![]() since 2003 イレコナビ サイトマップ |
||||||||||||||
< 武道 > | ||||||||||||||
< 理論 > | ||||||||||||||
< 空手以外 > | ||||||||||||||
< 敵の手口を暴露 > | ||||||||||||||
< 「それじゃあ違うという意見が出ましたので、これからは違う可能性についても十分に検討して下さい」 > | ||||||||||||||
私は学生時代の晩期に「宇田君それ違ってるよ」というコメントに悩まされ始めました。 善意で言ってくれていて「あ、ほんとだ、違ってた」と気付いた事も有ったけれど、ハッタリで言ってるみたいだと感じた事も有る。 しかし、これに言い返す言葉として満足な物を思いつかないので、私は黙っていた。 「どうして、そんな事が分かるんだ?」という言い返し方は毎回直ぐに思い浮かぶが、そう言い返した事は2024年末まで、まだ一度も無い。 「違わない」と言い返した事は何度か有る。 これらの言い返し方のどこがいけないのか、「宇田君それ違ってるよ」と言われてしまうとどこがどうやっかいなのかは、私には言われた瞬間に直感的には全部わかってしまったが、言葉で説明するのは面倒です。 しかし、上手な言い返し方なら、もう思いついたので、それを以下に紹介します。 「それじゃあ、違うという意見が出ましたので、今後は違う可能性についても十分に検討して下さい」 「それじゃあ、違うという意見が出ましたので、これからは私は違う可能性についても時々考えてみる事にします。おかしいなあ、今までにもさんざん考えて来たんだけどなあ」 「それじゃあ、質問されたときには、あなたは違うと答えてください、私は違わないと答えておきますので」 この様な言い返し方をしなければどういう不都合が生じるか、そもそもどうして言い返し方なんて考える必要が有るのかを、少し説明します。 「宇田君それ違ってるよ」という意見は、私が上に挙げた言い返し方で分かる様な力しか本当は持っていないのに、それ以上の働きが誤って生じてしまう、また、発言者はその事を狙っている、という事なんですよ。 それ以上の働きというのは、以下の2点です。 (1) 宇田の意見は間違っていたという内容に宇田が同意したと、第三者を誤解させる。 (2) 宇田に考えを変えろと命令する。 上に私が挙げた言い返し例は、これら2つの作用の両方を打ち消す様に調合されています。 言い返し方を誤ると、その私の発言を根拠に、私の判断アルゴリズムは劣っている事にされてしまい、色々な判断で過去の私の意見や今後の私の意見を根拠として採用すべきではない事にされてしまったり、私の判断アルゴリズムには深刻な欠陥が有るので私は危険人物である事にされてしまい、危険なんだから権利を侵害したり剥奪しても仕方が無いという扱いを受ける恐れが有る。 そして、そう成る事や、そう成る事を恐れて言い返せなく成る事も狙われている。 言い返し方を誤ると、考えを変える様に宇田から命令された、とか、宇田の態度は「貴様オレにたてつく気か」という物だった、という風に曲解できる余地が生じてしまったり、思ってもいないのに言いあぐねて直訳するとそう成る(違うんだという説明が言い訳に聞こえる)事を本当に言ってしまったりする危険が有る、という事です。 過去の私の発言が自分にとって不都合なのでその私の発言の効果を取り消し、今後もその様な自分に不利な発言が出て来ない様にする事を目指している人が、その様な態度の発信源であると考えられる。 しかし、まあ、上に私が挙げた様な言い返しは、例えば質量と重さを混同している人が、「それ、間違ってるよ」と指摘してくれた人に向かって取るならば的外れです。 だから注意が必要です。 --- 「宇田君それ違ってるよ」というコメントをハッタリだと私が感じた理由は以下です。 そういう発言が繰り返される様に成る前に私の発言(返答)に対して、「宇田君、もう少し舌鋒を柔らかくしてくれないかなあ」と言われたり、私の目前で独り言風に「そんなこと言って大丈夫なんだろうか」と言われたりした。 「宇田君、それ言わないでくれる?」というのも有ったな。 「宇田君、頼むから言い返さずに黙って聞いてくれ」と言うのを私が黙って聞いたのが最後だったような。 最初は「宇田君、これどう思う?おかしくないか?」という質問だったと思う。 変な理屈を言われてるんだけど、間違ってますよね、という意味の質問だ。 それに対する私の返答が、私に質問した人の予想よりもずっと強く「はい、間違ってます」という意味を表現するものだった。 私の言い方は多分、「うん、おかしい。そんなのは・・・だ」という言い捨てる様な言い方だったと思う。 すると、私に質問した人は、自分たちの意見に私が賛成してくれたにも関わらず鼻をグスンと鳴らす様な反応を呈した。 これは、大変な不当な扱いを受けた人が、これは不当と正当の境界を越えてますよねと私に質問し、越えてるだけでなく越えてる程度が明白に甚だしいという返答を私から得た場合に見られる様な反応である。 この様な反応は、ウダオサムが私への質問の答えを聞いた時にするのを見た事も有る。 ウダオサムの場合、仮にだったか実例についてだったか、大学院を卒業した人がウダオサムの顧客の職場のレベルの職場で学歴に不相応な業務に従事している場合、それをどう思うか、という質問だった。 それに私は「そこに、ものすごく無防備な人が居る、という風に感じる」と私は答えた。 ウダオサムは、そういう人は雇用者や同僚などに失礼な態度を取る危険が大きいのではないかという辺りを念頭に私に質問したが、それとは正反対のニュアンスの私の返答を聞いて、自分も本当はそう思っている、大学院を出た人が雇用者や同僚などに失礼を働きそうだという事よりも、大学院を出た人が雇用者や同僚などから危害を加えられそうで心配だという事の方が、誰でも本心では真っ先に思う事である、という事に気付かされ、人として本来あるべき感情を催した、という事です。 これらは、私の言ってる事は正しいけれど否認される証拠です。 私の言ってる事が正しいなら否認する奴が悪いんだから、容赦なく言い続ける、主張を曲げたりはしない、それが私の態度です。 「宇田君、もう少し舌鋒を柔らかくしてくれないかなあ」「そんなこと言って大丈夫なんだろうか」という言質を取られてしまったら、そういう私の態度に対しては歯が立たない。 「お前は間違ってる」「お前は自分で正しいと思ってるだけだ」の一点張りにしておけば、悪くても水掛け論で終わる。 これは、精神病だ、妄想だ、という主張と同じやり方です。 精神病だ、妄想だ、という主張の一点張りで通す態度ならよく知ってる。 2016年、山本幹夫が私のリアクションを聞かない様に慌てて逃げ帰ろうとしているのが見てハッキリ分かった事も有った。 学生時代晩期のケースは、「そんな事はしなかった」というアリバイ作りを利かせている風だった。 どちらにしても、私としては、その場に居合わせている人だけと話しているつもりだったが、相手は私の返答を帰って誰かに報告しなければいけない風だった、という顕著な不審点がある。 |
||||||||||||||
最終更新2025年08月11日 | ||||||||||||||
|