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2千1桁年代だったろうか、「流布」という意味で「拡散」という言葉が使われ始めた。
これも「~が・・・頂く」という表現と同様に、1人の例外も無く全員がそうする様に成り「流布」という言葉を全く聞かなく成った。
その話が一切表に出ないのも、「~が・・・頂く」の場合と全く同じである。
2024年春には、まだそれが続いている。

2千1桁年代に、私がインターネット上の掲示板で激しい誹謗中傷を受けていた時、私は掲示板に「敵は討論において話を拡散して結論が出るのを妨害する、逃げ回る」という意味の書き込みをした。
「流布」という意味で「拡散」という言葉が使われ始めたのは、それを境にである。

「話を拡散する」というのは、Aという主張の是非で敵と私が対立している時、例えば私は「Aは正しい」と主張しているが敵は「Aは間違っている」と主張している場合、Aは間違っている根拠として敵がA1, A2を挙げる、それに反応して私はA1が間違っている根拠としてA1aを、A2が間違っている根拠としてA2aを挙げる、すると敵はA1aが間違っている根拠として敵がA1a1, A1a2を挙げ、A2aが間違っている根拠として敵がA2a1, A2a2を挙げる、という風にして、論点を増やして私が処理し切れなく成る様にする、という意味です。

「敵は私の話を拡散する」という私の主張の文中の「拡散」を「流布」と曲解すると、「敵は私の話を言いふらす」という意味に成り、これでは、敵は何も悪い事をしていない、逆に私が言いふらされると恥ずかしい様な事をしている、という逆さまな意味に成ってしまいます。
これが、「拡散」の意味を「流布」の意味にすり替え「拡散」という言葉を流行させ「流布」という言葉を抹殺する動機であるのは明白です。

元々は「流布」という言葉が使われるのが普通でした。
元々は、「拡散」という言葉は、物質科学でしか目にしなかった。
拡散方程式などです。
理科系の人でなかったら、「拡散」ではなく「散逸」という言葉を使う方が普通でした。
「流布」という言葉が普及していた事は、例えば創価学会が「公宣流布」という言葉を使うのを見ても分かります。
小多仁伯・小川頼宣共著「PART II 池田大作の品格」日新報道を読んでいて「公宣流布」という言葉を頻繁に見ました。

「拡散」という言葉には、「広がる」という意味だけでなく「薄まる」という意味も含まれています。
「広がりながら薄まる」とか「広がる事によって薄まる」という意味です。
薄まるというのは、徐々に価値が無くなって行く、徐々に意味が無くなって行く、徐々に確実さが減って行く、徐々に明瞭さが減って行く、といった事です。
「拡散」という言葉を分かっている人が「拡散」という言葉で表したいのは「実質上の消滅」です。
厳密には消滅するわけではないので「消滅」という言葉を使うのを避けたい、これが「拡散」という言葉の心です。
「拡散」の「散」は、「砕け散る」や「雲散霧消」や「散財」の「散」です。
一方、「流布」という言葉は、価値や意味や確実さや明瞭さを保ったまま広範囲に行き渡らせる事を表しています。
したがって、デジタル・コピーによる情報の流布は、流布であって拡散ではない。
私がインターネット上で「話を拡散される」と言ったのは「話をうやむやにされる」という意味です。

私は「拡散」という言葉で「議論の収束」の反対の状況を表現しようとしました。
理科系の学問では、「収束」の反対語は「発散」ですが、際限なく大きく成り続ける事も「発散」という言葉で表されます。
だから、「発散」という言葉を使うのを私は避けました。
今では、「攪散」としておけば良かった、と思っています。

最終更新2024年07月01日