2025年05月02日の新聞に以下の記事が掲載されていた。

「小学生7人はねられる」という新聞記事。
犯人は「全てが嫌になった」と供述しているそうだが、過去の事例だと「全てが嫌に成った」というのは自殺の動機であって殺人の動機には無かったろう。
イジメ自殺などの事だが、自殺させるという犯罪(殺人の一形態)を、自殺すべき人が行なっている、という逆転現象が蔓延していると私は認識している。
これは私が、自殺の自由という事を言い出した事によって始まった気がする。
今回の事件の犯人が自殺すべき人だったかいなかは分からないが、他者の不正の害によって全てが嫌になったのでないなら本来は自殺すべき人に分類される。
それが変形して殺人という形で出て来ているなら、これも私が自殺の自由を言い出した事への反応の続編だろう。 |
この事件は私がこのページへのリンクをトップページに記載したよりも後に起こった事件なので、歩行小学生の列に自動車で突っ込む犯罪の一般的な類型からは外れる事例かもしれない。
そういう事例を故意に発生させる事によって立論を妨害しにかかって来ている可能性もある。
私がこのページへのリンクをトップページに記載した時点では、このページは白紙だった。
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犯人が「苦労せずに生きている人が嫌だった」と供述している事を別の記事で読んだ。
それなら自殺の動機ではなく殺人の動機として自然だ。
これでもまだウソをついているかもしれないが、それでも、やっと本音らしい動機が聞けた事は一歩前進だと思う。
これまでの別の事件では、動機の話が聞こえて来なかった。
動機を解明しないと同様の事件が起こり続けるのを止める事は出来ないだろう。 |
2025年05月初旬の新聞に以下の記事が掲載されていた。

犯人は「苦労せずに生きている人が嫌だった」と供述している事が書かれている。 |