. Schiffの教科書の日本語訳が挙げられていてぎょっとする。

どんな感想をお持ちになるのも、閲読者の自由であるが、この感想を掲載拒否の理由とするのは誤りである。
なぜなら、参考文献についての記述の欠陥程度は、手直しすれば掲載、の範囲内だからである。

十分な説得力を持つ弁解か、あるいは、掲載拒否の判定を変更する旨の通知を求める。
他誌への投稿が妥当ならば、それについても聞きたい。
JPSJ\(Taniyama\) 宇田雄一様

下記内容のメールを受領いたしました。編集委員会に報告いたします。
編集委員会での審議結果が決まりましたら、ご報告をいたします。

JPSJ編集部 谷山


At 14:05 05/08/23, 宇田雄一 wrote:
> >>本論文のタイトルにある``analyzable''というのは、
> >>著者によれば、各時間の波動関数の積で書いたものを言う。
> >
> >上は正しい。

(以下省略)
宇田雄一 JPSJ様

下記内容の郵便を本日受け取りました。

この郵便の内容には、
「掲載不適当」と判断する根拠が全く含まれていない。
この根拠を僕に知らせて欲しいが、この僕の求めに応じる意思が有るか無いか返答を求める。

また、JPSJの運用規則においては、このような根拠の提示の要求に応じなければならない、とされているのか?いないのか?

JPSJに、この根拠の提示をする意思が無い、と判明した場合には、その時点で、論文61814についてのJPSJとの交渉を、僕は打ち切る。
根拠の提示が得られ、それに僕がなお納得しない場合には、さらに反論を述べる予定である。

-----郵便の内容-----
論文61814について、8月23日に、「掲載不適当」という結論をお知らせしましたところ、それに対する著者からの反論が届きました。
JPSJでは「掲載不適当」の判定は妥当だと思っておりましたが、念のため、もう一名の閲読者に第一閲読者の判断が正かどうかについて意見をお聞きしました。
結論として、第2閲読者からも「JPSJでの出版は不適当」という報告が届きました。
したがって、結論の変更はありません。
もし、JPSJ誌の判定に納得がいかないのであれば、他誌へ投稿されることをお勧めします。
-----以上が郵便の内容-----

宇田雄一より
いずれも通信時期は2005年08月です。

科学史上の史実として重要な申し出が不当に無視された事が何度も有る事は、知や名誉という物について目覚め始めたばかりの少年およびそれ以上の人なら「例のアレね」という具合に知っている事だ。
ガロアの論文がコーシーに握り潰された件もそうだし、ヒッグスの論文をCERNの論文誌が査読で却下した件もそうだ(後者については最近知ったばかりです)。
過去の社会にそういう至らなさ悪弊が有った事を私はまだ10才にも成っていなかった頃に「天才個人って雲の様に凄いよね、それに比べて社会一般って泥の様に駄目だよね」というニュアンスで聞かされ、それを学校の先生か何か主流側の大人の口から聞いた事によって、今の人はその事を良く分かっているからもう同じ過ちは犯さないんだろう、と思って安心した。
ところがヒッグスの件なんかを見ると、単に却下されただけでなく、馬鹿げた論文として却下された、門前払いを受けた、という事だそうですから、社会の悪弊は改善されずに未だ残っている、という事です。
とんでもない話です。
「例のアレ」という認識レベルの人は、天才個人は先見性が過ぎているので周囲の同時代人は天才個人の申し出の意義を正しく理解する事が出来なかったのだ、理解されなかった事が逆にますます天才個人を称揚している、という風に考えます。
そうであるならば、泥の様に駄目な社会の悪弊という物は過失であって故意の犯罪ではないですよね。
私も、自分で経験するまでは、そう思っていました。
つまり、過去の過ちという物は凡人の過失であったと。
しかし、自分で経験して、はっきりと、それは違うという事が分かりました。
少なくとも私の場合は故意の犯罪なんです。
それを生んだのは凡人の優劣軸上の劣ではなく善悪軸上の悪です。
自分で経験して、はっきりと、その事が分かりました。

査読者は『時間を粒子の番号に対応させ、積の形に書きたいという「著者の思い込み」から議論を展開している』と書いている。
これは変です。
誰かの何かをしたいという希望が思い込みである、という事は無いからです。
思い込みという物は事実誤認に対して付けられる評価です。
その点を修正すると査読者のコメントは次の様に書き換えられます。
『時間を粒子の番号に対応させ、積の形に書けるという「著者の思い込み」から議論を展開している』
この主張は誤りです。
なぜなら、積の形に書けるというのは事実であり、そう認識する事は事実誤認ではないからです。
査読者のコメントが「思い込み」という語の誤用という形で文章として歪んでいるのは、その事に査読者が思い至っていたからでしょう。
時間方向のエンタングルなんて無くても、既存の時間に依存する波動関数をワタシ流の積の形に書き換えるだけでも論文として通用するんですよ。
だから査読者は、その芽も摘んでおく必要が有ったわけです。

査読におけるこの犯罪(これは過誤ではない)は社会の縮図です。

インターネットが普及していなかった時代に自分の論文が査読で却下されたら、不特定多数の第三者には、査読で却下されたという情報のみが伝わり、その妥当性を自分で検証するのに必要な判断材料は与えられません。
その結果、不特定多数の第三者は、偏見や先入観で査読の妥当性を判断する事に成ります。
その結果は目に見えています。
まあ査読者の言い分の方が論文投稿者の言い分よりも正しいんだろうなあ、という風に思われてしまうのです。
トンデモ論者がちょうりょうばっこし、トンデモというレッテルが流行語に成っている事も、その傾向に拍車を掛ける事によって私の主張の正しさを揉み消す為の集団ストーカー工作です。
24日@2014年10月@日記に書かれている事は、その証拠のひとつです。

会社をクビに成った、警察に逮捕された、裁判で有罪判決を受けた、意味不明な事を言っている、精神病だ、全て「査読で却下された」と同じです。
だから「社会の縮図だ」と私は言うんです。
おカネは1円盗んでも泥棒なのに、誰が何円持つに至るかのプロセスにおいては不正のやり放題。
これでは誰が何円持っているかには何の正当性も無く、だったらおカネを何円盗んでも泥棒でも何でもない、という事に成ってしまいます。

マネーロンダリングという言葉が有りますが、マネー自体がロンダリングツールなのです。
私の
宇田経済学は、その点を正そうとする物です。

査読における不正ならびにそれに類する物として私が挙げた不正は、誰が何円持つに至るかのプロセスにおける不正の代表例です。

私は自分および自分の様な人こそが経済的にも功績の評価においても最も成功した人に成るのが本当は正しいと考えており、そう主張し、その理由を宇田経済学などを通して説明し、今から是正されても既に手遅れではあるけれど自分の本来の権利を回復しようと努めて行くつもりです。
その事は「あつかましい」とも「さびしいヤツじゃのう」とも言われる筋合いの事ではない上に、認めるべき事を認めた上で「あつかましい」「さびしいヤツじゃのう」と言うならまだしも、認めるべき事を認めもせず「あつかましい」「さびしいヤツじゃのう」とも言うという態度は盗っ人猛々しくて許せません。

学問は混乱を巻き起こしてナンボです。
混乱が生じるから掲載しない、という理由は間違っています。
混乱という言い方も矮悪化です。
議論、論争と言うべきでしょう。
似た例としては「そんな話は聞いた事が無い」「あなたに言われたくはない」が挙げられます。
さすがに論文61814の査読者は、これらを却下理由としませんでしたが、俗世ではよく用いられる却下理由です。
学問では既出なら没だから聞いた事がないのは却下理由ではなく必要条件であり、俗世でも本当はそうです。
聞き手が既に知っている事なら言う必要も聞く必要も無い。
言われたくないかどうかは主張の当否とは別です。
言われたくないから間違ってる、という論理は成り立ちません。
学問でも俗世でもそうです。
「言われたくない」と言ってるだけで「間違ってる」とまでは言わないのは、その事を分かっているからです。
言えないから言わないのです。
それなら「言われたくない」に対して言い返す文句は「お気の毒に」や「ざまあみろ」です。
したくない事でも義務ならしなければいけないのと同様に、言われたくなくても言わせない権利は有りません。
また、混乱が生じるから掲載しない、という判断は、論文誌の読者は権威である論文誌に盲目的に従う物だ、という考えが前提と成っており、論文誌に掲載された論文の当否は論文誌の読者各自が主体と成って判断する物だ、という科学的態度への不理解や冒涜です。
それとも、権威者に従属していない自由で独立した学者が手柄を立てた、という前例を作る事は学界や社会一般に混乱をもたらす、とでも言いたいのでしょうか?
それなら、もっと論外ですけど。
学問の自由を知らないんですか、この人は、って事に成ります。

いけしゃあしゃあとDearで書き始める、慇懃無礼(いんぎんぶれい)ならぬ慇懃反則だ。
「Journal of the Physical Society of Japan(JPSJ)へのご投稿ありがとうございます」もです。
無礼だけなら、それは言葉の問題です。
そういう問題に対しては私は寛容だし、寛容である事が法的にも義務だろう。
その代わり私も年齢や雇用関係等に応じた敬語表現の義務というものは一切認めない、という事を知っておいてもらいたいが。
無礼だけなら実害では無いが、反則だから実害としてカウントさせてもらう。
甚大な実害だ。

JPSJおよびその査読者は私の反論への反論を述べていません。
ただ否決人数が所定の2に達した、という事だけで論文却下の理由としては十分だ、としています。
これは科学の正しいやり方ではありません。
科学は1人が他の全員を打ち負かす分野です。
科学を多数決で運営したのでは、そうは成りません。
科学においては主張を否認するには言い負かす事が必要であり、言い負かした人の主張は、たとえ言い負かした人が1人だけであっても、言い負かされた人が他の全員であっても、是認されねばならないのです。
裁判について同じ事が言われているのを見た事が有る。
裁判は立証の成否を問う場です。
その裁判において立証の成否は究極的には多数決で決められる、これではいけない、という意見です。
全く同感です。
「あなたに言われたくはない」と同レベルの俗な口論技術に「ああ言えばこう言う」という非難の仕方が有ります。
この常套句にも論敵の主張への反証能力は全く有りません。
その事を辛辣に示す為に私は「ああ言ったりこう言ったりする」というフレーズを編み出しました。
つまり、私の態度が「ああ言えばこう言う」であるのは、あなたの態度が「ああ言ったりこう言ったりする」であるからだ、という弁解および非難です。
そもそも自分が先に「ああ言ったりこう言ったりする」という態度で手練手管を尽くして詭弁して、ことごとく論駁されても、最後に「お前の態度は“ああ言えばこう言う”だ」と言い返せば言い勝った事に成る、なんて理屈は存在しないのだ。

宇田方程式を中心とする私の理論は今(2018年秋)投稿すれば掲載されるかもしれないが、後の時代に読み取れなくするなどの工作が可能な電子版で、しかも私を多の中の一として埋もれさせる準備を整えた上で、また私の理論の評判が揉み消せないレベルまで高まった後で、これでは駄目なんですよ。
私の理論をそこまで世に知らしめるのが論文誌の役割だったのです。
それを私にやらせておいて、その後で論文誌に掲載しても、それでは遅いのです、それでは論文誌は何の為に有るんだ。
今は論文誌が電子版に成っており、その分掲載率が上昇し査読での却下率が低下している(掲載論文数が増加している)ので掲載されても埋もれるだろう、と推測される。
電子ファイルはその一部が破損しただけで全体が読めなく成る。
また、電子ファイルは高度なテクノロジーを用いなければ作る事が出来ない読取装置を必要とする。
この事は、将来的に読取装置を製造終了に持ち込み、残存する読取装置を全て破壊すれば、電子ファイルは読み取れなく成り石ころ同然に成る、という事です。
この様に、電子ファイルはいとも簡単に無力化できるわけです。
論文誌が電子版に変わったのは、事情を知らない実行者の目から見れば図らずも、しかし実行させた首謀者や事情を知っている実行者にとっては狙い通りに、そのお膳立てをする為の集団ストーカー工作に成っている、と考えられます。
例えば2018年末時点で既にマイクロソフト社がemlファイルを管理するソフトウェアの新規提供とサポートを終了してしまっていてemlファイルを管理する道が著しく細く成っている事は、その伏線と見なされるべき事です。
emlファイルの場合、犯人の目的は証拠隠滅です。
上掲のJPSJ対私の電子メール通信記録も狙われていた事でしょう。
論文についても証拠隠滅という言い方が出来るかもしれませんが、論文の場合は学問の破壊や史実の抹殺と言うべきでしょう。
日本物理学会大会の講演概要集が紙版からDVD版に変わったのは2015年春季大会分からです。
2014年秋季大会のは紙版、2015年春季大会のはDVD版です。
私の理論が、トンデモのレッテル等で沈め切れないレベルにハッキリと達したのは2011年秋です。
2011年秋季大会と2014年秋季大会での私の発表内容の学問的価値は非常に高い。
これによって、私が言って来た事は2005年秋発表分まで遡って全部わらえない、という事が暴露されました。
2013年秋季大会での私の発表内容も犯人に買いかぶられた可能性が有りますが、この発表内容は間違いでした。
2014年秋季大会での私の発表内容に反応して講演概要集が慌てて電子版に変わったのではないか、と思っています。

以下は、このページとは別のページに書きたいと思って来た事ですが、書きそびれ続けるのを防ぐ為に書きます。
テレビの例えば午後7時のニュースは「7時のニュースです」という宣言で始まります。
年月日は宣言されません。
内容も「今日午後4時頃・・・」という風に述べられます。
これでは、その録画を未来の人が見たら、何年何月何日の19時のニュースなのか、分かりません。
誰もその事を不審に思わないし、私も思いませんでした。
しかし十年以上前に私はウェブ上で公開している自作の動画を撮影する際に、年月日時刻を宣言しないと内容の先取権が保障されない事に気付き、自作の動画内では冒頭で年月日時刻と自分の名前を宣言する様に成りました。
(これを境にこれを理由に私への集団ストーカー工作が不連続に増加した、という事も有る様な気がします)
それがヒントに成ってテレビニュースに年月日の宣言が無い事に気付き、それを不審に思う様に成りました。
色々な文書が年月日の記入と署名が無いと法的に無効だ、と聞きます。
テレビニュースで年月日が宣言されないのは、その法理を背景として、自身を無効化する目的での事ではないか、と私は疑っています。
そして、それは、集団ストーカー勢力から、年月日の宣言を伴うテレビニュースは許さない、年月日の宣言なしなら許す、と言われたからではないか、と私は疑っています。
まあ、でも新聞には年月日が入ってますけどね。
以上、ついでの話でした。



話を今季の学会大会の話に戻します。

16pS43-6「Hypercharge Flux in SO(32) Heterotic String」の発表中に液晶プロジェクター用のコンテンツが正しくスクリーン内に収まらない(縁切れに成る等していた)という問題が発生して発表者が困っていた時に私が挙手もせずに即座に「縮小した後で全体をずらす(ドラッグする)と良いのでは」とアドヴァイスしたら、その事によってこの発表者が救われた面が有って、セッションが終わった後で「助かりました、有難うございました」と御礼を言われて、その際に私は「後で思ったんですけどCtrlボタンを押しながらマウスホイルで縮小すると全体をスクリーン内に収める事が出来ましたね」と言うと、発表者もその方法を知っていたが発表中は慌てていたのでその方法を駆使できなかった、との事だった。
さらに、ついでに丁度良いと思って、「発表内容ほど絞り込めていない事なので質疑応答時間には言いませんでしたが、ちょっと質問なんですけど」「弦の理論がアインシュタインの重力理論に置き換わるというのは本当なんですか?」「弦の理論でアインシュタインの重力場方程式を導出できても、それは局所的な話に過ぎないので、弦の理論から時空のトポロジーが導出される事は無いのでは」などと質問した。
私が確かめたかったのは「時空の幾何学が重力である」というアインシュタインのアイデアは弦の理論を経ても残るのか、それとも弦の理論によって棄却されるのか、という事だが、少なくとも「時空の幾何学」という概念は弦の理論を経ても残る、という意見が聞けた。
「それが重力だ」というアイデアの受ける評価の行方までは訊きそびれた。
その発表者はカラビ・ヤウ多様体を自分の研究の主テーマだと言っていた。
私はコンビニのレジ袋の運搬の便を図る為に数年前からズボンのベルトにカラビナを装着している。
なんかイメージがダブるなあ。
何年も前に誰も居ない所で独り言として駄洒落のつもりでカラビ・ヤウ多様体と言った事も有る。
この発表者は変にビクビク・オドオドした感じで、セッション内休憩終了時に入室する際にも変にビクビク・オドオドした態度で私の方を見ながら歩いていた。
液晶プロジェクターの不調は偶然では無いだろう。
ターゲットが私なのかこの発表者なのかまでは特定できないが、これは集団ストーカー工作の結果に違いない。
16pS43-6は16pS43セッションの冒頭でないのみならず、セッション内休憩終了後の冒頭でもないから、IT機器の人為的でない故障が原因ならば先行する発表で同じ不具合が生じたはずだからだ。

16pS43-7「モジュラー曲線上の背景磁場の構成」という発表で多分 Dirac's quantization condition と名付けられた式を見て、それについて質疑応答時間に「初等的な書き方では量子化条件というのは交換関係や反交換関係ですが発展的な書き方ではこんな式に成るんですね」と質問して返答を聴くと、量子化条件の意味が違う様で、量子数か固有値か何かが離散的に成る事をこの発表では量子化条件と呼んでいるので反交換関係や交換関係が Dirac's quantization condition で置き換えられるのではない、という事が分かった。

16pS43-8「行列模型における背景磁場付き非可換トーラス上の湯川結合」の質疑応答時間に「標準模型では荷の種類の数だけ結合定数が有る、これが多過ぎるので何とか成らないのか、という問題が有ると聞きます。一方では弦の理論ではそのパラメーターが減らされるとも聞いた様な気がします。ところで減らすだけではなくて結合定数つまりパラメーターを無くしてしまう事は出来るのでしょうか?」と質問し、発表者から「この発表の中で結合定数(gと書かれていた)は1つだけ出て来てますが、これは(単位の変更によって)変数に吸収させる事が出来るので、私の発表しているこの理論は結合定数を持たない理論です」という返答を得た。
その過程で発表者に「荷」という言葉の意味が伝わらず「荷って何ですか?」と訊き返されたので「つまりチャージの事です」と説明すると伝わった。
私は「標準理論における電荷や色荷やフレーバー荷で言う所の荷です」とも言ったと思う。
結合定数は全て実測しなくても理論的に計算だけで求まる物なんですか?と言えば質問の意図が伝わり易かったな、と後で思った。
私は湯川結合の結合定数がこの発表のテーマかと思ってそう質問したが、よく見てみると講演題には「湯川結合」とは書かれているが「湯川結合定数」とは書かれていない。
的外れな質問をしてしまったのかもしれない。
弦の理論では粒子の種類の違いが弦の振動モードの違いだとされるらしいので、その時点で既に荷の種類という物が無くなっていて、そのずっと先を進んでいる研究者にとっては荷という概念は古過ぎて忘れている物なのかもしれない、と後で思った。

17pS42セッション終了後に17pS42-8「平面図形の深層学習と複数の固定点を持つ繰り込み群との関係II」の発表者に声を掛けて「素粒子論の研究の中でもドカタ系の研究ならAIにやらせてしまおう、という内容の発表だったのか、それとも素粒子論の教材を試練として課す事によってAIの特徴を把握しよう、とする試みだったのか、それとも素粒子論の知見をAI設計に活かそうという、そういう発想なのか、3つのうちのどれなのか」という質問をしました。
質疑応答時間中は挙手しても座長に選択されなかったので、セッション終了後に質問した。
発表者は即座にハッキリと「3番目です」「物理学の知見をAI設計に活かそうという発表だったんです」と答えた。
さらに私は「あなたのは認識という物を人工的に再構築する事によって認識とは何かを究明しようとする試みだと思いますが、AIが自発的に認識って何だろうという疑問を持って考え認識とは何かを我々に教えてくれるに至る事は無いんですか」という質問をした。
すると発表者はAIの欠点を幾つか挙げた上で「それらが有るのでとてもじゃないけど現状のAIにはそんな芸当は到底無理だ」と教えてくれた。



帰宅後、宿泊予約サイトにホテルのレビューを投稿した。
その内容は、こうだ。
JR松本駅にはRメッツホテルが無いので、このホテルが実質上のメッツ相当ホテルと見なされる。駅の東口からホテル入り口までは半分以上がバス乗場かタクシー乗場の屋根が有るので雨天でも傘の必要性が少ない。しかし、その屋根が終わってからはセブンイレブンに寄ってチェックインするまでは屋根が無い。この部分は傘なしでも駆け足なら何とか成る距離だが傘が有った方が良い。道をはさんで東向かいにバス乗場が有る。バス乗場から見ても最寄のホテルだ。1Fと8Fの高度差は20mだった。これは平均的なホテルより小さい。私は8Fに宿泊した。合鍵を作られるので私は利用しないが客室内金庫は置かれていなかった。8Fにはコインランドリーが有るため、その洗濯機の動力音が私の室内に集団ストーカーのノイズキャンペーンらしく聞こえてうるさかったが、宿泊中に洗濯する予定なら8Fに宿泊が好都合。1Fロビーには無料インターネット端末PCが2台有ったので利用した。2018年09月15日にはエアコンを全力運転1時間で室温が28.6度から27.5度にしか下がらなかった。職員に相談しても「対応できない」と言われた。冷蔵庫内温度も21.3度と高過ぎた。しかし、これらの問題は私への個人攻撃である可能性が高い為あなたには起こらないだろう。2018年09月16日にはエアコンを全力運転1時間で室温が26.3度から23.4度まで下がった。これなら十分。朝食は基本的に平均的なホテルよりも味が良く、特に最終日を除けばヨーグルトの隣のフルーツが新鮮だった。最終日は私の食事開始時刻が少し遅かったせいか、フルーツの鮮度が他のホテル並みに少し悪い味がした。

これを受けて宿泊予約サイトは私の投稿に対する自動返信メールを私に送った。
その内容は、こうだ。 
 
『職員に相談しても「対応できない」と言われた。冷蔵庫内温度も21.3』の部分だけが文字化けしています。
機種異存文字を使ったわけではないので「自動返信だ」というのがウソだと分かります。
文字化けしている部分は丁度、異常であるという私の主張が私の過敏性や妄想に起因する物ではない事を読んだ人が分かってしまう部分です。
その部分だけが文字化けしている事は、自動返信だというのがウソである証拠であるのみならず、人力での検閲が行なわれ、かつ、その検閲を行なった者が文字化け部分に私が書いた事を隠滅が必要なまでに自分達にとって不都合な証拠だと考えている証拠です。
さて、文字化け部分に私が書いた事は、ホテルの性能に欠陥が有るか、または悪意に基づく故意の犯罪がホテルの設備を使って私に行なわれたか、あるいはそれらの両方である事の証拠です。
さらに、自動返信だとウソをついて人力で検閲してその部分を文字化けで読めなくした事は、そうである事を犯人が自白した事に相当します。
悪意に基づく故意の犯罪が私に対して行なわれたとしても、温度の異常がある程度以内なら犯人は、そうではなくてホテルの性能に欠陥が有るだけですよ、という風に白を切るだけでしのぎ文字化け工作という危ない橋を渡る事は避ける、という選択をするでしょう。(最終的な掲載内容をどうするかの段階で犯人はやっとその事に気が付いたが気が付くのが遅すぎた)
しかし実際には犯人はそうしなかった。
この事は、文字化け部分に私が書いた温度異常が、ホテルの性能の欠陥だと言われる事すらホテルが耐えられないぐらい度を過ぎている事の証拠、少なくとも犯人がそう考えた証拠です。
犯人がそう考えただけでなく客観的にもそうだと思いますけど。

文字化け工作という犯罪から言えるのはそこまでですが、後で室温が23.4度まで下がる様にエアコンの効きが改善された、という事実は、「対応できない」という職員の返答がウソだった証拠です。
室温が23.4度まで下がれば十分なだけでなく十二分です。
約24時間以内に改善されたのなら、職員は「対応できない」とではなく「対応します」と答えたはずです。
しかし職員は「対応できない」と答えたのだから、エアコンに関しては元々23.4度まで室温を下げる能力が有った事に成ります。
エアコンの冷却能については、文字化け工作が行なわれていません。
これは27.5度でも地球温暖化対策として広く推奨されている28度を下回っているので文句を付ける事が出来ない数値だからでしょう。
それで白を切り通せばボロは出なかったのだけれど、犯人は23.4度まで下がる様に後でエアコンの効きを改善しました。
この事によって、「対応できない」という職員の返答がウソであった事と、27.5度が地球温暖化対策等を理由としたこのホテルの方針なわけでもない事が判明しました。
以上より、悪意に基づく故意の犯罪がホテルの設備(エアコン)を使って私に対して行なわれた事が結論されます。
ホテルにもよりますが、私が宿泊したホテルは、サービス内容をレヴューに書かれると困る様な低いレベルのホテルには見えませんでした。
温度計で温度を測るという事は普通はしない、という前提で考えると、温度で嫌がらせをして苦情を言わせれば被害者は自分の知覚ではなく温度が異常なのだという事を立証できず、後は「皆さん、どちらを信用しますか」という勝負に持ち込めます。
私は温度計を使わなかった過去の失敗経験を教訓に「今度こそは」と思って遅滞なく温度計で測定したらズボシだったのだから、だから言っただろうが、という事なんです。

2018年09月18日午前07時16分頃、道路の交差点ではない位置に単独で以下のナンバーの自動車(銀色バン)が停車しているのを私はホテルの自室の窓から目視確認しました。
松本300る685 ・・・ 確実に読み取れたわけではない。
丁度わたしの部屋を監視する位置です。
その上、私がナンバー読みを開始すると直ぐに発進して去りました。
ナンバーを読まれるのを防ぐ為としか考え様が有りません。
ハリコミデカ以外の何者でもありません。
この手の者が警察を騙ったり偽りなく警察だと告げてホテルに私への集団ストーカー工作への協力を依頼したと考えられます。

その後、投稿が受理されてウェ上に掲載されました。
その内容は、こうです。
 
メッツ云々という記述も削除されているし「集団ストーカーのノイズキャンペーンらしく」という文言も削除されています。
他にも削除されている部分が有ります。
「投稿内容の修正および削除は出来ません」って言うんだったら受理サイドでの勝手な編集は有り得ない。
上掲画像には宿泊予約サイト名が含まれて居ませんが、かばうつもりは全く有りません。
じゃらんnetです。

日本物理学会2018年秋季大会では学会大会会場において私はエアコンの調節を故意に不適当に行なうという陥れ工作を受けました。
これは集団ストーカー工作であり、私に室温を耐え難いと感じさせて面白がるだけのイタズラや嫌がらせではなく、私に苦情を言わせてそれに自分の都合を他者の都合よりも優先させろという不当な要求だとの言い掛かりを付け、私が自分の落ち度によって人間関係上のトラブルを引き起こした、という事実をでっち上げようとする工作です。
そういう事実のでっち上げも犯人にとっては最終目的ではありません。
犯人の目的は私が言う事を出来るだけ多くの人が出来るだけ信じなくする事や出来るだけ多くの人から私の意見を聞く機会を奪う事です。
この工作は、現場に居合わせた私以外のほとんどの人に室温を高すぎるとは思わなかったとウソの証言をする約束をさせるという根回しを伴う物です。
そういう前提を成立させた上でもし私が室温の異常を強硬に主張したならば、どういう事に成るか?
それは、知覚機能の異常によって客観的には正常な室温を高すぎると誤認し、他のほとんどの人が低すぎて耐え難いと感じる温度にまで室温を下げろという主張を自分の都合だけで行なうという自己中心的な態度で私がみんなに迷惑を掛けた、という事実がでっち上げられてしまいます。
それは、みんながウドンを食べたいと言っているのに自分はラーメンの方が好きだからといって団体での行き先としてウドン屋ではなくラーメン屋を強硬に主張する態度よりももっと間違った態度です。
室温が正常であるか否かの答えは存在しますがラーメンとウドンのどちらかを好む方が正常だとは言えないからです。
集団ストーカー工作はこの様に単なる嫌がらせよりもはるかに悪質なので、それを単なる嫌がらせと区別する為に「嫌がらせ犯罪」という言葉で呼ぶ人が居ます。
私はその気持ちが良く分かるし、そういう言葉使いを的確だと思います。
嫌がらせ犯罪は単なる嫌がらせとは違うが嫌がらせを手段として用いるからです。

ホテルの件はホテルの件で重要ですが、当ページで私が特に説明したいのはこういう学会大会会場内での集団ストーカー工作です。
ホテルの件を持ち出したのは、学会大会会場内での集団ストーカー工作についての私の主張が妄言ではない事を読者に分かってもらう為です。
ホテルの件は、学会大会会場での件の直接的な証拠に成るわけではないけれど、私の「こんな事が有りました」という主張一般に自然に課されてしまう「信頼される範囲の上限」を取り除く働きをします。
今回はホテルの件も学会大会会場の件も夏季の温度管理にまつわるという点で共通しており、その分だけ、ホテルの件が学会大会会場の件についての私の主張の信憑性を高める効果は、ホテルの件が私の主張一般の信憑性を高める効果よりも大きいと考えられます。
主張一般の中で特に重要なのは私の学説およびそれが学問における第1級の業績だという私の主張およびその私の学説が不正な黙殺という犯罪の被害にあっているという私の主張です。
そんな事あるわけないじゃないか、と思うような犯罪、それが私に向けられている事は、私の才能や業績が国家間の優劣差や国内の階級構造をも左右しかねないほど偉大な物である証拠です。
今わたしのまわりではおびただしい人数の広い意味での暴力団がうろついて私を執拗につけ狙いおびただしい量の嫌がらせ犯罪を四六時中年がら年中わたしに仕掛け続けています。
この事が、非暴力主義者の仮面をかぶっていけしゃあしゃあと丁寧語を使ってルールを踏み倒し他人の権利を踏みにじる知識人と、無関係ではない点が非常に問題です。
後者が前者を直接面談して雇っているわけではないと思うが、私が受ける害はそれと同じです。
もっと言うと、後者は前者を頼みにしてるんじゃあないのかい、それが社会のルールだという風に社会や大人や常識という物を履き違えてるんじゃあないのかい。
既に知識人である人は、自分が知識人であり続ける為には、他の誰でもが自由に知識人に成る事が出来たのではいけない、と考えるのです。
言論も学問も自由なのだから、本当は、誰が知識人、学者で誰がそうでないかは自由競争で決められるべき事です。
このルールを甘んじて受け入れそれに従がうつもりである事は知識人が持っていなくてはいけない当然の心構えですが、その厳しさに耐えられなくて逃げてしまう人が多く、そういう人は自分のその不徳の恥にも耐える事ができず逆に相手を悪者にする事によって自分に対しても世間に対しても面目を取り繕う。
この事情が、言論や学問という分野において下位に居て(そういう者の専門分野は言論や学問よりも下位です)、自分達に劣等感や屈辱を感じさせる賢さを本当に持っている真の賢者が知識人の座に在る社会なんて嫌だなあと感じ、真の実力においては自分達に劣等感や屈辱を感じさせない程度に(心の中では馬鹿に出来る程度にとすら思っている様に私の目には見える)しか賢くない似非賢者が知識人の座に在る社会ならまだ我慢できる、と考えるレベルの集団ストーカー実行犯達の利害と一致する。
その結果、両者は互いに他を益する犯罪を真の賢者に対して行ない、それはあたかも前者が後者を雇用しているかのごとくである、というわけだ。
因みに、夏季にエアコンを止めるという集団ストーカー工作を私が初めて受けたのは、意識的に記憶している物に限れば、学生時代の1987年頃に東京の西武新宿線の上石神井駅付近のミソノというトンカツ店においてでした。
また私は、厳しい意味での(ガンジーの様な)非暴力主義者ではありません。
言葉には言葉で、暴力には暴力で報いるのが当然だと考えています。
私は自分を非暴力主義者だと自称する様な偽善者ではありません。
言っちゃあ悪いが、厳しい意味での(ガンジーの様な)非暴力主義が抱える矛盾は、私の相対正義論を待たずとも、馬鹿でも分かる事です。
しかし、だからといって、暴力に対しては実際に必ず暴力で即報するほど私は馬鹿ではありません。
即報したのでは集団ストーカー犯の思う壺だからです。
暴力での報復が当然の件については、そう出来なかった事を被害として計上する、という方式を私は取ります。

私が学会大会旅行中に(ホテルや学会大会会場で)受けた集団ストーカー工作は、私の写メール投稿ブログ「即達」(
リンク集 > 宇田雄一のウェブサイト > 即達)の2018年09月分のページ内の記事で説明されています。
即達2018年09月分ページは2ページに渡っています。
私自身1ページだけだと誤解したので気を付けて下さい。
ページ下端に「>」印をアンカーとする隣ページへのリンクが分かり難く存在します。
閲覧者の使っているハードウェアとソフトウェアによっては1ページに収まるかもしれないし2ページを超えるかもしれません。
それは私には分かりません。
即達2018年09月分ページが実際には2ページに渡っているのにその事が分かり難く1ページだけだと閲覧者が誤解しやすいのは、ページデザインが集団ストーカーの介入によって歪められたからである疑いが強い。
私がここにこう書いたからページデザインが変更される、という事も有り得ます。
それは私の言う事を第三者に信じられなくする目的でです。
犯人は、とにかく宇田雄一の言う事は何から何までてんで間違っていないと気が済まないのです。

温度関係の記事は「20180914 1347」「20180914 1725」「20180914 1750」「20180915 0937」「20180915 2030」「20180916 2007」「20180917 1117」「20180917 1200」です。

これらの中から以下に内容を抜粋します。
内容 注釈
20180914 1347 S28教室で1番目の発表が終わった時点で、皆さんがよろしければ冷房を強化して下さい、と座長に申し出た。
それに続く会話を以下に書きます。

座長:既に設定温度が26度に成ってますけど。

私:設定温度はそれで十分です。全然そんな感じではありません。

座長:では設定温度を25度にします。

私:設定温度の問題ではないのではないか。前のエアコンだけ動いてて後ろのエアコンは止まってるとか。

座長:では設定温度を24度にします。

私:いえ、それじゃあ良いです。私が移動します。

講演者:エアコンが利いてないと感じる。エアコンから風が出てないような。

私:でしょ。

エアコンを止めたり弱める、というのは集団ストーカー工作の典型例で、今回のこれもそれだ。
どの段階で誰がやったかは不明だが、この人は違うという例外者は基本的には居ない。

屋外を歩いた直後という涼冷の貯金が底をつき負債が生じていて直ちに冷やさないと着衣が汗で濡れる、といった瞬間を狙われるのが常だ。

入室前には自転車および歩行者によるコリジョンキャンペーンという集団ストーカー工作を多数回受けた。
大学構内なのに。

学生食堂では下膳所で目前の客が洗浄おけに食器を勢いよく投げ入れて汚水の飛沫を飛ばして私のスーツに付着させた。

エアコンの利きは時刻1350までに突然良くなった。
スーツを汚された事に目くじらを立てる私の主張は、犯人にとっては良い狙い目です。

集団ストーカーというのはそういう所を狙う様なヤツラなんです。
私の被害意識が正当なものであっても過剰だと誤解され易いならそれを最大限に利用して私を不利な立場に立たせよう、そういう考え方をする。
だからクソみたいなと私は言うんです。

学生が部活で使う高価な楽器を汚されたのと同じだ、と考えれば誤解が生じ難いでしょう。

それに加えて飛沫を飛ばした犯人は故意にそうした、それも上に述べた誤解を生じさせる事まで視野に入れてそうした、という点まで考慮すれば目くじらを立てて当然だという事が分かります。
20180914 1725 ホテルのエアコンもやられている。
昨日は冷えたのに今日帰室後は室温とほぼ同じ風がエアコンから出て来る。
冷蔵庫は昨日のチェックイン直後から今も冷えが悪い。
フロントに問い合わせると、現状のままにしか出来ない、と返答された。
学会会場と違ってこの件は別の客の証言を取るのが難しい。
学会では運よく集団ストーカーに根回しされなかった善意の証言を得る事が出来たが、ホテルは根回し完了だろう。
帰館時フロントで鍵を受け取る際には先客が私の目前で財布をファスナーを開けた状態で置き去りにする、という工作もした。
ホテル職員も、そこに居なくなる、という形で犯人に協力した。
これもパターンだ。
こういう場合は私はいつもの様に即座にその場を離れた。
実際に窃盗させたり窃盗の濡れ衣をきせたりするのが犯人の狙いだからだ。

エレベーターでは私の部屋の階数を確認しようと狙う工作員が同乗した。
チェックイン日にはエアコンは正常だったが翌日の帰室までに異常に変化した、という私の重要な証言が含まれて居ますが、これを忘れていました。
20180915 0937 私が午後発表するS35教室の戸を外から開けると中の異常に過多な熱気が顔に当たった。
徹底したエアコン工作が実行されている様だ。
これで口裏を合わされて誰も暑いとは感じていない、私が知覚過敏だ、という事に仕立て上げられたらたまったものではない。
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20180917 1117 S34教室内の気温が高過ぎて居れなく成ったので出た。
出る瞬間と出た後しばらく廊下の気温の方が格段に低い事が実感された。
セッション開始時に座長さんがエアコンが強すぎて寒い人は居ませんかと言った時には少しだけ冷え過ぎだったのに。
そう申し出ようか否か迷った。
結局申し出なかったのは単なる偶然だった。
もし申し出てしまっていたら室温が高過ぎておかしい事が私以外の誰かのせいだという指摘の正当性を説明するのが難しく成ってしまう。
そう仕組まれたからではないか。
それとも誰かが申し出たのだろうか。
私は室内で寝ていたのでそれを察知できない状態だった。
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20180917 1200 下痢を済ませた後再度確認するとS34の室温は許容できる程度まで下がっている。
前件投稿の影響だと思われる。
室内には私と同じ程度の厚着の人は皆無でほとんどは半袖Tシャツ、厚くてもカッターシャツレベルまでだ。
私はスーツ姿。
私が壁にもたれかかって前件を執筆していると学生バイトらしい学会スタッフが私の前を歩行で通過し、最接近の瞬間に歩行進路と私の距離を急に減少させた。
さらにその人を含めて同様のスタッフが3人も私の数メートル近辺に集結していた。
ひともんちゃく有る事を想定した上でそれに私に不利な形で対処する目的で待ち構えていたのではないか。
時刻1210にはこの廊下には学会スタッフは1人も居なくなっている。
本件執筆中にS34教室から5人か6人程度の人がまとまって出て来て逃げる様に去った。
トラブルが生じたら学会大会運営者に連絡して処理を任せろ、と書かれた貼紙も有った事は、陥れの後処理も準備万端である様子をありありと伝えており、犯人は上手く隠しているつもりでも犯罪の仕掛けが丸見えだった。
20180917 1244 前々件1117執筆直前退室時に外れた。

私が寝ている間に細工された可能性が高い。

半年前の前回の大会までに外れそうになっていることに気付きペンチで直した部分だからつい数時間前までは写真の様に開いてはいなかった。
また気になるので時々目視確認もしている。
昨日今日も目視確認した。
直した直後の証拠写真ならこのブログに掲載されている。
本件により、過去に外れそうに成っていたのも集団ストーカー工作の結果だったらしい、という事がハッキリ分かった。

前件執筆後再度入室すると室温は許容できるレベルどころか寒かった。
前件に書いた5ないし6人程度は、工作用に薄着で来たためこの寒さに耐えかねて退去したのかも。
外れたのはビジネスバッグのファスナーのツマミです。

 

ビジネスバッグのツマミの留め具の開部分をコジ広げられる、という被害については、「20180923 1444」から「20180923 1752」まで、および「20180917 1244」「20180919 1824」に書かれています。

2018年10月26日13時29分、上記のホテルに関する報告記事を執筆中に、東の新工事現場から、それまで止んでいた打音が2発。
こう書くとそれだけだと誤解される恐れが有るので書かない方が良い面も有りますが、個別具体的な指摘という物が重要だという事情も有ります。
基本的にこのページの様なインターネットを使った私の情報発信・意見発信に対して私に騒音が浴びせられるという法則性がハッキリと存在し、このページに限ってもそれは四六時中毎日毎日であり、打音が2発だけなんて物では有りません。
だから、打音が2発だけならそれは宇田の室内での活動に反応しての物とは限らないじゃないか、というパターンの批判的思考が妥当する状況ではない。

私の発表についてのご意見ご感想はお問合せに記載されている連絡先にお寄せ下さい。

最終編集2019年02月20日