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差別を肯定する発言は差別とは違う。 殺人を肯定する発言が殺人とは違うのと同様である。 それなのに、差別を肯定する発言を差別だとして非難する例が後を絶たない。 --- 2025 0806 1215にメモした。 ![]() さっき見たテレビ番組について。 NHK総合午前0905開始、わたしがつなぐ。 95歳秘められた人生、の部分だろう。 登場人物が、障害児が産まれるといけないので出産しない約束で結婚した、そういう考えは障害者差別だと言われたので出産した、と発言した。 そういう考えは差別だと言った人に腹が立った。 障害児が産まれるといけないので出産しないというのは近年否定された優生保護法の考え方だ。 しかし、優生保護法が間違っているのは本人が産みたいのに産ませないからだ。 本人が産みたくないから産まないのは、障害児が産まれるといけないという理由であっても、中絶でなければ、全く正しい、障害者差別でもない。 差別というのは差別の害を被った人が居る場合だけであり、最初から産まなければそんな人は居ない。 産まれてしまった赤ちゃんが障害者だった場合にその人をどうこうするならば障害者差別だが。 障害児を産まないように選択する事が障害者差別だと言うなら、出産以外の業務で自分が怪我をして障害者にならないように注意して行動する事も障害者差別だという事に成ってしまいますよね。 それは明らかに不合理です。 ちなみに2016年わたしは山本幹夫からこの明白に著しく不合理な考えを説かれた。 自分は障害者には成りたくない、だから、怪我や病気をしないように注意して行動してるんだ、というのを障害者差別だからいけないとされたら、一体どう成るんだ。 障害者も健常者と全く同じだから健常者が怪我をしたり病気に成ったりして障害者に成っても何も損をしていない、と言うなら、傷害罪という最重要級の罪の認定は無くなってしまうし、怪我をしない様に注意して行動する自由という、自由の中でも最も優先度の高い自由が否定されてしまう。 それこそが敵の狙いなのである。 こんな間違った考えを、障害者を産まないように選択する事は障害者差別だと言った人は、本当に自分の考えとして持っているのでしょうか? 持っていないと私は思う。 世の中や個人に不幸が生じるからいけないと言ってるのではなく、賢く善良な人が世の中や自分に不幸が生じる事を未然に防ごうとしたとき、それでは不幸が生じないからいけないと考えて、道徳の基準を偽って教える、という態度がその正体だろう。 障害者差別だと言われたから産んだ人は、大切な事を学んだと言っていたが、産んだ結果障害が無かったからそんな事が言えるのであって、もし障害児が生れていたら、違うのではないか。 --- |
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最終更新2025年08月09日 | ||||||||||||||
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