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2024年末までに、裁判の判決文で「自己中心的」という言葉が使われるケースが多く成っている事が私は気に成っている。
「動機は自己中心的だから情状酌量の余地は無い」といったパターンです。

この事は他人を助ける為に殺人したら自己中心的じゃないから罪が軽い、自分の身を守る為に正当防衛で殺人したら自己中心的だから罪が重い、という風にも持って行かれかねない危険を感じます。

自己中心的な動機は情状酌量の対象とは成らない、したがって、自己中心的な動機以外に他の動機が存在しないならば、動機の中に情状酌量の対象と成る物が含まれていない事に成る、という事が言いたいなら間違ってないと思う。
しかし、自己中心的な動機に基づく行為は全て有罪であって、それには情状酌量の余地が無い、という事が言いたいなら、間違っている。

例えば、私企業の定義は、営利追求を目的とする会社、でしたよね。
同様に、私人は私益を優先する人だと思うんだけど。
つまり、自由主義民主主義社会においては、自己中心的である事は権利の基本であって、限度を超えない限りは自己中心的であってよいわけでしょう。




最終更新2025年11月24日