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2023年LGBTの議論が活発化している。
そういった議論の中で、LGBTに関する正義に違反する事を人権侵害だ、と言う人が居る。
しかし、男が女として扱われても、それは男権が侵害されただけで、人権侵害まで行かない。
女が男として扱われても、それは女権が侵害されただけで、人権侵害まで行かない。
人権侵害と言うには、人が人として扱われない事が必要である。
男が女として扱われても、女が男として扱われても、人として扱われている限りは、人権侵害ではない。
男が女として扱われたり、女が男として扱われる事が人権侵害であるのは、その内容が、男でも女でも人なら誰でも耐える義務が無いような事だけである。
生物学的な限界を超えた仕事を義務付けられるのはそれだろう。
自分は男だとか女だとかいう認識を改めるよう強制されるのもそれに入るかもしれない。

日本国民としての権利が守られなくても、それは日本国民権侵害であって人権侵害とは違う。
どの国の国民にも成れないようにされたら、それは人権侵害だろう。

人権侵害とは何か、考えてみた。
例えば、拳銃で撃ち殺されるとか、青酸カリを飲まされて殺されるというのは、被害の中で最も重い種類の被害だろう。
しかし、それらを人権侵害とは言わない気がする。
人権侵害というのは多分、拳銃で撃ち殺すとか青酸カリを飲ませて殺す事を、特定の人に対して行なう場合に限っては「罪ではない」と定め、そういう加害をした人を全く罰しない事を言うのだろう。
特定の人に対して行なう場合に限っては「罪ではない」と定め、そういう加害をした人を全く罰しないならば、拳銃で撃ち殺すとか青酸カリを飲ませて殺す事よりももっと軽い加害でも、人権侵害に当たるだろう。
つまり、特定の人を法の適用から除外する事が、そうされた人への人権侵害だと考えられるのではないか。
後で調べておきたい。



「人権」という言葉を逆さまの意味で使う。
公法とは別の基準を勝手に通用させ、それを公法に代用する、という考え方。
これは、元々公法が気に入らなくて、それを根に持っている者達の仕業


2026_0208_1022
人権という言葉の使用例。
手錠・腰縄姿を第三者に見せられる事は人権の侵害だ、という意味で、「人権」という言葉が使われている。
 
2026_0327_1025
発達障害のある男子児童を別室に閉じ込める行為を繰り返す事は人権無視に当たると横浜市教育委員会第三者委員会が指摘した、と書かれている。
人権無視という事だから、人権侵害の中でも特にひどい侵害だ、という主張に成っているんだけど。
人権侵害は権利侵害の中で最も重い侵害であり、その人権侵害の中でも特にひどい侵害だ、と言ってるみたいなんだけど。
言葉が不当に際限なくエスカレートして行っている実例だと私は言いたい。
 
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2026年04月16日までのところ私は、「人命軽視」という言葉が使われるのを聞いた事はあるけれど「人命無視」という言葉が使われるのを聞いた事は1回もない。
本当に「人権無視」と言われるべき行ないは大変な物であるだろう事が、その事からも分かる。
2026_0826_1846にメモした。
中国新聞2026年08月23日号2ページに、NHKの職員が番組出演者から性被害を受けた上二次被害もあった事件についての社説が掲載されていた。
その中に「被害者より、加害者の人権を守ろうとしていると思われても仕方あるまい」という文が含まれている。
例えばこれなんですけど、「被害者より、加害者の権利を守ろうとしていると思われても仕方あるまい」ではダメなんですかねえ。
人権というのは、正式名称が「基本的人権」である事から分かる様に、権利の中で最も基本的なもの、最も基本的であるから最も優先的に保護されねばならぬ物、であったはずです、元々は。
人権は、人の権利一般の事じゃない。
それなのに、もう何十年も前から、権利と言う代わりに人権と言う、ぐらいの感覚で、何でもかんでも権利は全部人権だ、みたいな言説が横行する様に成っています。
「~が・・・いただく」と同じぐらいに異口同音にです。
この様な風潮は、本当の意味での人権を脅かす効果を持っているので、正されねばならない。
 
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ここまでの記事の基に成る下書きを自分のPCにメール送信したのと同時に「福山581さ1787」が宇田雄一の自宅の東脇を北進通過し、すぐ淀電子通り東口で車体の向きを変えて南進通過した。。
下書きは最初2026_0824_1014で送信したが、何故か添付写真が別の新聞記事(防衛大手の記事)に成っていたので、2026_0826_1846に再撮影し再送した。
2026_0914_0851にメモした。
国連事務次長であらせられる中満泉さんの人権についての論説。
「人権とは、生まれながらに人間がみな等しく持つ権利だ」と書かれている。
同時に、『「人権」の概念定義は存在せず、・・・』とも書かれている。
私としては、権利一般を人権と呼ぶな、という自分の意見への反論に成っていないか、目を光らせる必要を感じる。
人権の範囲を広げ過ぎて、生まれながらの権利一般を人権だと言うなら、それでは自然権という言葉と重複してしまう。
自然権という概念・言葉が有るのだから、そういう意味の人権という概念・言葉は必要ない。
新語の定義は新語の提出者が自由に設定して良い事だが、その設定の如何によって客観的な正義が変わる事は無い。
人権という概念・言葉の公認された定義・用法に従ったのでは必要な言語表現が出来ないのであれば、別の新語を用意して、権利の中で特に基本的で優先されねばならない物をその新語で表現する必要が生じるだけである。
また、人間であるだけで当然持っていると考えられる権利を人権と呼ぶのなら、人間以外の動物の権利という物を言わないのは何故だろうか、極めて不可解である。
対象を人間に限る、という人権の問題意識は、権利のうちで優先的に尊重しなければいけない物から順に考える、という方針を採用している証拠です。




最終更新2026年09月19日