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このページは執筆中・未完成です。 敵が使う定型区はITセキュリティ分野での不正な文字列、コンピューターウィルスに例えられる。 ITセキュリティソフトの会社が発信している様な形で誰かが、敵が使う定型句の最新動向をレポートするのが望ましい。 2023年現在では例えば「一方的」という言葉や「~しかない」という言い回しが、新傾向である。 言葉の問題が言葉の問題に留まるならば、間違った事を言われても無視すればいいだけです。 しかし、言葉の問題は暴力につながります。 その事は、もし裁判で屁理屈が通用してしまったらどうなるか、考えれば分かります。 また、言い掛かり、という言葉にも、言葉の問題が暴力につながる事が表れているだろう。 この様な問題を考慮しなければいけない場合、ハッキリ言って空手なんて何の役にも立たない。 私は、空手を馬鹿にしてそう言ってるのではない。 空手なんて何の役にも立たないまでに身の回りの屁理屈環境が劣悪である、という風に身の回りの屁理屈環境を非難しているのです。 理屈を全て正せば、空手はもちろん役に立ちます。 空手の先生は、このような状況にもっと怒らなければいけない。 大山倍達が70才で死んだのは、殺されたからだと私は思う。 芦原英幸に至っては50才で死んでる、これはもう殺されたに違いない。 長谷川一幸という空手の先生の息子さんも交通事故で死んだそうだ、殺されたのだろう。 空手が強くても身を守れない、という事なんですよ。 おかしいじゃないですか。 言葉についてのこのセクションを読めば、私がものすごく左翼な人だという事が分かるでしょう。 しかし、既存の左翼の意見は右翼の意見よりも私の意見から遠いみたいなところが有るために、こういう部分を読まないと私のそういうスタンスが分かり難い。 詭弁について説明した書籍は多分既に多く出版されていると思う。 新聞の書籍広告欄でそういう本の書籍広告を見た事が有る。 けれど、そういう本には、このセクションで私が紹介する屁理屈は、多分説明されてないだろう。 そんなに頭が良くない人が出し合っても幾らでも作る事ができる屁理屈のうちから、どれとどれを取り上げて解説するかの選択が、被害経験の少ない人には出来ないからです。 集団ストーカーの噂ではカルトナンバーと言えば6666が極め付けだとされていますが、私の実際の経験では1桁の1が極め付けであり、6よりは8が多い、6666よりは8888の方がカルト度が高く見えます。 被害経験とは、この様な事です。 このセクションで私が紹介する屁理屈は、どれも他愛も無い事なので、論破するだけなら誰でも出来るぐらいです。 論破する事よりも、むしろ、どの屁理屈が使われるのか、の情報が重要ではないか。 この部分は、どんなに頭がいい人でも、被害経験が無ければ知り得ない。 経済学についての屁理屈の論破など、これまで何世紀にも渡って公前にさらされ続けてきた屁理屈の論破は、誰でも出来るというものではなく、私が自慢に思ってる事ですが、それでも見ての通り、経済の基礎についての屁理屈は小学校で習う算数だけで論破できます。 だから、ほうっておくと、その事にいつ誰が気付くか分からない。 現代の経済事情の複雑性や、テレビで論客が分かり難い専門用語を使ってピーチクパーチク表層的な事ばかりしゃべるのは、誰も気付かないように狙って複雑性の森の中にその真実を埋もれさせ大衆の目をくらませる工作の結果だろうと私は見ています。 音楽で言うと装飾音をたくさん付ける事によって中心に成っている旋律を聞こえなくするようなものです。 おそらく、私が論破した経済の基礎についての屁理屈、既存の経済制度の根本的な誤りの結果生じている悲惨な状況を見るに見かねて何とかしようと考えた結果、的外れな結論を出したのがマルクスだろう、と私は見ています。 屁理屈への対処の基本は、以下の点に信頼を置いて安心する事です。 ・ 事実の証拠は隠滅できるが物理法則や論理法則は隠滅できない。 ・ 正しい事を幾ら積み重ねても間違った結論が出て来る事は絶対に無い。 間違っている何かが正しいと証明される事は絶対に有りません。 証明を工夫すればできる、というのが犯人の信仰で、永久機関を作れるという信仰に似ている。 ・ 言い方を変えても、内容が同じである限り、正しいか間違いかは変わらない。 間違った事が正しそうに聞こえる言い方を犯人は工夫して出して来ます。 必要条件と十分条件の混同の項で紹介している、「精神病ならば病識が無い、したがって、病識が無いならば精神病である」という主張は、間違っているから、それが正しい根拠と正しい推論だけから導き出される事は絶対に無い。 この様に、結論が間違っていれば、それを導き出すのに使った根拠のいずれかが必ず間違っているので、科学的に証明されたんだという敵の主張に恐れおののき狼狽する必要は全く無い。 導出過程のどこかに必ず間違いが有るので、安心して落ち着いて間違い探しに進めばよいだけである。 ただし、それは、結論が絶対に間違っているとハッキリ分かっている場合に限られる。 結論が間違っている事に少しでも自信が無ければ、導出過程に間違いを見つける事が出来ない場合、導出過程に含まれる間違いを自分が見落としている可能性だけでなく、結論が正しい可能性も考える謙虚さが必要である。 「精神病ならば病識が無い、したがって、病識が無いならば精神病である」という主張は間違っている事がハッキリ分かるのですが、「あなたは精神病です」という主張は、間違っていても、間違っている事がそれほどハッキリとは分かりません。 そのせいで、私は精神病院の初診の時に医者の意見に耳を貸してしまった。 これが仇となったので、謙虚さは有れば有るほどよいというものでもない。 また、正しい事を幾ら積み重ねても間違った結論は出て来ませんが、答えは正しいのに途中式は間違っているという数学の答案はたくさん有ります。 答えが正しくても途中式まで正しいとは限らない、という意味の事を高校の数学の先生が言った時、その場に居合わせた生徒のうちで、その事を即座に理解できたのは私だけでした。 私が上記の「2点に信頼を置いて安心しろ」という部分を書いた翌日2023年05月01日の中国新聞の1面に以下の記事が出た。
これを受けて私は自分の写メール投稿ブログ「即達」に件名「2023 0501 1250」で以下の記事を投稿した。
私が「論理法則や物理法則に信頼を置け」と書くと、翌日にはそれでは防げない方法「AIが判断した結果を証拠として認める」制度に向けた国際会議の採択が出される、こんなに早い。 ところで、AIが信用されるようになると、上で私が説明した対処方法では対処できない、というのは本当でしょうか? そんな事は有りません。 結果が間違っていれば根拠のいずれかが必ず間違っている、この法則が破れる事は絶対に有りません。 AIが出した結果が間違っている場合、それは、推論の途中で「AIが出した結果ならば間違っていない」という法則を根拠として使った、この事が間違っている、という事です。 実際には、今の調子でAIが発達して行くと、将来は、ますます判断の難しい問題に、ますます高い正答率でAIが答えるように成って行くでしょう。 だから、本当のところは、AIが間違うというよりは、真性のAIではない装置をAIだと偽ってその事をみんなに信用させ、その似非AIが出した答えを証拠として採用させる、という犯罪が最も懸念される所です。 精神科医の部分をAIに置き換えて考えれば分かる事です。 精神科医療の悪用以前は、同様の犯罪は、キリスト教に基づいて悪魔憑きという濡れ衣を着せて悪魔祓いや魔女狩りの名目で虐待・虐殺する犯罪だったと思われます。 それが、現代では精神科医療の悪用という方法で、同じ動機から同じ目的が達成されている。 そろそろ、精神病院の不祥事も明るみに出る様に成って、精神科医療がトカゲのシッポ切りされ始めたようだ、次は何だろうか、と思っていたが、次はAIに白羽の矢が立ったようだ。 名目を変えれば同じ犯罪をいつまでもやり続ける事が出来るのではいけない。 AIはChatGPTで私の著作名誉をかき消す目的で急がれてる疑いも有る。 悪魔祓い魔女狩り、精神科医療の悪用、AIという流れを見れば、忘れさせてまた同じ手口を使うという犯人の習性が分かろう。 2023年に放送された「それってパクリじゃないの」というタイトルのテレビドラマが「屁理屈も立派な理屈です」というフレーズをキーワードとして使っていた。 屁理屈という言葉の意味が曲解されるように視聴者に刷り込みをかける狙いがあったと思われるので、一応説明します。 屁理屈も理屈ですが、屁理屈は立派ではありません。 「立派な」というのはそういう意味じゃない、「屁理屈も立派な理屈です」というのは「屁理屈も理屈です」というのを装飾的な言い方で言ったものです、と言うなら、「理屈だから何だって言うんだ」と言いたい。 間違った理屈だって理屈です。 しかし、間違った理屈は、理屈だけど間違ってる。 |
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最終更新2023年06月16日 | ||||||||||||||
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