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< SOMEとANYのすり替え > | ||||||||||||||
敵がよく使う定型句に 「~なら何をやって(言って)も許されるのか?」 という反語表現が有ります。 もちろん、この言い方が妥当する状況も有るのですが、敵はこの表現を状況に反して使います。 たとえば、私が「自分は天才だから学問で社会に貢献する事を本業にするつもりだ」と発言した場合、これに対して敵が「天才なら何をやっても許されるのか?」と言い返すパターンが、それです。 敵のこの発言のどこが詭弁かと言うと、「自分は天才だから学問で社会に貢献する事を本業にするつもりだ」という発言からは、「天才なら学問で社会に貢献する事を本業にしても許される」という考えを私が持っている事は分かりますが、「何をしても許される」と私が考えているかどうかまでは分からない点です。 私は「学問で社会に貢献する事を本業にしても」と言っただけで「何をしても」とは言ってませんよ、と言い返す事が考えられます。 この他に、私には答える事が出来ないと敵が見込んで出した質問に私が正解してしまったときに、敵が「それじゃあ、お前は何でも知ってるのか?」と罵って来るパターンも有ります。 ここで敵が使った詭弁は論理的には「SOME(ある)とANY(どんな~も)のすり替え」だと言えます。 これは数学ないし論理学の∃(存在する)と∀(すべての)のすり替えです。 SOME(ある)が∃(存在する)に相当し、ANY(どんな~も)が∀(すべての)に相当します。 これも、必要条件と十分条件のすり替え同様、常識で考えれば分かる事です。 「ある日本人は広島県民です」=「日本人の中には広島県民が存在する」 : 正しい。 「どんな日本人も広島県民です」=「すべての日本人は広島県民です」 : 間違っている。 このように、SOMEを使うのとANYを使うのとでは、違った意味に成ってしまうわけです。 「私は天才だから学問で社会に貢献する事を本業にするつもりだ」というのは「私は広島県民だから日本人です」と言う事に例えられ、「天才なら何をやっても許されるのか?」というのは「どんな日本人もみな広島県民だと言うのか?」と言う事に例えられます。 しかし、まあ、これで話を終わりにすると、少ししらばくれてるところが有る。 そこで、何かの支払いで敵が非常識な高い値段を吹っ掛けて来た時に、こちらがそれを支払い可能だと告げると、敵が「それじゃあ、お前は幾らでも払えると言うのか?」と罵って来た場合を考えよう。 例えば、千円だと言われて、千円なら払えます、という場合。 これは、千円なら払える、という事から分かるのは、千円および千円以下なら払える、という事だけです。 千円だけではないけれど、千円以下でも払える事まで分かってしまうけれど、千円よりもっと高い金額でも払えるかは全然わからない。 「幾らでも」なんて、そんな事言ってないよ、どこから出て来るんだ、その「幾らでも」とか「何でも」というのは、ってわけです。 常識で考えれば当たり前の、小学生でも説明されなくても分かってるんじゃないかというような、くだらない事ですが、屁理屈にキチンと反論しようとすると、こんなに長く成ってしまう。 だから、SOMEとANYをすり替える屁理屈で攻められると返答に窮してしまう。 そこに敵は付け込んで来るんです。 それを大の大人が、「お前は大人、社会、常識といった基準に合格していない」と言いながら、カサにかかってやって来るわけですから、どこが大人なんだ、どこが社会なんだ、どこが常識なんだ、って事なんですよ。 「ホントの事なら何を言ってもいいのか?」という反語表現も敵は使う。 これは、例えば、まず私の発言に敵が「お前は言ってはいけない事を言った」と言い返し、それに対して私が「だってホントの事じゃないか」と言い返した事への反論として使われる。 「だってホントの事じゃないか」というのは、「本当の事だから言ってもよい」「本当の事なら言ってもよい」と私が考えている証拠です。 この発言は「何でも」と私が考えていない証拠には成りません、むしろ字面だけ見ると「何でも」が省略されているが意味には「何でも」が入っている形に成っています。 しかし、実際の状況では、本当の事であるか否かという条件判断と、当然の前提として存在している別の条件判断が組み合わされているのが普通です。 当然の前提として存在している別の条件をXとすると、Xが成立する場合であればホントの事なら何を言ってもいい、という事ですね。 だから本当は、「だってホントの事じゃないか」と言う代わりに、「だってXは成立しているしその上ホントの事じゃないか」と言う方が正しい。 けれど、Xが成立していることがあまりに当たり前であるために、「Xは成立しているしその上」を省略した、という事です。 当たり前であるから省略しただけでなく、Xという条件を言葉で言えと言われても、直ぐには言えないような物です。 だから省略した。 つまり、敵の「ホントの事なら何を言ってもいいのか?」という発言は、その事につけこんで、自分だって成立していることが分かってるXという条件を、言えるもんなら言ってみろ、という発言だと考えられます。 また、前提条件として、こちらはXを考えているが、敵はXよりももっと成立が難しい条件を考えている、そして、現代法的正義観では前提条件はXだけでよいとされていて敵はその事が気に入らない、しかし、「前提条件がXだけでよいなんて間違ってる」と主張して論争を仕掛けても負けるので、その事を分かりにくい形で表現している、とも言えます。 ちなみに、だから私は「だってホントの事じゃないか」という言い方をした事は多分一度も有りません。 「だってホントの事じゃないか」という言い方は、テレビドラマで登場人物の台詞として聞く事が何度も有りました。 私は、何十年も前のいつ頃かまで、集団ストーカー工作の被害者から「もう、こいつ(加害者)をぶっ飛ばしても構いませんよね?」とよく質問された。 第1印象は、「どうして、そんな当たり前の事を質問するのか?」というものだった。 集団ストーカーはひっくりかえす前に準備としてまず問題にする事から始めるのだと、今では理解している。 日本政府が特定の領土問題について、問題が存在しない、と外国に答えるのは、そのためだろう。 それを繰り返しているうちに、私の頭には次の考えが浮かぶようになった。 ・ 既に何度も答えた問題なのに、どうして同じ事を何度も私に尋ねるのか? ・ なぜ私が判断するのか? なぜ被害者本人の判断では駄目で私の判断ならよいのか? ・ 「ぶっ飛ばしても構わない」という言葉の正確な意味が分からない、もっと厳密に正しい表現を編み出したい、それまで「構わない」という言い方で百パーセント正しいとは言い切りたくない。 そういう理由で、ある時期を境に私は答えなくなった。 すると、集団ストーカーの犯人の虚偽の言い分が全面的に認められる時代がやってきた。 この話を何故ここで出すかというと、以下の事情を説明するためです。 犯人は長期に渡って同じ事を何回もしつこく質問して来る。 例えば「円周率は3ですか?」という風に。 すると、質問された人は最初は「はい3です」と答えるのだが、次第に「はい3です」と答えるのが嫌に成ってくる。 正確には3じゃなくて3.14・・・だからだ。 すると犯人は「待ってました」「だろ?」「やっぱりじゃないか」とばかりに、兼ねてからの自分達の意見「円周率は5である」という意見が承認されたと主張するので有る。 3以外の何か(SOME)である事を、3以外のどれでも正しい(ANY)にすり替えているわけだ。 |
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最終更新2023年05月09日 | ||||||||||||||
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