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仲良くするのは悪い事だと言っても、それは「仲良くする」の内容によるのであって、全ての人と等しく仲良くするならば、それは悪い事ではありません。

実際には、全ての人と等しく仲良くするなんて事は無いから、他人と仲良くするのはいけない、と私は言っているのです。
全ての人と等しく仲良くするならば、それは「仲良くする」という言葉ではなく「誰にでも親切だ」とか「誰にでも優しい」という言葉で表現される事でしょう。

そもそも、「仲」という漢字には「中」の意味が入っているのではないだろうか。
つまり、中と外に分ける、という事だ。
これは、外と対立が生じた時に中に味方する、という態度につながります。

自分と仲の良い人が赤の他人と論争をしている時に、どちらの意見の方が正しいかで判断せず、どちらの方が自分と仲良しであるかで判断して、自分と仲の良い人を利する発言をする、これは不正な態度です。

この様な考え方は、例えば、公務員は民間人と仲良くしてはいけない、という倫理に表れています。
そんな事は無いでしょう、と言う人が居るかもしれません。
最近では、テレビ・ドラマでも、交番の警察官が善い人である事を、民間人と仲良くしている様子で表現する物が増えて来ました。
それらにまかれてしまっても無理は有りません。
しかし、癒着という言葉を思い出せば、それは本来の倫理とは違うんだ、という事を自分も元から知っている事を思い出す事でしょう。
私が子供の頃には「3年B組金八先生」というテレビ番組が放送されていました。
そこに登場する警察官は主役の金八先生とは仲が悪かった。

私人は他者と仲良くしても構わないけれど、それは、公務員ほど大きな力を持ってないからであって、私人でも他者と仲良くすれば少しぐらいは世の中が不条理に成るんです。
そして、その少しを全員分足せば、巨悪に成る。

集会の自由とか結社の自由という物は、それを「まあ、いいじゃないか、そんな堅苦しい事を言うなよ」といって免除する考え方です。
だから、これらは、悪用されないという信用の上に成り立っているのであって、自然法的な原理ではない、と私は考えます。





最終更新2024年04月27日