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< 「他者の為に戦うのはよいが自分の為に戦うのはいけない」 > | ||||||||||||||
このページは執筆中・未完成です。 スカイパーフェクトTV時代劇専門チャンネルでの里見浩太朗さんの発言 「時代劇のヒーローって言うのは、自分のためじゃない、他人(ひと)のために動く、働く、戦う。だからヒーローであって、そこにロマンが有るわけですよね」 スカイパーフェクトTV時代劇専門チャンネルで「篤姫」第四回が放送された時に、「篤姫」開始の直前に放送された里見浩太朗さんの発言を録音しました。 対照的な台詞としては、空手バカ一代という漫画に「ふりかかる火の粉ははらわねば」という台詞が有る。 里見浩太朗さんは、悪い人じゃない、善い人だろうと思うけど、こんな人まで敵の言語工作にやられてしまっている実例です。 里見浩太朗さんの発言内容は、一般論ではなく、「時代劇のヒーローは」という場合に限った話ですが、敵は一般論として「自分のために戦ってはいけない、他人のために戦うのは美徳である」という間違ったルールを正しいと信じ込ませます。 このルールを、間違えないとみんなが助けてくれなくなる、という法則を組み合わせると、間違えないとみんなも助けてくれないし自分で自分を助けるのもいけない、という風に成ります。 これが、敵の狙いであり、自分のために戦ってはいけないという間違ったルールは、その部品です。 この様に敵は、組み合わせると威力を発揮する部品をアチコチに分散して配置し、個々の部品を見られても、それが「間違っている」と言われて潰される事が無い様に工夫しています。 裁判では、訴訟を起こす権利は被害者本人だけに有る。 また、弁護士資格を持たない人が弁護士活動をするのは違法です。 警察にも民事不介入の原則が課せられている。 正当防衛が成立するのも本人限りのはずです。 国家でも、侵略を受けた国が自分で戦うのは当然の権利ですが、他国がどちらかに加勢する権利はそれほどではありません。 このように、本当は、自分のために戦うのは構わないが、他人のために戦うのはいけない、というのが本来の正義です。 敵は、その逆さまを言われても大抵の人は「おかしい」とは気付かないものだ、「美しい事を言っている、まあそうかな」という風に騙されてしまうという弱手につけこんで、問題を解決できなくしているのです。 その敵の工作の影響がいかに広く浸透しているかを、里見浩太朗さんの発言が、よく物語っている。 1人対1人の対立に介入して片方の味方をする事は、もっと離れた所から見れば、1人対1人の対立を1人対2人の対立に変える事に過ぎません。 介入した人も何ら絶対正義者ではないわけだから、1人と2人の間に利害の対立が存在し、紛争が生じている、という事態に他なりません。 これは、紛争が拡大した、という悪化に他なりません。 また、1人に対して2人で対抗する、というのは、人数の多少の面で正義に反します。 当事者以外は将棋に口出しするな、という倫理を思い出すべきである。 私は、1人対1人の対立に介入して自分が正しいと思う方の味方をする事は、論争においてや強さの差が著しい場合には奨励されるべきだと思うけれど、それでも、論敵の処理能力がオーバーフローするように狙って発言するのは不正だし、また、1人対1人の対立においていずれの当事者も相手と戦ってはならず第3者の介入だけが許されるというのは到底納得が行かないのである。 「う~ん、気に入った、自分はそれで行こう」というのは害が少ないが、自分のために戦ってはいけないというルールを他者に押し付け、それを守らなかったら罰する、という態度は害が大きい。 自分で反撃してはいけない、という集団ストーカーの言い分は、自分の判断は間違っているかもしれないから、というものであり、自分で反撃する人を集団ストーカーは「自分の考えを正しいと思い込んでいる」「自分は何でも正しいと勘違いしてる」という言葉で非難するが、介入した第3者はその批判を免れる、というものでもない。 そういう意味で、私人間の争いは何人巻き込もうが、あくまで私人間の争いなのである。 当事者は当事者視点でしか物事を見れないからある種の問題では間違いやすい、という法則性が有る一方で、当事者に成って見なければ分からないこと、という物があるのも事実である。 これは、例外的に介入が許されている警察や弁護士や裁判官にも言える事であり、社会が抱える永遠の弱点である。 その事をわきまえた上でやっている警察や弁護士や裁判官まで全否定するつもりはないが、当事者よりも第3者の方が一律正しい判断が出来るのだ、というガサツな論理は凶器である。 この問題に関して、マスコミを使った誹謗中傷があったのを2件思い出す。 ひとつは、キャプテンハーロックというアニメのキャラクターが自分の為に戦っているところだ、自分の為に戦うっておかしいよな、という表現をテレビで何度か見た事が有る。 キャプテンハーロックの原作内にそういう表現があったのではなく、二次作品のようなものではなかったか。 もうひとつは、自分、自分、自分という風に「自分」を連呼するテレビコマーシャルだ。 食品か飲料のコマーシャルだったと思う。 自分防衛団と言ってなかったか。 自分の為に戦うのはカッコ悪いとは言えても道徳的な悪だとは言えない。 敵はその事を分かっているから、道徳的な悪だという主張は、使う時だけ瞬間的にパッと出して人を騙しサッと引っ込め、公言はしないようにしている。 自分で対処したいんだけど出来なくて「誰か何とかしてくれ」と言いながら慌てている人を間近で見て、何やってるのと思った事が何度も有る。 「おい誰か、こいつを何とかしてくれ」と言われて、それは一体何の文化だ?と思ったことも何度も有る。 また、そういう了解事項はどうして私の耳に入ってないのか、という風に腹が立った。 「自分の為に戦ってはいけない」というのは一種の「してはいけない」だから、「してはいけない」と「してもよい」は同じ事です、の適用を受ける。 (A)他者の為に戦わなければいけない、(B)他者の為に戦ってもよい、(C)他者の為に戦ってはいけない、 (1)自分の為に戦わなければいけない、(2)自分の為に戦ってもよい、(3)自分の為に戦ってはいけない とするとき、敵の言い分は(B)(3)、公法は(C)(2)、私の意見は(B)(2)です。 公法と敵の言い分は正反対に成っている。 敵の動機なんだけど、敵はなぜ、自分の為に戦ってはいけない、というルールを通用させようとするのか。 被害者が加害者に勝ってしまうのを敵は防ぎたい、被害者が加害者より立場が上に成ってしまうのを敵は防ぎたいのではないか。 つまり、助けた第3者が一番上で、その下に加害者、さらにその下に被害者という不正な序列を作ったり維持したりするのが敵の目的ではないか。 これは法の下の平等に違反する。 |
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最終更新2023年06月27日 | ||||||||||||||
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